温泉に行こう

 脱衣所の大きな姿見に、仄かな虹色の燐光を放つ銀髪の、顔を赤く染めた少女が、上着のボタンを数個外しては締め直し、を繰り返していました。


 はい、私です。


 今は町長さんの紹介の、町の近郊にある温泉の女性用脱衣室に居ます。


 兄様に、一度私はきちんと自分の今の姿を直視して現実を受け入れろ、とこちらに叩き込まれてからもう四半刻くらいでしょうか。兄様たちはもうすでに声をかけるのも面倒になったようで、先に体を洗い終えて湯船に浸かっているそうです。先程そう声を掛けられました。



 ……こうしていても埒があきません。いつかは諦めて通らなければいけなかった道で、とうとうその時が来たのでしょう。いい加減決心しなければなりません。姿見を前に、衣服を上から順に脱いでいきます。


 ボタンを外した薄手のローブがすとんと胴を通り抜け床に落ち、続いてサイドのファスナーを下ろしたスカートが床にぱさりと落ちます。上から一つ一つボタンを外していくブラウスの影からちらりと見える、恥ずかしさから桜色に染まった白磁の肌と、桃色の、胸を覆う下着に、見てはいけないものを見たように息が詰まります。しかし、手を止めるわけにもいかず、淡々とこの身を覆う布地を体から取り除いていきます。


 ぱさり、ぱさりと軽い布が床に落ちる音が断続的に続き、とうとう残るは腰回りと胸周りを覆う二つの布だけになってしまいました。


「う……」


 この時点で、すでに逃げ出したいです。鏡に映るのは、白く一切のくすみの無い珠の肌。体毛はとても薄く、まるで筋肉のついているように見えないまだ未成熟な肢体は手足もすらりと長く、細く薄いながら均整がとれており、腰にはなだらかなくびれも存在し、細い腰は少女から女性に向かい始めていることをささやかに主張しています。

 かるく腕周りやお腹周りに触れてみると、まるでマシュマロのように柔らかな健康的な薄い脂肪の弾力と、しっとりした肌理の細かな手触りと、ひんやりとしたやや低めの体温。指を滑らせたどこもがふわふわと柔らかく、まるで現実のものと思えない極上の手触りを指に残しますが、一方で触れられた部分は微かなこそばゆさをもってその触れている体が私の物だと伝えています。この体の皮膚は薄く敏感なようで、少しつーっと表面に指を滑らせると、その場所が僅かにぴくっと跳ねてしまいます。


「逃げちゃ駄目、逃げちゃ駄目、逃げちゃ……」


 念仏のように唱えながら、最後の二枚の布切れの内の上の方、胸を覆うソレの背後のホックをぷちりと外します。するりと細い肩からそれが抜け落ち、その奥に秘せられたその部位がとうとう姿見にその姿を現してしまいました。


「う、わぁ……」


 これまでは頑なに自分の目に映ることが無いようにしてきており、ゆえに、転移直後に薄布越しには軽く触れたことはありますが、それっきりでした。

 初めてまじまじと見る、姿見に映ったそこは、確かにまだ未成熟の蕾ながら、それゆえの背徳感を凝縮したような慎ましい可愛らしさを持っていました。直に触れる微かに膨らんだそこは以前同様芯に未成熟ゆえの硬さを残しつつ、直に触れるその表面の手触りは滑らかでほわほわと柔らかく、一度触れればいつまでも触っていたいような極上の感触を手のひらに残しています。先端の僅かに色づいた慎ましやかなその桜色は、見れば思わず愛でたくなりそうな愛らしさをつんと主張しています。

 全体的に淡く、繊細なそれは、思わず手を伸ばしたくなりそうなたたずまいながら、触れたら即散り散りになって消え去ってしまいそうな……ある種、ごく短い期間でのみ輝く氷像のような、儚げな美術品のような風情を醸し出しています。


 深呼吸をして、最後の腰回りの布の両サイドに手を掛けます。が、しばらくそこで葛藤に固まってしまいました。これを取り去ってしまえば、後に残るのは一糸まとわず生まれたばかりの姿のこの体。何も誤魔化しも効かないそれを一度目にしてしまえばもう後戻りはできず、これは自分、今の自分なのだと嫌が応にも認めなければいけません。


