第二章 竜血の乙女、暴君を穿つのこと4
最強の恐竜型戦闘機械傀儡〈ジゾライド〉。
何とも古めかしい直立二足歩行の恐竜復元図を模した外見に反して、ティラノサウルスの闘争本能は荒々しく、常人では動かすことも出来ない。
その凶暴性が高い戦闘能力に繋がっている反面、制御には著しい難点がある。
操手との精神接続が切断されて1分が経過すると、敵味方の区別なく暴れ回るようになるのだ。
これは、たとえ操者が死亡しても敵妖魔だけは、是が非でも殺し尽くすという絶対の殺意の表れであり、欠陥というより仕様として黙認されてきた。
暴走状態になった〈ジゾライド〉はエンジンの燃料と、そのエンジンから供給される電力を蓄えるコンデンサが空になるまで止まらない。
その最大連続稼働時間は6時間である。
暴走時の対処方法もある程度はマニュアル化されており、大抵はごく初期段階で鎮圧された。
戦闘機械傀儡は対妖魔戦術兵器であり、単独で運用することは稀だった。随伴する他の戦闘機械傀儡は〈ジゾライド〉の僚機であると同時に、抑止力でもあったのだ。
ある時はトリケラトプス型戦闘機械傀儡が真正面から突撃。二本の大型マグニーザーで〈ジゾライド〉の前面装甲を貫通し、鼻先のパイルドライバーでエンジンを破壊して暴走を止めた。
ある時は翼竜型戦闘機械傀儡が高高度から対装甲スブレットニードルを投下。ターボシャフトエンジンの吸気口を破壊して、エネルギー供給を経った。
またある時は、若き対妖魔猟兵の光速のボウリング投擲で脚部を粉砕して動きを封じた。
些か乱暴ではあるが、欠陥もそれをフォローする部隊運用と用兵により補っていた。
部隊運用が肝である〈ジゾライド〉に関する重大な欠陥は、他にも存在する。
それは機械的欠陥であり、同時に運動する物体である以上は決して逃れられない法則でもある。
「簡単に言えばな、アレの関節はオーバーヒートするんだ」
説明をしてきた園衛が腕を組んで、そう言った。
背後には、〈ジゾライド〉の三面図がプロジェクターで投映されている。
現在の経過として、〈ジゾライド〉の進行は停止していた。
県道を進み、港湾の北埠頭まで直線距離にして400メートルの場所で直立不動となっている。
現場の警察と消防には、建設会社が輸入したアメリカ製の大型重機がGPSとAIのバグにより自動運転状態で暴走した、というシナリオが通達されていた。上層部への園衛の根回しの結果だ。
デイビスたち一派の死体も、その重機の関係者として回収された。
生き残りは左大が威嚇して、残っていたトレーラーの荷台に押し込んである。
その過程で
「テメーらのせいで服もよーッ! 車もよーッ! なくなっちまったんだよーーーッ! どうしてくれんだよ、おーーーー!」
と、上半身裸の左大は生き残りの黒フードの襟首を掴んで恫喝。
「そっ……そんなこと言われましてもぉ……」
「もうイジメないでくださいよぉ~……」
戦意をとっくに喪失して怯える黒フードにも容赦せず、左大は彼らの上着を剥ぎ取った。
「犯罪者の分際でなァに被害者面してんだこの萎びた陳皮がァーーーッ!」
そうして左大は上着を手に入れた。
現在、(ジゾライド)が格納されていた建屋の一室を即席の作戦室として、現場に到着した園衛と篝、そして秘書の右大鏡花も入れた関係者一同が集まっている。
「続きは篝、お前が説明せよ」
「あっ……はい? って、私ですかあ?」
端っこのパイプ椅子に座っていた篝は指名を受けて困惑した。
「いやあの、私こういうスピーチとか苦手でしてえ……。高校の時の国語の授業で小論文書かされたと思ったらいきなりスピーチやらされたトラウマが……」
「マイクもあるから心配するな。瀬織だけ見てスピーチしろ」
園衛に妙な励ましを受けて、篝は言われた通りに瀬織に意識を集中。
瀬織が愛想笑いを浮かべただけで、篝の心は溶かされて、緊張もトラウマも崇拝する存在への奉仕精神に塗り替わった。
「えー、ジゾライドの関節はタジマ式人工筋肉とサーボモーターの併用で動いてるんですが、この人工筋肉はカーボンを使っているので燃えます。要は炭ですからね。そこに不燃性を持たせるために弾性セラミックスを織り込み、酸化マンガンを主成分とした潤滑液兼修復材を充填してあるんです。これにより強い自己修復機能を持っているのが、タジマ式人工筋肉の特徴なんですね。でも、ジゾライドは戦車並に重い。この重い機体を思いっきり機動させると、人工筋肉の発熱に対して冷却と修復が追いつかなくなる。修復材も漏れて蒸発してしまいます。そして限界がくると、AIが自己判断で強制停止をかけるんです」
説明の間を狙って、瀬織が挙手をした。科学的な話はいまいち飲み込めないが、要点は分かった。
「つまり、あの恐竜さんは放っておいても良いんですの?」
「いえ、そういうワケでは……」
篝が言葉に詰まると、代わってパイプ椅子に座っている左大が口を開いた。
「冷却が終わったらまた普通に動き出すぜ」
「動けない今の内に破壊するというのは?」
「その程度の対策、してないと思うか? アレの腹と背中の部分を見てみな」
左大は正面に投映されている〈ジゾライド〉の三面図を指差した。
近代改修されたバージョンの図面。その腹部には二門の機関砲が、背中のターボシャフトエンジンの周囲には四基のロケット弾ポッドが装備されている。
「敵意の接近に反応して、アレで迎撃される。冷却中だろうと関係なく、火器管制用AIがオートで撃ってくる」
「避けるのは……」
「まず無理だな。腹のは35mm機関砲。1分間に550発の砲弾を撃ち込んでくる。背中のはハイドラ70ってロケット弾の一種でな、一発につき2500発のフレシェット弾を空中にバラ撒く。一個のポッドにつきロケット弾19発。合計76発のロケット弾が19万発の散弾の壁を形成する。避けられると思うか?」
どう考えても不可能だ。実戦配備されていた戦闘機械傀儡ゆえ、寝込みを襲われるのも想定の範囲内というわけか。
なので、瀬織は話を切り替えた。
「冷却完了までの時間は?」
「自然冷却だと約4時間」
「それはまた随分と気長ですわね」
「材質の関係で熱が逃げ難いんだよ。本来なら冷却材注入して早く済む」
〈ジゾライド〉が停止してから、まだ30分程度しか経っていない。
園衛はスマホで時刻を確認すると、部屋の隅に歩いていった。
暗がりの中に〈雷王牙〉と〈綾鞍馬〉が座り込んでいるが、二体の間に挟まれる小さな人影が見えた。
「故に、冷却が完了する前にジゾライドを止める。そのために、こいつにも協力してもらう」
園衛は部屋の暗がりにしゃがみ込んでいた何者かの首根っこを掴み、強引に立たせて連れてきた。
カチナだった。
服は所々擦り切れているが体に特に外傷はない。それでも既に戦意もなければ逃走する意思すらないようで、居心地が悪そうに目を逸らしている。
「デイビスとかいう首魁は左大さんが殺ってしまったのでな。捕虜を尋問したら現在はこの小娘が最高責任者だそうだ。相違ないな?」
園衛に頭を見下ろされて、カチナは床に目を逸らした。
「間違いではないが……。あやつら、我に厄介事を丸投げしおって……」
「ならば、これにサインしろ」
園衛が目配せをするや、鏡花が何かの書類を持ってきた。
書類のトップには〈財産譲渡契約書〉と、日本語で実に分かり易い題が付いている。
「日本語は読めるか? これにはな、貴様らの財産、物資、身ぐるみその他諸々一切合切を示談金として私に譲り渡す旨が書いてある」
「はぁ? おぬし、なにを言っておる! そんなふざけた契約――」
カチナの反論は途中で文字通り握り潰された。
園衛が殺気の篭った冷たい表情で、カチナの襟首を捩じ上げている。
「ふざけているだと? 嘗めているのか貴様。貴様らのテロ行為で、どれだけ多くの人達が迷惑を被ったと思っている。私の家は、昔から貴様らのようなヤリ逃げクソ野郎どもに責任を取らせるのも仕事なのだ」
「め、迷惑……? なななっ…… な、なにを言って……」
「幸いにも死者は出なかったが、道路も工場もメチャクチャだ。その修理代を払え。一般の皆さまに誠意を見せろ。とりあえずは私が立て替えておく。つまり、お前らは私に借金をするという形になる。有り金すべて寄越してそれでも足りなければ働いて返済するのだ。払い終わるまで絶対に逃がさん」
園衛の鬼神のごとに迫力に圧され、背の低い少女と化した黒龍の目に涙が浮かんだ。
「ひぃぃぃ~~っ! 誰か~~っ! 誰でもいいーーっ! 誰か早く我を助けるのじゃ~~!」
助けを求めても、カチナの配下にあたる一族は全員拘束されてここにはいない。
長き時を生きた黒龍とて、その人格は霊体だけで成立するものではない。肉体の分泌物や伝達物質もまた人格に影響を及ぼし、精神は肉体に引きずられる。
見た目に不釣り合いな口調で泣き叫ぶカチナにも、園衛は容赦しなかった。手招きで鏡花を呼び出し、朱肉を持ってこさせた。
「サインをしろ。拇印でも構わんぞ。さあ押せ。自分の意思で」
「この女こわいのじゃ~~!」
やがて抵抗は無意味だと悟り、カチナは観念して契約書にサインをした。
園衛は契約書を鏡花に手渡すと、片膝をついてカチナの目線に合わせた。
「よろしい。それで、お前らが持ち込んだ資産はアレで全てなんだな?」
「そうじゃよ……。トレーラーに全部積んで常に道路を走っておった。警察にもバレんようにな。後は同胞たちの財布でも漁れば良かろう……」
カチナは園衛に目を合わせようとしない。気丈に振る舞おうとしているが怯えが隠し切れない。
とはいえ、今さら嘘を吐いても仕方ないので、言っていることに虚偽はなさそうだった。
次に、園衛は左大に目を向けた。
「左大さん、あなたにも責任を取ってもらう」
厳しい目線の園衛に対して、左大は楽しげな薄笑いを浮かべていた。
「良くいうぜ。元から難癖つけて爺さんの隠し財産持ってく気だったんだろ? 鏡花ちゃんは、俺へのお目付けと取り立て役ってワケだ」
左大は鏡花に向かって挑発めいた手招きをした。かかってこい、と言わんばかりに。
「ホラ、来いよ鏡花ちゃん。そのガキと同じ契約書、用意してあんだろ? 俺と口喧嘩してみっか? ぬははははは」
「あなたと議論するつもりはありません」
鏡花は毅然とした態度で冷たく言った。左大のことは野蛮で、知能の低い浅慮な男だと見下しているのが傍目にも分かる。
左大はチッチッチッと舌を鳴らして、指を立てて左右に振った。
「甘いなあ~っ。交渉ってのは、ケンカ腰相手でも言葉を武器に譲歩を引き出す戦いなんだ。上から目線で一方的に条件を押し付けるんじゃあ、相手の態度が硬化する。学歴良いんだか何だか知らねぇが、場数は足りんと見えるな、鏡花ちゃんよ?」
「気安く呼ばないでください……!」
「それで頭良いつもりなんだろ? それと、もう一つ教えといてやる。世の中には言葉の通じない人間もいるんだぜ、鏡花ちゃん?」
左大は横柄に椅子に深く腰を落として、右手をメキメキと鳴らして見せた。有無を言わさずこの場で殴り殺してやっても良いんだぞ、とインテリ気取りを暗に恫喝している。
ぐう、と小さく息を呑む鏡花。
現に左大のやった殺戮を目の当たりにすれば、それが単なるハッタリと無視することは出来なかった。
知らぬ内に、鏡花はすっかり左大のペースに乗せられている。交渉の前段階の時点で敗北していた。
見かねた園衛がパン、と手を叩いた。
「そこまで。左大さん、若い子を苛めるのはその辺で勘弁してもらいたい」
「フッ! 兵隊も事務方も女子供しかいない。散々な有様だな。金が無いだの役目は終わっただので組織を解体してこの有様かい」
