オペレーションO
夢綺羅めるへん
オペレーションO
「桃音まだか? もう学校いくぞー」
革靴を履きながら家の中へ声をかける。
「ちょっと待ってー! 今行く、今行くから!」
ドタバタと音を立てながら声の主が姿を表した。
シワ一つないセーラー服を着て、鞄を肩から提げ、両手にクロワッサンを装備した桃音はローファーを急いで履くとにぱっと笑った。
「お待たせ、お兄!」
食べ物に目がなかったり、この歳になって未だに兄の俺にべったりであったりと色々思うところもある。だがそんなところも含めて可愛い、俺の自慢の妹だ。
「ああ、行こうか」
玄関を開けると日光が眩しくて気持ちいい、いつも通りの一日が今日も始まる。
*
「桃音、食べ歩きは行儀悪いぞ」
俺の腕にもたれかかりながらクロワッサンを頬張る桃音を嗜める。
「らって、おひいが……」
桃音は一度喋るのをやめて口の中のものを片付けると言い直した。
「お兄がいつも朝早いんだもん、ゆっくりご飯も食べてらんないよ」
「それは桃音が俺と同じ時間に登校したいって言うからだろ?」
「そうだけどさぁ」
毎朝恒例のやり取りを交わしていると俺と同じ制服を来た男子二人組がこちらに手を振っているのに気がついた。
「要先輩おはようございます!」
「会長お疲れ様です! 桃音ちゃんもおはよう!」
元気な挨拶に俺たち兄妹は笑顔で手を振り返した。
運動も勉強も人並みだが、昔から友達は多かった。学年が上がり生徒会長を決める会議でそれなりに持ち上げられ、それなりに人望があったのでそれなりに票が集まり、晴れてそれなりの生徒会長になった。
「要先輩、いかにも量産型って感じよね」
「まあそうだけど桃音ちゃんと同じで顔はいいからねえ」
「そのせいで量産型マッシュも似合ってるのがなんかもやっとするわ」
「いいんじゃない? いかにも普通って感じでさ。だからみんな気兼ねなく話せるのよ、きっと」
後ろから女子二人の会話が聞こえてきて嬉しいよいなそうでもないような微妙な気分になる。しかしどんな形であれみんながなんとなく俺のことを認識してくれているからこそ生徒会長として活動していられるのだ。
右手は桃音に占領されているので左手を挨拶代わりにひらひらと振った。
桜の木が植えられた坂道を登ると校門が出迎えてくれる。たくさんの生徒と挨拶を交わしながら下駄箱へと向かった。
「じゃあ一日頑張ろうな、桃音。今日は生徒会の活動があるから夕飯お願いできるか?」
桃音は名残惜しそうに腕から離れると答えた。
「はあい、お兄も頑張ってね」
「おう」
にっこり笑ってみせる。空を見上げると桜の花びらが風に乗って流れていくのが見えた、いい一日になりそうだ。
下校のベルが鳴り響く教室に小さな影が一つ。周りに人がいないことを確認すると、桃音は机に置いた鞄から布の入ったジップロックを取り出した。
ゴクリと固唾を飲みながら真剣な顔で慎重に封を開ける。
「ふぅぅぅぅ……い、いただきます……!」
大きく息を吐いて覚悟を決めるとジップロックに顔を埋めて思い切り息を吸い込んだ。
布の放つ香りは鼻から肺や脳に染み渡り、やがて全身を巡る。頭が幸福感で満たされ快感と愉悦に膝がガクガク震える。
警察官に見られでもしようものならその場でお縄にかけられそうな状態だが、ジップロックの中の布は粉物を包むためのものではない。
「あぁ……お兄の使用済みシャツ最ッ高……トびそう……」
布の正体は要が昨日つけていた下着だ。毎日の洗濯を任されている桃音はいつも要の下着をくすねると丁寧に保存して学校に持ち込んでいるのだった。要と会えない間の『お兄摂取』の為に。
「はあ、満足した。今日も上だけでいっか」
一通り下着の香りを堪能すると封を閉じて鞄に戻す。一応下も持ってきているのだが下を嗅いだことはない。
上だけでも十分トびかけているのに下を嗅いでしまったらどうなってしまうだろうか、興味はあるが試す勇気はなかった。
「さて、摂取も済ませたし」
髪を纏めているシュシュを引き抜いて右手首にはめる。頭を左右に振ると纏まっていた髪が解けて肩にふわりとかかった。
「始めるわよ、オペレーションO!」
真っ直ぐ前を見据える桃音に普段の天然で可愛らしい雰囲気はなく、冷酷に目的を遂行する女スパイやくノ一のような鋭い雰囲気に満ちていた。
お兄は昔からよくモテた。親譲りの甘いマスクに誰にでも優しい性格、これで運動神経抜群だとか勉強ができる秀才天才の類であれば高嶺の花の出来上がりだ。しかしお兄にはそれがない。優しくてカッコイイ、そんな彼が困っているところに人はつい手を差し伸べてあげたくなってしまうものだ。
「汚らしい」
湧いてくるイライラを抑えながら吐き捨てた。そんなお兄の魅力に寄ってくる害虫の駆除こそオペレーションO(お兄)の概要である。
下ろした髪をゆらゆら揺らしながら廊下を歩く、目的地はもちろんお兄のいる生徒会室付近。会長の身でありながらあらゆる雑用を引き受けてしまうお兄は移動中に虫に絡まれることが多々あるので、まずは廊下から消毒する必要がある。
「ん? あれは……」
階段を降りながら偵察していると早速柱の影に標的を捕捉した。しきりに周りを確認しながら生徒会室の方を伺っている。
お兄の教室付近で見かけたことがないのでおそらく二年の生徒だろう、いかにも自身がなくて冴えない女子といった感じ。
こういうタイプの対処は簡単だ、背筋を正し目をぱっちり開いて『いつもの桃音』に戻るとそのままゆっくりと例の虫の元へと歩いていく。こちらに気がついて驚いている虫に向かって満面の笑みで言う。
「お疲れさまです、先輩!」
「あ、うん。お疲れさま……」
すれ違いざま、視界の隅に肩を落とす虫の姿が見えた。
そう、この手の輩は私が声をかけるだけですぐ散っていく。こんなに可愛い妹と暮らしているのに自分なんかに振り向いてくれるはずがないとわからせてやるのだ。まあお兄は私がいようがいまいが、あんな虫には目もくれないけれど。
今日もまた一匹片付けたと満足していると女子生徒が廊下の角を曲がってくるのが見えた。茶髪のウルフカットには覚えがある。三年の宍戸 絢香、生徒会の書記をやっている生徒だ。
生徒会の活動時間まではまだ少し余裕があり、この時間は普段なら働き者のお兄しか生徒会室にいないはず。まさか宍戸はそこを狙って……?
