竜王顕現
「……いっ……た……っ」
腕が、自らの体重によって伸び切る事を強要され、手首に体を吊るす鎖と繋がっている輪が食い込む痛みに目が覚めた。
両手を戒める鎖はどうやら壁に打ち付けられているようで、高い箇所で吊るされた腕は僅かに下ろす事も出来ず、まるで喉を晒されているような、どうしても吊るされたような格好で吊り下げられていた。
どうにか楽な姿勢にと色々試しても、脚が動かない以上、体勢も変えることができない。
苦痛に顔を顰めながら、周囲を見回すと……ここが知らぬ船室で、私は今体を吊るされるような格好でベッドの上へと座らされており、体に伝わる揺れからここが海上である事をなんとか理解した。
そして……部屋の隅に備え付けられた机の所に、じっとこちらを見つめている男性の姿も。
「やぁ、目覚めたかい?」
「フォルス、さん……っ」
いっそ穏やかですらある彼の様子に、ギリっと歯をくいしばって睨みつける。
「こんな事をして、本当に先に道が続いていると思うのですか!?」
「ああ、続くとも、君が私のものとなれば……」
「そんな事で、どうにかなる訳がないって、あなたなら分かりませんか!?」
ずっと感じていた違和感。
私が、彼のものと公言すれば、周囲もそれを認め、思う通りにいく……
……そんな事は、絶対にあり得ないのだ。
状況を見れば、これが誘拐だというのは明らかだ。
そんな中で私がなんと言おうが、ノールグラシエは、いや、他の国だって信じはしないだろう。
アルフガルド陛下も、フェリクス皇帝陛下も、私の自由を尊重しようとしてくれている。
だが……国としてはどの国も、私が自国へ来る事を望んでいるのだから。
故に……このような状況で私がそれを望んでいると言っても、笑い飛ばされ、その上で全力を以って潰されてしまうだけだ。
そして……彼が、そんな事が分からないような人物ではないという事も、知っている。
「い、いや、私はそれをうまく行かせてみせる。そうしなければ……」
不意に、彼の余裕が崩れ、様子がおかしくなる。その様子に確信した……彼は、やはり何かされていると。
「望みが叶わないとでも、誰かに言われましたか?」
「そうしなければ……え?」
「誰かにそう言われ、最初はあなたもバカな事をと思ったのではないですか?」
私の目線に気圧されたように、彼が数歩後退する。
「い……いや、違う、これは私の考え……私が? こんな、稚拙で杜撰な計画を……? こんな事のために、君を……?」
やはり、彼は何らかの暗示の支配下にある。
だがそれは完全ではなく、自分の
彼を豹変させた『それ』は……おそらく、対象の意思決定に関わる部分に作用するような何か。
例えば……公平であるべき闘技場の検査員が、何者かの指示で選手であるレイジさんを襲ったような。
例えば……今、彼が私に、自分の意のままに添うように何かしようとしているような。
例えば……以前、ディアマントバレーでの戦闘で結晶を埋め込まれたゴブリン達のような。
――では……その与えられた暗示が、本人の意思に沿うものであったら?
「そうだ……私は、君が……君を、この手にするために……!」
「だめ、正気に……!」
「正気だとも!」
叫びかけて、彼の眼に浮かぶ乱心とは違う、剥き出しの本心から来る執念の色に、呼吸が詰まる。
彼は先程までとうって変わり、今は実際の彼の想いが増幅され、暴走しているのだと理解してしまった。
「たとえ君にとっては一回だけ一緒に仕事をしただけの、何の関係もない一プレイヤーという存在だとしても、ずっと君にまた会いたかった! 自分の想いを聞いて欲しかった! たとえそれが叶わない願いだって!!」
――彼が胸の奥に秘めていた、それ自体は決して悪ではない想い。
だが今回はそれが全て悪い方へと働き、彼は頭を掻き毟り、胸のうちに溜め込み続けた
――そう、『それ』とは今、眼前の彼が上衣のポケットから取り出した……青い結晶体。
「それは……い、嫌!」
アンジェちゃんの時に見た、あの結晶体。それが、徐々に私の剥き出しの胸元へと近付いて来る。
だが……それは私の肌の目前で、その怪しい輝きの色を落とした。
「あぁ……そういえば、魔消石の影響を受けるんだったね……仕方ないから、これは外してあげないとね……」