「水掛け論で話を逸らす手には乗らない。ここまで大事になった責任はあなたにある」
園衛はパチリと指を鳴らし、左大に人差し指を向けた。
「あなたの実力なら、ジゾライドを持ち出す必要はなかった。敵の人員だけを全滅させるのも容易かったはず」
「ご名答。最初は、連中の泊まってるホテルに乗り込んで、灯油ぶっかけていぶり出して、全員殴り殺すつもりだった」
「その方がまだ処理し易かった。こんなことにはならなかった」
「気が変わったんだよ。もっと派手で、華々しい花道が欲しかった。俺にも、ジゾライドにもな」
「つまり、殺された連中はあなたの身勝手な欲望の生贄だったというワケだ」
わざとデイビスを追いこんで力を引き出したのも、テクノ・ゴーレムの群れを用意させたのも、全ては左大の自己満足のためであったとの白状を聞かされて、園衛の全身に殺気が篭った。
左大は笑って肩をすくめた。
「今さら身内で喧嘩することもあるめぇ。それよりも今は一致団結。ジゾライドを止めることを考えようぜ」
「……最悪、アレを破壊することになりますがね」
園衛は殺気を抑えて、議論に戻ることにした。
腕を組み、今度は左大だけでなく場の全員に向かって話す。
「ジゾライドは今、本能のままに埠頭のガントリークレーンに向かっている。恐らく、アレを破壊するつもりだ。その頃には夜も明けているだろう。報道規制にも限界がある。よって、我々がジゾライドを止められなかった場合、別のシナリオで事態を終息させる」
宮元家は、かつて政府や自衛隊と連携して妖魔と戦っていた。
当時の政治的パイプは今でも残っており、大小の荒事に関して社会的混乱を抑えるための対処マニュアル、隠蔽シナリオが複数用意されている。
園衛は眉間に皺を寄せ、苦労の重みで小さく溜息を吐いた。
「防衛省の方に話は通した。空自の訓練飛行中の機体が、誤って装備していた誘導爆弾を、事故で投下してしまった……ということで処理される」
「つまりJDAMをジゾライドにぶち込んで破壊するってワケか。確かにそれじゃ奴も耐えられんだろうな」
愛着のある戦闘機械傀儡が破壊されると聞いても、左大の表情は楽しげだった。
「だけど、それじゃ園衛ちゃんの立場も苦しくなるよな?」
「表向きは民間の港湾施設に爆弾を撃ち込んだ、という形になりますからね。下手をすれば防衛大臣の首がすげ代わる。我が家も裏からバッシングを受けるのは確実でしょう」
「それに、爆弾でアレを破壊し切れる確証もない」
依然、左大はニタニタと笑っていた。
事情を知る園衛の表情は冷たく、篝はアワアワと口を開閉させて狼狽えていた。
瀬織は現代の航空爆弾の威力は具体的には知らないが、いかに〈ジゾライド〉とて直撃を受けて耐え切れるのか疑わしく思った。
「あの……爆弾も効かない、というのは……いくらなんでも盛り過ぎなのでは?」
「物理構造は破壊されるさ。アレは単なる鉄の塊だからな。今の戦車より柔らかい。だが、ジゾライドを追い込み過ぎるのはヤバいんだよ」
左大は鏡花の方を見て、手振りをした。
「資料、持ってきてあんだろ。見せてやりな」
鏡花はお前の命令に従う義理はないと目を逸らすが、園衛が言う通りにしろ、と目配せをしたので、それに従った。
プロジェクターに別のデータカードを入れて、再生する。
映し出されたのは、不鮮明な古い写真。雪原の中で、何体もの〈ジゾライド〉が炎上しているように……否、機体の輪郭を保ったまま物理構造が炎と成っているように見えた。
「なんですか、これ……?」
瀬織が問うと、左大は実に愉快げに
「あいつはとことん追い込まれると、ああいう風に変化する」
憧れと破滅への願望を込めて笑って
「全身の物理構造のプラズマ化。観測された範囲で最大で摂氏6000度。世界の全てを焼き尽くす、炎の竜になるのさ」
絶望的な現実を告げた。
〈ジゾライド〉の攻略をする、と一口に言っても具体案はまるで無い。
あの凄まじい戦闘能力に加えて、わけの分からない炎上形態まであるという。こちらの戦力がほとんど無い現状でどう立ち向かえというのか。
その上、こうして考えている間にも関節部の冷却が進行している。
いっそ知ったことかと二人で逃げてしまおうか……と、瀬織は思った。もちろん、景と一緒に。
当の景は、瀬織の隣に同席している。完全に素人なので彼が議論に口を挟む余地はなく、単に座っているだけだ。
そんな景が、瀬織の耳元で素人らしい疑問を呟いた。
「ねえ……瀬織のあの凄い技でドーーンって、やっつけられないの? カミナリ落としたり、金色の剣を出したり……」
以前に荒神と戦った時に景が見た、瀬織の方術のことだ。
確かに威力だけを見れば、〈ジゾライド〉を倒すのは不可能ではない。だが、そう見えるだけだ。
「うーん……それは無理ですわねぇ」
瀬織は断言した。
結論だけを言っても、当たり前だが理由は分からない。景は首を傾げた。
「どうしてさ」
「呪術、方術、魔術、仙術。呼び方は色々ありますが、根本はみな似たようなものです。人間が自然の摂理に介入し、言霊や契約で以て操る術にございます。でも、あの恐竜さんは現在の摂理から切り離されているんですよ。恐竜は現在の自然が発生する以前の生物ですからね。故に、あの空飛ぶトカゲさんの輪っか攻撃も、わたくしの方術も通じないのです」
景は説明が良く読み込めず、「ううん?」と鼻を鳴らして頭上に疑問符を浮かべた。
そのやり取りを聞いていたのか、後ろから左大が口を挟んできた。
「つまりだ。現代のどんなコンピューターウイルスも大昔の真空管コンピューターには効果がないってことだ。根本のプログラムの仕組みから違うからな。人間の使う術ってのは、自然というコンピューター上の動作を制御するプログラムコードと思えば良い。そして、人間はいちいち呪文詠唱っていうコードを打ち込まなきやならんが、対する瀬織ちゃんはオペレーティングシステムなのでワンクリックで発動できる」
現代人である景には左大の比喩が分かり易かったようで、得心した様子で「なるほどぉ」と呟いた。
瀬織も左大の口上には素直に納得した。
「ええ、大体そんな感じですわ。それで……これからどうするんですの?」
今までの戦いを見ても分かる。左大は現代人とは思えぬほどに覚悟が決まっている。判断も早い。鏡花は左大を侮っているようだが、それは大きな間違いだ。
そして今も、左大は瀬織の期待通りの決断力を見せた。
「第一に、作戦指揮は俺がやる。それで良いな?」
左大は園衛に向けて言った。
関係各所との交渉や大筋の判断を行う総司令官が園衛であり、作戦の実務は自分が担当する、というわけだ。
「了解。では、人員の配置、装備選択、使用の一切は左大さんにお任せします」
園衛もまた、迅速に全てを了承した。
あまりに呆気ない指揮官任命に、鏡花の表情は険しかった。
「園衛様……あのような男に任せて良いのですか」
「鏡花よ。お前はまだ経験が足りん。治世の能臣が乱世の姦雄になるとは限らんのだ」
「あんな男……臣下ですらないでしょう」
「とりあえず、今は私の判断を信じろ」
鏡花はそれきり黙ったが、納得がいかない様子だった。
左大は椅子から立ち上がると、肩を慣らしながら前方に移動した。
「っつーワケで、俺が作戦を指揮する。なにせ俺がジゾライドのことを一番良く分かってるんでな」
そして、集まった面々を見渡す。
まずは、瀬織。彼女が普通の人間でないこと、いや人間ですらないことは左大もとっくに知っている。
「協力してくれっかな、瀬織ちゃん?」
「仕方ありませんからねえ。今さらイヤだイヤだとゴネても議論の足を引っ張るだけですし。なし崩し的に荒事に参加させられてしまうのは癪ですが……まあ、そのぶん園衛様にお給金を弾んでもらうということで」
戦闘参加を拒否するのは容易いが、それでは作戦の成功率が明らかに下がる。作戦失敗は園衛の権威の失墜に繋がり、景との生活にも将来的に悪影響が出ると予想した上で参加を決定した。
言葉の通り、瀬織は金で折り合いをつける方向で固まった。
次に、左大は篝に目を向けた。宗家の左大と、下っ端に過ぎない篝とは初対面である。
「えぇーと……誰ちゃんだっけか、キミ?」
「あっ、あのぉ、そのぉ、うぅえぇぇぇぇぇ……」
篝の中で人見知り、乱暴な異性への恐怖、名前だけは知っている有名人への畏敬諸々が混ざり合い、まともに返答できない。
仕方なく、園衛が助け舟を出した。
「西本庄篝です。うちで働いてる者で、空繰の整備をやってもらっています」
「なるほど。じゃあ、整備を手伝ってくれ」
存外に淡白な反応で拍子抜けしたのか、篝は「ふぇ?」と素っ頓狂な声を上げた。
左大は極めて迅速に、この場の面子に役割を与えている。
「雷王牙、綾鞍馬。お前らも手伝ってくれや」
獅子と鴉、二体の空繰は人間に、それも園衛が認めた人物ならば力を貸すことに躊躇はない。快く短い鳴き声で応えた。
この中で戦闘に参加できるのは、瀬織と雷王牙、綾鞍馬と全てが人外の存在である。
悪く言えば寡兵。良く言えば少数精鋭で実際寂しいわけだが、そこに更に別の問題があった。
「ここでちょっと確認したいことがある。この中で、射撃の得意な奴はいるか? 長距離の狙撃経験がある奴が望ましいんだが」
誰からも返答はない。今どきの学校の授業のように質問はスルーされて、シィンと場が静まり返った。
何かしらのリアクションを求めて、左大は園衛に横目をやった。
「私が射撃は不得手なの知ってるでしょう。敵に突っ込んでぶっ放すなら兎も角、狙撃というのは……」
断られたので、左大は次に瀬織を狙った。
「空繰との精神リンクは得意と見た。空繰の持ったライフルを遠隔操作で撃てるか?」
「そんな経験はありませんし、そもそも使う空繰というのは――」
「綾鞍馬の遠隔操作を頼みたいんだが?」
「論外ですわ。あの二匹とは相性が悪いのです。仮に強引に乗っ取っても、それで細かな操作というのは……」
残るは、景と鏡花と篝の三人。全員が素人で、しかも一人は一般人の少年ときた。
全く持ってお話にならないと、左大は唸った。
「あぁん……。綾鞍馬は自律行動できっけど、精密射撃は無理なんだなあ……。基礎設計が古いから火器管制AIに対応してねぇんだ。無理なら、ちょーーっと作戦を考え直さなきゃならん」
今は一分でも惜しい状況だ。〈ジゾライド〉の冷却が終わらない内に全ての準備を終え、有利に作戦を進めねばならない。
何かを思いついたらしく、篝が遠慮がちに手を挙げた。
「あーの~……澪ちゃんを呼ぶっていうのは、どうでしょうか?」
先日、瀬織が会った神喰澪のことだ。
あの、別の世界観で生きているようなボウリング女の名前が、どうしてこのタイミングで出てくるのか瀬織は不可解だったが、事情を知る左大と園衛の反応は少し違っていた。
「澪ちゃんなら……確かにアリだな。火力不足が解決する」
「それは私も考えたのだが……」
園衛は気まずそうな顔をして、スマホを出して電話をかけた。
何度かのコールの後、聞こえてきたのは
『おかけになった電話は電源が入っていないか、電波の届かないところに……』
という定型のアナウンスだった。
「澪の奴……また電話の電源を入れとらんのだ……」
園衛の声色には呆れと苛立ちが入り混じっていた。
神喰澪はアテにならないようだ。電話が通じないのなら仕方ない。
空繰の、しかも飛行型の遠隔操作の経験があり、射撃に長け。それでいて実戦にも動じない度胸のある人材が必要だという。
瀬織は一同をぐるり、と見渡した。
確かに、ここにいる園衛の関係者にはそんな人材はいない。都合良く往年の熟練操者がピンチヒッターに現れる可能性も限りなくゼロに近い。
だが、関係者以外ならばどうだろうか?
