08 税金は社会のために使われるが、会社に使うと駄目になる



「ん~~~……いや、あと一人、雇えないことも、ないことは、ないんだが……」

 ぽりぽりと頭をかくキィハァル。彼は料理人であり、このタバーンカンポ全体の経営を請け負う雇われ店長でもある。客の波が引けたのを見計らい、鈴木の働き口がないかどうかを尋ねてみたのだけれど、なんとも渋い顔。

「人手は今、足りちゃってるんだ。ここに一人ねじ込む、ってのはまあ、できるよ。誰かを休ませればいい、が……そういうの、いいの? いや、いいんならいいんだけどさ」

「……あ、なるほど……」

 事情がわかりすぎるほどわかった公平は、鈴木にバレない程度にため息をついた。

 霞ヶ関で調べた資料によると、このタバーン・カンポは、言うなれば、官営の箱物だ。それにしては通常の商店のようにしっかり経営できているのが奇跡だが、これは、異世界税が店舗運営に直接は使われていない、という点が大きいだろう。単純に考えれば逆だが……赤字を出そうが税金で補填される、となれば、経営の質が落ちていくのは自明の理だ。キィハァルが危惧しているのは、福祉という目的のためにそうなるリスクをとってもいいのか、ということ。

「鈴木さん、あんたチョウシは?」

 渋い顔のままキィハァルが尋ねると、鈴木は慌てて懐から一枚の紙を取り出す。異世界で一般的に使われる、低級の魔物皮から作る、ざらざらとした低質の紙。だが、うっすらと青く光る文字が、なにやらただの紙ではないと告げている。

「こ、これ、ですよね」

「なんです?」

 公平が身を乗り出して紙をのぞき込むと、そこにはいかにも異世界な文字列が並んでいたけれど……公平にはさっぱりだった。


NAME:鈴木健作 AGE:15 Lv.04

CODE:赤銅位冒険者コッパー

SKILL

0th:技能強盗スキル・バーグラー

1st:剣術ソード・ファイティング7 体術アスレチックス1


「こりゃまた……難儀な……」

 キィハァルが厄介そうに頭をかく。

「……どういうこと?」

 公平はこっそりミーカに尋ねる。

「えーと、ですね……この世界のシステムについては勉強しました?」

「…………自分よりレベルが上の魔物を倒すと経験値が得られる。経験値が一定に達するとレベルアップ。レベルが一上がるごとに、二のSPがもらえて、それをスキルに振り分けていくと、各種技能が熟達していく、だろう? で、僕、日本の異世界公務員は零次スキルの、社会保障ソーシャル・セキュリティのおかげで、一レベルごとに三、と」

 額に指をあて、すらすらと読み込んだ資料を暗唱してみせる公平。

「おー、さすがですね」

「一回読んだ法令は忘れないクチなんだ。で、あの紙はそのステータスを見られる、こっちの世界の履歴書……名前は徴紙ちょうし、だっけ。徴紙ちょうしはどうだ、が、人のスキルとかレベルを尋ねる、採用試験とかでもない限りかなり不躾な質問で、買うと一枚十万円、金貨十枚ぐらい?」

「ですです。使い切りなら千円ぐらいからありますよ。で、鈴木さんは今、ほぼ、剣を使って戦うスキルしかないわけです」

「だからって料理ができない、ってわけじゃ……ない、だろう……?」

「旦那……こっちのスキルってのは、こういうことができちまうんでさ」

 キィハァルは掌をカウンターの上に差し出した。公平が見つめているとそこに、手品か魔法か、白い粒がもりもり、山のように湧いた。

「ちょいと、舐めてみてくんな」

「………………しょっぱい」

「これがまたかなりいい塩なんでさぁ。あとは材料さえあれば、料理によりますが瞬間で作れたりもします。まぁそこまでは達人マスターレベル、五十ぐらいにならんと無理なんですが」

「ははぁ……なるほど……」

「だからこの辺りの求人は、必要スキルレベルだけ書いてありますね。剣術ソード・ファイティングは……まあ冒険者か、兵隊さんでもない限り、求められないスキルでして……」

 肩をすくめるミーカ。がっくりと肩を落とす鈴木。

「……えーと、ちょっと待ってください。スキルがないと就職はできない。スキルを上げるにはレベルを上げる。レベルを上げるには魔物を倒す。魔物を倒すには……みなさん最初は、どうされてるんですか?」

「そこは色々ですな。大抵は冒険者に旅団パーティ組んでくれるように頼みます。経験値を分けられる仕組みがあるんで。一回……金貨十枚が最底辺かね。あとは自分で魔道具ガジェット買ってレベル上げるかですが……これは使えるヤツを買おうと思ったら、最低金貨百枚」

 キィハァルの言葉に、公平の顔が渋くなった。

「え、それは……貧乏だとレベル上げはできない、ってことになりませんか……?」

「そこは色々ですよ、公平さん。包丁片手に狩り場に特攻して、運良くレベル上げに成功した人、っていう方は、結構いらっしゃいます」

 ミーカは肩をすくめるけれど、公平はあんぐりと口を開け、そして思った。

 間違ってる。絶対そんなのは、間違ってる。

 厳しい顔をして黙り込み、腕組みで、しばらく何かを考え込んでいる様子。その顔にミーカも鈴木もなにも言えなくなり、キィハァルは肩をすくめて厨房の中に戻っていった。

「……どんな人でもレベル上げの機会は、平等であるべきだろう」

「それはまあ、そうでしょうけど……でも公平さん、この異世界はそうなってるんですよ」

「吉田さん、すいません、私、私なんかのために……」

「いや鈴木さん! 鈴木さんは何一つ悪くないです! ただ運が悪いだけじゃないですか! それで諦めていいわけがない! 絶対、絶対なんとかしてみせますから!」

 とはいえアイディアらしいアイディアは思いつかない。鈴木が申請して受け取れる給付金なら何種類かは思いついたけれど……今彼に必要なのは、当座のお金より、今後の仕事、だ。