 が、しかし、いつまでも現実から目を逸らし続けるわけにもいかないのもまた事実で、それ故にこのような強硬手段で機会を設けられてしまった以上、兄様はここで逃げることは絶対に許さないでしょうし、次はどんな目に逢うのかと思うと震えも止まりません。目を瞑り、一気に足からその小さな布を抜き去ります。とうとう何一つ身に纏うものがなくなり、頼りなくすーすーとする裸身を、おそるおそる目を開けて確かめます。






 見ました。ばっちりと。詳細は省きますが、ただ一つ言えるのは、この体が著しく凶悪な変態ロリコン殺しだという事でしょうか……正直、ここまでと思っていませんでした。幻想的な危うさを備えたそれに誘導されるように、ふらふらと手が伸び……






 ――少し、私には刺激が強すぎました。


 それどころでは無い状況に陥っていた、以前のおぞましい体験の時にはただ嫌悪感ばかりで何も感じなかったため、完全に甘く見ていました。

 こうして平穏な中、自分の意思で触れたそこ。指先でごく軽く一撫でしただけのはずなのにたったそれだけで膝が砕け、激しい心音と鼓動は鳴りやみません。

 顔に大量の血が集まり酷い熱さを感じます。予想外の衝撃に、思わず堪える間もなく口から漏れ出てしまった恥ずかしい声に、込み上げて来るあまりの羞恥心から、ぺたんと座り込んだ体の、奥のほうが熱くなるような感じがするのはきっと気のせいです。


 が、この身を走った感覚は間違いなく自分の体であると嫌が応にも思い知らされました。もう触るのはやめておきます、だって怖いですから。


 自身の裸体で温泉に浸かる前からのぼせかけるというのも何やら自己陶酔な感があって自己嫌悪に駆られるのですが、私の記憶の積み重ねは女性経験皆無な男性のものであるため、どうか勘弁してほしい処です。






 ようやく頭も体も冷え、脱衣所を潜ると、こじんまりとしながら、思っていたのよりもずっと綺麗に整備された丸みを帯びた石を敷き詰めた浴室と、天然岩を組んで作られた浴槽が目に飛び込んできました。

 まだ日の高い空は澄み渡るように青い晴天です。山奥の秘湯を想定していた想像はいい意味で裏切られ、懐かしい元の世界の露天風呂そっくりなその光景に心躍ります。実のところ温泉は好きでした。祖父と祖母が存命の時はよく、一緒にレイジさんの家族も加えて様々な所に湯治に行っていましたので。


 この世界は、魔物を始めとした危険な環境により、元の世界程人類の版図は広くはありません。しかし高度に発達した魔道技術により、実のところそれほど劣らないどころか、都市圏となるとむしろ部分的には元の世界を凌駕する技術を備えています。各大陸の中央に鎮座するアクロシティなどは、『完全環境型の積層型閉鎖都市』などというほぼSFの代物です。


 そうした恩恵は、こうした末端の半分開拓拠点のような町にすら及んでいます。全ての家とは言いませんが、多少裕福な家になってくると上下水道の設備が完全に整ったものも珍しくはありません。ここも最低限ではありますがそういう場所の一つのようで、もとの世界の銭湯などに比べても不便はなさそうです。


 とてとてと、足元が滑らないように細心の注意を払い洗い場へとたどり着き、元の世界で言うシャワーと思しき魔道具の、スイッチの役割を果たしていると思われる石に触れると、手のひらから少々の魔力が吸収された感じがします。これは触れた者の魔力を使用し、内部に組み込まれた装置を使用してお湯を出すという物で、やはり広く普及しているらしいです。石に触れて少しして、ぶしゅ、とシャワーからお湯が……


「……ひゃぁ!?」


 ……冷たかったです。最初は冷たくてびっくりするのはこちらでも共通でしたか。


 すぐに暖かいお湯が出てきたのを手で確認し、スポンジにお湯を含ませます。ボディソープらしきものを少量取り、しばらく泡立てた後、十分に泡立ったそれでそっと体表を優しく擦ります。


