第35話 磯のマニア
今はしがないサラリーマンである小坂智彦であるが、元々彼は生物学者を目指すほど生物学に入れ込んでいた。
生物学者への道を放棄したのは、彼が大学三年の時に目の当たりにした奇妙な出来事の為であった。
大学三年の夏休み、智彦は臨海実習に参加していた。開催時期から解るように臨海実習そのものの参加は任意である。しかし、生物学者になると意気込んでいた智彦は、さも当然のようにこの実習を選択していた。
六泊七日のスケジュールのうち、二日目の昼は、磯の生物を捕獲する事になっていた。そこで捕まえられた生物が後々の観察対象になるのは言うまでもない。
無論当初のうち、智彦はこの生物捕獲にかなり乗り気だった。他の学生よりも幾分子供っぽい所があったのもそれに拍車をかけていたのかもしれない。ともあれ彼は生物捕獲のための準備を整え、磯場に向かっていたのだった。
日本のエーゲ海とも呼ばれる程の碧さを誇るという海も、沖近くの磯部は他の磯部と同じような光景が広がっていた。とはいえ智彦は観光に来たのではなくて生物捕獲に出向いているのだ。藻が揺らめき、アマモが茂る磯を見渡してから、智彦は軽く装備を整えて海へと潜った。智彦はガチ勢だった。他の学生たちは潜る事など考えずにかがんで貝や動きの鈍いカニを拾ったり網でさらったりしているだけであるが、そんなのは遊びに過ぎないと智彦は思ってしまった。
※
潜るだけならばなんだし、という事で智彦は気付けば少し泳いで進んでいた。本当は潜りながら生物を探して捕獲するつもりだったが、中々捕まえられなかったから泳いでしまったのは内緒だ。
だがそんな事は今はどうでも良い。学生や監督している教授から若干離れた所に来てしまったが、智彦はとうとう穴場を発見した。
少し潜った先にある海底の、一畳にも満たぬ面積の部分には、様々な海の生物が集結していたのだ。ナマコやヒトデ、アナジャコに魚の影もチラホラと見えた。しかも逃げようとしない。絶好の捕獲場所だと智彦は思った。
すぐに逃げ出せないナマコやヒトデを回収しているうちに、生物たちが集まっている個所の土台が一部あらわになった。生白い何かだった。
「……っ!」
ふいに魚やアナジャコが散り、それを目の当たりにした智彦は叫びそうになった。先程あらわになっていた生白いものは腕であり、今あらわになったのは顔だったのだ。海底に沈んだ白い面は目を伏せ、明らかに生きている者の気配ではない。だというのに、そ何時と目が合った。
※
それから先の事は智彦もよく覚えていない。先の穴場で見つけた生物は都度バケツに放り込んでいたはずなのに、覗き込んでみればバケツの中は殆どからだった。
ずっと後で解った事なのだが、二十年近く前に臨海実習で水死した学生がいたという。智彦以上に勉強熱心だったのだが、その熱心さが仇となったのだそうだ。
骸はもちろんとうに回収されているが、時々ああして視える輩が出てくるらしい。
智彦は生き残ったが、研究熱心で生物学者を目指していた彼は、あの日死んでしまったのかもしれなかった。
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