155_受け継がれる役割
「アルフレッド・イスフェルトである。よろしく頼む」
今日はアルフレッドが軍へ正式に合流する日である。
ある程度、顔合わせも済んでおり、彼は問題なく受け入れられていた。
あの同盟を経て、いよいよ種族間の垣根は低くなっているのだ。
まして霊峰の戦いで禁呪を防いだアルフレッドらの働きは、人々に知れ渡っている。
「名前、ちょっと言い辛いかなあ。アルでいい?」
リーゼがそんなことを言い出す。
軍では、咄嗟の意思疎通が出来るよう、長すぎたり呼び難かったりする名前は短く呼ぶことがある。
"アルフレッド"は、それほど長い名ではないと思うが、魔族にとっては馴染みの薄い発音なのかもしれない。
「ほう? それは渾名か。アル……。ふむ、良かろう」
アルフレッドは、声音に興味を滲ませている。
彼にとって、渾名というのは初めての経験であるようだ。
「皆、私のことはアルと呼ぶが良い」
あまり表情の変わらぬアルフレッドだが、その顔には僅かな喜色が見て取れた。
気持ちは分かる。俺も、渾名というものに憧れを感じぬでもない。
自分の名を気に入ってはいるが、親し気な愛称など付けられてみたいものだ。
シグも渾名だしな。
「リーゼ」
「なに?」
「俺だが、"ロロ"という渾名はどうだろうか?」
「ちょっと無いかな。それで、午後の訓練だけど──」
一蹴されてしまった。
そこそこ自信があったのだが。
◆
「
轟雷が、周囲を呑みこむ。
訓練でアルが見せた魔法に、兵たちは瞠目した。
「え……今の、
「何かの高等魔法ではなく?」
誰もが驚いている。
産まれた時から魔力を持っている分、魔法については魔族に一日の長があると思われがちだ。
だが、優れた術士は人間にこそ多いとも言われる。
魔法に対する体系的な研究が進んでいるのだ。
その申し子と言われるアルが味方になったことは、俺たちにとって大きな追い風である。
彼自身の力は元より、その知見が貴重きわまるのだ。
「魔力の多寡は変えることが出来ないが、魔力の運用次第で、魔法の威力は
アルの言葉を、皆が真剣に聞いている。
そうさせる説得力が、さっきの轟雷にはあったのだ。
「思うに、最初から魔力を持っていたが故、あって当たり前のものであったが故、その運用へ意識が向き難いのだろう」
アルは、魔導士たちの教導を任された。
自身も戦場に出て戦うが、魔導部隊全体の力の底上げが、彼には期待されているのだ。
そして、どうやらそれは上手くいきそうだと俺は感じている。
彼は天才にありがちな感覚タイプの者ではなく、きちんと理論を持っているのだ。
実際、魔導士たちは彼の話に大きく頷いていた。
「また、常に最大効率を念頭に置くことが重要だ。そういう意味では、先ほどの
さて、こちらはこちらで、励まなければならない。
この先、さらに戦いは激しくなるだろうからな。
それを思い、剣士たちに目を向ける。
「よし、我々も訓練を始めるぞ。魔導士たちに負けてられないからな」
「ロルフさん、質問が」
若い剣士が挙手をする。
「何だ?」
「どうやってアルさんに勝ったんですか? 自分だったらどうすれば太刀打ち出来るのか、まるでイメージが湧かないんですが……」
「自分もです。さっきの魔法を見ちゃうと、どうにも」
ほかの剣士も同調する。
優れた魔導士と対峙した時、どう戦うか。
それを迷っているようだ。
もっとも……。
「俺はアルに勝っていないぞ。あれは痛み分けだ」
「でもアルさんは完敗だったって言ってましたよ」
「馬鹿。ロルフさんは魔法を斬れるんだぞ。俺たちとは違う」
別の剣士が声をあげる。
その言葉に、何人かが溜息を吐いた。
「そう言えばそうか。俺たちでは……」