いいものを見つけた、と瀬織は邪悪な笑みを浮かべた。
「使えそうな人材。一人おりますわねえ~、そ・こ・に」
瀬織が部屋の片隅を指差した。一同、一斉のその先を見る。
暗がりの中に〈マカヅチ改〉が鎮座している。その隣に、体育座りの姿勢でうずくまるカチナがいた。
「は……っ? な、なぜに我を見るのじゃ……」
全てを失い、すっかり意気消沈していたカチナが顔を上げた。また厄介事が降りかかると直感で感じ取ったらしく、青ざめてジリジリと壁の方に尻を擦っている。
瀬織は席を発つと、すたすたとカチナの方に歩いていった。
「お話聞いてましたかあ?」
「きっ……聞いておらんわっ、貴様らの話なぞ……」
カチナは嘘を言っている。さして広くもない部屋だ。聞こえていないわけがない。見た目通りの小娘ではなく、中身は人外の黒龍なのだ。どんなに不利な状況だろうと賢しく聞き耳を立てて情報を集めている、と考えるべきである。
全てを見透かした上で、瀬織は冷たい笑顔でカチナの頭を見下ろした。
「聞いてましたよね? なので、お仕事の話をしましょうか」
「有り金も物資も全てくれてやったろう……。この上、我になにを望むというのか……」
「勘違いされておりませんか? わたくしは、あなたに仕事を強いるつもりはありません。契約をしたいのです」
「ン……?」
カチナの態度に揺らぎが見えた。契約、という言葉に反応している。
脈アリ、である。
「意見具申でございます」
瀬織は手を挙げて、左大と園衛に振り返った。
「カチナさんに綾鞍馬の操作をお任せしたいと申し上げます。成功報酬として、カチナさん達の借金を四割引き。失敗しても二割引き、ということで如何でしょうか」
有無を言わさず金額の交渉に入る瀬織。
当事者のカチナを置き去りに、園衛がそれに乗った。
「任せるのは構わん。だが四割引きは高い。被害総額は億単位なのでな」
「では三割引き」
「高い。成功報酬で二割だ」
「では……二割五分で如何でしょうか。失敗したら五分引きということで」
「ふむ……。良かろう」
金額の方はまとまった。
敢えて当初は高額を提示するのは古今東西、交渉の基本テクニックである。金額を折衷して、概ね瀬織の想定していた妥協額に至ったので成功といえる。園衛は金持ちなので、億単位の金額でも話が早くて助かる。
成功すれば莫大な借金が25%オフになる、というのはカチナにとっても悪い話ではあるまい。
一方で失敗すれば、たったの5%オフ。これは瀬織の仕込んだ人心操作の仕込みだ。敢えて不利な条件を付加することで、作戦成功へのモチベーションを上げるのだ。
さて、手応えや如何に――
「そ、そういう条件で我と契約するのならば……やっても構わんぞ」
上目遣いで瀬織を見上げて、カチナが言った。
脈あり。である。カチナの中の黒竜はデイビスたち一族と契約して1500年間も生きてきたのだ。契約で意思を思い通りに誘導してやるのは、瀬織にとっては容易いことだった。
しかし、まだイエスという答を得たわけではない。
カチナ自身、色々と逡巡があるようだった。
「我はサダイの家を恨んでおるのだぞ。故意に作戦を失敗させるとは思わんのか?」
「失敗したら、借金減りませんわよぉ? 同胞の皆さん、とっても苦労しますわよね? 情であなたを縛る気もなければ、信用する気もありませんわ。わたくし達とあなたとの関係は、あくまで金銭の絡んだ契約です」
「フム……おぬし、なかなか分かる奴じゃな」
カチナは関心していた。
論理的かつ合理的に、カチナの本質を理解して話す瀬織に、どこか自分と同じ匂いを感じ取ったのかも知れない。
「だが……我は人食いの竜じゃぞ。人の子らにとっては忌むべき存在ではないのか?」
カチナは感情面での忌避、それによる連携の不備を危惧している。果たして園衛たちは人外の怪物を一時の戦友として受け入れてくれるのか、という疑問は当然だ。
その答を、総司令官であり雇用主である園衛に求めた。
「些細なことだ。気に留める必要なし」
「些細と抜かすか?」
「そうだ。お前の前世が何であろうと、今のお前が人を害したことはないのだろう?」
前世というのは語弊があるが、心だけが別の肉体で生まれ変わったと解釈するなら似たようなものかも知れない。
確かに園衛の言う通り、カチナという人の器に収まってから人を食ったことはない。というより、つい一時間ほど前にこの体になったばかりで、何かを口にする暇すら無かった。
「ならば、お前には何の罪もない。少なくとも私には過去のお前に罰を与える権利はない」
平然と言ってのける園衛に続いて、瀬織が言葉を続けた。
「あなたに復讐する権利があるとしたら、それは昔のあなたに食べられちゃった人のご家族くらいですかねえ? まあ、わたくしも似たようなものですし」
瀬織の口調に悪びれた様子はなく、薄ら笑いを浮かべていた。
実際、何もかも覚悟と納得の上で瀬織は今も生きているし、生かされている。
カチナは「フム……」と小さく溜息を吐いて、顔を床に向けた。
「よかろう。承知した。我としても。レギュラスに一矢報いることが出来るなら……悪い話ではない」
とりあえずの、イエス。
これにて契約成立ということだ。契約によって生きてきた黒竜の言質は絶対である。
「じゃ、とりあえずの人員は揃ったってことだな」
左大もカチナのことは一戦力として割り切り、ドライに対応してみせた。
臨機応変に態度を変えられる、こういう手合いは中々に手強い。鏡花を未熟者扱いするだけのことはある。
「恐竜の孫もまた恐竜……ということですか」
瀬織は肩をすくめた。話に聞く祖父、左大千一郎さながらに政治も得意と見える。ただの狂人でも野武士でもない。
現に、左大は手持無沙汰な景を見て
「景ちゃんは……そうだな。俺たちの飯でも運んできてくれや」
と、役割を与えた。
景はきょとんと目を丸くしていたので、瀬織はわざとらしく合の手を入れた。
「あー、わたくしもお腹空いてしまいましたわ~? 園衛様のことですから、この程度の用意は――」
「無論だ。ここに来るまでにコンビニで買ってきた。車の中に置いてある」
「ですって、景くん? お車まで、わたくしもお供しましょうか?」
景は景なりに瀬織たちの気遣いが分かったようで、口を尖らせた。
「もう! それくらい一人で大丈夫だよ!」
そう言って、小走りに部屋を出ていった。
左大は指揮官として、景に帰れと命じることも出来た。そうしなかったのは、疎外される景の胸中を量ってのことだろう。仕事を与え、仮にも一員として扱うことで、自信をつけさせてやりたかったのだろう。
「左大さんって、普通の大人みたいなこと出来るんですのね」
瀬織は感心半分、けなし半分に呟いた。
「あったりまえだろ。俺は大人なんだっつの! オラ! 次いくぞ次ィ!」
ふざけた調子で言い放ち、左大は先陣を切って移動を始めた。
行く先は、先刻まで〈ジゾライド〉が整備されていた格納庫だった。
即座に左大の指揮の下、〈ジゾライド〉攻略のための機材整備と作戦説明が同時進行することになった。
「さっきも言った通り、ジゾライドのハード面での欠陥は熱だ。そいつは人工筋肉だけの問題じゃない。特にAIユニットは関節以上に熱が致命的となる。防護されていても熱伝導は完全にシャットアウトできねぇから常に熱暴走の危険が付きまとうんだな。作戦第一として、それを狙う」
格納庫は多少の火災があったが、保管してある装備品に火の手は及ばなかった。〈ジゾライド〉起動時の衝撃で横倒しになった程度だ。
全て損傷はないと左大は確認した。
「AIの処理能力を超えた飽和攻撃が理想だが、そいつは無理だ。手数が足りない。だから、そこはマガツチの電子戦能力で仮想の弾幕をぶつける」
「つまり……わたくしの担当ですか」
瀬織が自分の顔を指差す。
左大は頷いた。
「そう。瀬織ちゃんは欺瞞情報をAIに誤認させてくれ」
「先程、制御の乗っ取りは失敗しましたが……」
「ジゾライドの精神には効かないが、人工の電子頭脳相手なら大丈夫だ。ソフトもハードも10年前の物だから、割と簡単に騙せるはずだぜ」
続いて、左大は防火扉で隔離された別室を開けた。案の定、弾薬が無数に保管されていた。
これを運び出すのにも人手が足りないわけだが、それに関してはすぐに解決した。
「おーい、爺さん。とっとと起きろ、よっ!」
左大が床に転がっていた整備担当の〈祇園神楽〉の頭を蹴とばすと、勾玉に光が灯り、呆気なく再起動した。
祖父の機械整備の知識だけが入った空繰たちに、左大は口頭と手振りでアレコレと指示を出す。
「雷王牙はハンガーに固定して装備換装! 装備はワイヤーアンカーにEMSSとマルチディスチャージャーだ。ディスチャージャー1番には照明弾。2番にはスモークを装填してくれ」
左大の指示に従って、〈祇園神楽〉たちは黙々と作業を始めた。
〈雷王牙〉は自らハンガーを潜り、整備し易いようにハードポイントのカバーと関節サーボモーターのゴムキャップを解放した。
俄かに慌ただしくなった格納庫の中で、篝が手を挙げている。
「あ~の~~ささささっ……」
声がうわずって言葉を成さない篝に気付いて、左大の方から反応した。
「なんだい篝ちゃんよ?」
「さーだーぁ……あの、ちょっと、質問なんですがぁ……」
「なによ?」
「らっ……雷王牙の装備ですよぉ。他に武器あるじゃないですか。五式大目牙巨砲とか、エレクトロンレーザーブレードとか……。そっち付けた方が……強くないですか?」
格納庫に置かれた多くの固定具には、〈雷王牙〉の共通規格ハードポイントに装備可能かつ、ペイロード面でも許容できる強力な武装もある。
二対の大型ランチャーである五式大目牙巨砲も、擦れ違いざまに自由電子レーザーの照射と電磁コーティングされた刀身で対象を切り裂くエレクトロンレーザーブレードも、過去の戦いで〈雷王牙〉での運用実績のある装備だ。
こちらを装備した方が、高い戦力を得られるのは確かなのだ。
しかし左大の返答は
「強くないね」
真逆のものだった。
それは後方任務のエンジニアと、前線での運用とメカニックの高等知識を併せ持つ指揮官との見地の違いだった。
「五式は重すぎて機動力を低下させる。鈍足じゃあ、あっという間に弾幕の餌食だ。レーザーブレードも論外だ。アレの近接戦レンジ内に入った時点で終わりだ。反応速度は同等でもパワーとウェイトが違い過ぎる。戦車にチャリで挑むようなモンだぜ」
五式大目牙巨砲は、陸自から用途廃止名目で譲渡された106㎜無反動砲をベースに改造された戦闘機械傀儡用の大型火砲だ。〈雷王牙〉のような高速機動タイプに一基ないし二基装備して、機動力と火力を両立させる。
しかし、一基につき200キログラムを超える重量は、機動力に重きを置く運用では確かに無視できない。
エレクトロンレーザーブレードに関しても左大の言っている通りだ。
〈ジゾライド〉と〈雷王牙〉とでは、機体重量に10倍以上もの開きがある。それに人工筋肉のパワーやエンジン出力を加味すれば、格闘戦など自殺行為に等しい。
得心すると共に、篝は己の見識の浅さを恥じて、何とも言えず呆けたような顔になっていた。
「あー……なるほど。分かりましたぁ……。あ、でもぉ……」
篝は何かに気付いたようで、〈雷王牙〉の頭部に取りつけ中のユニットを指差した。
「EMSS……電磁シールドじゃジゾライドの機関砲は無理じゃないですか?」
EMSS……Electromagnetic‐Shield Systemの略称である。
電磁場に作用する妖魔の超常現象や呪術を電磁シールドで跳ね返し、時にはシールドごと妖魔に体当たりして霊体に衝撃を与えるための装備だ。
これはあくまで電磁場のシールドを張るものであって、万能のバリアではない。実弾への防御力は望めず、機関砲に対しては無力だろう。