 ……思えば、こうしてたっぷりのお湯を贅沢に使い体を洗うのは数週間ぶりです。思っていたより気持ちが良く、思わず鼻歌を歌いだしてしまいます。この体だと以前よりキーの高い歌でも問題なくこなせるため、元の体では歌えないような曲も歌えて結構楽しいです。魔法で浄化していた時と衛生面ではさほど差は無いはずですが、こうしていると、擦った部分からまるで疲れが流れていくようでした。


「で……お前はなんで、平然とこっちに入って来てるんだよ!?」


 ……浴槽に体を沈め、頭だけ出したレイジさんから突っ込まれました。ちなみに、兄様は涼しい顔で半身浴中です。そう、この温泉、混浴でした。入ってすぐは分かりませんでしたが、入り口部分こそ男女で分かれていましたものの、その境界を仕切る壁はすこし奥に行くとすぐに無くなり、自由に行き来できる、『凹』の形をした構造でした。


「あ、その……この広いお風呂で向こうに一人は寂しかったので……折角の温泉だったので、前みたいに一緒に入りたかったのですが……ダメ、ですか?」

「だからって、ちょっとは警戒しろよ! その体で男に見られるのは何とも思わねぇのか!?」


 その言葉に、顎に指をあて、少し考えます。まぁ、恥ずかしくないわけではないです。流石に前を見られるのは強く抵抗があり、今は洗い場に居るため背中を向けていますが、移動時は大事なところはタオルで隠していましたし。ですが。


「以前にレイジさん、『いつも風呂に入れてやってたから裸くらい何度も見ているから気にしない』って言ってましたので、気にしない事にしました」


 再び適当な鼻歌を歌いつつ、体を洗うのを再開します。私も早く温泉に浸かりたいのです。


「ぁあぁああ!! 言った、確かに言ったさ!! けどよおおおお!!? くっそ! 誰だそんなこと言ったやつ出てきやがれぶん殴ってやる!! 俺か! この野郎!!」


 ゴッ、ゴッ、と何か硬い物を岩に打ち付けるような音が背後からします。一体何が起きているのでしょう……


「まぁ、おちつけ、レイジ」

「なんでお前は平気なんだよソール!? いつもなら妹の裸を他の奴に曝せるかってキレてるじゃねぇかよお!!」

「その、なんだ。この前頑張ってたお前にご褒美と思ってな」

「拷問の間違いだ、馬鹿野郎!?」


 背後から激しい口論のような声が聞こえてきます。


「……レイジさん、こちらに居るとお邪魔でしょうか……それなら、すみません向こうに戻ります……」


 折角の広いお風呂に一人は寂しいですけど、それでレイジさんが休めないのであれば我が儘は言えません。


「ぐっ……邪魔とかそういうのじゃなくだな……お、お前はいいのか、俺だって男だぞ、そんな無防備な姿晒して怖くないのかよ!?」


 その言葉に、数度瞼を瞬かせます。確かに、あんなことがあってそれほど時間も経っていないですし、今の女性の体を男性の目に晒すのは何をされるかわからず怖いです、が。


「だって、レイジさんの事は信じてますから」


 首だけ二人の方に向けて、言います。あ、流石に言っててちょっと照れます。誤魔化すようににこっと微笑みを返します。


「……………………」


 あら。いつの間にか立ち上がっていたレイジさんが、固まって口をぱくぱくしてます。どうしたのでしょう。顔も真っ赤ですし、逆上せられたのでしょうか。


「……もう好きにしてくれ」


 レイジさんが、諦めたように明後日の方を向いてお湯に沈みました。


「……これは酷い。言われた方は嬉しかろうけど、同時に最大級にデカい釘刺されてるな……」


 呆れたような兄様に、私は頭上に疑問符を浮かべることしかできませんでした。




 その後、長い時間をかけ、兄様にも手伝っていただいて長い髪を洗い終わり、纏めてもらった後、ようやく念願のお風呂です。


「はふぅ……極楽です……」


 濁りの濃い乳白色のお湯を両手に抄ってみます。若干とろりとした粘性のあるお湯はさらさらと優しい肌触りで手を、腕を滑り、脇下をくすぐって湯船に落ちていきます。落ちていくお湯はきらきらと陽光を反射し煌めいて、周囲の雪景色の森と、開放感あふれる青空の下での久々の温かいお風呂は、全身がとろけてしまいそうなほど心地いいです。