「大丈夫。自分に合った戦い方をすれば良いだけだ。俺は俺で、皆には無い弱点を持っているわけだしな」
幾つかの戦場を共にし、彼らのことを理解出来つつある。
良い戦士ばかりだ。
家族や隣人を守るため、自分の責務と真剣に向き合っている。
こういう者たちは、まだまだ強くなれる。
「さあ始めよう。今日は地稽古をやるぞ」
◆
夜。
訓練を終え、俺は養護院に来ていた。
ミアの故郷の集落で、地下に子供たちを匿っていたイルマ。
彼女がヘンセンで運営する養護院だ。
「ありがとうございますロルフさん。とても助かります」
「いえ、イルマ院長。お安い御用ですよ」
式典からの帰り道、俺はアーベルで、子供たちの肌着を大量に仕入れてきたのだ。
こういう普段使いの衣類などは、旧王国領の方が生産能力が高く、安価に入手できる。
もっとも、ヘンセンでも産業は育っている。
トーリたちローランド商会の尽力で、新しい経済圏は成立しつつあるのだ。
少しずつだが、暮らし向きも上がっている。
少しと言っても、期間を考えれば劇的な変化と言って良いだろう。
俺に経済のことは分からないが、異文化への門戸を開くことが、互いの可能性を大きく広げた、ということらしい。
文化の侵食が起こらぬように、保護されるべきは保護しつつ、トーリはアルバンらと協力して精力的に活動している。
「ロルフ殿は、豊かな世になることを全面的に歓迎なさいますかな?」
数日前、トーリに問われた言葉。
彼は問答を好む。
もっともアイナによると、頭が良いと認めた相手にしか問答を仕掛けないらしい。
俺をそう思っているなら、過分な評価にくすぐったい思いだが、嬉しくはある。
「歓迎します。人は
「おお! この見解の一致は嬉しいですぞロルフ殿! 剣の
「精神面で
「そうですかそうですか! 話せますなあ!」
満面の笑みを見せるトーリ。
俺の考え方は、彼の意に沿っているようだ。
貧しさに見出す美は、飢えたことの無い者だけが抱く欺瞞だと思う。
貴族の家に生まれ、飢えを知らずに育った俺がそれを言い出せば、きっと軽侮を招くだろう。
豊かであればこそ、人は人に優しくなれるのだ。であれば、誰もが豊かでなければならない筈。
それからトーリとは色々なことを話した。
彼の知見はやはり素晴らしく、実に勉強になる。
彼が言うには、皆が豊かになるべきとは言っても、やはり豊かさを享受する優先順位がきわめて重要とのことだ。
それは勿論そうだろうが、とにかくそこに腐心しなければ、富というものはすぐに一つ
富の分配についてどんなシステムを作っても、必ずそうなるものらしく、トーリはそれを強く警戒している。
ただ、アルバンら文官もそのあたり理解しており、今のところ、トーリから見ても良い政策を打てているようだ。
その成果の一つが、これである。
俺は周囲を見まわす。
真新しく、大きなこの養護院。
戦災孤児の救済はヘンセンにとって急務だった。
この町でリーゼと再会した、あの朽ちかけた小屋。
親の無い子たちが、肩を寄せ合っていた光景を思い出す。
今はあの子らもここに居る。
俺の視線の先から、こちらへ歩いてきたのはテオだった。
王国軍が攻めてきたあの夜、病に苦しみ、叫び声をあげていた少年だ。
「ロルフさん! 来てたんですね!」
「ああテオ。体調はどうだ?」
「大丈夫です。最近はだいぶ落ち着いてます」
だが、値の張る薬も今はだいぶ安価で流通するようになった。
共同体からの正しい支援があれば、そういったものもちゃんと手に入る。
勿論、政策任せにせず、周囲の大人も気にかけてやらねばならない。
これ以上、彼らの人生から何一つ損なわせてはいけないのだ。
「肌着がちょっと足りなかったでしょう? ほら、ロルフさんが沢山仕入れてきてくれたのよ」
