95_表明

「はっ……はっ……はっ……」


 俺は早朝の素振りの最中さなかにあった。

 暮らす場所が変わっても、訓練の習慣は変わらない。

 だが、その内容と強度は変わっていた。


 まず、下半身の筋力トレーニングを増やしている。

 アーベルで俺は、突進力が十分ではないと痛感したのだ。

 一息で踏み込める間合いを広げるため、足腰をより強くする必要がある。


「はっ……はっ……はっ……」


 それから心肺能力の強化だ。

 剣を振り続けられる時間を増やしたい。

 そのために以前は走るばかりだったが、最近では水泳も始めた。

 水の冷たさに精神も引き締まるというものだった。


 水泳は訓練としてポピュラーで、その有効性は証明されている。

 騎士団でも一部では採用されているのだ。


「はっ……はっ……」


 そして幼少の頃から続ける素振りも見直した。

 訓練に手を抜いていたつもりは無いが、いつしか漫然と素振りをしていたかもしれない。

 アーベルでの戦いを経て、俺はそう思ったのだ。


 だから自分のなかで心構えを組み直した。

 剣を初めて持った日のことを思い出し、刃に気持ちを乗せるのだ。

 一振り一振りを、やり直しのきかない一閃と心得て、全神経を込め振り抜く。


「はっ……はっ……」


 煤の剣を持つことを許された以上、俺はこの剣に恥じぬ剣士でなければならない。

 たゆまず研鑽を積み上げるのだ。


「おはようございますロルフさん、今日も精が出ますね」


「ふぅ……おはようエマさん」


 素振りを終えたところで、顔見知りが声をかけて来た。

 彼女は隣家の奥方だ。

 夫妻ともども、俺がこの地に溶け込めるよう、色々と気にかけてくれている。


「フランクは?」


「当直です。デカい魔獣が出たとかで、昨夜は忙しかったみたい」


 彼女の夫は軍に務めている。

 昨夜から町の警護にあたっているようだ。

 領軍が襲来する危険が無くなったとは言え、警護を疎かにすることは当然できない。

 皆、自身の仕事を変わらず真面目に務めている。


「こっちには慣れました?」


「おかげさまで。皆よくしてくれるし、気候も肌に合ってるよ」


 それからエマと他愛のない世間話をした。

 "他愛のない世間話"は、俺にとって中々に新鮮な経験だ。


 それから家のなかに戻り、朝食をとる。

 パンにチーズに山羊乳ゴートミルク、それと干し果物。

 これがヘンセンの平均的な朝食だ。


 質素だが、どれも味は良い。

 特に干し果物が旨い。

 王国では見かけなかった果実だ。

 この実は完熟してもなかなか地面に落ちず、樹上で乾燥する。


 幹からの栄養を得たまま、たっぷりの陽光で熟し、乾燥したその実には、滋養が凝縮されている。

 そして、がつんと全身を満足させる程の甘さがあるのだ。

 俺はこの干し果物のおかげで、実は自分が甘味好きであったことを知った。


 それと、朝食後は茶を飲む。

 この町では、好んで茶が飲まれる。

 茶は地方によっては珍しい嗜好品だが、このあたりではよく採れるそうだ。


 俺はこの地の喫茶文化が大いに気に入った。

 朝食後、茶を淹れて、ゆっくりと時間をかけて飲むのだ。

 誰もが日々の生活に追われており、決して余裕のある暮らし向きではない。

 しかし、だからこそ家族との時間を大切にするべく、茶ぐらいはゆっくり飲もうということらしい。


 俺は家族との絆を維持できなかった人間だが、その理念には賛同できる。

 今日も敷物の上に胡坐をかいて座り、格子窓から射しこむ朝日のなか、手に持った椀でゆっくり茶を飲んだ。

 孤独だが、満たされる時間だった。


 それから支度を終え、早めに家を出る。

 途中で軍本部に寄って剣を預けなければ。

 今日は帯剣できない。議会に出席する日なのだ。


 ◆


 ヴィリ族の議会は各区域の代表者から成る。

 当然、ヘンセンだけでなく、幾つかの集落からも議員が選出されている。


 議場は町の中央付近にあった。

 広くて古めかしい木造りの建物だ。

 民家とは異なり、議員たちは皆、椅子に座っている。


 俺は、物珍しさに議場内を見まわした。

 王国でも、領によって議会を持つところはある。

 だが領主に対する助言機関の意味合いが強く、権限はあまり無い。


 こちらではそれと違い、議会が様々な決定権を持っている。

 要職の人事や、新しい規則などは議会が承認しなければ決まらない。

 ざっくり言うと、議会がルールを作り、族長がそれを運用する形だ。

 これはヴィリ族だけでなく、多くの氏族で同じ形態になっているらしい。


「本当に人間だ……」


「人間か……」


 俺に視線が集まる。

 議員は皆、文民だ。

 軍人あがりの者は居るが、軍との兼務は認められない。

 戦場以外で人間に会うことはあまり無いため、ここには人間を初めて見る者も居るのだ。

 彼らからは好奇の目が向けられた。