それを敢えて装備するのにも理由がある。
「ジゾライドの機関砲弾の半分は通常弾、1/4は曳光弾、残り1/4は対妖魔用の磁性弾頭が装填されてんだ。この磁性弾頭だけはシールドで弾道を逸らせる」
「つまり回避し切れなくても1/4の確率で直撃は免れる、と……」
「無いよりはマシの保険だな」
〈雷王牙〉の装備換装の進捗を横目に、左大は再び作戦の説明に戻った。
「雷王牙の役目はオトリだ。高速機動を活かしての撹乱! 攻撃を避けて避けて避けまくる! 間違っても格闘戦を挑もうなんて考えるなよ!」
自分の役目を教えられ、〈雷王牙〉が低く一吼え。了解の意思を示した。
「ほい次! 綾鞍馬も装備換装! エンジンに燃料は入ってっか?」
羽を畳んでハンガーに収まる〈綾鞍馬〉の背面エンジンポッドの外部燃料計を見て、整備担当の〈祇園神楽〉が首を横に振った。
「燃料ねぇんじゃあ、ジェットエンジンが使えねぇーじゃあねぇかよ! 半端な整備しやがったのはあ、どこのどいつだ~~っ!」
左大が怒鳴ると、横にいた篝が「うひぃぃぃ~っ」と悲鳴を上げて萎縮した。
〈綾鞍馬〉をモスボール状態から再起動させたのは、他でもない篝だった。
「だだだだっ……だってぇ……っ。ジェット燃料なんて園衛様の家に置いてなかったんですよぉ~~っ」
「チッ……園衛ちゃんの不手際だな~~っ! こいつはよぉ~~っ」
左大は格納庫の隅にいる園衛を睨んだ。戦闘機械傀儡の軽視をはじめ、行き過ぎた軍縮と組織解体の弊害が余計な手間をまた一つ増やしてくれたと。
園衛は眉間に皺を寄せて目を瞑り、腕を組んで佇んでいる。
「ジェット燃料を常備する家なぞあってたまるか……っ!」
反論したいことは山ほどあるが話がこじれそうなので今はこれっきり黙っておく、といった具合に大人の体面の奥に諸々の感情を押し込んでいる顔だった。
「爺さん! 燃料あるか燃料!」
左大が〈祇園神楽〉に声をかけた時には既に、燃料タンクがカートに乗せて運び込まれていた。
「おっし、じゃあ補給! 装備はゴーストフレアディスペンサーと三式破星種子島!」
左大は格納庫の床に横倒しに転がる火砲を指差した。
三式破星種子島。全長2メートルの長砲身大口径の対妖魔二連装銃である。
上部の小口径銃は7.62㎜弾対応の重機関銃。下部の大口径銃は12.7㎜弾対応のセミオートライフルとなっている。
「カチナとかいうトカゲのガキ! お前に遠隔操作でこいつを使ってもらう」
あんまりな呼び方にカチナは顔をしかめた。
「くっ……きっさまぁ……もう少し我に気を使うとか出来んのか……っ」
「お前、俺のこと嫌いだろ? 俺もお前ェのこと嫌いだからよ。嫌い合ってる奴同士、ニコニコ揉み手で媚び売るなんざ女々しいの極みでどちゃクソ反吐が出るわなぁ~あ? 表面取り繕ったご機嫌取りなんざ、こちとらお断りなんだよ」
自分の半分ほどの背丈の少女に圧し掛かるように、左大はカチナの頭上からずいっと指を向けた。
「だが俺は作戦に私情は挟まねぇ。こいつはチーム戦だからな。俺のことブッ殺したいなら戦闘中に撃ってもかまわねぇが、お前にとって契約ってのはそんないい加減なモンなのか?」
感情と打算をアッサリと切り替えてみせる左大を前にぐうの音も出ず、カチナは顔を背けた。
「わかった……! とっとと子細説明せい!」
「オッケ~」
左大が後手に手招きをすると、〈祇園神楽〉がキャスターつきホワイトボードを運んできた。
ホワイトボードには、〈ジゾライド〉のターボシャフトエンジンの内部図解が貼られていた。
「このエンジンの吸入口がジゾライドの唯一の弱点らしい弱点だ。だが単純にここに弾丸をブチ込めば良いってモンじゃあねえ。吸入口の奥にはタービンブレードが複数設置してある」
そう言って指差す図案には、シャフトに接続された四層のタービンが描かれていた。
カチナは「フンッ」と鼻で笑った
「そう難しい話ではあるまい。その回る扇風機みたいなのに弾を撃ち込んで止めてしまえば良いのじゃろうが」
「だから、そんな簡単な話じゃねーんだよ。このタービンは全部が回転してるワケじゃねえ。四層の内の二層は静翼といってな。タービンに効率的に空気を送り込むための固定翼なんだよ。しかも、物凄く硬い耐熱合金で出来てる。更に、このタービンの前に大型のコンプレッサーが配置されていて、そのコンプレッサーに電力を供給する別のタービンもある。この厚みを一発で貫通するのは12.7㎜じゃ無理だ」
「じゃ……じゃあ、どうせえっちゅうんじゃ……」
「三式破星種子島の12.7㎜の装弾数は薬室内にあるのも含めて計11発。その内の3発を同じポイントに撃ち込めばタービンを破壊できる」
「なにっ!」
カチナの顔色が変わった。一発打ち込めば良いと思っていたのが、三発も必要だという。しかも同じ部分に撃ち込めという。この夜間に、飛行しながら。
「ジゾライドの対空攻撃はゴーストフレアで撹乱。弾幕の回避は綾鞍馬の方でやってくれる。お前は射撃に専念して、必要全弾命中できる確率は70%以上。余裕だな」
余裕なわけがない。
かといって、ここで無理だと言っても作戦に変更はないだろう。これが現状戦力で最善の策だというのはカチナにも分かる。
それに何より、これはカチナ自身が結んだ契約なのだ。
「くぅ……やれば良いのだろう! やれば!」
「そうだ。やるしかねぇのさ」
左大は赤い勾玉を指で弾いてカチナに飛ばした。それが〈綾鞍馬〉のコントローラーだった。
そのやり取りを見て、瀬織は愉しげに笑った。
「ほほほ……ご覧ください景くん。皆さん、なんだかイキイキしてますでしょう?」
瀬織は景の持ってきたコンビニおにぎりを齧った。わざとらしい硬さの海苔がパリッと弾けて、添加物山盛りの白米を噛んで飲み込んだ。
「むふ……。美味しくありませんわねぇ、今世の握り飯って。それは兎も角として、戦場の中で生きるのが最も幸せな方……というのもいらっしゃるのです」
と、瀬織が講釈しても景は癪然としない様子だった。
「でもさ、死んだら全部おしまいじゃいない……。怖くないのかな」
「そういう問題じゃねえのさ」
いつの間にか、後に左大が立っていた。瀬織と景の会話も聞いていたようだ。
「生きるとか死ぬとかよ、なんつーか……そんな重く考えることかなって、俺は思うんだよ。死んだように生き続けるよりは、何かを成してサッパリくたばる方が、ずっと満足できる人生なんじゃねえかな」
「でも左大さんは、ジゾライドが大切なんですよね? それを自分で壊すの……イヤじゃないんですか?」
「逆だぜ景ちゃん。ジゾライドにとっても、これが最後の花道なら……それを飾ってやるのは最高の幸せなのさ。俺は今、無茶苦茶楽しいぜ?」
腹の底から湧きあがる喜びを露わにして、左大は笑っていた。それは嘘偽りのない本心だった。
景にとっては全く異質な価値観だった。
死を恐れるどころか、嬉々としてそれに向かっていくなぞ少年には狂気にしか映らなかった。
戸惑う景の内心を察して、左大はぽんと肩を優しく叩いた。
「男には花道ってモンが必要なのさ。何かをやり遂げて、涅槃に旅立つ花道……それがなきゃあ、死んでも死に切れない。いずれ、景ちゃんにも分かるさ」
「そうでしょうか……」
景の隣から、瀬織が不機嫌な顔で割って入る。
「ちょっと左大さん! 景くんにそういう時代錯誤の価値観を吹きこまないでくださいまし!」
「そうかい? 100年200年、1000年経っても人間の本質は大差ないと思うがね」
「今世は古ほど物騒ではありませんことよ」
「過保護だねえ、瀬織ちゃんは」
もう少し、左大は何か言いたげだった。
しかし景よりも、瀬織よりも少し老けている自分が長々と説教を垂れるのはみっともないな……と思って自重する。それが大人というものだ。
「人間、色んな価値観があるもんさ。俺みたいな生き方もあるってこと。景ちゃんも憶えといてくれや。そう……景ちゃんは戦闘記録が役目だ」
「なんですかそれ……」
「語り継ぐ人間が一人でもいれば……それは俺にとっても、ジゾライドにとっても慰めになる。そう思ってくれや」
左大は景の横を通り過ぎて、改めて一同に向き直った。
「作戦のフェーズ1は電子攻撃と高速機動によるジゾライドの火器管制AIの撹乱だ。高熱と情報処理の飽和でAIをオーバーフローさせる。これで射撃は一時的に停止する。その隙を狙い、上空からの狙撃でジゾライドのターボシャフトエンジンを破壊。エネルギー供給を経つ。後はコンデンサの電力が尽きれば、ジゾライドの活動は停止する」
現状戦力では理想的な作戦である。伊達に戦闘機械傀儡のすべてを網羅しているわけではない。
しかし、それはあくまで理想であり、現実は人の思惑を容易に超えていく。
瀬織が手を挙げた。
「それで――活動が停止しなかったら?」
〈ジゾライド〉は痛めつけると全身を炎と化すと、先刻に資料を見せられたばかりだ。あの様子はどう見ても通常の物理法則を無視している。エンジンを破壊した程度で止められるとは思えない。
左大の表情が、いつになく真剣に強張った。
「その場合、作戦はフェーズ2に移行する」
作戦説明の最中、何体もの〈祇園神楽〉が奥の部屋から出てきた。手押し車に大量の木箱を乗せて運んでいる。
「爺さんは色んな事態を想定してたみたいでな。万一の時はここを自爆させることも考えてたようだ。だから今、その爆薬の一部をトレーラーに積み込ませてる」
「それは……何に使うつもりなんですの」
「埠頭の一部に敷設する」
不意に、左大がフッと吹き出した。何が面白いのか、くつくつと笑っている。
「フッ、くくくくく……。フェーズ2の説明をしようか。ジゾライドの炎上形態……フロギストンモードと呼んでいるが、こうなると物理攻撃が一切通用しなくなる。炎そのものになるんだ。質量自体を燃焼させてるって説もあるが、ぶっちゃけ良く分からん。作った俺たちも想定外の形態なんでな」
「炎……ということは、実態はないのですか?」
「質量はある。だから向こうはこっちをブン殴ることも出来る。尤も、人間は近づいただけで蒸発するような温度だがね」
こちらの攻撃は効かないのに向こうの攻撃は当たるという不条理に、瀬織は首を傾げた。実態がないのに殴れる、というのはどういうことなのか。
瀬織に気付いた篝が、そそくさと摺り足で寄ってきて、傍で耳打ちした。
「あの、なんというか……フロギストンモードのジゾライドは重力質量だけが存在してるっぽいんです」
「うん……?」
「ええと……理屈は私も良く分からないんですけど、恐竜の霊体自体、大昔に滅んだので本来なら重力に引かれて宇宙のずっと遠くに沈んでるって説があるんです。それを降霊で強引に現世に引き出しているから、反動で対称性微粒子が重力子と熱になって放出――」
話がややこしくなってきたので、瀬織は瀬織なりに理解を働かせて、簡潔な答を導き出した。
「……つまり、恐竜さんの影が重さを持ったようなものと」
「あっ……はい。大体そんな感じかと……」
解説を終えた篝はすっと身を引いて、整備の仕事に戻っていった。
それを待って、左大が作戦の説明を再開した。
「フロギストンモードを現状の装備で止めるのは無理だ。こうなった場合、敢えてジゾライドを埠頭の先端まで誘導。その後、足場を爆破して海中に叩き落す」
「海水で消火……できるんですの?」
「消火というより吹き飛ぶ。水蒸気爆発だ。こうなると、流石にジゾライドもオシマイだ。爆発は爆発だが、JDAMで港ごと吹っ飛ぶよりは遥かにマシだろうよ」
左大はまだ笑っている。酔っ払ったような悦楽の笑みだった。
「爆薬の起爆は有線。操作は現場で俺がやる」
それが、悦びの理由だった。
戦いの果てに愛する〈ジゾライド〉と心中するのも一興、ということだろう。
今となっては誰も左大を止める者はいない。他に適任者はなく、また止めても止まるような人間でもない。