やはりこいつもお兄を狙う虫なのだ、他の役員が来るまで時間を稼がなくては。
「お疲れさまです、宍戸先輩! ちょっといいですか?」
「あら? 桃音ちゃんじゃない。どうしたの?」
声をかけると宍戸は一瞬目を丸くしたが、いつもの鼻につくクールぶった態度で答えた。
「実は……」
言いながら鞄から小包を取り出した。本来は自分のおやつにと持ってきたものだが、こんな使い方もできる。
「あの……これ、クッキーです。いつも兄がお世話になっているので、生徒会のみなさんへの差し入れにと思って……」
「クッキー? でも差し入れなんて頂いちゃったら悪いわよ、気持ちだけ受け取っておくわ」
宍戸は微笑むと生徒会室の方を向いた。いち早くお兄の元へと行きたいといった感じだ。それならば……俯いて声のトーンを落とす。
「そう……ですよね。迷惑でしたよね、私なんかが……でもこれ、兄も美味しいって褒めてくれたものなんです。宍戸先輩や他の先輩方に喜んでもらえたらって、がんばって……」
ダメおしに少し声を震わせた。妹を泣かせたとなればお兄からの好感度が下がるのは目に見えているし、他の生徒会役員のためと言われれば受け取らないわけにはいかない。
「ああもう……わかったわ、ありがたく頂戴するわね。他の役員もきっと喜ぶわ」
伸ばしに伸ばした喋り方とお兄に褒めてもらった発言が効いたのか、クールビューティーで少しばかり男子生徒から人気のある宍戸も流石に焦った様子だ。
クッキーを受け取るとそそくさと行ってしまったが、これだけ時間稼ぎができれば問題はない。
「今日は校則指導のポスター作りだっけ?」
「だな、コピー代メモっとけよ」
その証拠とばかりに廊下の奥から聞こえてきた話し声の主はおそらく生徒会の庶務と会計。これなら宍戸がお兄と何かを喋る暇はないだろう。
こういったイレギュラーにも対応するために小道具や策の準備には抜かりがない。そう、全てはお兄のため。お兄を汚い虫から守るために今日も私は暗躍するのだ。
*
生徒会の仕事が終わる頃にはすでに外は暗くなり始めていた。
ポスター作成のため職員室のコピー機まで何度も往復したり校舎中の掲示板に貼って回ったりと相変わらずの激務だが、故にやりがいもある。心地よい疲労感を噛み締めながら夕暮れの街を歩く。
学校生活は友達に恵まれたおかげで毎日楽しくやれている。私生活もそれなりに充実しているつもりだ。足りないものがあるとすれば……
「彼女、欲しいなあ……」
俺は昔から全くモテなかった。勉強も運動もイマイチで、友達が多いことくらいしか誇れるものもないので当然といえば当然のことだ。同じ生徒会役員の宍戸ですら今日は明らかに俺を避けている様子だったし。
きっと他の女子からもそういう目では見られていないのだろう、今朝の女子二人組の会話が頭をよぎる。
しかし、こんな俺を好きでいてくれる女の子もいる。
「桃音のメシ、楽しみだな!」
桃音は優しいし元気もあるし料理も上手いし、何より俺が昔から愛してやまないポニーテールと太陽みたいに眩しい笑顔がたまらなく可愛い、最愛にして最高の妹である。
正直なところ、洗面所に積まれた桃音の下着を見て何度か疾しい考えが働いたこともあるくらいだ。
「ダメだダメだ! 桃音は純粋に兄として慕ってくれてるんだ。そんなこと絶対ダメだ!」
そう。下着を盗むとか嗅ぐとか、そんな行為が許されるわけがない。絶対にしてはならないのだ、絶対に。
頬を叩いて自戒すると家へ向かう足を早める。桃音はきっと今日も美味しい夕飯を作って待ってくれているだろう、早く帰らなくては。
街灯に照らされた薄暗い道を駆け抜けていく。春の夜風は強くて冷たい。いつもより軽い右肩がやけに寂しくて肌寒く感じた。
(終)
オペレーションO 夢綺羅めるへん @Marchen_Dream
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