 だが、戦場に出たことが無くとも、自身の集落が戦場になってしまった者たちは居る。

 彼らは当然、攻め寄せる人間の姿を目の当たりにしているのだ。

 そういった者たちからは、敵意を含んだ視線が集まった。


 歯噛みして睨みつけてくる者たちの視線を無視するのも、俺が志すものと違うと感じる。

 だから俺は、そういった者と目が合った際は、黙って目礼した。

 その対応が正解かどうかは分からないが、とにかく彼らと向き合う姿勢を見せなければならないと思ったのだ。


 やがて老齢の議長が入ってきた。

 その横にアルバンも居る。

 それを受けて皆が静かになり、そして話し合いが始まった。


 ◆


「それでは、ロルフ殿を将軍に任命します」


 アルバンが先の戦いにおける俺の働きを説明したうえで、議長が決を採り、俺の将軍就任が決まった。

 先日アルバンが言っていたとおり、既に過半数の同意は取りつけてあったようだ。

 ぱらぱらと拍手が響くなか、俺は起立して頭を下げる。


 併せてこの議決では、軍に対する人間の合流自体が承認された。

 したがってシグの身分にも正当性が与えられたことになる。


「今後も、人間との共闘はあり得るのですか?」


「あり得るだろうな。ほかに友好的な人間が現れたらの話だが」


 決議のなかで、議員とアルバンがこのような会話をしていた。

 俺はその未来に期待している。


 異常個体というものは必ず存在する。

 どんな生物であってもだ。

 俺とシグだけである筈がない。

 新たに友とすべき異端の戦士との邂逅に、思いを馳せるのだった。


「ロルフ、ひとつ意気込みを」


 アルバンの声が、俺を物思いから引き戻す。

 着任の挨拶だ。

 俺は頷き、起立したまま皆に向けて語りかけた。


「新たに将軍を拝命したロルフだ。信任に感謝する。この大役に身が引き締まる思いだ。誠心誠意、務めさせて頂く」


 挨拶はそれだけで済ませるつもりだったが、実際にこの場に来て、俺はもう少し何事かを伝えなければならないような気がしてきた。

 心のうちを言葉にするのは苦手だが、彼らに伝える努力をしなければならない。


「……いま、信を得たが、これは俺を信じてもらうためのチャンスを与えて頂いた、という理解だ。そしてそれを絶対に裏切りたくない」


 議員たちの目が俺に集中している。

 その視線に晒され、俺は常に無く緊張していた。

 責任ある立場を与えられ、所信を述べる。生まれて初めての経験なのだ。


「俺は人間にとっては裏切り者だが、何と言うか……人が殉ずるべきものを裏切れなかったからこそ、ここに居るのだと分かって欲しい。つまり……つまりだ、その……」


 意気込んで語り出したは良いが、上手く言葉が続かない。

 言葉を尽くして自分を理解してもらう。それは人によっては当たり前に出来ていることなのだろう。

 だが俺には出来ていないのだ。


「どうもこういう場では上手く言葉が出てこない。困ったな……。つまり、つまり……」


 俺に突き刺さる幾つもの視線。

 そこに含まれる幾つもの感情。

 それらに晒されながら、俺は意を決した。

 そして上着のボタンを外し、胸元を開く。


「見てくれ」


 胸元を見せながら、更に掌を前にかざし、俺は言った。

 突然の行動に、議員たちが驚く。


「何か違うだろうか。貴方たちと俺は、何か違っているだろうか」


 あえて言えば、色は違う。魔族の肌は薄い褐色だ。

 だが、俺が思うに、それは違いとは言えない。


「何も違わない。同じ世界で、同じように日々を送る存在だ」


 議員たちは、俺の行動の意味が分からず、眉をひそめている。

 彼らの視線を受け止めつつ、俺は続けた。


「であれば、手をたずさえることは出来る筈。ここに秘すものが、同じでさえあれば」


 そう言って、俺は自身の胸を親指で突いた。

 そこにあるものが大きく隔たっていたため、人間と魔族は戦っている。

 だが、その隔たりが無ければ、友となるに何ら支障は無いのだ。


 俺に集まる視線には未だ不信も混ざっているが、少なくとも嘲りは無い。

 皆、傾聴してくれている。


「……要するに俺は、魔族だからとか、人間だからとか、そういう事ではなく、ただ信じるものと守るべきもののために、貴方たちと共に在ることを選ばせて欲しいんだ」


 結局、要領を得ない言い回しになってしまう。

 要するにと言いながら、まるで要約出来ていない。

 ここに居るのは俺と違って弁の立つ者ばかりだろうから、こんな事では呆れられてしまうかもしれないな。


「……上手く伝えられず、申し訳ない。参った……。つまり、つまりその……俺が思うに、この世界に生まれ落ちた者は、皆、権利を持っている。誰にも平穏に日々を生きる権利がある。ある筈なんだ。だから俺は…………それを守るために俺は……!」


 いつの間にか語気が強くなっていた。

 それに気づき皆を見まわすと、彼らはただ静かに俺を見つめている。


 沈黙が少々肌に痛い。

 なんで俺は所信表明で脱いでるんだ?

