第2話私の生い立ち
昭和47年夏のある日、私は産まれた
父は、私を見るなり汚物でも見たような
何ともいやーな目で、睨み付けながら
母に向かって「なんな、また女か、役立たず嫁が」
と、そのまんまフラッと病院を出て、飲みに行ってしまったらしい。
姉はその間、母方の祖父母に預けてたとの事
これは、母方の祖父母から聞いた話だったんだよね。
その後に二人の妹が、産まれたが
何故か毒親二人は私を目の敵にしていた
お風呂の無い、ぼろぼろの借家住まい
近くに住んでる母方の伯母さんちに
貰い風呂しに行ってた、物凄く子供心にも
気がねしてたし、母方の伯母は
子供が無かったんですが、姉が可愛くて
私たち下の三人は居ないもの扱いされてて
結局、お風呂も遠慮がちになってたっけ
来るな!と露骨に言われたしね
食べるのも困るほど貧乏だったから
銭湯なんて、親子六人では毎日行けなかったしね。
母方の伯母と同居してた、母方の祖父母も中々に香ばしい人達で、「銭湯やったら、銭払わないと風呂入れんけんて、うちに、只で貰い風呂に来て、ド厚かましい、これからお前ら子供からでもカネをムシリとるけんなぁ!お前のカカアも親父も、ロクデナシの癖に、鮭が産卵するみたいにぼろぼろと余計なガキばかり産みやがって!」
たかだか幼稚園児や小学生に、どうしろと?
仕方なく、私は、家に歩いて帰り、毒親が寝てから、ヤカンでお湯を沸かして、家の裏で頭を洗っていた、散髪も、お金が無くて、髪の毛も伸ばし放しだった、勿論頭の洗い方なんて教えて貰って無かったから、髪の毛は縺れて鳥の巣
頭は臭かったと思う。
自分でお湯を沸かして、髪の毛を洗っていた頃は小学校4年生だったと記憶してる
何故か毒祖父母や毒伯母は
生活が苦しいならと、姉を三年間
すぐしたの妹を三年間育てていた
一番したの毒妹と私は除け者扱いされてて
姉とすぐ下の妹には何でも買い与えていた
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