182_思惑集いて
メルクロフ学術院でロルフたちが戦っているころ。
その学術院から十数キロほど離れた地点に、待機する軍勢があった。
王女の護衛として、王都から同行した者たちである。
彼らは学術院までは同行せず、この地点に留まっていた。
講和会談において、学術院に入るのは、限定した要員のみである。
それ以外の彼らは、いま待機している地点から学術院へ近づこうとはしなかった。
そのように連合側と取り交わされていたのだ。両陣営とも、定められた距離を踏み越えて学術院へ近づかないことになっている。
王女が出席する会談であるにも関わらず、現場には最低限の護衛が居るのみというかたちは、王女自身が強く望んだものだった。
そして彼女は、この取り決めを決して
ゆえに待機する彼らは、王女が帰るまでここから動かない。
そのはずであった。
「団長」
天幕の一つ。
この地に留まる兵たちの長が、そこに居た。
部下に声をかけられ、顔をあげたその男は、第三騎士団の団長である。
本来、王女の護衛であれば、王都の隣に本部を置く第五騎士団の任とされるのが妥当である。
だが、第五騎士団の団長、エミリー・ヴァレニウスは、一部の幹部を連れ、会談場へ同行している。
よって今回は第三騎士団がこの任務にあたっているのだ。
「どうした?」
椅子に座ったまま顔を向けたのは、その第三騎士団の新団長、エーリク・リンデルである。
前団長マティアス・ユーホルトは、タリアン領における先の戦いで、戦死した。
彼は軍を分け、領境の平原とバラステア砦に対する二正面作戦を採ったが、これは誤った判断であった。
戦力を分けた結果、平原では大敗を喫することとなったのだ。
砦では若干有利に戦いを進めるも、最後にはそちらでも敗れている。
ユーホルトは、堅実で優れた軍略家であったが、数え切れないほどの戦場を踏み越える中で、一度たりとも間違わずにいられるものではなかった。
そして遂に誤り、その誤った時が即ち最期の時であったのだ。
だが一度の誤りが彼の実績と栄光を陰らせることなど無く、ユーホルトは間違いなく英雄のままである。
しかし死せる英雄である以上、第三騎士団には新しいリーダーが必要で、白羽の矢が立ったのが、若き俊英リンデルであった。
以前は最強たる第一騎士団の梟鶴部隊で隊長を務めており、第三騎士団でもユーホルトから信頼されていた人物である。
ユーホルトが敵の戦力を読み違えた結果、第三騎士団は砦でも敗戦の憂き目に遭っているが、平原と違い、そちらでは被害が最小限に抑えられている。
リンデルが退却の判断を誤らなかった為だ。
それらの点が考慮され、また、多くの者がリンデルを推挙した結果、彼は第三騎士団の団長となるのだった。
騎士団内だけでなく、中央にも彼を評価する者は多かったのだ。
なお、これらの経緯には、事実と異なる点が含まれる。
だが、公的に事実と信じられることが、取りも直さず事実なのだ。少なくとも組織というものにおいては。
そういった事実は真実足り得ないが、それは重要ではない。
そのルールを誰よりも知るからこそ、エーリク・リンデルは騎士団の長に収まったのだ。
その新団長は今、天幕内に悠然と座っている。
そんな彼へ、部下が報告した。
「早馬が来ました。学術院に動きがあったと。どうやら会談場が爆破されたようです」
「そうか」
報告は、明らかに凶報であった。
王女の居る地で、そして世界の趨勢に関わる会談が為される場で、予期せぬ爆発があったのだ。
それが何者かの攻撃であることは明白である。
だがリンデルに
「王女殿下の安否は?」
「不明です。学術院は閉鎖された模様」
「ふむ」
「それと例の連中が独断で進発しました。どうやら……」
「こうなることが分かっていた、か」
タリアン領の戦いで半壊した第三騎士団。
新たなリーダーのもと再編の運びとなったが、政治に長けるリンデルとて、信頼出来る者のみで団を固めるのは不可能である。
特に、中央のさる高官が捻じ込んできた一個大隊ほどの者たちに対して、リンデルは警戒を向けていた。
そしてリンデルの警戒を裏付けるように、彼らは今、命令も無く出撃したのだ。
「放っておけ」
「よろしいので?」
「ああ」
部下の軽挙はリンデルの経歴に傷をつけるであろうが、今はこれで良い。
リンデルはそう計算していた。
この後の行動を誤らなければ良いのだ。
それより信用できない者たちを切り離せるメリットの方が大きい。
患部は素早く切除するに限る。
彼らを団に迎える際、高官の無理強いに強く反対した事実も作ってある。
「あの、団長。お聞きして宜しいでしょうか」
「何だ、フェリクス」
「今回の爆発ですが、団長は関与されていないので?」
上官への問いかけとしては、あまりに常識を逸脱したものであった。
だが、この部下、フェリクスはリンデルをよく知る側近なのだ。
リンデルの意を受け、霊峰で第二騎士団の副団長アネッテを暗殺した人物である。
そんな彼だからこそ出た言葉。
リンデルの与り知らぬ陰謀が、彼の近くで為される。フェリクスにとってそれは、やや信じ難い話であった。
その心情を分かってか、リンデルは笑みを浮かべて答える。
「ふ……。高く評価してもらって恐縮だが、私は無関係だ」
「おや、そうでしたか」
「そもそも不要だからな、こんな
リンデルの言葉に、フェリクスは首をかしげる。
それを見て、どこか愉快そうにリンデルは続けた。
「この講和は成立しない。双方とも条件を呑まんよ」