左大は園衛に目をやった。
「俺が死のうが生きようが、ここの機材は全部くれてやるよ。俺が持ってても税金払えねぇしな。契約書、持ってきてあんだろ? サインしてやるよ」
「書類は……鏡花に作らせています」
要は先程カチナに突き付けたのと似たような文面になるので、現場で改変してプリントアウトしているということだ。ノートパソコンは持参しているとしても、この施設にプリンターは無さそうなので、近場のコンビニまで出向いているのだろう。
「ったく、遅っせぇんだよな~! 時間ねぇのによ~~っ!」
「誰かに取りに行かせましょうか?」
「じゃあ、手すきの人間……。そうだな、景ちゃんに頼もうか」
「……妥当ですね」
少し間を置いて、園衛は左大に同意した。含みのある発案の真意を気取られぬように、感情を抑えていた。
当の景はまたしても雑用を押し付けられて
「えぇ~~……」
と、困惑の声を上げていた。
景は否応なしに格納庫から追い出されてしまった。
別に自分が行かなくても、鏡花は車でコンビニから戻ってくるのだから時間的には大差ないだろうに。なんとも理不尽である。
スマホで周囲のコンビニを確認すると、海浜公園を挟んだ反対側の国道にあるようだった。直線距離にして500メートルほどだが、迂回すると三倍近い距離になる。
外に立たされて30分ほど経過した頃、ステップワゴンが少し離れた路上に止まった。
エンジンをかけたまま、運転席から鏡花が降りてきた。
「あら……きみって」
ついさっき顔を合わせただけの、ほぼ初対面の大人の女性相手に、景の喉が詰まる。
「あの……僕、左大さんの契約書を取ってこいって……」
景は、緊張して思わず目を逸らした。
不意に、鏡花が景の肩に手を置いた。
「きみは、あんな人に関わっちゃダメ」
「えっ、ええっ?」
先程の冷たい印象から一転して、鏡花は優しく景に語りかけてきた。
「東景くん……だったよね。園衛様からお話は伺っています。この件に関わったのは事故みたいなものだって」
「う、うん……まあ事故って言えば事故かも……」
成り行き上、瀬織についていった挙句にこんな大事に巻き込まれてしまった。今回は。自分の意思で積極的に関わったわけではない。
「明日も学校があるんでしょう? 私が家まで送っていきます」
「え、でも書類は」
「園衛様の御心を……分かってあげて」
後の方から、甲高いエンジン音が聞こえた。
〈綾鞍馬〉のジェットエンジンが起動する音だった。
景が振り向くと、装備換装を終えた〈雷王牙〉と、瀬織を背中に乗せた〈マガツチ改〉が出撃していくのが見えた。
ここに至り、景は左大と園衛の真意を悟った。
景を戦場から遠ざけて帰宅させるために、わざわざ無意味な使いに出したのだと。
置き去りにされることは、仕方がないと思う。あそこにいても何も出来ない。景はただの無力な少年でしかないのだから。
頭では分かっている。
それでも、この何とも言えない疎外感と孤独感は、どう言葉にして良いのか分からず、景は口を噤んで俯いた。
「辛いよね。見送るしか出来ないのって……」
慰撫のように、鏡花は背中から景の肩に両手を置いた。
格納庫内では、作戦の準備が最終段階に入っていた。
装備換装を終えた〈綾鞍馬〉の前で、左大がカチナに簡単なレクチャーを行っている。
左大は〈綾鞍馬〉の大腿部ハードポイントに接続された増設スラスターを指差した。
「こいつの両足にくっつけたのはマニューバスラスターユニット。最大で20秒間のロケット噴射が可能だ。空中での緊急回避に使え。断続的に噴射すれば最大で6回程度は使えるはずだ」
「ろ……ロケットだとぉ……?」
「ロケット、分かんだろ?」
「戦争中にドイツ軍がロンドンに撃ち込んだとか、アメリカ人が月に行ったとかは……聞いたことある」
頼りない返答だった。
カチナの中に納まっているのは長年ウェールズのド田舎に隠遁していた上、1960年代から最近までミイラになって干からびていた黒竜である。具体的にロケット推進がどういうものか良く分かっていないようだ。
ワイバーン・ゴーレムの武装にロケット弾もあったはずだが、実際にそれを使って自分が飛ぶのは想像し難いらしい。
だが、左大はお構いなしに続けた。
「脚部の可動でロケットの推進ベクトルを操作できる。有人機なら目玉が飛び出るような高G機動も可能だ。その辺はテメーの本能を綾鞍馬をシンクロさせて自動でやれ」
「簡単に言ってくれる……」
「さっき使ってた空飛ぶトカゲメカと同じと思え。基本は大体同じだ」
細々と教える時間はない。カチナを一応の経験者として扱って。感覚でこなせと無理強いするしかないのだ。
そして、左大は更なる無理を指示した。
「武装して重くなった綾鞍馬を、アレで上空に撃ちだす」
ギシギシと音を立てて〈祇園神楽〉たちがバックヤードから大型の機材を運んできた。
異様な機材だった。
風車を横倒しにしたような形のそれには、回転式のレバーと台車が付いている。折り畳まれた状態だが、それでも大きい。高さは3メートル、前後の幅は5メートルはある。
「アレって……な、なんじゃ……?」
引きつった顔でカチナが問うた。一見しただけでは何にどう使う機材なのか想像がつかなかった。
「手動式遠心カタパルトだ。どこでも人力で空繰や戦闘機械傀儡を投射できる優れモンだ」
つまり、あのレバーを手動でグルグルと回転させて、その遠心力で風車の端に設置した〈綾鞍馬〉を飛ばすのだという。
一転してアナクロ極まる手段にカチナは何か言いたげに、同時に恨めしげに左大を睨んだ。
どうしてこんなモノを使うのか。イヤガラセのつもりか貴様……そんな意思が込められている。が、左大はカチナの感情面を無視した。
「上空から攻撃するには短時間で高度を稼ぐ必要があるんだよ。自力の短距離離陸も可能だが、そんなことに燃料を使いたくない。分かるな? 現状、他に手段はねぇ」
「ぐう……」
左大の理屈は通っているので、カチナは分かるしかなかった。
カチナは悪趣味な遠心カタパルトを複雑な顔をして睨んでいた。
その一方で、瀬織は〈マガツチ改〉の整備をしていた。
機体内部のカーゴスペースから予備の勾玉が収納されたボックスを取り出し、破壊された勾玉と交換する。再設計に伴って整備性も向上したわけだが、本来ならこんな泥臭い雑事は他人にやらせることだ。
今は篝の手が空いていないので、仕方なく自分でやっている。
「なんだかあ……」
瀬織は現状を鑑みて、妙な引っかかりを感じた。
「左大さんの思い通りに動かされている……。そんな気がしますわねえ……」
左大の作戦指揮について言っているのではない。デイビスたち一派の襲撃からジゾライド起動、そして暴走とその始末に至るまで、何か作為的なものを感じるのだ。
本来なら言霊と呪術で人間を操るのを得意とする瀬織が、逆に人間に操られている……というのは何とも面白くない話だった。
園衛も同じことを考えていたようで、複雑な表情をしていた。
「政治の上手い人間というのは……自分の目的をいつの間にか組織の目的にすり替える。左大の爺さんもそうだった」
「おじい様は恐竜復活をまんまと手段と目的にして、お孫さんは恐竜を活躍させて華々しく散らすなんていうバカげた目的を……わたくし達にやらせようとしている。ああ、いやだいやだ……」
「だが、もはや是非もなし……。やるしかないのだ」
「やむを得ず、ですか。そんな言い訳をしてしまう辺り、完全にハメられましたわね」
逃げれば破滅。進んで地獄を突きぬけなければ参加者一同未来はない、という状況であった。
「景くんを帰したのは。せめてもの良識だと信じたいものです」
仮に左大が景をダシに瀬織を利用するほど悪辣な人間ならば、瀬織は作戦終了後に有無を言わさず殺そうと考えていた。しかし、ここで瀬織に歯止めを効かせるのもまた、左大の策なのかも知れない。
考えれば考えるほど左大は計り知れない人間に思える。これ以上は考えても意味はあるまい。
「とはいえ、それで素直に帰るとも思えませんがあ……」
一見ひ弱に見える景だが、あれで中々芯が強い。かつての瀬織を腕力と気合だけで捻じ伏せ、腕力と気合で左大の祖父と渡り合った男の血を受け継いでいるだけのことはある。
期待と不安を抱きつつ、瀬織は勾玉の再装填を終えて、〈マガツチ改〉の尾のカバーをガシャリと閉じた。
〈雷王牙〉のハンガーの固定が解除された。
装備換装を終え、頭部にはタテガミのごとくEMSSが配置され、前足のハードポイントにはワイヤーアンカー、後ろ足のハードポイントには二連装のマルチディスチャージャーが装備されている。
同じく換装を終えた〈綾鞍馬〉は翼下にゴーストフレアディスペンサーを懸架し、三式破星種子島を両手で抱えて、自力歩行で屋外に出ていった。背中の小型ジェットエンジンにはコンプレッサーから空気の供給が開始されており、静かな駆動音を鳴らしている。
それに続いて遠心カタパルトも、数体の〈祇園神楽〉の手押しで搬出された。
「さぁて、わたくしも頑張りますかあ」
肩を軽く鳴らして、瀬織は〈マガツチ改〉の背中に座った。
主の意図を理解した〈マガツチ改〉は8個の目を赤く光らせ、軽快に歩行を開始した。
それを〈雷王牙〉が追い越して、作戦地点まで先行する。
遠心カタパルトは格納庫の駐車場に搬出され、〈綾鞍馬〉の固定作業を完了した。カタパルトは斜め上方の夜天に向く。空気抵抗を減らして高初速を得るため、翼は折り畳んでいる。既にジェットエンジンは始動し、ゆっくりと回転数を上げている。駆動音が次第に音量を増していく。
カチナは格納庫の屋上に登り、そこから〈綾鞍馬〉と精神接続、遠隔操作をする手筈となっている。
駐車場の左大がライトを振って、カチナに合図を送った。今からカタパルトを使用する、と。
カチナは覚悟を決めて、屋上に座り込んだ。
「やるならやるで、とっととせい!」
冷たい海風が体を打つ。意思と関係なく鼻水が垂れてくる。
「なんたるヤワな体……ッ!」
眼下の駐車場で、遠心カタパルトがせり上がった。高さは5メートルにまで伸び、その下の三本のレバーを三体の〈祇園神楽〉が握った。
「おっしゃ回せーーーっ!」
左大の号令と共に、〈綾鞍馬〉のジェットエンジンが本格始動。キ――――ンという甲高い駆動音を周囲に響かせた。
〈祇園神楽〉たちがレバーを押し、カタパルトを回転させる。一心不乱に足踏み、前進、走り抜けて、遠心カタパルトがぐいぐいと回転加速する。一見、滑稽ですらある原始的投射装置はしかし、確実に〈綾鞍馬〉に上昇のためのエネルギーを加算し、一定の速度に達した。
「放てぇーーーーっ!」
エンジン音に掻き消されぬよう叫んだ左大の一声と同時に、〈綾鞍馬〉はアフターバーナーを点火。固定用フックを解除し、遠心力を以てして、我が身を夜天の高みへ撃ち出した。
遠心力とアフターバーナーの推力を併用して、〈綾鞍馬〉は瞬く間に上空300メートルの高度まで到達。揚力を得るために翼を展開し、巡航モードに移行した。
地上からアフターバーナーのブラスト光を確認した左大は。無線機を片手に、速足でトレーラーへ向かった。
「こちら左大。綾鞍馬の射出は成功。俺は埠頭で爆薬の敷設を行う。作戦は5分後に開始だ。どうぞ」
無線の相手は瀬織とカチナだ。
カチナは渋々「了解……」と短く返答した。
もう一方の瀬織は、気だるげに左大に応答した。
『こちら東瀬織。了解ですわぁ。でも左大さん、これってどれくらい勝算のある戦いなんですのぉ?』
左大はトレーラーの運転席に乗った。
瀬織は頭の切れる人形だ。知能や洞察力も並大抵ではない。これが勝算の低い戦いだと分かっていて、わざわざ試すように聞いてくるのだ。
左大はそれを理解していた。
ここで答を誤れば。瀬織を御することなぞ不可能であろう。