強すぎる感情によってかえって平坦になった声色で囁きながら、かちゃかちゃと、私の首に掛けられている首輪に何かしている感触。
やがて、私の首から首輪が外れる感触と共に、からんと投げ捨てられた金属の輪。
首輪が外れ、魔力が自由になるのと同時に、僅かな時間の中で必死に魔力を彼が狙いを定めている胸元へと掻き集め、侵食を抑えるための防壁を築く。
一方で、ほんの少しの魔力を分けて目に配分し、彼の体調をスキャンする。
――視えた。やはり、予想通りの物がそこにはあった。この事を誰かに伝えなければならない。
伝えなければならないのに……しかし、その時間は無かった。私が
ぞわりと、思考を掻き乱し、理性を塗りつぶすような強烈な不快感。
「あ、あ、あ……い、やぁぁあああ!?」
ぴと、と、見た目に反して嫌に暖かいその結晶体。
そこから、ズッ……と魔力を集中し抗する私の体内へ潜り込もうと、何かが表皮を這いずる感触。
「お願いです、やめて、やめて、それは嫌……っ!」
「……っ!」
ふるふると、胸を這い回る悪寒に首を振る。たまらず私の目から溢れる涙を目にして、一瞬彼の目に躊躇と共に正気の色が覗くが……
「……違う、こんなつもりじゃなかったのに……ごめん……っ」
彼の、何かに抗うように涙を零しながらも、それとは裏腹にさらに強く押し付けられる手。
ズッ……とごく僅かに肌へ食い込んだ何かの感触に……たまらず、私は悲鳴を上げるのだった――……
◇
「ソールあんちゃん、お帰り! 無事で良かった!」
フラニーさんを救出し、向かった作戦予定地点最寄りの港町。
そこには、すでに仲間集めに奔走していたハヤトと、桜花さんと
「これは……よく集めたな、これだけの人数を」
「ああ、事情を知った人達が、自発的に協力してくれる人を集めてくれてさ」
そう言って、集まった人たちを紹介するハヤト。
そんな中から一人、皆の代表のように、真面目そうな青年が歩み出る。
「シンの……彼女の頼み通り、可能な限り協力はする。だけど……そのかわり、頼みたいことがあるんだ」
「頼みたいこと?」
聞き返し、先を促す。
すると彼は、言葉を選ぶようにして続きを話し始めた。
「まずは、謝罪を。謝って謝りきれるものでは無いが、我ら『海風商会』が陰謀の隠れ蓑として、君達に多大な迷惑を掛けていたと聞いた」
そう言ってちらっと星露の方に視線を送る彼に、星露は頷く。
「……確かに、ここ最近の旦那はおかしくなっちまったと思ってたさ。だけど……あの人は、途方に暮れていた俺たちに、居場所をくれた恩人なんだ」
その彼の言葉に、賛同の意見が背後の者達から上がる。
食うに困って、不当に安い見返りで割りに合わない仕事をさせられていたところを解放してくれた。
悪人に騙されて、奴隷に落とされそうだった時に助けてくれた。
何をしたら良いか分からず、浮浪者に身をやつしていた自分を見つけ出して、居場所をくれた。
他にも口々に、皆、フォルスに助けられたのだと言う、『海風商会』の元プレイヤーたち。
「分かってる、あんたらの姫様を攫っていった、憎い相手だってことは、重々承知の上で、頼む!」
そう言って、頭を下げる彼……いや、彼ら。
「なんだって協力する、だから……虫のいい事かもしれないが、あの人も救ってくれないか!」
そう告げたきり、頭を上げようとしない彼ら。
ちらっと、この中では最も彼に恨みを抱いているであろうフラニーさんへと視線を送る。
「……二人ともきちんと連れ帰ったら、あんたらの姫様を一時間でいいから貸して?」
あのメガネ男を死なない程度に死ぬほどボコって、姫様に回復してもらって更にボコって、それを三回くらいで手打ちにしてあげる。
そう告げて、ふいっと明後日の方を向くフラニーさんに、私とハスターがやれやれと肩を竦めた。
「で、では……」
「ああ……そこまで言われたんだ、最大限善処するつもりだ」
「……ありがとう!」
それを皮切りに、次々と礼を述べる彼ら。
思っていた以上に人望があったあの男に内心驚いているが……それよりも、今は別の問題がある。
「だが、どうやってこの人数を目的の船まで運ぶ……?」
