11 社会あるところに法あり(社会の有無は個人の見解です)



「ニホン……? なんのことですか」

 森人族エルフの透き通るような美しい顔が、いかにもきょとん、とした顔でそんなことを言うと、公平は一瞬、言葉に詰まってしまった。

「……ご存じ、ないですか」

 妙に味が薄いお茶を啜りながら、公平は言う。

「そうですね……九遊皇国くゆうこうこくにそんな地名があったかしら……? いえ、それともなにか、世界遺物アーティファクトか、神話級魔物ミシックの名前、でしょうか……? すいません、お力になれなくて」

 商人職団ギルド、ガァトナ本部、応接室。

 ようやく面会に成功した職団長ギルド・マスター森人族エルフ、ミリーラ・ヴァースは、しかし、そんなことしか言わなかった。公平は力なく笑い、ミーカはともすれば暴れ出しそうになるのを抑えている。

 異世界納税は、転生民すべてに課せられる義務だ。

 うっかり支払うのを忘れていた、払う義務があるなんて知らなかった、などという言い訳は通用しない。支払わなければ支払わなかった分だけ、きっちり支払う必要があるし、役所側はそれを七年まで遡って計算して請求できる。納税を怠り、悪質であると見なされれば追徴金が課されるし、なにより、脱税は刑事罰。これは異世界であっても同じだ。

 だが異世界には、国税局も警察庁も存在しない。

「たぶん……お生まれになったところでは、すごく馴染みがあると思うんですが」

「……そうですわね……私は西のマールス大陸、ハッシュルヴァールの森生まれですが……そこでも聞いた覚えはありませんね」

 そういうわけで、税金なんて払わない、と腹を決めた転生民は、皆一様にこんな態度になる。このミリーラに至っては、正面から面会を申し込むも門前払い、道すがら突撃すると通り魔と〝勘違い〟されて護衛に叩き伏せられ、自宅を訪問すれば毎回居留守、と、言葉を交わすことさえできなかったのだ。

 ミリーラは転生してから七年。人の欲求や弱みを巧みに嗅ぎつけ、めきめきと商人として頭角を現し、今やガァトナ商人職団ギルドの長として君臨している。だが転生民登録もせず、もちろん、異世界納税も怠っている。それが七年の期限に差し掛かったので、ここらで一つ、彼女に登録と納税を了承させること、という指令が冬杜から公平に下された。どうやらこれが、研修終了の最終試験的なもの、らしいが……。

「……どうやら、あまり良いお客様ではなかったようね……」

 彼女が手を上げ、護衛を呼ぼうとしたその瞬間。

「僕もね、こんなことしたくないんですよ、吉沢よしざわ萌花もえかさん」

 彼女の動作が固まった。

「吉沢萌花、平成二十五年、二千十三年転生、転生時年齢二十七歳、勤務先は株式会社スエミツ自動車、東京本社、総務課一般社員。勤務態度は優秀、恋人はなし、特筆すべき交友関係もなし……最終学歴は兵庫ひょうご美術大学。大学在籍中は漫画サークル、貞淑ていしゅく乙女おとめ漫画まんが研究会けんきゅうかい、通称オトメ研で、二回生から会長を務める。研究会とは別に個人サークル、スケベのスはステキのス、通称ススススを主催し、代表作のオリジナル成人向け漫画、」

 ばんっ! と、そこでミリーラが、机を叩いた。わなわなと肩をふるわせ、それまでの、いかにも森人族エルフらしい楚々とした美貌を歪め、公平をにらみつけている。だが、それでも七年間、この異世界で商人として鍛え上げてきた根性は、突き崩されない。

「いったい、なにを、仰ってるんですか? さっぱり、わかりませんね」

 だが、新卒から三年間、利用者からマスコミから精神的に物理的に、傷つけられてきた公平の役人根性も、揺るがない。

「そうですか、ならこれはわかりますかね……王家おうけ仮面かめん

 公平がその単語を言った瞬間、ミリーラが、しまった、という顔になった。

「……ついこの間、完結したんですけどね。読みたくないですか」

 ばんっ! またもミリーラが机を叩いた。

「………………きたねーぞ役人……!」

 やがて顔を上げるとそこには、〈商人職団長ギルド・マスター ミリーラ・ヴァース〉と称札タグをつけた、眉目秀麗な森人族エルフ、吉沢萌花三十四歳がいた。

「汚いのはどっちですか……脱税は立派な犯罪ですよ」


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