第12話 景色

「あ~疲れた」


 割り当てられた部屋に入ってすぐ、青年──本名、四ツ辻 繋よつつじつなぐの口からため息とともに言葉通りの疲れた声が漏れた。


「やっぱ、スキルを使わずに誘導するのは面倒くさくて嫌になる。結局今回も完全に力押しでごり押しだったな」


 サービス残業終わりのサラリーマンのように疲れた表情を浮かべた繋は、ちょっとした愚痴をこぼしつつ体の筋肉をほぐすために背筋を伸ばし始める。両腕を大きくゆっくりと後ろから前に回しながら体全体をほぐしつつ、老執事に通された部屋の内部を見ていきながら、豪華な部屋だなと若干感心しながら繋は思う。


 謁見の間を出た後、城内を見学ツアーのように長々と無駄に歩かされつつ連れてこられたのは、一般的な学校の教室が二つ分ほどもある広い部屋だった。

 部屋の奥にはキングサイズはあろうかと思われる天蓋つきの見るからに高価なベッドが置かれ、出入口付近にはシンプルな作りながらも所々に細々とした細工を凝らした机と椅子が置かれている。


 他にも見ただけで座り心地がいいと分かる三人掛けのソファが向かい合って二脚と、間に置かれている木目が美しい木製のテーブル。部屋全体に敷かれている絨毯はなんとも肌触りが良く、寝そべってみたくなるほどに柔らかい。

 壁にいくつも飾られている色使いが鮮やかな抽象画や風景画は部屋の中を華やかにし、ベッド横の小机の上には透明度の高いガラスで作られた水差しとアンティークとしてかなり価値があるとおぼしきランプなどが置かれる。


 家具から小物からこの部屋に置かれているどれもこれもが一級品以上の品で、まったくと言っていいほど妥協を許さない部屋だと言えるだろう。素人目を持つ一般人でも即座に希少性が分かるほどに、高級感あふれる品ばかりだ。ただ、この部屋に一般人が入れるかは、はなはだ疑問ではあるが。


 そして、その部屋の窓から見える景色も同様のものである。

 透明度の高いガラスがキッチリとはめられた窓の外には、城下に広がる街並みが拡がっていた。街のすべて見渡せるんじゃないかと思ってしまうほどに広がるその光景は、絶景だと言わざるを得ないほどだ。


 例えるなら、なんちゃらタワーやなんちゃらツリーや都会に立ち並ぶ高層ビルの窓から街を見下ろすような状況である。

 これは、権力者の景色と言っても過言ではないだろう。

 なにせ高いところからの光景と言うのは、建築技術の面から見ても資金の面から見ても権力者にならなければ持ちえないからだ。こんな部屋がこの城にいくつあるか分からないが、それでも高級ホテルのスイートルームさながらの部屋であると断言できる。


 いや、これはスイートルーム以上と言っても過言じゃないだろうかと繋は思う。

 ただその後、高級ホテルのスイートルームに泊まったことはないけどなと自分自身にツッコミを入れつつ苦笑しながら部屋の奥へと足を向ける。

 部屋の奥、つまりこの部屋の中で一番の面積を占め存在感を放っている天蓋付きの高級ベッドへと繋は近づいた。


「さすがはこの国で一番の権力者だ。なかなかいいもの使っている」


 触り心地の言い絨毯を素足で踏みしめベッドの横に移動した繋は、洗濯したばかりのような非常に清潔感にあふれた真っ白な布団を触れながら自然と呟いた。これまた、贅沢なものだと笑みを浮かべながら。

 布団の手触りは滑らかで触り心地がよく、ずっと撫でていたくなるような肌触りをしている。

 今は手で触ることで留まっているが、ここに寝転がり顔をうずめてしまえば起き上がることが困難だと確実に言える。疲れている状態なら、なおさら抗うことなく一瞬にしてぐっすりと夢の中へと旅立ってしまうだろう。