戦局が悪化すればアッサリと見切りをつけられる。瀬織は躊躇なく戦線を離脱するだろう。彼女にしてみれば、人生を快適に生きるために重要な戦いではあっても、命をかけるほどではないのだから。
しかし、左大は迷わずに答えた。
「数字なんて関係ねぇよ」
直感で、思ったままの戦いの回答を、笑みを浮かべて答えた。
「覚悟を決めた人間の行動ってのは、確率も数字も覆す。俺たちは、そうやって戦ってきたんだ」
無線の奥から、「ふっ」と瀬織の吹き出す声がした。
『……ごもっともですわ』
「文句でもあるかい?」
『逆ですわ。人間は、そうでなくてはいけません。人間の覚悟の妙味というのは、わたくし死ぬほど思い知っていますからね。ねぇ、カチナさん?』
含み笑いをしながら、瀬織は無線を聞いているカチナに言った。
カチナは複雑な心境を込めた「むうう……」という唸り声を出すだけだった。
巨大に存在に挑んだ人間たちが、いつもどういう結果にたどり着いたかは、人外の少女たちが最も良く知ることだ。比喩でもなく、実際に死ぬほどに思い知らされている。
『確率なんてクソくらえ……良い答ですわ。それでは左大さん、ごきげんよう』
瀬織は通信を終えた。
別れの言葉は左大の武運を期待するようでもあり、死に行く者を黄泉路に送り出す弔辞のようでもあった。
きっと、その両方の意味を込めてあるのだと、左大は思った。
「さぁ~て、いくかねぇ! 俺の最後の花道によォ!」
未練の全てを焼き尽くすために清々と、左大は思いきり良くエンジンのキーを回した。
トレーラーは往く。
ほんの500メートル先の戦場に向かって、排気ガスを盛大に吹き出して。
通り過ぎるディーゼルエンジンの排気に咳き込みながら、場違いな少年、東景は格納庫に戻ってきた。
格納庫の中を覗き込むと、園衛が有線式の固定電話をどこからか引っ張ってきて、受話器に齧りついているのが見えた。
「こちらの作戦は今しがた開始されました。百里からの発進は……はい。15分後……ですね」
園衛はスマホの時計に目をやりつつ、受話器に首を傾けた。景からは表情は見えなかった。
「半分はこちらの不手際です。責任の半分は認めます。続きは夜が明けてから、お話しましょう。それでは」
通話を終えると、園衛は景の方に振り返った。電話中でも既に気配を察知していたらしい。
「やはり……帰ってきたか」
景は恨めしげに園衛を見ている。
大人の思いやりだと分かっていても、除け者にされるのは良い気分はしないのだろう。
景の背後には、鏡花が付き添っていた。
「申し訳ありません、園衛様。景くんはどうしても戻りたいと……」
「構わん。無理に家に帰せとは言っていない。好きにさせてやれ」
園衛は景の前に歩み寄ると、腰を曲げて少年の目線を合わせた。
「戦いを……瀬織のことを見届けにきたのか?」
「……それもあります」
「他には?」
「左大さんのことを……憶えておきたいんだ……」
先程、景は左大に戦いの記録者になってほしいと言われたが、それに愚直に従っているわけではないだろう。左大は別に景の上司でも親でもない。命令を聞く義理はなく、そんな気休めの言葉に縛られる必要もない。
景は、見知った人間が消えてしまうのを恐れている。
死んで物理的に消えてしまうこと以上に、誰の記憶からも忘れられて、痕跡すら消えてしまうことを潜在的に恐怖しているのだろう。
これについて景自身を問い詰めても、具体的な回答は得られまい。自分の中のモヤモヤを言葉にするには、まだ時間が必要な年齢なのだ。
故に、園衛はそれ以上は何も問わない。
「分かった。だが一つ言っておく。ここも機関砲の射程内だ。安全な場所だと思うな」
ジゾライドに装備された35mm機関砲の射程は約5km。対空砲としても使用されるその砲撃は掠めただけでも生身の人間は即死に至る。この格納庫の壁程度は障壁にすらならず、容易く貫通されるだろう。流れ弾が飛んでこない保障はどこにもない。即ち、ここもまた最前線なのだ。
景は口をぎゅっと結んで、息を呑んで頷いた。
「ついてこい。外に行くぞ」
園衛は景の真横を通り過ぎ、格納庫の外に向かった。
壁なぞ流れ弾には無意味なのだから、引きこもっている理由はない。堂々と風に吹かれて観戦しようというのだ。
自分の鏡花に挟まれて、ちょこちょこと後についてくる景を横目で見やって、園衛はそれとなく口を開いた。
「左大さんは……昔、私が現役の頃は……傀儡の開発部門にいたんだ。といっても、研究室や工場で仕事するより、現場で実際に運用をしてみせる人だった」
「実演販売……みたいな?」
「そんな所だ。仕様書にある通りの運用が出来ないとクレームを飛ばす現場に行って、実際に戦闘機械傀儡を動かしてみた。『ほぉ~ら! 仕様書通りに使えるじゃあねぇか! できねぇのはテメーらのやる気が足りねぇからだよ~~っ!』ってな。それで、かなりの無茶をやって見せて、現場を黙らせていた」
当時の様子は景にも容易に想像できたようで、苦笑いを零した。
「あの人は戦闘機械傀儡を最強たらしめるのが生き甲斐だったのかも知れない。なのに、自分は最後の戦いに参加できなかった。本当は強引にでも参加する気だったようだが、連日の調整作業で疲れて寝坊して……そんな些細な失敗で死に場所を無くしてしまった。死ぬほど悔しかったと思う。今までずっと燻っていたのだと思う。その無念を、今日この時に晴らせるのだとしたら……」
戦いに狂喜するのも、自ら死に向かっていくのも、分かる話のような気がした。
左大は10年前に、死すべき時に死ねなかった。手塩にかけた戦闘機械傀儡たちの最期の戦いを見届けてやることも出来なかった。彼の10年間は無念を抱えて生き続ける死体の日々だったのだろう。
その地獄が今日、終わる。
尤も、見方を変えれば単なる自己満足の死に舞台である。公開自殺、あるいは葬式会場のセッティングのために周囲を巻き込むのは、とてつもない迷惑だということには変わらない。
理解はできても、100%の同情と共感を得ることは出来ない。
それを知った景の表情は複雑だった。
「左大さんは、もう生きていたくないの? この戦いに勝ったら、その時は……?」
「さあな。あの人曰く、先のことなど考えるだけ無駄だそうだ」
「何も考えてないってこと?」
「まるでバカみたいに聞こえるが、戦いの中では一理ある。目の前の敵すら倒せずに明日明後日のことを考えるのは阿呆。10年後、100年後に思いを巡らせるのはただの夢想家だ。私から見ても……そんな奴は隙だらけの巻き藁だな」
園衛は吐き捨てるように言った。実際に心当たりがあるようで、拳をギリギリと握っている。
たぶん、過去にそんな戯言を吐いた夢想家を次の瞬間に殴り倒した、いや殴り殺した経験があるのだ。
幾百、幾千の実戦を経た経験者の気迫を間近に感じては、景が口を挟む余地などなかった。
景の怯えを察して、園衛は感情を抑えて拳を緩めた。
「逆に……これから死ぬ人間が明日のことなど考えても意味がない、と思って……。いや、他人のことをアレコレと邪推するのはもう止めよう」
親戚として付き合いが長く、人となりを知っていても、左大億三郎という人間の全てを計り知ったような口を効くのは良識に欠けると、園衛は思い留まった。
それに、もう目的の場所には着いた。
格納庫と隣の工場の間の空き地からは、埠頭が良く見渡せた。とうに人は避難しているが、ライトやクレーンの航空障害灯は点灯している。
その埠頭の方向から、この世ならざる雄叫びが響いてきた。
「始まったな」
園衛は目を細めて姿勢を低くした。
既に滅んだはずの太古の竜王の咆哮が戦闘再開の合図であることは、景にも理解できた。
とっさに身を屈める景の耳に、ポップコーンが弾けるような音が聞こえた。存外に地味な機関砲の発射音に拍子抜けした次の瞬間、道路の反対側のアスファルトが弾け飛んだ。
機関砲の流れ弾が跳弾したのだとすぐに気づいて、景は初めて戦場を実感して
「うぅっ……っ」
と押し殺した悲鳴を漏らした。
カチナ・ホワイトは赤い勾玉を握り、意識を上空の〈綾鞍馬〉へと転写した。
その行為自体は、さして難しくない。ワイバーン・ゴーレムへの精神転写と同じだ。
だが、肌に感じる風の流れが違う。
違和感に目が眩み、脳がぐらりと揺れる錯覚に酔う。
カチナはかつて飛竜であったが、〈綾鞍馬〉は鳥類を模した空繰だ。空中での挙動、重量バランス等は重爆撃機と軽快な戦闘機並に異なる。
「うっ……」
額を抑えて意識を保つ。
空中での空間認識の喪失はそのまま墜落死に繋がる。
上下をしっかり認識して、痺れる体躯に神経と血を通わせる。
〈綾鞍馬〉は俄かに姿勢を崩しかけたが、カチナの制御により正常な巡航に復帰した。
カチナは〈綾鞍馬〉と視覚を同調させた。
〈綾鞍馬〉の側からのサポートで熱探知と磁気反応のセンサー情報が思考の片隅に投映される。視界が三つに増えたような奇妙な感覚だが、存外素直に受け入れることが出来た。カチナ自身が人外の精神ゆえか。
眼下の地表に、濃厚な熱を放つ赤い暴君の影が見えた。
それは倒すべき仇敵。戦闘機械傀儡〈ジゾライド〉あるいは〈レギュラス〉と呼ばれる、鋼鉄の竜王。
「ぬう……」
逸る感情が精神接続にフィードバックされ、〈綾鞍馬〉の指が三式破星種子島の引き金に掛かった。攻撃するにはまだ早すぎる。
カチナは理性で感情を抑え込んだ。
直後、視界の一つ、IRセンサーの赤外線映像内で赤色の反応が膨れ上がった。
〈ジゾライド〉のエンジンがアイドリング状態から復帰したのだと即座に理解した。
敵意という漠然とした情報を野生の勘で察知されたのだ。不条理に奥歯を噛み、意識の一片を肉体に戻して、手元を見た。
屋上に登る前に渡された、デジタル式の腕時計。作戦開始までの時計合わせをしてある。
残るカウントは10秒だった。
〈ジゾライド〉に感知されたということは、次の瞬間に対空砲火が始まるかも知れない。
今すぐ撃つべきか、それとも待つべきか。
そもそも、カチナと左大たちとの間に信頼関係は存在しない。左大は私情を挟まぬと言ったが、それ自体が信用できない。カチナを上手く乗せて囮に使い、使い潰すのが本意という可能性すらある。
疑念は瞬く間に膨れ上がる。
僅か10秒間の逡巡が永遠に感じられた。
疑心は左大たちへの憎悪に変わりつつあった。今すぐ精神接続を切って逃げよう。〈ジゾライド〉が大いに暴れてこの場の人間すべてが死んでしまえば、借金を課す奴もいなくなる。復讐が一括に達成される、それこそが最適解の選択ではないか。
精神の天秤が傾きかけた寸前、カチナは勾玉を握る手を抑えた。
爪を食いこませて、痛みで選択を抑え込む。
「その選択肢は……選ばんぞ」
デイビスと同じ過ちは繰り返さない。
目先に降って湧いた勝利の美酒とは、運命の女神が用意した毒である。
人の生とは、往々にしてそういうものだ。1000年以上も人間と共に生きていれば、運命のパターンは飽きるほどに学べる。
「我はなまじ長生きはしておらんのだよ……運命のクソビッチが……っ!」
時計のカウントは0となり、最終作戦の幕が上がった。
〈ジゾライド〉の精神に、チクリと棘が刺さった。
電子的にこの機械の体を統制するCPUが「要冷却」との信号を送ってきたので、素直にそれに従っている。体が熱を帯びれば冷やさなければならない。当たり前の本能だ。
その冷却中に、自分に敵意を向ける何かが接近していると感じた。
CPUは相変わらず「要冷却」の信号を発しているが、そんなことはもうどうでも良い。
己の破壊衝動のままに、小賢しくも向かってくる羽虫を磨り潰すだけだ。
精神が覚醒し、〈ジゾライド〉の両目に再び炎が灯った。
関節の動きが鈍いが、知ったことではない。