数人であれば、キルシェさんの唱霊獣で運ぶ手段が取れたが、流石にこの全員は……そう思ったが。
「それは、こちらで手配できましたのでご安心ください」
突然、横合いからかかる驚くほどに綺麗なソプラノの女声。
港の方から歩いてきたその声の主、キルシェさんが引き連れて来たのは……この港を拠点とする船乗りの若者たち。
闘技場の運営組織と契約を結ぶ、送迎のための船を運航する外部委託を受けている者だと、彼らは名乗った。
「それが、何故ここに?」
「……ある人に、あんたらがきっとここに来るから助けてやって欲しいって頼まれたんだ」
「ある人……?」
「名前は……明かせねぇ。そういう約束なんだ……だけど、手紙を預かってる」
「手紙……?」
若者から、受け取った封を開き、中の便箋を拡げ、目を通す。
『まず、貴兄がこの手紙を受け取った時には、俺はすでに、貴兄らを裏切っているのであろう。
言い訳をするつもりはない。許しも請えるような立場ではない。色々と理由はあるが、そんなものは全て後付けの理由でしかない。
俺は結局のところ、自分の欲求を優先して裏切った最悪の不埒者だと、誰よりも俺自身が分かっている。
だが、これだけは信じて欲しい。
俺は、姫様に不幸になって欲しい訳じゃない……だから、言えた義理ではないのは重々承知の上で、頼みたい。
どうか……必ず姫様を助けてくれ。敵になった俺の代わりに』
「これは……」
思い当たる節は、一人しか居ない。
「どんな因縁があるかは知らんですけど……あの人は、たしかに俺たちを楽しませてくれて、この闘技島を好きだって言ってくれた俺たちのチャンピオンなんです。そんな彼の、土下座までされての頼みです、俺たちも協力させて欲しい」
「……そうか。わかった、協力感謝する。どうかその腕を貸して欲しい」
こちらから、彼らに頭を下げる。
「……ああ! 皆、出航準備に取り掛かれ!」
それを受けて、彼らはすぐに船……闘技場で使用されている、船の左右に備えた水車で進む高速仕様の小型魔導船へと乗り込み、その動力へと火を入れた。
出航まで、まだ少し時間がある。
その間にと、桜花さんに引き摺られて歩いた先には、一件の宿。
「ここは?」
「今日一日、貸し切った私達のセーフハウスよ」
そう言って、ドアを開けて入ったホール。
その中には、二人の小さな影が座っていた。
その人影のうち一つは、こちらに気づくなり立ち上がって、こちらへ駆けて来る。
「ソール兄様!」
「ユリウス殿下……それに、アンジェリカ嬢も」
桜花さんの家で匿っていた、二人の子供。
それが、なぜここに……そう目で問いかける。
「……だって、もしイリスリーアお姉様に何かあったら、私の力も必要でしょ。ここで待機してるから、早く連れて来なさいよ」
「ああ……二人とも、ありがとう」
「……あんたに素直に礼を言われると、調子狂うわね」
何やらぼやいているアンジェリカ嬢に苦笑していると。
「和んでないで、あんたはこっち。急いでるでしょ」
そう言って、またも乱暴に引き摺られるように桜花さんに連れ込まれた、宿の一室。
その中央には、布が掛けられているトルソーが鎮座していた。
「あんたならちゃんと分かっていると思うけど……この作戦、あんたは絶対に途中で脱落しちゃいけないよね」
「ああ……分かっている、覚悟はしているつもりだ」
今回の件、イリスの救出と合わせて、それを『ノールグラシエによって成し遂げた』という事を喧伝する必要がある。
そのために誰よりも先陣を切り、誰よりも確実に生きて帰らなければならない。
それが……敵を黙らせる、必須条件となる。
ソールクエスという
「だから……持って行って」
そう言って、部屋の中心に佇む包み、そこに掛けられている布を勢いよく取り払う桜花さん。
「もう一対、あんたの相棒に拵えたのと並んで……私の、最高傑作よ」
そこに鎮座していたものに言葉を失った私に……彼女はそう、自慢げにドヤ顔するのだった。
準備を済ませて、皆が待つ埠頭へと行くと……私の姿を見つけたハヤトが真っ先に駆け寄ってくる。
「へー、ソールにいちゃんの新装備、格好いいじゃん」
そう言って、少年らしいキラキラとした目で見上げてくる。その視線に、ちょっと気後れし頰をかく。
