第31話「光の女神」
無窮の闇があった。
石の聖堂は消え、邪悪なる大蛇は滅された。
4人の勇者はその空間に耐えることができず、無に還元された。
無辺の黒の中にただ1人の女が立っていた。
その身を装飾していた黒い翼も、七つの秘宝も、全てが闇へと取り込まれた。
ただ、1人の女だけが長い銀髪を揺蕩わせていた。
「――来たわね」
闇に一粒の光が落ちる。
闇の中から現れ、闇を押し退けて輝く光。
それは徐々に増幅し、次第に眩く強くなっていく。
やがて光は、女と全く同じ姿を取った。
「クソがよ」
その美麗な顔を大きく歪め、艶やかな唇を曲げて。女は開口一番に悪態をついて舌を打つ。
白いドレスを装った長身の女だ。
正面に向かい合うルビエラとの違いは、その柔らかな金の髪色と透き通った青い瞳だけだろう。
それ以外の全てにおいて、2人は鏡合わせと言っても違わないほどに同一だった。
「久しぶりの邂逅だというのに、随分な挨拶じゃない。姉妹らしく、ここは涙の抱擁といきましょうよ」
赤い唇を弧にしてルビエラが両手を伸ばす。
光を纏った女は、それを乱暴に叩き落とし、闇に向かって唾を吐いた。
「何が姉妹だ。私の出涸らしの癖に」
「あらあら。つれないわね」
敵意を剥き出しにする女に対し、ルビエラは余裕の笑みを保っている。
静寂と闇の満ちる世界で、2人はひりついた空気を纏っていた。
「5,000年間も引きこもっちゃってまあ。こうして強引に引きずり出すまで、さぞ悠々自適な暮らしを送ってたんでしょうね。――サフィーラ」
「ちっ」
ルビエラが名を呼ぶと、女は一際大きく舌を打つ。
ギリギリと奥歯を噛み締め、恨みがましい目を向ける。
その名は教皇ですら呼ぶことの許されぬ、神聖なものだ。
人間に永遠の命を与えんとする慈悲深き母。勇者たちに人智を超越した多大なる加護を授ける大いなる女神。
全てが澱み濁る混沌から世界を生み出した創造主。力強き生命力と希望のための恵みを育む豊穣神。
光の女神――サフィーラ。
「いいわ。時間はたっぷりとあるんだし、少しお話しましょう。そうね……、まずはどうやって貴女をここに呼び出したか」
神降ろしは秘術であり、禁忌であり、深奥だ。
サフィーラが自ら作り出した人間たちであっても、彼女の司神はおろか、その眷属を一体呼び出すために多大な労力を要する。
具体的に言えば、数千人規模の生け贄を供さねばならない。
「まず第一に、魔王城七迷宮は全てを合わせて光の女神サフィーラを降ろすための祭儀場だった。生け贄となるのは、貴女が愛を込めて送り出した勇者たち」
永久の命を手にするため、勇者たちは迷宮へと挑む。
その過程で死に、蘇り、光の女神の加護を強くする。
光の女神の加護が強くなると言うことは、本質的な意味で人間よりも女神の方へと傾くということだ。
サフィーラが加護の力を注げば注ぐほど、勇者は神性を上げていき、サフィーラ自身へと近づいていく。
3,000人を越える勇者たちの力が研ぎ澄まされ、厳選され、濃縮されていく。
そして、それは〈奈落の廻廊〉で繰り広げられた無数の鍛錬の中で完成する。
「“暁の勇者”レオンハルトは貴女の意志を、“賢者”ティナは貴女の力を、“聖女”メルトは貴女の心を、“闘士”サラは貴女の体を再現した。極限まで同一化した力は自然と融合し、貴女自身を呼び出した」
贋造物が本物へと昇華された。
結果として、光の女神サフィーラはルビエラの元へと召喚された。
「何万年も掛けて私を呼び出して。それで何がしたい
」
サフィーラが問い掛ける。
彼女からすれば、永遠の命を餌に勇者を嗾けるのは、盤上の遊戯と同じ事だった。全てを見下ろす席に座り、勇者たちを加護の多寡で操作する。
勇者が艱難辛苦に打ち勝てば、無聊も少しは慰められた。
彼女は頂点に座する存在だ。
全知故に驚きはなく、全能故に楽しみはない。
逆らうものは居らず、意見するものは周囲によって潰される。
勇者を八迷宮に送るのは、自身の支配する領域の外を間接的に見ることにより、予想できぬ変化を楽しむことができたからだ。
だから、まさか、このような形で強引に玉座から引きずり落とされるとは思いも寄らなかった。
しかも、それをやったのが同じく混沌の中から生まれた存在であるのだから。
「貴女、死ぬべきよ」
短く、ルビエラは答える。
それを聞いたサフィーラの瞳に動揺は見られない。
彼女が光を、聖を、生を司るなら、同じ混沌から二分された存在であるルビエラは闇を、邪を、死を司る。
創造の後には破壊があり、破壊の後には再生がある。
魂は大いなる循環の中で輪廻し、万物は繰り返す。
混沌の時代の更に旧い時より堅固に定められた唯一にして絶対の法だ。
「嫌に決まってるでしょ」
だからこそ、サフィーラは拒否する。
それを聞いたらルビエラの瞳にも驚きはなかった。
混沌より分かたれた光と闇、サフィーラとルビエラの二人が協力することによって始めて、車輪は動く。
逆を言えば、個々は動くことを是としない。
ルビエラが不死者という停滞を選ぶのと同じように、サフィーラは繁栄という停滞を選ぶ。
