第91話 くい改める
「さて、あなたにはくいを改めて貰いましょうか」
敷地に埋まっている杭を引き抜き、そこに新たな杭を埋め直す。ようやく見つけたアルバイトは、そのような奇妙な内容だった。とはいえ奇妙な内容であったとしても仕事として見つかったのだから文句は言えまい。ただでさえ、ここ数年は色々あってアルバイト自体もままならぬ所だったのだから。
面接官にして現場監督も兼ねているらしい男は、揉み手で俺に囁いた。
「何分単純な仕事なのですが、どうにもいつくヒトが少なくて困っていた所なのですよ……あなたのようなお若い人が来てくれて、実に嬉しい所です」
離職率が高いなどと言う事を、入ろうかどうか悩んでいる相手に行う物なのだろうか。多少呆れはしたものの、結局気にしない事にした。
こちらとて日銭を稼ぐためと割り切っているのだ。余程のパワハラやら何やらがあれば話は別だが、黙々と仕事をこなすだけだ。そんな風に思っていた。
作業員は自分の他に二、三人ばかりいた。いずれも男性で、年齢層はまちまちだった。二十四の自分と同い年ぐらいの人もいれば、年長の人もいる。
肉体労働であるから皆ある程度筋肉は発達していた。しかし彼らからは精悍な気配は感じられない。妙におどおどし、何かに怯えているかのようだった。
自分と同年代と思しき青年がふらりと近づき、肩を叩く。若者であるはずなのに覇気のない仕草と表情だった。
「あんたもこのバイトを選んでしまったのか……ご愁傷様だな」
何がご愁傷様なんだよ。そう思って問いかけたものの、件の若者はすぐに解ると曖昧に微笑むだけだった。その時だけ妙に元気な様子を見せていたのがまたしても気になって仕方がない。
だがそれでも、地面に並ぶ杭を引き抜く時は顔をこわばらせていた。晩秋であるはずなのに脂汗さえ浮かべていた。
自分も杭を引き抜く段となった。大人の握り拳ほどの太さのそれは、軍手をした両手で易々と掴む事が出来た。意外にも手ごたえは無く、まるで豆腐に刺さった箸を引き抜くかのような軽さだった。
しかしだからこそ疑問が浮かぶ。何故彼らはあそこまで怯え切っていたのだろうか、と。
そうしているうちに、脳内にあるイメージが浮かんできた。杭を掴む手が震え、喉の奥がぐっと狭く苦しくなっていくのを感じる。全て唐突に浮かんできたイメージのせいだ。そのイメージは昔日の過去だった。幼き日の過ち。法には反せずとも道理にもとる小さな悪事。隠しておきたい出来事……普段は見て見ぬふりをしていた出来事が、脳細胞の奥から吹き上げてきて、イメージとして彼の心を覆い始めていた。
くいを改めるとは、おのれの悔いを改める事だったらしい。
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