「せめて……魔道具ガジェット? それが自分で作れたらいいんだろうけど……難しい……?」

 一縷の希望を込めてミーカを見るけれど、帰ってくるのはため息。

「こっちの人も、意地悪で値付けしてるわけじゃないですからね……一番簡単で人気の、レベル十ぐらいまでの魔物なら一発で倒せる火の玉を発射できる魔道具ガジェットだって……」

 いち、に、さん……とミーカが指を折る。

「ざっと数えただけで、ゼロから作るのには十ぐらいのスキルが関わってきます。その分の人件費……あと、材料費がお高いんですよぉ……魔道具ガジェットを使う電池みたいな、せきっていうのがあるんですけど、それが下手な宝石よりお値段がしますから」

 ミーカがそう言うと、突如。

「んふふ~、お話は全部、聞かせてもらいました~」

 公平たちが座っていたカウンター席の隣、一人の女性が腰掛けて言った。思わずぎょっとして身構える公平。だがミーカは嬉しそうな声を上げる。

「……アビーさん! いらしてたんですか!?」

 小走りで駆け寄るミーカと、両手を合わせてきゃっきゃとはしゃぐ。

 ふわふわとした、明るい栗色の長い髪。

 とろん、と垂れた目の端に二つ並ぶほくろが印象的で、笑うたびにそれが上下する。ともすれば軽薄な、にへら、とした笑いは、対峙する者から警戒心をまるごとなくさせるような、そんな笑顔だった。ゆったりとした、簡素な作りの乳白色のローブに、百五十センチ程度の身を包みながらも、女性的な体の線が確かに見て取れる。なのに艶めいている、というよりは、優しく、穏やかな印象。

「初めまして、私、こういうものです。どうかアビーとお呼びください」

 す、と手で頭上の称札タグをつかみ、公平に向けて差し出してみせる。これは異世界では正式な挨拶の作法だ。仕草は手慣れたもので、この異世界での経験を感じさせる。街中では強制的に表示される称札タグは、この異世界において、身分証として通用する。名前の前にある称号コードは、さながら見える賞罰。種類に応じて様々な賦活ボーナスを、スキルや身体能力に得られる。称号コードを複数持っている場合、どれを表示するのかという点は本人に任されている。

「あ、こ、これは、わざわざ、ご丁寧に……アビー、さん」

 公平もそれにならい、自分の称札タグを差し出す。

 差し出された称札タグには〈先端改革者イノベーター アビゲイル・ラーソン〉と書かれていたが……。

 一瞬ののち、それは公平のよく見知った文字列に切り替わった。

〈米国異世界公務員 アビゲイル・ラーソン〉。

 公的称号オフィシャル・コードと呼ばれる、異世界のシステム的に存在する称号コードにはすべて、ルビがふられている。一方、自分で好きに名乗れる、私的称号プライベート・コードと呼ばれるものにはルビがない。つまりこの女性は自分から、米国異世界公務員の称号コードを表示している、ということだ。

「ふふふ~、吉田さん、お困りですか?」

「……に、日本語、お上手ですね、アビー、さん」

 他国の公務員、という存在と、どうやって話したらいいものか迷ってしまう公平。

「この大陸の公用語は日本語ですからね~、必死で勉強したんです」

 が、アビーのふにゃけた笑顔を見ていると、この場でそんなしゃちほこばっているのは自分だけ、という気がして肩の力が抜けてしまう。

「吉田さん、魔道具ガジェット開発を予定なさってるのでしたら~、私、お手伝いできるんじゃないかと思うんですけど、いかがでしょ~?」

 くりくりとした大きな目を輝かせ、カウンターの上に身を乗り出して公平の顔をのぞき込む。

「えーと……えと、すいません、アビーさん、あの……こういうのは……いいんでしょうか? 僕はその……まだ新人でして……」

 公平がしどろもどろにそんなことを言うと、アビーは素っ頓狂な顔をして、ちらり、ミーカを見た。ミーカは、ええ、そういう人なんですごめんなさい、という顔。

「まあまあ……やっぱり、日本の方は、ちゃんとしてますねぇ……でも安心してください、ZOCゾックのモットーは国際協調、私たちは大いに助け合うべし……でも、それよりなにより……」

 少し、さみしそうな顔を浮かべるアビー。

「……世界に十九人しかいない、同僚のお手伝いは、したいじゃないですか」

「……後々、アメリカ政府から何かを要求されたりしません?」

「あ、ひどい吉田さん、私たちをなんだと思ってるんですかぁ」

「あ、いえ、あの、これが国家同士の正式な、その、なんていうか」

 慌てる公平を見て、アビーがさらに楽しそうな顔になる。

「大丈夫ですよ。こちらのことはあちらには持ち込まない。基本的なルールです。私たちは、一人一人が全権大使のようなものですから、後で何を言われることもないと思いますよ」

 そうは言われても……と思ってミーカを見ると、無言のままうんうん、と頷いている。鈴木は口をぽかん、と開け放し、アビーに見とれている。やがて公平は覚悟を決めて言った。

「じゃあアビーさん……貸し借りはナシで行きましょう、後々、僕もなにか、アビーさんが抱えている案件を手伝わせてください」

 だが、公平の言葉を聞くとアビーは、意外そうな顔をした後、ころころ笑った。

「あはは~、元々そのつもりですから安心してください~」


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