薄氷を踏み越えて

 桜花さんと、キルシェさんが拓いたリュケイオンさんまで続く道。


 だけどそれは迫るリュケイオンさんの『影』に飲まれ消えていく、薄氷の道。このままでは、私達があの人の元へ届く前に解けて消えてしまうのは明白でした。


 しかし――




 必死に敵の間を駆け抜ける私達でしたが……その時。


「スカーさんと言いましたね……右は私が押さえましょう。あなたは左側を」

「あん、構わねぇが、何する気だ?」

「それは、


 眼鏡の位置を直しながら、フォルスさんがそう言った次の瞬間――大量に吐血するフォルスさんの姿が視界端に映り、私は思わず足を止める。


 その己が身を犠牲にする魔法には、見覚えがあった。


「フォルスさん、何を!?」

「ああ……別に、死ぬつもりはないですよ……待たせている女の子をまた泣かせてしまいますからね……」


 ぜぃぜぃと息を荒げながら、そう皮肉げに述べる彼の体からは……ポタリ、ポタリと赤い滴が垂れていた。


「まあ……終わったら回復していただけると、嬉しいかなと」


 そう苦笑しながら、その場に座り込むフォルスさん。

 直後……その足元から現れた召喚陣から姿をみせたのは、人の腕ほどの太さを持つ幾重もの鎖に雁字搦めにされている、青と白で彩られた巨大な狼。


「では、『終末の魔獣フェンリル』、この先の影たちを凍てつかせ、食い破りなさい」



 ――ぉオオォォォ……ン!!



