飼う人

志央生

飼う人

 

 雨が降り続く梅雨の日、私は道端で身体を濡らす猫に出会った。運命的な出会いだったと言っても過言ではない。それくらいに、目が合った瞬間に私の身体に電流が走り抜けたのだ。

 相手が怯えないようにゆっくりと近づいて話しかけ、逃げないように道を塞ぎ、そっと触れて家まで連れて帰った。ずぶ濡れになった身体は風呂場で洗い流させ、餌を与える。急なことでもあったから、私が食べようと思っていたご飯を分けてあげた。食べ終わるとすぐに眠ってしまい、私はその身体を抱きかかえて空き部屋に向かう。部屋の中は大型のケージがあり、以前飼っていた動物に使用していた物だ。そのケージの内側には鎖の付いた首輪が残っている。私はそっと猫をその中に入れて首輪をつける。ちょっとだけ首より大きいが抜けることはないだろう。私はケージの扉を閉めて鍵を閉めて部屋を後にした。


 目が覚めたのは大きな鳴き声がしたからだった。寝室のベッドの上で安眠をむさぼっていた私をたたき起こすほどの声に、眠気は一気に覚めて猫のいる部屋へと足を運ぶ。中に入ると一層声が大きくなった。どうやら、見知らぬケージと首輪に不快感を覚えているようだった。私は笑顔を作り敵意がないことを教える。それでも警戒心を強めた猫には効果はなく、鋭い目つきで睨みつけられてしまった。

「困ったな、あまり鳴くとご近所迷惑になってしまうからな。本当ならこんなことはしたくないんだが」

 私はマズルガードを手に取り、猫の口に装着する。付ける際に手を出して抵抗してきたが、かわいいものでひっかく程度でしかなかった。

 うー、うー、と口を塞がれて唸るしかなくなったが、目つきだけは鋭いままで私を睨んでいた。

 どうやら、これは手懐けるのに時間が掛かりそうだ。


 餌と水入れをトレイに乗せて愛猫の待つ部屋と向かう。昨晩の一件で相当警戒されてしまっているだろうが、おなかは空いているはず。餌付けをして少しずつ心を開かせる作戦でいこう、と考えて部屋の扉を開ける。

 私を見た猫は飛びつきそうな勢いで唸りを上げて、目を血走らせていた。まるで狂犬のようにも思えてしまう。トレイをケージのそばにおいて私は座る。

「ほら、落ち着いて。私は悪い人間じゃないんだ。きっと君もすぐにわかってくれるはずさ」

 そう伝えてから手を伸ばし触れようとするが、素早く弾かれる。そう易々と身体を触らせてもらえるとは思っていなかったが、今の行動の早さから見て相当な嫌われっぷりをしているようだ。

 こうなると餌付けを簡単にしてしまうのは動物のカースト的に下に見られてしまうかもしれない。「むぅ、あまりしたくはないのだが。どうやら、教育も兼ねてどちらが立場的に上なのかを教えたほうが良いようだ」

 私はケージのそばに置いてあったトレイを手に持ち立ち上がる。

「まだまだ元気のようだからね。朝の餌はいらないだろう。次にやってくるときにもう少し落ち着いていると信じているよ」

 それだけ言い残して私は部屋を出る。後ろから唸る声が聞こえていた。


 私が帰ってくる頃には昨日と同じ時間になっていた。朝の時間から考えれば半日以上が経っている。私は急ぎで餌の準備をして、トレイに並べて運ぶ。

 部屋の中には朝とは違い疲弊した猫の姿があった。

「あぁ、遅くなってゴメンよ」

 ケージの近くにトレイを置いて私は猫に駆け寄る。抵抗する気力もないのか、今度は簡単に身体に触れることができた。ただ、目だけはこちらを睨んでいるようだった。

「さぁ、餌の時間だよ」

 私はマズルガードを外してあげてから、トレイに乗せていた水入れを差し出す。すると、喉が渇いていたのか勢いよく水を飲んでいく。

「もっと落ち着いて飲みなさい。誰も君の水を取ったりしないから」

 そう言っている間に水入れが空になる。息を切らしている間に再びマズルガードを装着する。そのことに驚いたのか、目を見開き抵抗しようとしたがその前に取り付けが終わってしまった。

「餌はまだだ。私が食事を終えてから君にもあげよう」

 私は自分の分の食事を部屋に運びケージの前で食べる。それを恨めしそうに見つける瞳がある。

「そうだ、君に名前をつけてあげようと思っていたんだ。君はメスだからね、女の子っぽい名前がいいと思うんだ」

 言葉は返してこないが唸り声だけは上げている。不満でもあるのだろうか。私には何を言いたいかがわらかないため不明である。

「梅雨の雨で出会ったからね。安直ではあるがツユというのはどうだろうか。言い響きに聞こえないか」

 返事はない、口が塞がれているのだから当たり前ではある。だが、気に入ったかどうかくらいの反応はほしい。

「ツユ、ほらツユ。この名前で呼ばれたらちゃんと返事をするんだぞ」

 トレイに残っていた彼女のための餌を目の前に置く。犬ではないから芸を仕込むつもりはないが、せめて行儀だけは良くしたい。「いいかい、今からその口のを取ってあげよう。けれど、まだ食べてはいけない。私がいいよ、と言うまで我慢だ。できるね、できなければ餌は抜きだよ。いいね」

 私は言い聞かせるようにして何度も彼女に伝える。そうして、マズルガードを外す。すると抑えられなかったのか、餌に一気に食らいつく。少しでも多く食べようとしているみたいに貪るように食べていく。

 呆気にとられてしまい遅れてしまったが、私は餌を彼女から取り上げる。半分とまではいかないが、それでも彼女に食べられてしまった。

「まったく油断も隙もないなツユは」

 嘆息混じりに私は言い、彼女にマズルガードを付ける。これでは彼女が言うことを聞くようになるまでに時間が掛かる。

「今日これだけ食べたのだ、明日の朝と夜は抜いても問題ないだろう」

 そう呟いた私の言葉に彼女は反応を見せる。だが、私はあくまでも冷たい態度を取る。

「ちゃんと言うことの聞けないのに、餌は与えられない。ただ今度、餌を食べるときにはきっと私の言いつけを守れるようになっているだろう」

 それだけを言い残して、私は部屋を出た。


 あれから一ヶ月が過ぎ、梅雨が明け夏が始まろうとしていた。ツユの躾は順調で、もうどこに出しても恥ずかしくないほど行儀が良くなった。意思の伝え方もうまく、これまでのどの子よりも従順だ。

 彼女ならきっと私と死ぬまで一緒にいてくれるだろう。そう思いながら、私は今日も彼女の居る部屋の扉を開ける。

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