第32話 野営
「誰もいないな」
一晩経ち十数時間ぶりにヴェルトに戻ってきた繋は、最後に居た丘陵地ではなくそこからさらに南に一キロほど離れた林の中に姿を現した。
そこは小規模ながらも様々な種類の草花や雑草が生命力を遺憾なく発揮した影響で高密度に密集し鬱陶しいほどにうっそうとしており、ここ最近どころか少なくとも一年以上は人が踏み入れたことが無いと一目で分かる林であった。
それは、何か用があったとしても進んで入りたいとは思えないほどである。
むろん、繋も同じ気持ちだ。
ならなぜ昨日の爽やかな気持ちになれる丘の上ではなく、こんな場所に繋が姿を現したのかと言えば、実に簡単で単純な理由とシステム的な理由からだった。
まず、システム的な理由。
繋が幾度となく便利に使用していた転移系スキルの【ゲート】なのだが、これはよくある物語に出てくるような転移系スキルと同じように転移先のイメージを思い浮かべる必要があり、転移先の様子がリアルタイムで分からない仕様となっている。
この転移先の状況がまったく分からない、と言うスキルのシステム的な理由により、もろもろの準備が整っていない状況下ではこうして人気のない場所へと転移し面倒ごとが極力起こらないよう繋は心掛けている。
そのため、昨日のうちに【千里眼】で見つけておいたこんなうっそうとした人気のない林へと繋は転移したわけだ。ついでに言えば、この後の予定としてこのような人気のない場所が良かった為でもある。
意外と重要な理由で林へと転移してきた繋は、いの一番に快適なスペースを確保するため地面が見えないくらいに鬱陶しく伸びる雑草を刈り始めた。
と言ってもローブ姿で草刈り用の鎌を片手に農作業を始めたわけでも、ローブから作業服に着替え、執刀医のようにしっかりと作業用手袋をはめてから鎌を片手に草刈りを始めたわけでもない。
繋がおこなったのは、とても簡単なものだった。
軽く上に跳んでから、周囲に生える雑草たちへただただ目線を巡らせただけである。
はた目にはただその場でジャンプし、ぐるりと首を動かし視線を動かしただけで特別なことは何もしていないように見える動作だ。だがその首の動きと目の動きと連動するように繋のいる場所から一定の範囲内に生えていた雑草は、まるで死神の鎌で撫でられたかのようにあっさりと根元から切り払われた。
誰も手を触れることなく、それこそ繋さえも手を触れることなくひとりでに切り払われた雑草は、力を失ったボクサーのように重力に従い地面へと倒れていく。
根元を刈られ支えを失って地面へと倒れていく雑草だが、そのすべてが無事に地面へ到達することはなかった。なぜならば、切り払われた雑草は刈られた瞬間から急速に水分が失われだしたからだ。それも、一瞬と刹那と言っていい速度で。
何日も何十日も炎天下で干されたかのように雑草は枯れ果て朽ち果て、地表へ落ちる前に粉々に崩れて砕けて散った。粉のように細かくなった雑草の残骸は、どこかから吹いてきた風に乗ってどこか遠くへ飛んでいく。
繋が数十センチほどの上空から地表へと帰還した時には嘘のように綺麗な円形状の地面が露出し広いスペースが確保され、まったくと言っていいほど労力を使うことなく草を刈り終えると、
「さて、あいつらは居るのか、居ないのか」
そう口にしながら左手を地面と水平にして額に近づけ【千里眼】と【エコー】の鉄板スキルを発動させつつ一キロほど北へと目を向けた。
林から見て一キロ北側。
つまり、繋が昨日いた丘陵地へと目を向けたと言うことである。
丘陵地へ目を向けた繋はそのまま軽く首と目を動かし、しばらく様子を見ていくと、
「まぁ、いるわな。おおむね予想通り、想定通り、普通通りってところか」
などと遠くを見る目をそのままに呟いた。
苦笑い、もしくは呆れながら感心するかのような笑みをそえて。
「しっかし、どこに行ってもどこまでいっても貴族と言うのは欲が強くて業が深い。それに付き合わされる方はたまったものじゃないよな。俺を含めて、世界を含めて。いや、世界は含めなくていいか」
ため息をつきつつ呆れたようにぼやく繋だったが、その態度とは違い口からくつくつとした笑い声がこぼれている。その笑い声は愉快そうではあるのだが、そこに含まれているのはどこか同情しているように聞こえた。
そんな笑いを口から吐き出しつつ繋は目線を動かしていたが、唐突に突如に予告なくピタリとその笑いを止め、動かしていた視線も同様に止める。
「まぁ、なんだ。お互いご愁傷さまってことで」
まさに同情するような声で、同情していますと言わんばかりの表情で、肩をすくめて丘陵地に居る傭兵たちの隊長へ一方的に言葉をかけた。もちろん、その声が届くことはないのだが、そもそも聞かせるつもりが繋にはない。
