煤まみれの騎士

美浜ヨシヒコ

第一部

01_追憶

 鈴蘭。

 一面の鈴蘭。

 鈴なりに咲く小さな花が、白い絨毯を作っている。


 俺は剣を向けられていることを忘れ、花に見入る。


 昔からこの花が好きだ。

 咲き誇る、という風情はないが、一様に俯きながらも確かな存在感を示すこの花に、言葉にし難い美しさを感じるのだ。


 目を前にやると、俺に向けられた剣先が小さく震えていた。

 隔絶した力の差が分かっているのだろう。


 震える剣を無視し、俺はまた鈴蘭に目を向ける。

 たしか鉢植えにも向いているんだったな。

 一株、鉢に取って持ち帰ってみようか。


 真っ黒な剣を差した大男が、胸に白い花の鉢を抱いて帰る。

 あいつは似合わないと言って笑うだろう。

 その顔を見たい。


 戦場に場違いなことを考えながら、改めて辺りを見まわす。

 そういえば、あの日もこの丘で、鈴蘭に囲まれていた。


 ◆


「信じられないよ! ロルフは本当にすごいね!」


 俺に向けた青い目を大きく開いて騒ぎ立てるエミリー。

 鈴蘭の丘で、亜麻色の髪に太陽の光を受けながら、整った顔立ちに満面の笑みを浮かべている。


「いや、まあ、運が良かったんだよ。それにシモンさんは本気じゃなかったし」


 エミリーの勢いに少し気圧されながら答える。

 俺は今日、剣の稽古で、指南役の大人と試合をして勝ったのだ。


 俺は十五歳で大人と同じぐらい体が大きく、腕力の面でハンデはない。

 だが技術面では指南役に勝てるわけもなく、運と相手の手加減があったからたまたま勝てただけだ。


「それでもすごいよ! シモンさんは第一騎士団で部隊長だった人だよ?」


 ぴょこぴょこと跳ねるエミリー。

 この幼馴染みは、俺のことをいつも自分のことのように喜んでくれる。


 エミリーはメルネス男爵家の長女だ。

 メルネス家は領地を持たない小貴族で、彼女はバックマン家への輿入れが決まっている。

 バックマン家はメルネス家と同じ男爵家だが、この地の領主で俺の実家だ。


 つまりエミリーは俺の婚約者ということになる。


「えへへ! 私も鼻が高いよ! 私の大好きな未来の旦那様がこんなに強くて!」


 エミリーはこういう女の子だ。

 好意をまっすぐに示してくれる。

 対して俺はどうにも気恥ずかしくなってしまう。


「えーと・・・ありがとう」


 なんとも簡素な返事になってしまった。

 エミリーの与えてくれる好意に、俺もきちんと向き合おうと思ってるんだけど、いつも上手く言葉が出てこない。


 エミリーも俺と同じ十五歳。

 貴族の習いとは言え、伴侶を定められていることに拒否感があっても良さそうなものだ。

 それなのにエミリーは相手が俺で良かったと言ってくれる。


 そのことに俺が感謝してるってことを、本当はちゃんと伝えなきゃいけないんだろう。

 そうじゃなきゃ失礼だ。

 でも、それが上手くできない。


 我ながら不甲斐ない。

 俺のどこが神童なんだよって思う。


 そう、ロルフ・バックマンは神童だなんて言われてる。

 知勇ともに大いに優れる・・・らしい。


 でも俺が思うに、少なくとも勇は怪しい。

 勇敢な男なら、この場面で「俺もエミリーの笑顔を一番近くで見られる特権を皆に自慢したいよ」ぐらいのことを言ってのけるんじゃないのか。


 エミリーに見つめられながらそんなことを考えていると、後ろから声をかけられる。


「兄さま」


「フェリシア、どうした?」


 長い黒髪の少女。

 妹のフェリシア・バックマンだ。


 俺は髪も瞳も真っ黒だが、フェリシアの瞳は赤い。

 その赤がすごく綺麗で、顔立ちもエミリーに負けず劣らず美しい。

 我が妹ながら、かなりの器量よしだ。


「ベリーパイを焼きました。兄さまの戦勝祝い。はい、エミリー姉さんも」


「フェリシア! ナイス!」


 俺たちのとなりに座ってバスケットからパイを取り出し、手際よく切り分けるフェリシア。

 エミリーが目を輝かせている。


「俺の戦勝祝い?」


「シモンさんに勝ったでしょ? 目の覚めるような上段斬りだったって、みんな言ってますよ」


「ああ、ありがとう」


 大げさだろう、とは言わないでおく。

 なにせフェリシアは俺が何かするたびにお菓子を焼くのだ。


 この間は、紋章学の本の記述誤りを指摘して家庭教師をひどく驚かせた記念だとかでゴーフルを焼いてくれた。

 あれも旨かったな。でもこのベリーパイはそれ以上、まさに絶品だ。


「旨いよフェリシア。香りがすごく良い」


「ほんと、おいしい!」


「スタッフェン産のラム酒を使ってるんです。パイにはこれが一番良いんですって。オーラさんが教えてくれたの」


 オーラさんというのはうちのコックだ。

 フェリシアはお菓子作りでしょっちゅう厨房を使うので、メイドやコックとすっかり仲が良くなっている。


「いや本当に旨い。もうひと切れもらえる?」


「私も!」


「ふふ、気に入ってもらえて良かったです。はいどうぞ。紅茶もありますからね」


 鈴蘭の丘に暖かい風が吹く。

 三人が肩をくっつけて並んで座り、パイの甘酸っぱさに顔を綻ばせ、他愛のない話に笑いあう。


「兄さま、また何かお話してくださいませんか?」


「えーと、それじゃ最近読んだ本から、騎士装備に用いられる重金属の比重について」


「も、もう少し楽しそうな本からお願いできないかな」


 一面を白く彩る鈴蘭。

 俺たちを優しく照らす陽光。


「うーん・・・あ、そうだ。南方の旅行記に載ってた、珍しい動物の話は?」


「それ! そういうのでお願い!」


「うん。あのね、南方には河馬っていう動物がいて・・・」


 これが、俺の記憶にある、幸福な子供時代の最後の日の光景だった。

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