「こんなに! ありがとうございます!」
「テオは礼儀正しいな。しかし肌着でそう喜ばれてもむず痒い。今度はもう少し気の利いたものを持ってくるよ」
リーゼなどはそのあたり如才なく、よく菓子なんかを差し入れている。
ほかに、子供ウケが良いものは何だろうか。
「そんな。助けはすべて嬉しいですよ。それに……」
「うん?」
「英雄ロルフ将軍に会えるのが、なにより嬉しいですから」
テオの目には曇りが無い。
男の子が、戦う人間へ憧憬を寄せるのは、まあ不自然な話ではないが……。
"英雄"も"将軍"も、何とも呼ばれ慣れないな。
「ありがとう。そんなに立派なものでもないと思うがな」
そんな俺へ、イルマが言う。
子供たちに愛される穏やかな笑顔で。
「立派ですよ、ロルフさんは」
「イルマ院長ほどではありませんよ」
むろん本音である。
彼女は、あの集落で子供たちを守り、今なお、このヘンセンでそれを続けている。
このような行いをこそ偉業と言うのだ。
「大人って褒め合ってばかりですね」
テオが笑って言った。
自然な笑顔だ。
皆に笑顔が戻ってきた。
あの小屋の子供たちは、しばらく沈んでいた。
当然だ。喪ってはならない人を喪ったのだから。
ベルタ亡きあと、子供たちは悲しみに暮れる日々にあった。
ベルタが価値あるものを遺したこと、それを忘れぬ多くの味方が居ること。
子供たちにそれを分かってもらうには時間が必要だったが、今では誰もが歩み出している。
その理由の一つへ、俺は目を向けた。
広い部屋の向こうで、大きな体の女性が、子供たちに纏わりつかれている。
「マレーナ! マレーナ! これあげる! 作ったの!」
「おお、ありがとう。上手に出来てるだねえ!」
紙で折った細工を受け取り、笑っているのはマレーナ。
あの霊峰で皆を救ってくれた人物である。
優しい彼女だが、それ故か、このヘンセンで軍に合流することを選んだ。
それに加え、時間のある時は、この養護院を手伝っている。
今日のようにエーファが出払っている日などは、大いにイルマ院長の助けになっているようだ。
「これね! これね! クルトに作り方をおそわったの!」
言い募るのはアルマ。
あの小屋に居た中で最年少の少女である。
ベルタの死にショックを受け、しばらくは口を開くことが無かったが、今では笑えるようになった。
同じくマレーナにしがみ付いている少年、クルトも同様だ。
子供たちが大きな女性に纏わりついて、しきりに色々なことを話している。
あの小屋で見た光景である。
慈愛に満ちたマレーナの表情は、ベルタのそれと同じだ。
彼女は、アルマから手渡された紙細工を眺めている。
あれは花だろうか?
「銀杏だね。お庭にある樹の葉っぱを作っただねえ」
「そう! いちょう! クルトが考えたの!」
なるほど。
葉の広がりを紙で表現しているのか。
子供の感性にも、そしてそれに寄り添えるマレーナにも、舌を巻く思いだ。
「彼女には本当に助けられていますよ」
イルマ院長が言う。
そうだろうな。
あの子らの顔を見れば分かる。
マレーナは本当に愛情深い人物だ。
そして底の無い寛容さを持っている。
自分に、ほかの誰かの面影を重ねられることを、マレーナは疎んじたりしなかった。
ただ静かに、子供たちの支えになっている。
きっともう大丈夫だ。
子供たちがベルタを忘れられないのは当然のことで、それは何ら非建設的ではない。
あの子たちは亡母の記憶を大切にしながら、マレーナという人格に心を開いているし、マレーナもそれに応えている。
新しい関係を得て、皆が一歩を踏み出しているのだ。
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