 身の毛もよだつ叫び声を上げて、鎖に雁字搦めにされた終末の魔獣が暴れまわる。




 そして、その反対側では。


「ったく、格好つけやがって! ムニン!」

『はいよ!』

「アクロシティを巻き込まなきゃ、ぶっ放せんだよな!?」

『そいつはそうだが、どうする――』

「こうすりゃ良いだろ……!」


 スカーさんが床……アクロシティの天井へと手をついて何かを集中し始めて、少し。

 ビシリ、と不吉な音を上げた次の瞬間……左手側の『影』の足元から無数の小さな何かが爆ぜ飛んで炸裂し、影たちは宙に高く舞った。



 ――構造材の部品を、プラズマ化するほどの超高圧電流を流してサーマルガンの要領で吹き飛ばして爆破したのだ。



 そう気付いた瞬間、(当然ですが)ムニンさんが烈火のように怒声を上げる。


『てめ……なんてことしやがる!?』

「いいからぶっ飛ばせ、シティからは離れたろうが!」

『あとで絶対抗議するからな!?』


 そう罵声を飛ばしながらも、宙に踊った『影』たちはムニンさんが放った攻撃によって吹き飛ばされ、数を減じて私達が進む道を広げていました。




 再び駆け出した私達ですが……フォルスさんとスカーさんの献身も、全て押し留められているわけではなく、ついに目の前を塞ぐように一体、また一体と立ち塞がる『影』。


 一方で……そんな影の前に立ち塞がる人もまた、存在しました。


「ここは、我の出番であるな!」


 そう言って、一人先行するように飛び出し、『影』へと飛び掛かったのは――斉天さん。


「フォルス殿も、贖罪に己が力を振り絞って道を拓いたのだ、我も身を尽くさねばならぬというものである……!」

「斉天さん……!?」

「案ずるな、自己犠牲など姫には最大限の恩を仇で返す行為と理解しているのである! そのようなつもりは微塵もないであるから……進むのである!」

「斉天……すまん、任せた!」

「ありがとう……ございます!」

「うむ、それで良い!」


 そう、『金剛掌』に包まれた拳を振るい、数体の『影』たちと大立ち回りを始める斉天さん。

 だがいかんせん数が多いため、その全てを押さえておけるわけではない。また一体、私達の前へと飛び込んでくる影もいる。


 だが、しかし。


「『ダンシングブレード』……姉ちゃんの邪魔はさせねぇ、食らいやがれ『刹那』ぁッ!!」


 周囲に闘気により構成された漆黒の刃、無数の暗器を浮かべたハヤト君が、飛び込んできた『影』の背後から現れて、その影を無数の刃で滅多斬りにする。


 一閃一閃が『アサシネイト』に匹敵する破壊力を秘めた剣閃の嵐に曝された影は、千々に切り裂かれ消滅した。


「チャンピオン、こっちは、俺が!」

「応、任せたのである少年!」


 斉天さんと背中合わせになり、刃を振るって道を拓いた少年の姿に、思わず声を上げる。


「ハヤト君……!?」

「大丈夫、斉天の兄ちゃんも言ってただろ、姉ちゃんたちを悲しませたりはしねぇよ!」

「……お願いします!」

「……ああ、任せろ!」


 そう、私の返事に対しどこか嬉しそうに叫ぶハヤト君を信じ、迷わず進む。




 そうして進んだ先では……更に一体、迫って来ていた『影』が、先行していた桔梗さんと切り結んでいる最中だった。


「時間が無いんでしょう、私に構わず行きなさぁい!!」

「……っ!?」


 思わず補助魔法を飛ばそうとした瞬間、当の彼女の叱責に手が止まる。そんな私に向けて、彼女はただ、目線で自分に構うなと先を促した。


「……私はぁ、あなた達と違ってキラキラしたものなんて無いの。人を斬りたい、でもそれは赦されなかったから次に大好きだった気持ち良い事を代償行為にしてきた、そんなロクデナシの女よぉ」


 ぎりっと、いつも余裕綽々だった顔を歪ませて、鞘ごとの『有栖零時』で競り合う桔梗さん。

 その向こうから、さらに二体の影が向かって来ている……そんな中で、それでも彼女は私に笑ってみせた。


「だけどぉ……一回くらい、世界を救う手助けしたらぁ、いつか生まれてくるかもしれない自分の子供に、胸を張って自慢できると思わなぁい……っ!?」


 ギンッ、と激しい金属音を立てて、凶刃を跳ね返した彼女が悠然と立ち上がる。

 その目は……ただ生命力を漲らせ、未来だけを見据えているように力強く輝いていました。だから、私は。


「……任せました」

「ええ、任されましたぁ」


 そう言って、桔梗さんは三体の影の前に立ち塞がり、左手は腰の鞘へ、右手はだらんと倒して自然体で迎えうつ。


 ……私に見えたのは、ここまで。


 彼女を信じ、視線を進行方向に。目指すあの人は、もう目と鼻の先に。


「――秘剣、『九重』」


 そんな桔梗さんの呟きと同時に、背後からは無数の斬撃音と、色とりどりの閃光。

 きっと大丈夫、彼女は強い……私は、ただそう信じるでした。




 ですが、私達の道を阻むのはリュケイオンさんの『影』だけでなく……リュケイオンさんの元まで目と鼻の先いうところまで接近したその時、眼前を遮ったものがあった。



 ――障壁!?



