怪奇百景

斑猫

第1話 ひとつになる

 僕が姉さんの暮らすマンションに出向いたのは、失恋して落ち込んでいないか心配だったからだ。失恋と言うにはいささか刺激が強すぎたのかもしれない。結婚するかもしれないと思っていた彼氏からの手ひどい裏切りを受けた姉さんの落ち込みようは受話器からもありありと感じ取れたのだ。

 もしかしたら物騒な事でも起きるかもしれない――そんな不安があったからこそ、僕は週末を一日潰し、姉さんを励まそうと思ったのだ。


「あら、久しぶりね」


 そんな弟の不安をよそに、姉さんは思っていた以上に元気そうだった。肌艶も良いし頬もチークを塗ったように紅潮している。それに前会った時よりも幾分若返っているように感じられた。

 僕は面食らったような気分で姉さんを見つめていた。姉さんには悪いけれど、ここまで元気だとは思っていなかった。いやもしかすると、弟に心配をかけないように、元気そうに振舞っているだけなのか?


「姉さん大丈夫なの。カレシの事とか……」

「それはもう大丈夫。あの人はもう未来永劫私を裏切らないわ。あの人と一つになれる方法も解ったし」


 いいよどむ僕に対して姉さんはきっぱりと答えた。


「それよりも、一緒に食事をしましょ。丁度良いお肉がたくさん入ったから、奮発して色々料理をしたの。私ひとりで食べるにはちょっと多いし、あなたもお肉は好きでしょう?」

「彼氏と一緒に食べないの?」

「あの人はもうかえったの」

「…………?」


 姉さんが一瞬意味深な表情を浮かべた気がしたが、僕は結局ご相伴にあずかる事にした。姉さんの言う通り、僕はお肉と聞いて喉を鳴らしたしお腹も鳴っていた。



 言葉通り、姉さんと僕の晩餐は肉尽くしの贅沢なものだった。デザートにパイがあると思ったら、それさえもミートパイという始末である。姉さんは少しずつゆっくりと味わうように食べていた。それに対し僕は多くの肉にがっついていた。胃もたれとは無縁だった。やっぱり若さって素敵だ。

 姉さんはワイングラスに赤黒いお酒を注ぎ、ゆっくりと舐めるように飲んでいた。珍しいお酒だと言っていたけれど、何となく生臭いような、乳臭いような香りが漂っている。姉さんは折角だからと勧めてくれたけれど。

 

「これさ、何のお肉なの?」


 ミートパイをあらかた平らげた僕は姉さんに尋ねてみた。味付けが独特だからなのかもしれないけれど、今まで食べたお肉とは違う味わいのように思えたのだ。

 姉さんはちょっと驚いたように目をしばたたかせ、それから少し歯切れ悪そうに応じた。


「ええと……羊の肉ね」

「羊肉か。確かにあんまり食べ慣れてないかも」

「でも癖もなくて美味しいでしょ。脂肪も少なくて肉質も良いのよね。まだまだたくさんあるからしばらくご馳走が続くわね。でもそうなると肥っちゃうわ、私」

「何なら少し持って帰ろうか?」

「今日はちょっとマズいかな。調理したところ以外は塊のまんまだし……また明日の夕方にでもおいで。ミンチを用意しておくから」


 

 帰り道、駅まで歩きながら僕は商店街の風景をぼんやりと眺めていた。満腹になって頭の中はぼんやりしていたけれど、歩くにつれて血の巡りが良くなって、脳内で考えがあれこれと浮かんでは消えていく。

 羊肉。一つになる。かえった。塊のまま……ちらと見えた羊料理の看板を引き金に、姉さんの言動がぐるぐると渦を巻き、一つの結論が僕の脳裏をかすめる。

――そんな、まさか……

 僕はもう歩くのを止めていた。胃の腑が腐り落ちるような猛烈な吐き気を感じながら。

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