〈ジゾライド〉の統制下にない火器管制AIが自動迎撃モードに移行する。頭部のIRセンサーが展開し、遠方から接近してくる熱源を一つ捉えた。
動きの早い、四足の獣。IFFの敵味方識別は初期化されており、UNKOWNと表示されている。
AIは即座に「発砲 可」の判断を下した。識別できない場合は味方以外の脅威判定対象は全て破壊しろ、というのがこの火器管制AIに入力された最優先交戦規定だった。
腹部に装備された二門の35mm機関砲が、闇の中の熱源に向けられた。
いかに対象の速度が早かろうと、地表を二次元的に動く物体を捕捉するのは難しくない。周囲は遮蔽物に乏しく、四車線の道路脇には背の低い防風林程度しかない。
対象は道路を一直線に、こちらに向かってくる。距離は300メートル以上。砲弾の散布界は十分に取れる。射撃モードをワイドに取れば、一瞬で制圧が可能だ。
外部からのデータリンクが入る。電子戦用の僚機からの送信だった。
送信者の認識コード名は〈Stego.Es〉と表示されている。電子戦用の僚機、ステゴサウルス型戦闘機械傀儡からの正式な送信である。AIは何の疑問もなくそれを受け取った。
次の瞬間、熱源が無数に出現した。
空中に、道路上に、更には左右の広範囲に大小の熱源が唐突に出現し、全てが異なる速度で〈ジゾライド〉に殺到してくる。
AIは混乱した。
各熱源の再探知、光学情報による形状識別、情報処理と対応の判断が間に合わない。
本来ならば情報ノイズを除去し、的確な判断を下せる人間の頭脳が今の〈ジゾライド〉には欠如していた。部隊運用で電子戦をサポートし、データリンクで正確な攻撃対象を訂正して伝えてくれる僚機もいない。
スタンドアローンの意思決定を迫られたAIはやむを得ず、最も近い空中の熱源から迎撃。
35mm機関砲が断続的に発射される。熱源を確実に撃ち抜き、破砕する砲撃。曳光弾の光が夜を貫き、彼方へと消えていく。
砲弾は、何も存在しない虚空を無闇に貫いていた。
やや離れた防風林の中に片膝をつき、瀬織が息を潜める。
〈マガツチ改〉の電子戦機能を全開にして、〈ジゾライド〉に欺瞞情報を送っていた。
強引に小型化された電子戦システムの有効範囲は半径200メートルほど。機関砲の射程範囲外には逃れられない。
電子機器の発熱は凄まじく、瀬織の人外の身を以てしても耐え難い。
「暑い……。それ以上に……」
全身から吹き出す汗を拭う余裕すらない。神経が極度に緊張していた。
左大の言う通り、〈ジゾライド〉の電子的なセキュリティはザルであった。同じ人類の、それもより高度な電子的攻撃を受ける想定をした兵器ではないからだ。
瀬織は架空の友軍機の認識コードに偽装して、偽りのデータを敵の火器管制AIに送信している。
〈ジゾライド〉の機関砲は存在しない架空の熱源と、光学映像で捉えた〈雷王牙〉の実像とに攻撃を分散していた。
〈雷王牙〉は軽快な機動で自らに降り注ぐ砲撃を回避している。予測し難い変則的かつ三次元的な回避運動だった。左右のステップの飛距離を変えつつ、時には道路脇の防風林に飛び込み、木々の上を駆け回る。
防風林が機関砲で弾け飛ぶと、ワイヤーアンカーを地面に打ち込んで高速で降下、離脱した。
〈雷王牙〉は被弾することなく巧みに回避し続けている。
一方で、〈マガツチ改〉の発熱自体は偽装できない。万一、機関砲がこちらに飛んでくれば、今の瀬織に回避できる余裕はない。一発でも当たれば、〈マガツチ改〉の軽装甲ごと瀬織の体は粉々だ。
すなわち、現状は完全な運任せである。
仮にも神である自分が祈るべき神などいるわけがないので、瀬織は自嘲気味に笑うしかなかった。
「きっついんですよね、本当……。イヤですわね集団行動って……! 生きるも死ぬも他人頼みで!」
瀬織は意識の中で、〈マガツチ改〉のクラッキングツールから適当な攻撃パターンを選択して、〈ジゾライド〉に送信した。
信頼関係などまるで存在しない即席のチームメイト達と、今の己を恨めしく思いながら。
格納庫の屋上から〈綾鞍馬〉を操作するカチナに、瀬織からの通信が入った。
『聞こえてますか、カチナさん! 敵は撹乱されてますので、とっとと攻撃開始してくださいな!』
余裕に欠ける声だった。
緊張のひっ迫がカチナにも伝播し、鼓動が早まる。
意識を〈綾鞍馬〉の方に切り替え、攻撃態勢に入った。
「ラジャー……」
巡航形態を解き、〈綾鞍馬〉の翼が戦闘機動用に展開。
熱探知と暗視映像から〈ジゾライド〉のエンジンのインテークを確認した。
このまま上空から狙撃といきたいが、やはりそう上手くはいかなかった。
〈綾鞍馬〉の知覚、野生の勘といって良いそれが、敵センサーによる索敵を感知した。
カチナの意識に針のような刺激が走り、本能的に機体を操作する。
「ゴーダイブ!」
機首を倒し、〈綾鞍馬〉を急降下させる。
その直後、地上の〈ジゾライド〉が火を噴いた。
背面ターボシャフトエンジン周囲に装備された4基のロケット弾ポッドの内、1基が19発のロケット弾を一斉者したのだ。
地上の欺瞞熱源に向かって機関砲を撃つのと平行しての、対空攻撃だった。
高速回転する各ロケット弾は取り巻き方の翼を展開して弾道を安定させつつ、扇状に弾幕を広げて、時限信管によりフレシェット弾を放出。ロケット弾一つにつき、2500発の子弾である。即ち、合計47500発の散弾の対空防護壁が押し寄せる。
カチナは事前のレクチャーからそれを知っている。故に、フレシェット弾の散布界が広がり切るより早く、散弾の壁の内側まで急降下した。
〈綾鞍馬〉は翼を畳み、流線形の高速形態となって墜ちる。
それでも、対空防御兵器として完成された弾幕を抜けるには足りない。速度が足りない。運動性能が足りない。
それを強引に補うのは、両脚部に装備されたマニューバスラスターユニット。
太腿を可動させ、疑似的なベクターノズルとして噴射。横ベクトルのロケット推進が機体に強烈な捻りを与え、フレシェット弾の壁を鮮やかに回避。
青いブラスト光が渦を描く急転直下の夜天瞬転の刹那生滅の中、〈綾鞍馬〉の腕が三式破星種子島を構える。
地表まで80メートル。すぐさま機首を上げなければ激突し砕け散るその瞬間、カチナは〈ジゾライド〉の背部エンジン吸入口を捉えた。
発砲、12.7㎜徹甲焼夷弾。
それは高硬度耐熱合金製のファンを撃ち抜き、エンジン内部のコンプレッサーにまで突き刺さった。エンジンの口から火花が散り、赤い旋風が可視化された。
「まず、一発ゥ!」
カチナを手応えを感じ、〈綾鞍馬〉に急上昇をかける。地表50メートルから翼で大気を叩き、ジェットとロケットの軽い噴射で姿勢制御。人間ならブラックアウトするほどの急制動と加速で、空繰は再び夜天に昇った。
地表では、〈ジゾライド〉が吼えた。
〈ジゾライド〉は苛立っていた。
火器管制AIによるオートの迎撃はなんら成果を上げず、あまつさえ空からの羽虫が自分の体に傷をつけた。
遥か太古より最強の生物として地上に君臨し、この時代においても無敵のはずの自分が、遥かに矮小な存在に翻弄されている。愚弄されている。舐められている。
原始的感情と矮小な知性を律する人間の理性を欠いた暴君が、今の〈ジゾライド〉だった。
苛立ちが破損したエンジンの出力を過剰に上げていく。回転音が高鳴り、異物として混入した徹甲弾と内部部品との接触で、ガリガリガリと何かの切削音が鳴り響く。
そこに、AIが外部からのデータリンクを受信。僚機のレーダースコープ映像が最大まで拡大表示された。
映像は全てが真っ白に塗りつぶされている。あらゆるパルス方式でも探知不能な、ECMで完全に妨害された状態のスコープだった。その映像ウインドウが最大サイズで次々と展開される。
AIはウインドウを閉じるが、それ以上の速度でウインドウが増えていく。送信されるデータ量は異常に大きく、それはCPUの処理能力を圧迫し、コンピューター全体の動作が遅延し始めた。ウインドウの閉じるスピードが遅れ、続々と追加される情報が展開される速度も遅れ始めた。
〈ジゾライド〉自身の知覚が上空から最接近する敵意を察知した。その敵意が、突如として無数に増えた。
〈綾鞍馬〉がゴーストフレアディスペンサーを放出したのだ。
これは、通常のフレアと微小な怨霊を同梱した対妖魔撹乱兵装であり、霊気探知や第六感で相手の位置を探るような敵に対して用いる。要は人工的な人魂だ。
今の〈ジゾライド〉には怨霊と〈綾鞍馬〉の区別がつかない。
AIがロケット弾による迎撃を選択するが、処理速度が鈍い。時限信管と攻撃範囲も闇雲な設定だった。
結果、ロケット弾の発射が僅かに遅れた。高機動飛行タイプの敵機の迎撃には、致命的な遅延だった。
呆気なく弾幕を抜かれ、エンジン内部に第2撃を食らった。
エンジンの奥にまで更に徹甲弾が食いこむ。コンプレッサーが貫通され、タービンブレードにクラックが発生した。エンジンの異音が増していく。緊急停止をかける知性は暴君なる竜王にはない。
コンピューターの冷却ファンが悲鳴を上げる。〈ジゾライド〉の機体そのものから伝導する高熱に加え、内なる熱を放出し切れずに遂にファンのモーターが赤熱化。オーバーヒートを起こし、ぶっつりと焼き切れた。
AIの処理していた情報の一切合切がブラックアウトした。コンピューターはシステムダウンし、〈ジゾライド〉の火器管制は機能を停止した。
そして遂に、ターボシャフトエンジンが火を吹いた。
コンプレッサーの機能不全によるエンジンストールだった。
隙間という隙間からバックファイアが溢れ出し、轟音と震動が〈ジゾライド〉の背中を揺らした。装甲版が内部からガタガタと震えている。
本来なら即座にエンジン出力を絞り、サポート要員が消火すべき事態であるが、今の〈ジゾライド〉には対処不能。それどころか、逆にエンジン出力を上げてしまった。
〈ジゾライド〉は自分の体が少しばかり傷つこうと関係ない。この程度の傷は踏ん張れば乗り切れる。全身の筋肉を奮わせて、剛脚で大地を蹴って、どんな敵でも一気に踏み潰す自信と殺意があった。
無知蒙昧なる選択であった。
背部エンジンの回転に合わせて、火花の輪が機体の周囲に現れていた。
その火花の渦中にて、ターボシャフトエンジンが断末魔の悲鳴を上げた。
ギィィィィィィィ……っとタービンブレードが捩じ切れる音の後、炎と共にエンジンが爆発した。
徹甲弾を挟んだまま尚も出力を上げた結果、内部構造は全壊。タービンブレードやコンプレッサーの破片を大量に吸い込み、致命的な破壊に至ったのだ。
爆炎を背負い、〈ジゾライド〉はわけも分からず絶叫した。
「やっ……やったぁ?」
上空を旋回する〈綾鞍馬〉の目を通して状況を見ていたカチナが、素っ頓狂な声を上げた。
〈ジゾライド〉の背中が爆発したようだが、手順としてはまだ不足しているはずだ。
「まだ2発しか撃ちこんどらんぞぉ?」
それについて、瀬織から通信が入った。
『恐らく……左大さんなりの仕込みですね』
「ど、どういうことじゃ……」
『三発当てなければならない、と言われればカチナさんは必死に当てようとするでしょう? だから本来は二発で十分だったんでしょうね』
「うまく乗せられたっちゅうことかい……」
信頼関係のない間柄ゆえ、左大は話術でカチナの力と気迫を極限まで引き出したということだ。
一杯喰わされたわけだが、結果として作戦は成功したので、カチナは複雑な心境だった。
『コレで終わりなら万々歳なんですがぁ……』
含みのある瀬織の物言いを受けながら、カチナは〈ジゾライド〉を望遠映像で確認した。
炎上しつつも、尚も埠頭に進もうとしている。だが関節はオーバーヒートし、エンジンは破壊されて電力供給が途絶している。コンデンサーも異常加熱で機能が低下しているらしく、人工筋肉が満足に稼働できないでいる。
先刻の戦闘とは比較にならないほどに動きは緩慢で、足を引き摺るように歩むこと数歩。