「はは……立派過ぎて、ちょっと気後れするな」
「何言ってんのよ、王子様なんだからそんくらい派手でも似合っているわよ」
「格好いいですよ、ソールさん」
口々に褒め称えてくる仲間たち。
今、私の格好は……ついに完成した、桜花さんの鎧を纏ってすっかりと様変わりしていた。
やや青味がかった白銀の、首を守るゴルゲットやポールドロン(肩当て)を備えたキュライスと、腰には下肢を守るタセット。
そのキュライスを覆うのは、鮮烈な青のサーコート。さらにポールドロンからは同色のマントが靡き、タセットからはやはり同色のチェインメイルスカートが伸びる。
指先から肘までを纏うヴァンブレイスと、脛までを守るグリーブも、やはりキュライスと同じ白銀。
「いやはや、すっかり総大将にふさわしい出で立ちですなぁ、王子様」
「やめてくれ、ここでは皆と同じ一プレイヤーさ」
先程の、海風商会のリーダー格の男にちゃかされて、うんざりと手を振る。
そんな中……桜花さんが、更に一つの大きな包みを抱えてきた。
「ついでに、これはおまけ。一緒に、これも持っていって」
そう言って彼女が差し出したのは……彼女の身の丈の半分以上はあるだろうかという、鋭い先端を持つ十字盾。
その構成する金属の表面は、波打つかのような不思議な模様がびっしりと入っていた。
「あんたに前に貸した盾、あんまり役に立たずに壊れちゃったからね……悔しかったから、あんたに相応しいと思えるだけの物は打ったつもりだよ」
物理的な衝撃に強く硬い金属と、抗魔力性能が高いが柔らかいレアメタルの金属、二つ重ねた板を叩いては伸ばし、折りたたんでまた叩いて伸ばしを繰り返して鍛えたという、多重に折り重なった薄い層による複合積層素材。
それを原料として鍛えた自慢の逸品だと、胸を張ってみせる桜花さん。
「桜花さん……ありがとう。鎧共々、また悔しがらせられるくらい使い倒してやるよ」
「はは、あんたはもう……うん、防具はそれで良いよ、それであんたが無事帰って来られるなら、それこそあたしら防具職人の本懐ってもんさ、遠慮なくぶっ壊してきな!」
さ、あんたの仕事だよ、王子様。
そう言われて、集った元プレイヤーたちの前へと押し出される。
その視線を前に、一度、深呼吸をする。
演説なんて、柄じゃ無い。
「私は、多くは言わないし、その時間もない。だから……ここに集まってくれた皆、協力を申し出てくれてありがとう……皆、連れて帰るぞ! イリスも……フォルスの馬鹿野郎たちも!」
「……っ」
視界の端で、一人暗い表情を見せていた星露が、ハッと顔を上げた。
「そ……そうです、向こうに就いた皆も、一緒に帰りましょう、今度こそ、今度こそ皆の力を合わせて!」
咄嗟に声を張り上げた星露さんの声に、そうだ、そうだと一つ一つ増えていく鬨の声。
やがて、湧き上がる歓声と、渦巻く
そうだ、これが欲しかった。これで、準備は完全に整った。
「キルシェさん……お願い、できる?」
「うん……イリスちゃんのためだからね、頑張る」
「大丈夫、あんたならできるよ。なんたって、私自慢の妹だからね」
「お姉ちゃん……うん、やる! やってみせる!!」
私と桜花さん、二人に背中を押され、埠頭に立つキルシェさんが、歌を紡ぐ。
朝の静寂の海に響き渡るそれは、抗いの歌。
理不尽に抗おうとする、絶対に屈しまいとする反抗の歌。
そして……やがてその足元に、光が灯った。
それは、唱霊獣が顕現する兆し。だが、それは以前のタナトフローガの時と比べ、かなり大きく、眩い。
そんな中、ふと、キルシェさんが歌を止める。
否、この場に集まった者達の想いを束ね、紡ぎ、その歌はすでに完成した。
喜怒哀楽、いずれにも属さぬ独立した、前に進むための想いを具現化し、顕れる唱霊獣の長。
ゲーマーならば、誰もがその隣で戦う自らの姿を夢想したであろう、その存在の名は――
「――来て、唱霊獣…………『バハムート』ぉ!!」
両腕を天に掲げたキルシェさんの叫びを受けて……私達、日本人には最も有名なその唱霊獣が、元プレイヤーたちの歓声を受けながら巨大な翼を広げ、咆哮を上げるのだった――……
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