04 秘密



「……ミーカ……?」

 ある朝のこと、公平は出勤するなり妙な声を出してしまった。二階に誰もいないのだ。いつものこの時刻なら、異世界区役所としての外見をミーカが整えているはずなのだけれど。

「公平ーっ! おは……よーっ! ……ん?」

 部屋に飛び込んで出勤してきたニコも、怪訝そうな顔をする。彼女はすぐ近くの下宿に部屋を借り、寝泊まりしている。公平は、カンポの三階に暮らすミーカと一緒になるのを提案したのだけれど、この世界ではやはり、ニコは一人前の大人として扱われるのが常識だったし、彼女もそれを望んだので致し方なかった。せめてもの抵抗として下宿の契約に立ち会って、家主と家の状況を念入りに確認したけれど。

「あれ、ミーカは?」

「それが、来てないんだけど……君、なにか知ってる?」

「うーうん。でも、珍しいね、遅刻かな」

「かな。ま、じゃあ僕らだけで開けちゃうか」

 と、二人して仕事の準備に取りかかったはいいものの、いつまで待っても、ミーカはやってこなかった。相談者は一人、二人がぽつぽつと、旅団パーティ関係の給付金受け取りや、異世界年金(あるのだ)の相談にやってきた程度で、やっかいそうな予約も入っていなかったから、仕事に困るということはなかったけれど……。

「ニコ、ちょっと……留守番頼めるかな? ミーカの部屋、見てきてみるよ」

 なにやら悪い予感がした公平は、始業から小一時間もしない内、小さな同僚にそう声をかける。ニコもニコで、少し不安げな顔をしながらも、こくり、と頷く。

「ま、大丈夫だよ」

「あの、ね……なんかあの……」

 公平がドアに手をかけたところで、ニコが珍しく、不安そうな声を出した。

「……なに?」

「えーと、気のせいかも……なんだけど……あの……昨日の、夜、ね……」

 夢かうつつかわからないけれど、昨日の夜、このタバーン・カンポからミーカの叫び声が聞こえた気がする、という。鳥人族バード・ヘッズの感覚は鋭敏なことで有名だ。聞き間違いではないだろう。

「……なんか、すごい、我慢してるみたいな……吠えるみたいな……夢だと思って、寝ちゃったから……あの……ねえボクも行く!」

 泣き出しそうな顔になったニコの頭を、ぽん、と優しく、公平は撫でてやった。

「きっと歌でも練習してて寝坊してるんだよ。ここを無人にするわけにはいかないから、君に留守番を任せるんだ。相談者の人が来たらお茶出して待ってもらって。お願いできるかな?」

「………………ん。わかった。」

 口をへの字にして眉を寄せ、いかにも納得がいっていない顔ながらもそう口にしたニコ。公平はまた頭を撫でてやり、二階を後にする。走り出しそうになっていたけれど、我慢。

 そうしてミーカの私室に向かう最中、階段の途中で、妙なものを発見すると、心臓の鼓動が一気に跳ね上がった。

 長い、長い、毛。きらきらと陽の光に輝く、金色の。

 公平の脳裏に、キィハァルから聞いた話が浮かび上がった。

 ……この辺りは昔、三首獄犬ケルベロスを使う蛇人族スネーク・ヘッズ呪士まじないしの縄張りでね。初代の英雄王が全員ぶっ殺して追い出したって話なんだが連中は死ぬ間際、この土地に呪いをかけた。呪士まじないし獄犬ケルベロスは月のない晩蘇って、生者を掠って喰っちまうのさ……!

 新月の夜歩きを戒める妖怪話のようなものがこの異世界にもあるんだなあ、などとのんきに考えていた公平だけれど、手にした毛は明らかに本物だった。ニコを心配させないようにと極力足音を立てず、ミーカの部屋に急ぐ。

「……ミーカ?」

 こんこん、と、ノックと同時に声をかける、が、返事はない。

 それどころか、内開きのドアはゆっくり、開いていく。

 鍵がかかっていない、どころではない。そもそもドアが、閉まっていない。

 部屋の中にも、金色の毛。

「ミーカ!?」

 驚いた公平が叫んで部屋の中に押し入る。同時に、がらがらがらっ、と何かが中で動く音。

「ミーカ!」

 およそ六畳半ほどの部屋の中は、荒れに荒れていた。あちこちに服が散らばり、タンスは開け放たれ、種々雑多な楽器が散乱している。だが何よりも目を引くのは、窓の脇、シングルサイズのベッドの上。でん、と横たわっている巨大な、毛むくじゃらの、なにか。

