ルスト殴り込む ―グース・レオカーク家―
するとその時だった。部屋の扉がノックされた。
「どなた?」
「失礼いたします。グルンドです」
「どうぞ。いらっしゃい」
そう告げると静かに扉が開けられてグルンド少年の姿が現れた。
「失礼いたします。アルセラお嬢様がご就寝なされましたのでご報告申し上げます」
その言葉にミライルお母様はねぎらうように言った。
「ご苦労様、あなたも疲れたでしょう? お部屋に戻ってお休みなさい」
「はい、お言葉に甘えさせていただきます」
そして彼は深々と頭を下げるとこう告げたのだ。
「それでは失礼いたします」
その言葉を残して彼は静かに扉を締める。失礼の一切ない、見事な所作だった。
その彼を評してセルテスが言った。
「なんとも見事なまでの立ち振る舞いをする少年ですね」
「でしょう? 私も彼と話していて不快に思うところは微塵もないの」
「おっしゃるとおりです。礼儀をわきまえ、行動力もあり、なにより勇敢です」
お爺様が同意する。
「そうだな」
そしてセルテスは言った。
「彼ならさぞや立派な執事役になれるでしょうね」
それは当然ながらアルセラのための執事役と言う事にほかならないだろう。
私は言う。希望を込めて。
「それ、素晴らしいわね!」
「えぇ、もっとも、彼がそれを望めばですが」
すこし困ったふうに笑みを浮かべながらセルテスは答えたのだった。
† † †
私はグルンド少年に学校の授業スケジュールを訊ねた。本人不在のところに殴り込んでも意味がないからだ。すると、今回の問題の当の本人は夕暮れ時も遊び呆けていると言う。
ならば夕食時以後の夜に訪問するしか無いだろう。
その日、誕生会の準備の支度を勧めながら、思案していたが私はある結論を出した。
夕暮れ時に私はメイラにこう指示する。
「私の傭兵装束一式を用意して頂戴」
「衣装だけでしょうか? ご愛用の装備は?」
「もちろん、全てよ。地母神の御柱もね」
「承知しました。すぐに」
そして、セルテスにも告げる。
「馬車を用意して頂戴」
「承知いたしました」
「ただし、モーデンハイムと悟られない物をね」
私の言葉にセルテスは少し驚いたようだったが、すぐに表情を変える。
「かしこまりました。手頃なものをご用意いたします」
「お願いね」
「はっ」
こう言う準備は二人に任せておけばまず間違いない。彼らもプロなのだから。
そして、早めの夕食をとって傭兵装束に着替えて出立する。あえて誰にも言わずに。
全てはアルセラを救うためだ。
すでに夕暮れを過ぎ太陽は地平線から沈んでいる。
夜の帳に覆われた中を私は館の裏口から用意してもらった馬車に乗り込んでモーデンハイムの邸宅を後にした。
オルレアの市街地を抜け、グース・レオカーク家へと向かう。その道すがら車窓から意外な人物を見かけた。
「あっ? あれは」
そこにいたのは2年前の出奔の時にも大変お世話になったあのリザラム候だった。
正規軍・軍警察中央首都巡回警備部隊大隊長を務める人物だ。昼も夜もなく街をめぐり歩きオルレアの治安と平和を見守り続ける人物だ。
あの人に見送られて私は2年前にこのオルレアから旅立ったのだ。
あの人もレオカーク家の人物だ。彼にも迷惑をかけることになると思うと胸が痛んだ。
彼の姿を見送りながら馬車はグース家の正面にたどり着いた。邸宅の敷地はそう大きくなく、建物は新しい。下級中級の候族家に多い〝タウンハウス〟と呼ばれる形式の建物だ。
ちなみに豊富な敷地を有して建物にもゆったりとした大きさが確保できるものは〝マナーハウス〟と呼ばれる。我がモーデンハイムは形式的にはこちらに当たる。
すでに夕暮れに入っているというのにグース家の邸宅の正門は開け放たれたままだった。通常ならば一人はいるはずの門番も居らず、不用心と言うよりはだらしないと言った方が良いように思える有様だ。
「家人の品格が伺えるわね」
