02_はじまりの日1
「兄さま、いよいよ明日ですね。緊張してます?」
家族での食事中、フェリシアが声をかけてくる。
「いや、そうでもないよ。なるようにしかならないし」
このロンドシウス王国では、十五歳を迎える年の五月、身分に関わらず殆どの者が教会で儀式に臨む。
神官によって為されるそれは、
この儀式によって、人は魔力を得るのだ。
女神ヨナとの間に魂のつながりを持つことによって、女神から魔力を分け与えられるものとされている。
得られる魔力の量は人によって違う。
そして魔力の多さは栄達に直結する。
だから、神疏の秘奥の直前は誰もが緊張するものらしい。
「ロルフなら心配いらないわ。沢山の魔力を頂いて、騎士団でも活躍するでしょう」
「そうプレッシャーをかけるものではないよ。ロルフは剣も軍略も一級品だ。仮に魔力が高くなくても活躍できるさ」
ニコニコしながら両親がそう言う。
「いいかいロルフ。魔力の多寡は確かに重要だが、それだけにとらわれてはいけない。神疏の秘奥で一番大事なのはヨナ様との間につながりを持つということだ。それを忘れないようにな」
「はい、父上」
応えながら、この王国の人間なら誰もが知っている、神疏の秘奥の成り立ちを思い出す。
◆
それは六百年前、聖者ラクリアメレクが神の啓示を得て知った秘奥。
これを人に施すことで女神ヨナとの間に魂のつながりができ、魔力を与えられる。
ラクリアメレクは心優しい青年で、足の悪い母の世話をしながら、
ある日の昼間、家の前で畑仕事をしている時に、集落が魔族の襲撃を受ける。
足の悪い母を連れて逃げることはできず、ラクリアメレクは鍬を手に必死で魔族を追い払おうとするが、歯が立たず、その身に槍を突き立てられて倒れ伏す。
数時間後、ラクリアメレクは目を覚ました。
彼は自身の命が奇跡的に助かったことを知ったが、同時に幸運が彼にしか与えられなかったことも理解した。
目の前で母が、原型を留めぬほどに切り刻まれていたのだ。
たったひとりの肉親の無残な死を目にしたラクリアメレクは、傷が開いて全身から血が噴き出すほどに慟哭した。
その日から彼は、日々の大半の時間を祈りに費やした。
最低限の糧を得るために畑を世話し、それ以外の時間は大樹の傍で神に祈った。
当時は各地に土着の信仰があるのみで、今日の統一神教であるヨナ教は無かった。
ラクリアメレクも神をよく知らず、何に祈れば良いのか、どう祈れば良いのか分からなかった。
だが母の魂の安寧を祈らずにはいられなかった。
母の向かった先が天国と呼ばれる場所なのか、ほかの何処かなのかよく分からないが、どこであれ、もう傷つく必要のない安らぎを得て欲しかった。
そして魔族と戦う力を、悲しみを繰り返させない力を希求せずにはいられなかった。
なんの落ち度もない、平和に暮らしているだけの人々を突如蹂躙する理不尽に抗うにはどうすれば良いのか、その術を知りたかった。
それで、知る限り最も立派な大樹を神に見立てて毎日祈り続けたのだ。
祈るぐらいなら戦う力を身に付ければ良いものを、などと
人と魔族の力の差はあまりに明らかで、人が鍛えて戦えるようなものではなかったのだ。
だからラクリアメレクに出来るのは祈ることだけだった。
穏やかなものであるはずの祈りという行為だが、彼のそれは苛烈だった。
雪が降り積もる日も、嵐が吹き荒ぶ日も、
畑に出る日は最小限になっていき、彼の人生は祈るための人生となった。
飲まず食わず眠らずで何日も祈り続けるその姿は、聖者と呼ぶにはあまりにも鬼気迫るものであったと伝えられている。
そしてある日、ラクリアメレクは遂に天啓を得る。
脳裏に、途切れ途切れではあるが、どこまでも暖かく、そして力強い声を聞いたのだ。
「・・・聞・・・ますか? ・・・聞こえますか?」
ラクリアメレクは、声が神のものであることをすぐに理解した。
何故なのかは分からないが、それが神の声であると確信できたのだった。
「優しくて、そしてそれ故に祈り続ける人よ・・・。女神ヨナの名において、あなたに秘奥を授けます」
ラクリアメレクは何かがその身に流れ込むのを感じた。
そして女神との間に絆を作る術を知ることとなった。
それこそが女神の言う秘奥であったのだ。
「どうか、これを人々に伝えてください。そして・・・邪に・・・立ち向かって・・・」
声が段々と遠くなっていく。
「人よ・・・どうかあなた方の力で、本来の世界を取り戻して・・・・・・・」
神の声が消えると、ラクリアメレクは大樹の下、ゆっくりと立ち上がった。
神の声はどこか母の声に似ていたような気がした。
◆
それからラクリアメレクは各地を巡り、人々に秘奥を施した。
魔力を得た人々は、その力で魔法を行使し、魔族から家族を守り、生活を守った。
人々はラクリアメレクに深く感謝し、地位や財を差し出そうとしたが、彼はそのすべてを固辞した。
感謝されるべきは女神ヨナであり、自分は神と人とを仲立ちしたに過ぎない、と彼は言ったのだ。
そしてラクリアメレクが没した後、彼と女神ヨナを愛する者たちはヨナ教を作った。
女神ヨナとの間につながりを作る秘奥はしっかりと伝えられ、ヨナ教の神官たちがそれを人々に施し続けた。
秘奥は、神疏の秘奥と呼ばれるようになっていた。
ヨナ教の神官たちは、魂に神とのつながりを通す際の負荷を考慮し、神疏の秘奥を授けるのは十五歳になってからと定めた。
そして各地で秘奥を施し、人々に力を与え続けた。
魔族に対する人々の反攻は次第に組織化していき、都市が作られ、国が作られた。
特にラクリアメレクの生地に興ったロンドシウス王国は、人類圏最大の国となった。
そして今日に至るのだ。
◆
明日、俺は神疏の秘奥を受ける。
そして魔力を得る。魔族と戦う力を。
魔族。
人に仇なす存在。
生まれつき強い魔力を持つ者たち。
魔力を持たない時代、人は魔族に蹂躙されるのみだったと言われている。
だが、六百年前に聖者ラクリアメレクを通して魔力を与えられて以降、人は魔族と戦い続けているのだ。
ロンドシウス王国では、神疏の秘奥を受けた者は皆、騎士団への入団資格を得る。
特に貴族の多くは、秘奥を受けてすぐに入団する。
魔族と戦う人間たちが組織を為し、やがて興ったのがこのロンドシウス王国だ。
したがって王国の貴族にとって、魔族と戦うことは義務なのだ。
俺とエミリーも騎士団に入団することが決まっている。
もっとも貴族の子女が死地に赴くことは殆どない。
騎士団に数年在籍し、騎士の叙任を受けて少しの従軍経験を得たら領地へ戻るのだ。
要するに騎士団へはキャリアを作るために行くのである。
でも俺の思いは違っていた。
物心ついたころから騎士物語が大好きで、ずっと騎士になるのが夢だった。
誰より剣を振ってきたのはそのためだ。
いずれ領地を治めることになるが、幸い父はまだまだ壮健だ。
騎士になりたい。
そしてできるだけ長く、騎士でいたい。
エミリーを蔑ろにするつもりはない。家を継ぐ前に結婚するつもりだ。実際、騎士団在籍中に結婚する貴族は居るらしい。
そして騎士として誇れる自分になったら領地に戻る。
それが俺の願いだった。
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