これがもう一つの理由──繋が林に姿を現した実に簡単で単純な理由。
今現在の丘陵地。
そこでは繋が予想していた通り、昨日の傭兵たちが二人一組となって丘陵地全域に散らばって野営をしていた。
何のために? などと考えるまでもない。
考えるまでもなく言うまでもないが、それでも言うのなら、彼らは発信機の信号が途切れた丘陵地周辺で繋を捜索するために野営をしているのである。
なにせ繋が周囲に見せたステータスがステータスだったが故に、発信機が故障したと判断されたためだ。もしくは、自分たちよりも先に動いたかもしれない他勢力を捜索し横取りするためである。いくらファンタジー世界の住民とは言え、次元を超え元の世界に戻っているとは考え付くはずが無いことだ。召喚することはともかくとして。
全域に散らばっている傭兵たちは、各々が建てたテントの近くで手際よく火を起こし鍋を吊り下げ朝食の準備をしていた。ただ彼らは直接芝生の上で火を起こしているのではなく、キャンプ用具にある焚き火台のような道具を使っている。
なんとも、環境に景観に配慮している傭兵だ。
だがこれは彼らがマナーのあるキャンパーであり、環境問題に敏感で活動的な傭兵だからと言うわけではない。
むしろ、これは傭兵が傭兵たる証拠だと言える。
証拠──つまりはこの丘陵地で誰かが野営をしたと言う証拠を、この場に誰かがいたと言う証拠を極力残さないための行動だ。
「しかし、合計で十八人か。だとすると、足りない二人は報告役として王都に戻ったと考えるのが妥当だろうな。なら今日中にでも、いや、もう場所によっては動いている可能性もなくもないか」
傭兵たちの人数を数えつつ、左手を口元に添えて繋は考え込むような表情で呟く。
口元は左手に覆われ隠されているのだが、手の影から見えるその口元はどこか嬉しそうに口角が若干ながら吊り上がっていた。
しばらくそうしていると手を下し、
「しかし、旨そうに食ってんな。使っているのはごくごく普通の食材なのに、これがキャンプ効果ってやつか」
言いながら、軽く笑い声をあげる。
傭兵たちは目の前の朝食が完成したとたん、仲良く二人で分け合うと言うことを知らないとばかりに我先にと鍋から自分の器に盛っていく。今にも具材が溢れんばかりになみなみと盛られた器を急いで口へと運び、何かしらの穀物を煮込んだお粥のような見た目をした熱々の朝食を口の中へと流し込んでいっていた。
湯気が出るほどに熱いはずなのだが、そんな熱さなど知ったことかと次から次へと流し込む。誰も彼もがこれでもかとがっつき、旨そうに朝食を食べている。
「──なんて言ってはみたが、どいつもこいつも抜け目ない。さすがは歴戦の傭兵、と言ったところだな」
なんとも旨そうに食べる姿を見せている傭兵たちなのだが、その目と意識は一切の油断なく周囲へと向けられていた。
こんなのどかな空気が漂う丘陵地で何をそんなに警戒するのかと思えど、間違えようもなくこの場所は壁も塀もないれっきとした外である。こうして外にいると言うことは、いつ命を脅かすような強力な魔物が襲ってきてもおかしくない状況だ。
それ故に、彼らはこういった瞬間こそが危険であると知って周囲を警戒している──わけではない。
言ったように、彼らの目的は繋の捕縛である。
全員で旨そうに朝食を食べる光景を見せつけ、一晩経ち空腹であるだろう繋が姿を現すのを見逃さないための警戒だ。それに加え、先に繋を攫った何者かが油断するような隙をわざと見せているのである。
何とも馬鹿らしいように聞こえるが、実のところこういった本能や欲に関する手段は意外と悪くない。さらに、夜半中に強めた警戒網をこうして弱めてみせるというのも作戦では意外と使われる手法だと言っていい。
繋の正体を知らないのなら、なおさらとってしかるべき手だ。
ただ、そうは言ってもその警戒の範囲は見通しのいい草原までの話である。
丘陵地から一キロも離れ、さらには見通しの悪い林の中まではさすがにカバーしきれるはずもない。それをなすにしても、繋が使用しているように特殊なスキルか魔法のような技術が必要だ。もしくは、何かしらの捜索に特化した魔道具を使用するしかない。
だとしてもその可能性を繋が見逃すはずもなく、当然のことながら対処している。
そのため、こうして現在進行形で林の中から高度なのぞき見をしている繋の存在に気が付いた傭兵は誰一人としていない。
「さて、あいつらの様子は分かったし、次は王都だな」
傭兵たちの様子を一通り確認した繋は次にさらに北へと、王都へと視線を向ける。
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