王国が提示しようとしている条件は極秘だが、国内における諜報にも余念の無いリンデルである。講和条件の概要は把握していた。
王国は当然、奪われた四領の返還を求めるが、加えて敵将ロルフの帰順を要求し、連合の弱体化を図ろうとしているのだ。
対して連合が提示してくる条件は奴隷の即時解放だろう。
また、魔族の扱いに関して約定を求めてくると思われる。それはリンデルにしてみれば愚かしい要求でしか無いが、しかし求めてくる筈なのだ。
双方とも、これらの条件は呑めない。
連合は、四領の返還に応じる姿勢を見せるだろうが、停戦と金銭的補償だけで良しとはしない。
しかし、奴隷解放や約定を王国は受容出来ない。
リンデルの予想する限り、まず講和は成立しないのだ。
そして成立しない講和を邪魔する道理など無い。
「今回の首謀者は、それを読み切れなかったと?」
「まあ、そう単純な話でもないだろうがな」
リンデルにも気取られず、これだけの陰謀を進めてきた者たちだ。
そこにはもっと、複雑な背景があるに違いない。
また、単純な話でないという点は、会談の当事者たちにとっても言えることだろう。
リンデルの脳裏に浮かぶ男、ロルフは、講和が成立する可能性が極めて低いことを理解していたはずである。
だがロルフらは、会談を無意味と断ずることはしなかった。
あるいは、対話を持つこと自体に意味があると考えたのかもしれない。
いずれにせよ、リンデルにとって馬鹿げた考え方である。
しかし、だからと言って敵の思惑を慮外に置いてしまえば、勝つことは出来ない。
団長になって以降リンデルは、敵について常に想像力を働かせるよう、自らへ課していた。
特にロルフについて、あの黒衣の大男について考えぬ日は無い。
「しかし、ひとまず講和を度外視しても、大逆犯を殺せるなら御の字ですかね」
「ふふ。フェリクスよ」
「は」
「この程度で奴は死なん」
平素より一段、低い声。
リンデルにしては珍しく、やや感情が込められた声音であった。
王国と連合を同時に出し抜いた今回の陰謀をリンデルは高く評価している。
だがそれでも、あの男を殺すことは出来ない。
リンデルはそれを断言したのだった。
そして少しの沈黙が満ちる中、彼は椅子を立ち、薄く笑う。
「では我々も出撃しようか。王女殿下をお救いしに向かうぞ」
◆
「あれを見ろ、小僧」
ビョルンが窓から外を指さしつつ、俺に言った。
西棟の最上階であるここからは、外壁の向こうが見渡せる。
遠くの方で砂煙があがっていた。
あれは、騎乗した者の集団が巻き起こす砂塵だ。
どうやら、軍がこちらに向かって来ている。
一個大隊ほども居るようだ。
「ビョルン。味方だと思うか?」
「それは無い。早すぎる」
「そうだよな」
あらかじめ準備していなければ、こうも早く来ることは出来ない。
彼らは何が起こるのか知っていたのだ。
つまりあれは、敵方の援軍ということになる。
この西棟で敵をかなり削ったが、それでも構内に敵兵はまだ多いはず。
そこへ大隊規模の兵を投入されては、やはり厳しい。
本来なら、すぐにも脱出したいところだ。リスクを押してでも、封鎖された門の強行突破を考える状況だろう。
だが、戦えぬ要人や文官たちが居る状況で、それは選べない。
「急ぎ皆を探そう。こっちは盟主が、そちらは王女が居るんだからな」
双方の最高指導者が閉じ込められ、そこに大軍が向かって来ている状況だ。
悠長に構えてはいられない。
「小僧よ。殿下と盟主殿の保護は最優先だが、向かってくる敵軍を何とかせぬことには、どうにもならんぞ」
「ああ。だが、あの敵軍は何とかなる。
敵軍がこの学術院へ突入してきたら、いよいよ危険だ。
絶対に避けたい事態である。
だが、待機している連合軍も、この事態を知って進発しているに違いない。
彼らが外を引き受けてくれる。
「間に合わんだろう」
「いや、間に合わせるために、急げる者だけで向かってくる」
味方には、会談場の爆破という尋常ならざる事態は伝わっているだろう。
そして当然、これが敵の
緊急性の高さは分かるはずだ。
そのため、きっと兵数を絞って先行してくる。
一年前、バラステア砦の戦いでも同じことをやった。
あの時、砦を突かれたことに気づいた俺たちは、進軍速度の速い者たちだけで先に向かったのだ。
「しかし寡兵で来たところで何にもなるまい」
「それはそうなんだが……」
本来ビョルンの言うことは正しい。
普通なら少数の兵で来てもやられるだけである。
軍同士の戦いにおいて、兵力差による戦略的劣勢は、最も覆し難い点の一つ。それが軍事における常識なのだ。
だが、
寡兵とは言え、それなりの数がここへ来るはずだ。
その中には、軍事における常識などというものを無視したがる奴も居る。
加えて、今回は彼だけじゃない。
とにかく、強い連中がここに来るのだ。
「こちらは精強だ。たぶん何とかなる」
「ふん、そうか」
俺はたぶんと言ったが、ほぼ確信している。
それを見て取ったのか、ビョルンは何も問い返さなかった。
表情は相変わらず険しかったが。
「では小僧、この棟を出るぞ。南側に回って殿下たちを探さねばならん」
「ああ、そうだな」
言って、俺たちは歩き出す。
一戦を終えて気が緩んだのか、脇腹の傷がずきりと痛んだ。
だが、休んでいる暇は無いのだ。
今回の会談を舞台に、幾つの思惑が絡み合っているのか、窺い知ることは出来ない。
確かなことは、抗わねば全てを失うということである。
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