 気恥ずかしさを誤魔化すように、少し声を低くして続けた。


「……俺は約束した。もう奪わせないと。そのために戦わせて欲しい」


 誰だって理由があって戦っている。

 戦う理由が尊い場合もあれば、くだらない場合もある。

 俺は真に意味ある理由で戦っているつもりだが、彼らの目にはどう映っただろうか。


「……取り留めなく言葉を並び立てるだけになってしまった。何を言っているか分からないかもしれないが、とにかく認めてもらえるよう、行動で示していきたい。以上だ」


 そう締めくくり、再び頭を下げる。

 そこへ拍手が降りそそいだ。

 さっきより、だいぶ大きな拍手だ。

 顔に熱さを感じながら、釦を閉じる俺だった。


 ◆


「ではゴルカ族との交渉は族長に進めて頂きます」


「向こうの族長とは旧知の仲だ。任せてくれ」


 魔族は皆、氏族制を採っている。

 氏族と言っても血縁の維持に労力が割かれることは無く、今日では系譜が辿れぬほどになっている。

 外様の受け入れに規制は無いし、氏族内での結婚も可能だ。

 ごく緩い共同体なのである。


 言ってみれば、魔族の"氏族"は"部族"と読み替えて差し支えない。

 ただ、同じうじの元に在るということが彼らの重要なアイデンティティーになっているのだ。


 いまヴィリ族は、別の氏族と同盟を結ぼうとしている。

 その相手がゴルカ族だ。


 この先、王国との戦いを続けるにあたって、他氏族との連携は必要不可欠となる。

 王都まで攻め上り、王国を倒して戦争を終わらせることが俺たちの目標だが、それには兵力がまったく足りない。

 そのための同盟交渉に関する議決が、いま為されたのだ。

 今日もっとも重要な議題がこれだった。


「ゴルカのドゥシャン族長は、もうヘンセンに着いているんですよね?」


「ああ。昨日到着してる。かねて伝えたとおり、先方も同盟に前向きだ」


 議員の問いにアルバンが答える。

 彼はその権限の範疇において、同盟の話を進められるところまで進めたうえで議会に持ち込んでいた。

 事実上、あとは議会の承認があれば同盟が締結されるというところまで既に来ているのだ。


 議会制では意思決定に時間がかかるのが普通で、王制国家との戦争において、その点は不利に働く筈だった。

 だがアルバンという族長の有能さが、その不利を極小化している。

 彼は疑いなく傑物なのだ。


「それと、交渉にはロルフも同席してもらう」


「ああ、その件は聞いている」


 ゴルカ族からは、族長が代表としてこの地に来ている。

 彼は俺と話したがっているそうだ。俺としては否やは無い。

 だがそこへ、一人の議員が異を唱えた。


「重要な交渉です。新任の将軍……それも人間が同席して良いものでしょうか?」


 声音には俺への不信感が滲んでいる。

 数人が小さく頷くのが見えた。


「先方の希望だ。知ってのとおり、ゴルカ族は武断的な性質が強い。今回の戦勝をもたらしたロルフに興味を持ってるんだよ」


 いくら武断的とは言え、負け戦で同盟を組むわけが無い。勝算が必要だ。

 そして我々には、戦勝という好材料がある。しかも領土の奪取という、極めて大きな戦勝なのだ。

 これにより、ゴルカ族との同盟はスムーズに決まりそうだった。


 だがこれに際し、その戦勝をもたらした者と対話を持ちたい、というリクエストが先方から上がったらしい。

 むろん俺だけがもたらした戦勝ではないのだが、俺をご指名とのことだ。


 その俺に、不安と不信を交えた視線が集まる。

 俺は彼ら一人一人と目を合わせながら言った。


「思うに……人間だからこそ、その覚悟や人品を見定めようとしているのではないだろうか。であれば見てもらうしかない。少なくとも、身命を賭して戦うという意志に偽りは無いつもりだ。だから俺を信じてほしい」


 とにかく正直に思いの丈を語った。

 アルバンが僅かに笑う。


「先方の希望を無下にも出来ません。族長とロルフ殿を信じてみましょう」


 議長がそう結んだ。

 剣だけで強大な王国とは戦えない。

 俺たちは信頼で結びつかなければならないのだ。

 その当たり前の事実を、俺は改めて感じるのだった。

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