「あんなに嫌がってたのに、入ってしまうと大丈夫なんだな……」

「いえー……もう、この体のことは諦めもつきましたのでー」


 手を組んで頭上に突き出し、んー、と伸びをします。ひとしきり体を伸ばした後、腕は自然とだらんと力が抜け、ぱちゃんと暖かなお湯の中に落ちます。

 全身の力が弛緩し、湯船の縁の岩に背中を預けてぼーっと思考を止めます。実際のところ、変わってしまった女性の体を直視する意気地がなかっただけの事であって、一度見てしまえばもうどうってことありませんでした。


 本当に、今までどうして意固地になってたのでしょう、この気持ちよさの方がずっと大事でしたのに。


「それにしてもー……おふろに入るのを面倒がるものは大勢いても、おふろに入ったことを後悔する者はほとんどいないって……ほんとうですねぇ……」

「……すっかり蕩けてるな」

「まぁ、『お兄ちゃん』だった頃も大の温泉好きだったからなぁ」


 何か言われているようですが、頭に入ってきません。疲れが全身から溶け出し、それを埋めるように代わりに幸福的な何かがこれでもかと染み入ってくるようでした。ふぅ。




「そういえば気になってたんだけど」

「……んぁ、なんだ?」

「なんですー? 兄様ー?」

「私たちの、ゲームの時は表示が無かった部分って、何を基準にこの体に構成されてるんだ?」

「下ネタじゃねーか!?」


 そういえば、確かに気になります。他の体の部位と違って、そこはゲームでは作れない部分ですし。


「……あ、でもー……レイジさんは向こうの世界のままですよねー……ずっと以前高校生くらいの時にお風呂で自慢されたことありますしー……」


 まさかそちらも向こうの体を反映しているのでしょうか。だとすると怪しいのは最初のログイン時の体格認識用のキャリブレーションでしょうか。ですがそうだとすると私とソール兄様は向こうと性別が違っていますが、その辺はどうなんでしょう、とぼんやり考えます。


「おい待てイリス、お前いまとんでもない事口走ってたって自覚してるか……? なんの話をしている……?」

「何って……お」

「言わせねぇぞバカヤロウ!! お前今の容姿本当にわかってるんだろうな!?」


 はて、私の容姿がなんだと……なんだと……


「……はぅあ!?」


 心地よさに緩み切り、惚けた頭が急速にはっきりし、ぼん、と音がしそうな勢いで、顔が真っ赤に沸騰しました! あ、ああ、私今、お、おお、お……! って言いそうに、あわわわわ!!


「あ、ああああの!! あの時は何を馬鹿なことをって思ってましたが!! その今のレイジさんの体になっても違和感ないって本当にすごかったんですね!!」

「止めろ馬鹿、慌て過ぎで余計取り返しがつかねぇことになってる!! ていうかその顔のその口からそういうの聞きたくねぇぞ!?」


 大わらわになっている私たちに、不意に、背後からぽんと肩に手が置かれました。振り向かずにも分るその黒い気配に、茹りかけていた思考が一気に冷え、温泉の中だというのにだらだらと冷や汗が流れ始めます。恐る恐る振り返ると。


「さて、何やら聞き捨てならないようなことを言っていたね……?」


 魔王がそこに居ました。


「……あの、ソール兄様、この手は。それに、顔が怖いです……よ?」


 絶対逃がすまいとするように、肩の手に徐々に力が入っていきます。ちょっと痛いくらいです。


「なぁイリス、そのキャラ作った時、初ログインはそれぞれ交換せずにしたよね……?」

「え、ええ、はい、まぁ」


 最初数日だけはそうでした……ね?

 つまり、兄様、いえ、綾芽が疑ってるのは、先程見てしまった今の私の『ここ』が……


「…………よし、見せなさい。確かめさせなさい。イリスの嫌がることはしたくないけど、今回は話が別だ。場合によっては私の尊厳に関わる」

「ひぁ!? ちょ、まっ、たす、たすけっ、レイジさっ……!!」

「……悪い、そうなったソールは俺にはどうしようもねぇわ」


 救いを求めて伸ばした手は薄情に叩き落されてしまい、あっさりと抱きかかえられ、岩陰に引きずり込まれた私は、抵抗を悉く封じられ全て見られてしまいました……


 うぅ、もうお嫁にいけません……

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