馬車の中で一人呟く。そして、馭者席に通じる小窓を開けて声をかける。
「降ろして」
「承知いたしました」
馭者がタラップを広げて扉を開けてくれる。
モーデンハイムの名前を出さないように馬車を配慮した結果なのだろう。いつもの馭者としてのお仕着せの制服ではなく野外用の革コートを彼は身につけていた。
私はそこから降りると彼に話しかけた。
「しばらくここで待ってて。もし軍警察の官憲に声をかけられたらモーデンハイムの名前を出してしまって構わないから」
「承知いたしました」
彼に見送られて私はグース家の正面玄関へと近寄りその扉をノックしたのだ。
分厚い木製の扉。その中央少し上には〝ノッカー〟と呼ばれる部品が付けられている。
本来形状は様々だがドアをノックする際に自分の手で叩くのではなく、音を出しやすいように金属と金属を打ちつけ合う構造になっている。
来訪者が音を鳴らすために取り付けられたもので本来は魔除けの意味もある。
一番よくある形式はライオンが金属の輪っかを咥えているものだ。ライオンの口から下に下がったその金属の輪っかをドアに取り付けられた金属プレートに打ち付けて音を鳴らす。
グース家のドアノッカーはフクロウだった。フクロウが金属製の輪っかをくちばしにくわえている。私はその金属の輪っかを手にすると少し強めに打ち鳴らした。
――コン! コン! コン! コン!――
回数は4回。作法に則った回数だ。ちなみに2回はトイレ、3回は親しい人に会いに行く時だと言う。
打ち鳴らしてからじっと待つ。反応がないので再び4回鳴らす。すると扉が開いた。
――ギィィ――
手入れが足りないのか情けない音を立てて扉は開く。中から現れたのはうちのセルテスとは全く違う少し太り気味のだらしなさを感じる体型の初老の執事だった。
どんなに優秀でも執事職はその館の顔でもある。そのため、執事にはある程度のルックスも要求される。本来持って生まれたものだけではなく、身だしなみやファッション、身のこなしに至るまで徹底したものが求められるのだ。
今私の前に立っている肥満体の執事はいかにも面倒くさそうな表情を浮かべてこう言い放った。
「どちら様で?」
礼儀もへったくれもない。いかにも、こんな時間に来訪することを露骨に疎んでいた。
私は遠慮せずに言った。
「こちらのご令嬢の事で話があります。親御さんご同席の上でご面会願いたい」
「
「そんなものありません」
「約束がないならお帰りを――」
そう言いながら彼は扉を閉めようとする。それに対して私は正面から言い放った。
「ここの馬鹿娘が散々やらかしていること関してこちらは証拠を握ってるの」
その瞬間、肥満執事の表情が変わった。返事はないが扉を閉める手が一瞬止まった。
「どういうことだ」
「そこで手が止まるということはある程度あなたもご存知のようね」
「くっ」
私は畳み掛ける。
「話を聞くの聞かないの? 聞かないなら〝上〟に話を持って行くだけよ」
〝上〟――その言葉の意味を彼は即座に察した。グース家はレオカーク家の分家だ。この場合の上とはレオカーク家本家を指す。
少しばかりの沈黙の後に肥満執事は口調を変えた。
「お入りください」
「ありがとうございます」
屋敷に入るなりコンパクトな正面玄関ホールを抜けてすぐ近くの応接室へと通される。
「こちらにてお待ちください」
私は応接テーブルセットの革張りのソファーに案内された。私がそれに腰を降ろすと肥満執事の彼は言う。
「家主をお呼びいたします」
「よろしくお願いします」
執事は単なる話のまとめ役ではない。外部から日々持ち込まれる様々な案件、そうした中からその家の主人一家に降りかかるであろうトラブルや問題事に対処する事を求められることもあるのだ。
私が口にした言葉から彼が危機意識を持ったとしても不思議ではない。
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