「「…………わーーーーっ!」」

 毛むくじゃらのなにかと公平は、同時に叫んだ。

「……え……ミ……ミーカ?」

 しかし、毛むくじゃらのなにかから聞こえてきた叫び声は、彼女のものだった。

「……………………いえ、違います」

 人型サイズの金色の毛むくじゃらは、よくよく見ると、犬のような大きな耳がついている。さらによく見るとなぜか、頭らしき場所の左右、もう一つずつ、計三つの頭があって、そこにもしっかり、犬の耳がついている。

 人間サイズの、三つ頭のある、金色の毛の犬が、ベッドの上で丸くなっていた。手で頭をしっかりと覆って、顔はベッドに押しつけられていて、見えない。

「ミーカさんでは、ないです、はい、あー、その、えーと、一回部屋を、出て行ってもらえたら、はい、きっとミーカさんも、いらっしゃるのでは、ないかと、はい、そう思います……思いますわん、わんわん」

 巨大な三つ首犬はミーカの声で、震えながらもそう言った。

「なに言ってるんだミーカ? 大丈夫かい、なにが……なにがあったの?」

「…………も~~~! なんで入ってくるんですかぁ~~~~!」

 顔を真っ赤にしたミーカが、ほとんど泣きながら顔を上げた。三つある犬の頭の中央から、美しい顔がぽこん、と間抜けに飛び出ている。

「いや、なにかに押し入られたのかと……ミーカ? それ…は……魔法的な……なにか、そういう……? あ、いや……着ぐる、み……?」

「いいから出てってくださいもぉ~!」

 立ち上がったミーカはベッドから飛び降り、公平を無理矢理玄関まで押す。が、あまり二本足で歩く設計にはなっていないのか、途中で足をもつれさせ、公平にもたれかかってしまう。

「ちょ、ミーカ」

「うぁ~……も~……なんで~……」

 顔を真っ赤にしながらも、ミーカは公平を押し続ける。だが公平は真っ赤になった彼女の顔を見て、ただ事ではない様子を感じ取り、額に手を当てた。

「あっつっ! な、君、すごい熱だぞ……!」

「いいからぁ……見ないでくださいぃ……こんなとこぉ……」

「そ、そんなこと言ってる場合か! ベッドにいなさいって!」


               ※※※※


獄犬ケルベロス茶所カフェ?」

「はい」

 ちちちち……窓の外で穏やかに、小鳥が鳴いている。

 ミーカは、公平が持ってきた煎じ薬の茶を飲みながら、昨夜の事情を説明していた。

「ケルベロスってあの、ギリシャ神話の、ハーデースの、冥府の番犬……甘い物好き……の?」

「……公平さん、なんか……詳しいですね」

「大学の教授に、お前は勉強馬鹿の物知らずだって言われてさ、色々読んだんだ、それまで読んだことなかったジャンルの本。古事記、エッダ、神統記……でもそれが異世界にもいるの?」

 その大学の教授が少し不憫になってしまったミーカだったけれど、公平相手にこういうことで驚くのはもう、大分慣れたので気にせず続けた。

「ええと、ですね……この異世界は、犬がいなくてですね、代わりに、獄犬ケルベロスがいるんです」

「犬の、代わりに」

「犬みたいにいっぱい種類があって、いろんな目的で飼うんです。それこそ本当に、軍用、魔術用、愛玩用、色々。獄犬ケルベロス茶所カフェは十年ぐらい前に、転生者がこっそり始めた事業なんですけど、今じゃすっかり普及しちゃってて……」

「ふむ……」

獄犬ケルベロスは飼うのがすごく難しいので……そういうところに行ってかわいがるのが、結構はやってて、私も好きで……あ、カフェって言ってもボール投げて遊んだりできるところで」

「……この異世界の獄犬ケルベロスは近くにいると……風邪をひいたりするの?」

「あ~……それは、その…………」

 ミーカによれば。

 馴染みの獄犬ケルベロス茶所カフェに新人、というか、新獄犬ケルベロスが入ったと聞いたのでうきうきしながら行ってみたところ……無蛇金毛種のロールくん(オス・四十二歳)がミーカの顔を見るなり、駆け寄ってきて、遊んで遊んでとせがんできたのだという。