 そんな高級布団の手触りをしばらく堪能した繋は、次に布団の柔らかさを確かめるために手を押し付けた。

 ほとんど力を込めず軽く手のひらで押しただけなのだが、何の抵抗もなく簡単に沈み込みこむ。繋が十分に十全に押し込んだ手を離すと布団はすぐに膨らんで元へと戻り、十秒も経たないうちにどこを手のひらで押したのか分からなくなった。


 なんとも言えない布団の高性能さに満足した表情を浮かべると、身体を回転させ布団の上に腰を下ろす。腰を下ろした直後、繋の体は抵抗なく拒否されることなく白い布団の海に沈み、周囲から身体を優しく包み込んでいく。

 それはまさに、親鳥が卵を包み込むように。それほどの優しさで。


「ああ~」


 自然と繋の口から声が漏れた。

 疲労困憊の状態で温泉に肩まで浸かったような、非常に気持ちがよさそうな声だ。

 布団の柔らかさを体感した繋は、声を漏らすのを止められなかった。否、そもそも止めようとしていない。

 その抗い難い気持ちよさに、重力に完全服従したかのような動きで上半身をゆっくりと後ろへと倒す。倒れていく上半身は、ポスンと少々間抜けた音をたて布団の上に落ちて転がった。


 布団はそんな落ちてきた上半身を優しく包みこみ、優しく抱擁する。

 非常に質の高い布団の上に寝転んだ繋の瞼は、徐々に塞がっていく。

 瞼は重く、何トンもの何十トンもの重りがぶら下がっているのかと思うほどだ。そのため瞼が閉じきるのは時間の問題で、抵抗らしい抵抗を見せることなく瞼はついに硬く閉ざされた。今にも夢の世界へ旅立ちそうな様子である。

 しかし繋は硬く閉じたはずの瞼をあっさりと開き、がばっと上半身を起こした。


「あ~危ない危ない。完全に寝るとこだった。さすがはマザーグースの羽毛だ、あっさりと睡眠耐性を貫通してくる」


 苦笑を漏らしつつ繋はぐるっと首を回し、眼鏡を外して目頭をつまみ簡単なマッサージを施していくらかの眠気を飛ばす。


「さて、これ以上いると本当にぐっすりと寝ちまいそうだし、さっさと文句でもぶつけに行くか」


 ひょいっとベッドから降りると背筋を伸ばし、


「と、その前に。こいつは外しておかないとな」


 右手の人差し指にはめられている〔ステータスの指輪〕へと目を向けた。

 謁見の間で問答無用にはめられた指輪は、食い込むほどではないにしろ簡単なことでは、めったなことでは外すことができないようにリングが調整されている。

 もしこの指輪を外そうとするのなら、はめた時と同じように魔法師に頼むかしなければならない。そう言った正規の手段がとれない場合は、指を根元から切り落とさなければならないだろう。


 しかし繋がおもむろに指輪へと手をかけると、簡単に取れないはずの指輪は抵抗なくするりと指から外れた。その動作はまるでマジックを見ているかのような手つきであったが、指輪を知る者が見れば確実に口をぽかんと大きく開けたであろう光景だったはずだ。

 指から抜き取った指輪へ繋はあざ笑うかのような顔を向けると、腰を下ろしていたベッドの中心めがけひょいっと軽く放り投げた。


 下から投げられた指輪は大きく山なりに放物線を描く。

 黄金律を彷彿とさせる軌道を描いて投げられた指輪は、普通では聞き取れないほど小さな音をたてて布団の上に落ちる着地する。着地した指輪は数度布団の上を跳ねた後、狙った通りベッドの真ん中あたりで動きが止まった。

 転がった指輪が動きを止めるのと同時に、いやそれよりも少しばかり早く繋の姿は部屋から消え失せていた。


 最初からそんな人間なんて存在しなかったかのように。

 初めからこの世界に召喚なんてされていなかったかのように。

 だがベッドの上に転がる一つの指輪だけが、四ツ辻繋と言う存在がその場にいたことを証明していた。



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