第27話 接待感想文

 鳥坂幸助が暮らすマンションの一室には、春から妹の明美が転がり込んできていた。

 別に明美は家出してきたわけではない。春に大学生になったのだが、大学が実家から通うには遠すぎたただけだ。丁度幸助が暮らしているマンションが大学から近い所にあるという事で、ちょっとした荷物を携えてやって来た次第である。アパートにしろマンションにしろ部屋を借りる費用を浮かせるためにやって来た妹を、幸助は兄として受け入れるほかなかった。彼女の行動は、両親も容認どころか推奨している事を知っていたからだ。

 多少はバタバタした春を迎えた二人だが、ゴールデンウィークの手前で色々な事が落ち着いた。二人で暮らすためのルール作りが設けられたが、元々兄妹という事もありさほどもめる事無く二人の分担は決まった。家賃は兄である幸助が全額支払い、家事の類は二人で分担する事となったのである。妹の明美は「私も家賃は一部出すけど」と言ってくれたのだが、幸助がそれを押しとどめた形になっていたのだ。


 そういうやり取りがあったからなのかどうかは不明であるが、明美は二つのアルバイトを掛け持ちする事になった。一つは本屋の店員とまぁごくごくありふれた内容である。幸助も妹が読書好きである事は知っていたから特に問題はない。

 問題というか、気になるのはもう一つの方だ。アップされているウェブ小説に有償で感想を書いて依頼主に送付するという仕事内容であるらしい。これは明美自身が教えてくれた事だった。確か幸助がウェブ作家をやっている事を知っていたから、軽い気持ちで教えてくれたのだろう。ユーザー同士の交流盛んなヨモカコで活動していても感想がつかない事は珍しくない。そんな折にちょっとしたポケットマネーにて感想を募る事が出来るのだ。私以外にも何人かいるし考えてみたら? あの時明美は、全くもって親切心でそう言ってくれたのだと幸助は思っている。幸助がどんな名義でどんな小説をアップしているか、さすがに妹の明美も知らないはずだ。しかし文学青年であった幸助が、画面の向こうにいる衆愚におもねる内容を垂れ流している訳ではない事は薄々見抜いていたのかもしれない。

 とはいえ、兄として心配だったのは妹がどういう相手とウェブ上でやり取りをしていたかである。単なる感想のやり取りであれば、掲示板や投稿サイトの中でやり取りは完結するだろう。しかし現金が発生するという事だから少し複雑な話になる。


「別に心配し過ぎよ、兄さん」


 老婆心を起こして問いただすと、明美は呆れたようにため息をついた。


「お金をもらっているって言っても、ほとんどのクライアントとは一回きりの間柄だもの。感想を書いて、お金をもらって、頑張ってくださいって事でもう終わりよ」


 それに今は「紅孔雀」と名乗る一人の作家の感想依頼にかかりきりなのだと、明美は何故か得意げな調子で言い添えた。


「紅孔雀さんはリピーターなのよ。感想依頼の業界って読む文字数で金額が決まってて、あの人の悪役令嬢ものは二十五万字もあるから、依頼回数も報酬もかさんでいるの。

 あの人はヨモカコでの読み合いに中々馴染めなくて気の毒だなって個人的にも思うしね。お話自体は、純粋な主人公が世界を救うために頑張る話だし……」


 よくよく聞いてみると、その紅孔雀は女性作家、それも二十年前にはウェブ小説の界隈で人気の作家だったそうだ。見知らぬ相手と繰り返しやり取りをしているという所は引っかかったが、まぁ大丈夫であろうと幸助は思う事にした。読み合いが中々成立しない事は幸助も知っていたし、何より妹も生き生きと仕事に取り掛かっているように思えたからだ。



 明美が担っている感想依頼の仕事について、幸助が疑問を抱き始めたのは六月の半ばの頃だった。妹が明らかに疲れ切った様子を見せ始めたからだ。

 根気よく問いただしてみると、疲れの原因は感想依頼の仕事である事が判明したのだ。明美は小説を読み、紅孔雀が喜びそうな感想を提出していた。それが彼女の精神力と気力を摩耗させていたのだ。


「そりゃあしんどいだろうねぇ、売りに出すための感想を書かないといけないんだから」


 事情を聴いた幸助の言葉に、明美は苦笑いしながら頷いた。


「こんな事を言うと紅孔雀さんに良くないんだけどね。あの小説何か気持ち悪いのよ。優秀な、偏差値の高い女の子向けって言っておきながら、その、女の子が読むにはハードな内容があるし、諸悪の根源は罰せられずにのうのうと過ごしているし……大切なクライアントの仕事だから、そんな事を言ったら駄目なんだけど」

「いやいや、そこまでして読む必要は無いと思うんだ」


 幸助は半ば叫んでいたが、明美の眼に怯えの色が浮かんだのを見て一瞬ひるんだ。


「……そうだ。代わりに僕がその作品を読んで、感想文を提供しようか。明美は僕が作った文章を自分の書いた文章らしく加工して紅孔雀に送れば良いんじゃないかな」


 こんな事をして良いのかどうかは解らない。しかし明美はお願いするように頷いた。



 提供されている紅孔雀の小説を読んだ幸助は、しょぼしょぼする目を瞬かせながら軽くため息をついた。小説好きな明美が疲れ果てるのも無理のない話だと思ったのである。

 文体自体はむしろウェブ小説の様式に馴染み、ページごとの文字数も少ないので読みやすい部類に入る。多少稚拙な表現であるように思えたが、その事はまぁ良いだろう。

 問題は内容であった。一見すれば悲劇に見舞われつつも運命や神々に抗い奮起する二人の物語に見えなくもない。だが紅孔雀の狙っているターゲット層が読むには適切な内容とは思えないのだ。違和感を文字にするのは難しいが、そこはかとない悪意のような物が見え隠れしている気がしたのである。或いはもしかすると、ヘビーな展開であるからそう思えたのかもしれない。

 これはどうしたものか。そう思った幸助は紅孔雀のページに飛んだ。見ればエッセイの類も掲載されている。何か手掛かりになるのかもしれないと思い、迷わずエッセイのボタンを押した……


 結局、明美は紅孔雀の感想依頼の仕事から手を引く事になった。それもこれも幸助の動きが大きく関与していた。本性剥き出しの紅孔雀のエッセイを見た二人は、この作家がヨモカコで巧く読み合いのコミュニティを構築出来ぬ理由をはっきりと悟ったのだ。

 理由についてはクドクドと書く必要は無かろう。読み合った作品のレビューと称し、自作エッセイの中でその作品を散々こき下ろし、ついで自作を称揚するような宣伝を一緒に掲載する。それだけでも作者の心性は解るであろう。


「この人、接待物書きを激しく糾弾していたけれど、チヤホヤされる感想を求めていたこの人自身が接待を欲していたのね」


 乾いた声で告げる明美は、憑き物が落ちたかのようなすっきりとした表情だった。


 この紅孔雀なる人物がその後どのような活躍を果たしたのか、幸助も明美も知らない。

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