 いつもあの人の纏っていた、六角形を組み合わせた格子模様の黒い光の壁。それが、私たちの道を阻む。

 立ち止まれば、押し寄せる影たちに飲み込まれる……そんな私たちの前に、一歩早く飛び出したのは――ソール兄様。


「ここは、私に任せてもらおうか!」

『サポートします、マスター』

「ああ、フギン、頼む!」


 そう言って、手を頭上へと掲げる兄様。その手に、いつも見慣れたものより巨大な『黒星』が現れた。

 だけど……膨れ上がったその黒い球体に、ビシリ、と亀裂が走った。


「『黒星……崩壊』!」


 兄様の周囲に浮かんだ『黒星』が、その姿を崩し……次の瞬間膨大なエネルギーとなって手にした『アルスラーダ』へと寄り集まっていく。

 それは……まるで、クロウクルアフが使用していたブレスのような、黒く輝く巨大な剣へと姿を変えていった。


「貫け、『ライト・オブ・ダークネス』……ッ!!」


 そのまま、全霊の突進と共に螺旋の光を纏い、周囲にいた影を吹き散らしながら障壁へと剣を突き出し激突する兄様。


『「つ、ら、ぬ……けぇぇええええええええッッ!!」』


 リフレインして聞こえる兄様とフギンさんの声。

 激しい閃光と爆発をまき散らしながら……やがて、バキンという破砕音と共に、その刀身の先端が障壁を貫く。



 ――ぱきぃぃぃぃん……



 澄んだ音を立てて、障壁が四散した。

 同時に、兄様の手にした『アルスラーダ』も火を吹いて赤い光の刃を失い、その動作を停止する。


「……ミリアム!」

「ガッテン承知にゃ!」


 阿吽の呼吸で、兄様が『黒星』を出したときにはもう詠唱を開始していたミリィさんが前に出る。


「イリスちゃんたちの邪魔はさせないにゃ! これが、私の最終秘奥……『デストラクション・グレアー』……ッ!!」


 そう叫び振り下ろしたミリィさんの杖から飛び出したのは……小さな、小さな、妙に真っ白な球体。


 あまりにも頼りなくフラフラと飛んでいくそれは、やがて……リュケイオンさんの眼前へ、ぽとんと落下した。



 ――世界から音が消え、光だけが視界を覆い尽くした。


 極限まで凝縮された純エネルギーの結晶。それが、触れた床を起点に天へ全ての指向性を向けた爆発となり広がったのだ……と理解したのは光が消えた後、リュケイオンさんの周囲にいた『影』全てが跡形もなく消し飛び、にもかかわらずアクロシティの天井には焦げ目ひとつない事を認識した時だった。


 だがしかし……純エネルギー耐性を持つ真竜の鎧を纏うリュケイオンさんには、その効果は無い。

 ゆっくりと立ち上がるリュケイオンさんの手には、骨のような意匠が刀身に走る黒い大剣が握られていた。


「ごめん、イリスちゃん、レイジさん、あとは任せたにゃ」


 全てを振り絞ったミリィさんは、ここが限界。剣を破損した兄様も同様に。


 そんな二人に頷き、もはや拓けた視界の中、リュケイオンさんに向き直った――その時でした。


「……!」

「一体隠れてやがったか、イリス、下が……!」


 突然床から現れた、残っていた一体の『影』に、レイジさんが私に警告を飛ばそうとする。

 だが、それよりも早く動いた――白く小さな騎士ナイトの影があった。



 ――ギシリ。



 世界が軋む。セイリオスのもつ死の魔眼が、影の一体を周囲の空間ごと

 存在そのものを拒絶されたその影は、何の痕跡を残すことすら許されずに


「ありがとう、スノー!」

「サンキュー、犬っころ!」

『ワゥ!!」


 誇らしげに吠えたスノーが開いた道を、レイジさんが今度こそ飛び出す。

 私は、すぐさまこの場に止まって、魔法の詠唱を始める。



 ――分からず屋な父親を、ぶっ飛ばすにふさわしい魔法を。



「今日こそ、お前をぶっ飛ばす! てめぇのために編み出したとっておきだ、受けてみやがれ……ッ!」


 そう叫び、十二本の『剣軍』を呼び出すレイジさん。

 だけど今回は、その全て一斉に動かしながら、一直線にリュケイオンさんへと斬りかかる。


「――『無尽剣ジリオンブレイド』ッ!!」


 それは、従えた『剣軍』との一斉攻撃。

 瞬く間に無数の剣閃がリュケイオンさんを包み込み、もはや内部が見えないほどの莫大な量の剣閃となってその動きを封じた――次の刹那。


「――『唯閃』ッ!!!」


 そこから、神速の斬り返し。


 これまでの全ての集大成である、その研ぎ澄まされた剣はもはや私にも、おそらくは誰の目にも見えませんでしたが……彼が残心の姿勢を取った時には、リュケイオンさんの剣の中ほどから上が、宙へと舞っていました。


 また、彼の前方から迫る影たちも、同様に断たれ、姿を散らしていく。


「――イリス!」

「はい!」


 レイジさんの声に、私はこれまで貯めこんでいた力を解放する。


「これで、終わらせます――『ディバイン・スピア』……ッ!!」



 ――それは、この世界に来て初めて戦った時と同じ魔法。



 幾度も失敗し、辛い目に遭い……だけど、その度に鍛えられ、研ぎ澄まされ、仲間たちの力も借りて輝きを増していった、この魔法。


 もはやスピアどころか攻城兵器サイズにまで成長したその『ディバイン・スピア』……その本数、十二本。


『……ああ、驚いた。お前は僕どころかリィリスすら追い越して、そこまでの……』

「ええ……私の勝ちです、お父様。今はもう、私の方が強い」


 呆然と呟くリュケイオンさんへ、私がにっこりと笑いかけると、その十二本の槍が穂先をピタリとリュケイオンさんへと向ける。

 そして、その槍が放たれる寸前……兜が溶けるように消えた『ドラゴンアーマー』から覗いたリュケイオンさんの顔は、満足とも、安堵とも取れるような穏やかなものでした。




 ――閃光が、アクロシティの上空を満たす。




 眩くアクロシティ屋上を照らす『ディバイン・スピア』の光が消え去った時……そこにはもう、無数にいたはずのリュケイオンさんの『影』たちは、一体残らず姿を消していたのでした――……


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