「お互い、全然仕事しないものね。その結果どうなってるか、分かってるんでしょう?」
ルビエラは肩を竦め、己の片割れに問い掛ける。
ルビエラの世界で、死は歩みを止める理由にはならなかった。
肉体を失い、骨をすり減らしても、疲弊した意志は残り続ける。個を保つことができなくなれば、複数の魂をより合わせて継ぎ接ぎの形を与える。
永遠に続く苦役だ。
サフィーラの世界で、生は歩みを止める理由には成らなかった。
人々は極まることのない栄華を極め続け、無限の富みを求め続ける。世界という有限の箱庭の中で、彼らは際限なく増殖を続け、更には永遠の命にまで手を伸ばし始めた。
これもまた、永遠に続く苦役だった。
「私が破壊し、貴女が創造する。私たちが生まれた時、それはすでに定められていた。何万年かサボっていた仕事をやらなくちゃ」
「断る。私は、私の作った人間たちを愛しているもの」
間髪入れず首を横に振るサフィーラに、ルビエラはすっと目を細める。
「貴女が愛しているのは人間ではない。貴女が作った世界そのものよ」
自身が絶対的な王者として君臨できる自由の国だ。
そこに住む臣民たちを手慰みに弄んで楽しんでいるだけだ。
積み木を組んで無邪気に笑う稚児となんら変わらない。
「世界は成長しなければならない。貴女も分かっているでしょう?」
「知らない。安定しているのなら、このまま放っておけば良い。悲しみのない平和な世は、あらゆる生命が求める究極の楽園でしょう」
「停滞は澱を溜め、濁り汚れるわ。適切な循環の中でしか正常な世界は成立し得ない」
「何が正常で、何が間違いかは私が決めることよ」
毅然としたルビエラに臆することなく、サフィーラはぴしゃりと言い返す。
全知全能である彼女にとって、自身の判断は絶対であり覆ることはない。だが、ルビエラはそれを平然と躊躇いなく否定する。
「絶え間ない繁栄と増殖の先にあるものは、圧迫された絶望よ。だから、貴女は勇者たちをこちらに押しつけているのでしょう」
人々は大地を喰らい、際限なく侵蝕を続ける。
魂は増殖を繰り返している。
だが、世界は有限だ。すでに星の終端は見えている。だからこそサフィーラは勇者を迷宮に送り出しているのだ。
迷宮で死んだ勇者の魂は、僅かに欠ける。その残滓は迷宮内部へと溜まり、やがて不死者となる。そうして少しずつ、増え続けるものを別の世界へと流しているのだ。
「五月蠅いわね! そんなに循環が大事なら、いくらでも勇者の魂をあげるわよ」
「荷物を押しつけることを偉そうに言わないで。こちらの魂をそっちに遣ろうとしても拒否するくせに」
「そんな余裕がないのよ! 分かってるでしょ!」
「だからちゃんと整理しなさいって言ったのよ!」
激昂するサフィーラに、ルビエラも応戦する。
結局の所、より簡単かつ残酷に言えば、増え続けるゴミを対処しない姉とそれを押しつけられる妹の姉妹喧嘩だ。
「魂の圧縮はあんたの得意技でしょ。良いから黙って受け取って全部不死者にしちゃえばいいのよ」
「それだと世界のバランスが崩れるっつってんのよ!」
双方共に声を荒げ、罵詈雑言を飛ばし合う。
人間たちがこの姿を見れば、どれほど絶望しただろうか。
「――ったく、ゴチャゴチャ五月蠅いわね。大人しく話を聞こうとした私が間違いだったわ」
深く歯形がつくほど唇を噛み、サフィーラが吐き捨てる。
そうして彼女は突然、後方へと飛び退いた。
「偉そうにご高説垂れやがって、クソ陰険女がよ。少し目ぇ離した隙に随分偉くなったわね。その高ーい鼻っ柱、一回へし折ってやるわ」
サフィーラの体が膨張する。
光が増し、闇を侵蝕していく。
人の形に収めていた体が、真実へと近づいた。
「その姿見るのも久しぶりね。秘宝も錆びちゃってるんじゃないの?」
長大な白い鱗の蛇身が蜷局を巻いて立っていた。
首の位置には美女の上半身が接続し、四本の腕に金銀の戦斧と本と剣を持っている。
全身は金の装具によって飾られ、艶やかな肉体が余すことなく曝け出されている。
人間たちも悲鳴をあげ、正気を手放すような、禍々しさが併存する美しさだ。
大きく広げられた八枚の翼は純白に輝き、蛇体に近づいてみれば、鱗の一枚一枚が生々しい人間の手のひらでできていることも分かる。
そも、混沌より分かたれた原初の神が人と同じ姿を持つはずもない。
「聞き分けのない妹は、姉が直接躾けてあげないとね」
そう言って、ルビエラもまた異形の姿へと戻る。
八枚の黒い翼を広げ、四本の腕に槍と本と果実を持つ。三つの瞳を赤く染め、鉄の牙から血を滴らせる。
彼女も混沌より出でた神である。
「誰が妹だ! 私が姉に決まってるでしょう!」
「五月蠅いわね。同時に生まれたんだから、関係ないでしょ」
激昂し、吠えるサフィーラ。
真っ赤な口腔には濡れた牙が三重に並んでいる。
彼女は金と銀の戦斧を掲げ、長剣を胸に構える。
「死に晒せ!」
光の女神の神性が闇を急速に侵蝕する。
眩い光の奔流が、ルビエラを襲った。
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