第36話 むく毛の餓狼

 ハッコク通りと呼ばれる道は、白い地面がさも立派そうな雰囲気を醸し出しているのに、現地の人間が通る事はあまりなかった。曰く、恐ろしい化け物が特に夜になると出没すると彼らは信じていたらしい。

 仕事帰り――もちろん残業後だ――の夜、そのハッコク通りを通ろうとしている若者がいた。彼は就職してから二年ばかり本社で研修と業務を重ねてきていたのだが、数か月前に人員配置等々の兼ね合いでこの町にある事業所に配属された次第だ。従って外から訪れたよそ者であり、この町のあれこれについてはまだそう詳しくはなかった。

 だからこそ、特に気負う事なくハッコク通りを通りだしていたのだ。深い意味はない。単に他の道よりもアパートへ近道になる。ただそれだけの事だ。


「おや……」


 異変に気付いたのは、ハッコク通りに入ってすぐの事だった。申し訳程度に街灯が通りを照らす中、足許に何かがすり寄って来るのを感じたのだ。

 すり寄ってきたのは仔犬か仔猫のようだった。明るい褐色のフワフワとした毛と、ヨチヨチとした歩き方が特徴的だった。身体に比して大きめの頭は丸く、耳も完全に立ち上がっていない。つぶらな瞳と何かを訴えかけるように開いた口許が、その生物の愛らしさに拍車をかけていた。


「どうしたんでちゅか、可愛いおチビちゃんたち」


 若者は当然、この生物たちの愛らしさに相好を崩した。ヒトを含め、仔を育てる動物の中には、仔に見える顔つき身体つきの存在の者を、無条件に可愛いと思う本能が働くのだ。またそうでなくとも、若者は犬とか猫とかのフワフワモフモフが好きだった。

 さてくだんの生物は、一匹ではなく複数で集まっていた。目的をもってたむろしているとは若者は思わなかった。そう言う行動をするには、その生物はあまりにも幼すぎるように見えたのだ。要するに、心無い何者かによって棄てられたのだと判断したのである。


「かわいそうに……おじちゃんのところに来るかい?」


 生物の一匹は小首をかしげるだけだった。足許に別の生物がすり寄って来るのを感じていた。くるぶしからふくらはぎのあたりに、暖かな物が触れている感覚があった。近付いている生物のぬくもりなのだと若者は思い、ひどく幸せな気分に浸っていた。

 フワフワの、仔犬のような生物たちはさらに集まってきている。ああひどい事をする手合いがいるんだな。若者はいつの間にか膝をついていた。生物のフワフワした毛並みと心地よい暖かさのダブルコンボで眠気を催したらしい。残業がきつかったからな……視界がだんだんと暗くなっているにも関わらず、フワフワに骨抜きにされた若者は、のんきにそんな事を思いながらついに地面に横たわった。

 暖かく柔らかな、心地よい感触は今や足だけではなく腹や胸、喉元にまで広がっていた――



『――妖怪は生物である。何故なら彼らは環境に応じて姿を変え、我々と同じように変化した形質を伝えるからである。

 ○○市××町に伝わる妖獣すねこすりは、先祖である獰猛で邪悪な送り狼としての性質を多分に受け継いでいる。彼らは今もなお人間を狩り、その肉を牙で裂き、魂をすするのだ。しかし彼らが真に恐ろしいのは、人肉と人魂を喰らうからではない。

――彼らは先祖より伝わっている恐ろしく悍ましい姿を捨て去り、より無害で愛らしい、庇護欲をそそるような姿で登場する事を覚えたからだ。これにより、彼らは勇猛だった先祖よりも効率よく狩りを成功させる事が出来るようになったのだ。(中略)ゆえにこのすねこすりが出没する通りを白骨通りと呼んでいたが、いつの頃からか名前が変わり、ハッコク通りになってしまったのである。

       出典:あっぱれ! 現代妖怪潭  著者:島崎幸四郎(民俗学者)』

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