「無蛇金毛種は島国の海辺で生まれた種ですから、三首ともに水流のブレスが使えて、水遊びが大好きで……それに付き合ってたらもう、へとへとになっちゃって……」

「そのまま寝たの?」

 呆れたような口調で公平が言うと、ミーカは顔を覆った。頭の横で、あと二つの着ぐるみの頭が揺れる。

「だってこれ、暖かかったから……」

 獄犬ケルベロス茶所カフェには愛獄犬ケルベロス家のために、様々な獄犬ケルベロスグッズが売られているという。ロールくんと共に入荷された、この、今ミーカが着ている獄犬ケルベロス着ぐるみパジャマは、まさに珠玉と言える出来栄えで、思わず衝動買いしてしまったそうだ。部屋に戻ってから体は拭くのもシャワーで暖まるのもそこそこに、即着替え、うきうき気分で獄犬ケルベロスをたたえる歌(歌の途中には獄犬ケルベロスの鳴き声を模したパートがある)を歌っていたところ、そのまま寝てしまったそうだ。

「元々、犬が好きだったんですけど……こっちで獄犬ケルベロスを見たら、一目惚れしちゃって……」

「ふうむ、なるほどねぇ」

 ずずずっ。まじまじとミーカを見つめながら、お茶を啜る公平。

「もう、あんまり見ないでくださいよぉ! いい年こいて着ぐるみパジャマなんて……! うぅ……切腹したい……!」

「え、そういうものなの?」

「そういうものですよ!」

「そうなの?」

「そうです!」

「似合っててかわいいのに」

「ぅぁ……っ! そ、そういうのじゃなくて……!」

「そもそもいい年こいてって、君、まだ十七歳だろうに」

「こ、こういうの着てて許されるのは、小学生まででしょう……!」

「許されるって……誰かが着るのを許さないの? なんで? 誰が?」

 自分を辱めようとしてわざと聞いているのだろうか、と思ったミーカだけれど、公平はあくまでもきょとん、とした顔。そんな条例あったっけ? と、マジメに言い出しそうな顔。

 ……あ、この人は、本当にこういう人なんだ。

「って、ごめん、風邪引いてるのに質問攻めにしちゃって……仕事、戻るね、明日も調子よくなったらでいいから、しっかり休んで。夕飯は部屋に持ってくるから」

 そこでようやく我に返ったのか、公平は立ち上がる。だが去ろうとする公平を見ると、ミーカの手が反射的に伸びて、彼の服の裾を掴んでしまっていた。自分が弱っているのをそこでようやく、実感する。自分でも、そんなことをする気はなかったのに。

「あ……あの……」

 なんと声をかけたらいいのかわからなくなって、口ごもってしまう。なんだか自分が小学生に戻ってしまったような気分で、どうしていいかわからない。

「えと……」

 だが公平は少しだけ意外そうな顔をした後、少し笑い、椅子に座り直して彼女の額を撫でた。ひんやりとしたその感触に、気持ちよさそうに目を細めて息を吐くミーカ。

「……寝るまでいるよ。ちゃんとお休み」

 こくん、と力なく頷き、ミーカは目を閉じる。公平は、やっぱりちゃんとして見えてても子どもだなあ、などと考えながらしばらく、ベッドの脇に座ったまま、彼女の手を握っていた。

 次の日。

 出勤してきた公平に顔を合わせると、ミーカはどこか恥ずかしそうに目を伏せた。

「あ、おはよう。もう大丈夫?」

「あ、はい、おかげさまで……えと……あの……」

「あれからちょっと考えたんだけどさ……」

 どこか深刻そうな顔をする公平。

「は、はい?」

 一体全体何を言われるんだろう、とどぎまぎしてしまう。部屋の散らかりっぷりか、恥ずかしい寝間着のことか……はたまた風邪を引いて仕事に穴を開けてしまったことか。

「やっぱり誰も、許さなかったりはしないんじゃないかな」

 だが、特徴のない顔がいかにも真剣に言ったのはそんな言葉。

「…………あ、はい」

「よし、じゃあ今日も一日やっていきましょう」

 それだけ言うと上機嫌に書類の整理に取りかかる公平を見て、ミーカは何回か目をしばたたかせた後、少し息をついて自分の席に座った。やがて機嫌の良さそうな鼻歌がそこから聞こえてきたけれど、ニコが来て彼女に抱きつくまで、それはやまなかった。


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