〈ジゾライド〉の動きが止まった。
機体の稼働状態を示す両目のインジケーターも消灯し、完全な機能停止状態だった。
埠頭の先端では、左大による爆薬敷設が行われていた。
陸の方からは、機関砲の発砲音がとめどなく聞こえている。
〈祇園神楽〉たちが工事用ドリルでコンクリートに穴を空け、そこに左大がC4爆薬を押し込む。一つの穴につき2kg。この爆破ポイントを合計で40ポイント、ライン状に作り上げた。
「あのぉ~……これって全部で何kgあるんです?」
左大を手伝って爆薬をトレーラーから運びながら、篝が問うた。
「C4は合計80kg。一斉起爆で埠頭を崩壊させる予定だ」
物騒な内容を平然と答える左大に、篝は身震いした。
C4はプラスチック爆弾であり、衝撃や熱で爆発することはない。それでも、自分が持っている物の破壊力を想像すると、篝は血の気が引く思いだった。
「あ、あのぉ……そろそろ敷設終わる頃ですし……わた、わたし、帰って……良いですか?」
「オゥ。後は俺一人でやるぜ」
言うと、左大は簡素な起爆装置を見せつけた。有線式の単純な代物である。
「あの……左大さん。無線装置とか無いんですか?」
「残念だが無い。元々爺さんが自爆用に用意してたモンなんでな」
「爆発に巻き込まれたり、しません?」
「さあ? どうだろうな?」
左大は相も変わらず、愉しげに答えた。
自分の葬式を嬉々として準備する、そんな人間はある意味で爆薬より恐ろしい。
篝はぶるっ、と震えて「うひひひひ……」と妙な悲鳴を上げながら退散した。
暫くして機関砲の砲声は途絶え、爆発音が聞こえてから、数分が経過した。
楽観的に考えれば作戦は成功。左大の爆薬設置は単なる徒労と杞憂に終わる――のだろうが、往々にして人生とはままならぬもの。
多くの人にとっては最悪の事態、しかし左大にとっては待ち望んでいた山場がやってくる。
「フハッ! そうだろうなあ。そうでなくちゃなあ、ジゾライドよぉ!」
左大が狂喜して笑いかける夜の彼方に、赤い光が立ち昇った。
瀬織は〈マガツチ改〉の電子戦モードを解除し、防風林から道路に出た。
静止した〈ジゾライド〉とは100メートルほど距離を空けている。位置としては〈ジゾライド〉の背後であり、機関砲の射線には立たない。
夜闇に目を凝らせば、未だ燃え続けるターボシャフトエンジンが見えた。
再び動き出す気配はない。だが、油断はしない。
「さて……どうですかね」
話によれば、更に状況が悪化する可能性もある。
緊張に強張る背筋の奥に、悪寒が走った。
厭な感覚だった。
神である自分でも知らない感覚。だが、この世の摂理から何かが外れた。これから、あってはならないことが起きてしまう。それだけは分かる。
〈ジゾライド〉の背中が、ぐにゃりと歪んだ。錯覚ではない。瀬織の目が見ている視覚が、周囲の風景ごと下に引っ張られたように歪むのが確かに見えた。
「なっ!」
狼狽える瀬織の目の前で。〈ジゾライド〉の全身から赤い閃光が奔った。
そして内側から機体が赤熱化していく。
「これが例のアレですか! カチナさん、今すぐ攻撃を!」
『こっ、攻撃ぃ? どうやって!』
「なんでも良いから撃ち込むんですよ!」
戸惑うカチナを押しきる瀬織。
自らも両腕の装甲を展開し、電位操作で雷の円刃を形成する。
「イチかバチか! 重連合体方術――」
瀬織は二対の回転円刃を、舞うような動作で投射。
「矢矧重ね!」
円刃を重ねて変化球めいた軌道を取らせる。
それらは〈ジゾライド〉の正面まで飛翔すると、電位差の反発で軌道を変更。カーブを描いて、〈ジゾライド〉の胸部めがけて突進した。
同時に、上空の〈綾鞍馬〉が三式破星種子島をターボしシャフトエンジンの破損部に三連射した。
矢矧の円刃は〈ジゾライド〉の胸部、中枢回路である勾玉を狙っていた。機能停止した今ならば破壊できると踏んだ攻撃だったが、目論見は呆気なく敗れ去った。
円刃はワイバーン・ゴーレムの攻撃と同様に、魔力で増幅された電荷を打ち消されて霧散した。
上空からの狙撃は、奇妙な弾道を描いて目標から逸れた。
カチナと瀬織の目には、大気を歪ませる徹甲焼夷弾の熱い弾道が、〈ジゾライド〉に接近した途端に斜め方向に逸れていくのが見えた。
「なにが起き――」
言葉の途中で、瀬織は更なる違和感を覚えた。
体が、妙に、重、い。
更に歪む視界の奥で、〈ジゾライド〉の全身が炎に変わった。
「やはり……こうなってしまうか」
園衛は双眼鏡から目を離した。
超高温で発光する〈ジゾライド〉を裸眼で見るのは危険が伴う。太陽を直視するようなものだ。
周囲には何発かの流れ弾の弾痕があるものの、景と園衛は無事だった。
景は不安げに園衛を見上げた。
「瀬織は……どうなったのさ!」
「こうなってしまっては分からん」
「そんな! 園衛様は助けに……」
「フッ……今の私に、アレと生身で戦えと?」
自嘲気味に笑う園衛が、横目で遠方を見やった。
赤い火柱と化した〈ジゾライド〉が、この距離からでも良く見えた。
左大の話の通り、最強の戦闘機械傀儡は世界の全てを焼き尽くす炎の竜と化している。生身の園衛では近づいただけで焼死するだろう。
異常なのは見た目だけではない。妙な音も聞こえる。
バキバキと木々が折れ、アスファルトの道路が破砕される音だった。
〈ジゾライド〉が踏み荒らしているわけではない。近くを通過するだけで、不自然に破壊が広がっているのが肉眼でも見えた。
「ン……どういうことだ?」
園衛が不可解な現象に首を傾げていると、答えてくれそうな人間が帰ってきた。
「ひっ、ひぃぃぃぃぃ……もぅやだぁ……」
息を切らして、篝が埠頭から戻ってきたのだ。
「もう帰りましょうよ園衛様ぁ!」
「まだ帰らんぞ。それはともかく、アレは何が起きている!」
涙目で縋り付く篝に、アレを見ろと園衛は〈ジゾライド〉の方向を指差した。
篝は「んー……?」と唸って暫く目を凝らすこと約5秒後、血相を変えて叫んだ。
「うぅううぅぅあああああああ! なんですかアレはぁ~~~っっっ!」
「だから何なのだ! 分かるなら説明しろ!」
園衛が肩を揺すられて、篝は声を抑えて、だが早口に語り始めた。
「空繰とか戦闘機械傀儡の中枢には、怨念とか魂が定着させてあるんですが、それってつまり死者を強引に現世に引き戻してるってことなんです。とっくの昔にバラバラなって、重力に引かれて沈んでしまった情報を引っ張り出す。これはホワイトホールみたいなもので……」
「はぁ?」
「ホワイトホールっていうのは、現在では実在しない概念とされているんです。それが観測されるとしたら、マイナスの時間が存在する世界。デッドユニバース、もしくは虚数次元。分かり易く言えば死者の世界です。その死者の世界から、更にエネルギーを取り出そうとしているのが多分……アレです」
篝は燃え上がる〈ジゾライド〉を指差した。
「直に見るのは初めてですが……フロギストンモードっていうのは、ジゾライドが今以上の力を欲した結果、強引に向こう側からエネルギーを引き出す形態なんです、恐らく。でも向こう側は強い力でそれを引き戻そうとするから、重力が生じて……周囲の物体が質量増加に耐えられずに潰れているんですよ……多分」
説明はされたものの、園衛は困惑して息を吐いた。
「ホッ……どうして急にそんなSFみたいな話になるんだ!」
「あ、あんなの使って戦ってたんだから、昔っから十分SFじゃないですかあ!」
あんなの、と篝が指差すのは〈ジゾライド〉のことだ。
機能中枢はオカルトめいているが。現代兵器で身を固めた恐竜メカは確かにSF以外の何者でもない。
「くっ……どうすれば止められる!」
「そりゃもう左大さんの作戦に賭けるしか……。でも、あの重力場じゃ……」
離れていても事態が異常すぎるのは一目瞭然だった。
〈ジゾライド〉の周囲の空間が歪んで見える。重力は光すら捻じ曲げるからだ。天体現象さながらの最前線がどんな状態なのか、それはもはや園衛の想像の埒外だった。
世界が、異界に引き込まれている。
人間の観測によれば重力異常云々で片付けられるのだろうが、瀬織の認識ではそういう形容の仕方以外にあり得なかった。
瀬織の知覚では、〈ジゾライド〉の足元から膨大な熱の奔流が溢れ出し、その足元の根源が熱を〈ジゾライド〉と周囲の空間ごと向こう側、ここではない彼方に引き戻そうとしている。そういう風に見えている。
「ぬっ……冗談ではありませんことよぉ……っ!」
全身が重い。腕を動かすことすら辛い。退避しようにも足は引き摺るようにしか動かせなかった。
〈マガツチ改〉に重力異常を観測できる機器は搭載されていないが、機体のパフォーマンス異常による警告をデータと音声で伝えてきた。
『警告 機体全体 に 高負荷 アリ 機動性 三割 低下』
「そっちで対処なさい!」
仮にも近代改修された戦闘機械傀儡ならば自己対応してみせろ、と瀬織は焦りを露わに檄を飛ばした。
『上意 拝命 人工筋肉 基礎筋力設定 三割増加 関節部硬直性 調整 電力消費量――』
〈マガツチ改〉からのアナウンスの最中、〈ジゾライド〉の背部ロケット弾ポッドが可動するのが見えた。機体諸共に炎塊と化したポッドが可動し砲口がこちらを狙った。
「ごちゃごちゃ煩いッ!」
アナウンスを遮り、瀬織が跳躍すると同時に、ロケット弾が斉射された。
それは、既にロケット弾ではなかった。
燃え尽きて融解した金属の塊が射出されたのだ。それはオレンジの火球となって粘性の尾を引き、弾けて無数の融解金属の散弾を放出した。
「なんとォーーーーーッ!」
合計47500発の超高熱弾雨が瀬織に襲いかかった。もはやそれは金属粒子熱線の暴風雨であった。
ジャンプしたのは誤った判断だった。瀬織の能力による気圧操作で多少の空中運動は出来ても、〈綾鞍馬〉のような高速機動は不可能だ。すなわち、回避不能。
万事休す――と思われた矢先、地上から大声が聞こえた。
「ガードしろォ!」
左大の声だった。
瀬織、自らを守る思考を最優先。
ロケット弾から放出されたのが実体を保ったフレシェット弾ならば防御不能だ。高速で飛翔する無数の質量体を防ぎ切る術はない。
だが、今の融解金属散弾は違う。弾体が溶けながら飛翔している。それは飛距離に比例して質量を急速に喪失し、細い熱線状に可視化されている。
今ならば、電位操作によって弾道を逸らすことも不可能ではない。
そもさん、と出された生死の選択に瀬織は瞬間の解を出す。
「せっぱーーーーッ!」
両腕の装甲を展開。極限にまで大型化させた矢矧の円刃にて、体の全面を凸状に覆った。
回転する円刃は電磁場の奔流。高熱弾雨はその流れに絡め取られ、指向性を逸らされて、左右斜め後方に受け流された。
溶けた無数の金属粒子が地表に穴を空け、あるいは海上に着弾して破裂音と共に水蒸気を上げた。
どうにか直撃は凌いだものの、運動エネルギーまでは流し切れなかった。瀬織は空中で姿勢を崩し、縦方向のきりもみ状態に陥った。
制御不能の高速回転で落下していく最中、瀬織はしゃにむに両腕を突き出した。
「こォなくそォーーーーっ!」
両腕から、背中の〈天鬼輪〉から、合計12発のワイヤーアンカーを射出。これは電子戦用の有線端子であると同時に、移動用の装備でもある。
その内の一発が運よく防風林に突き刺さり、それを強引に巻き取ることで瀬織は姿勢制御を取戻し、気圧制御で状態を安定させて、緩やかな降下軌道に乗った。
地上では、左大の運転するトレーラーが道路脇の港湾事務所の敷地に突っ込んでいるのが見えた。道路の反対車線からフェンスを破って強引に駐車したらしい。
左大は車を降りて、メガホンで瀬織たちに指示を出した。
「重力異常の範囲はジゾライドを中心に約50メートル! 良く見ろォ!」
100メートル以上も離れた場所、しかも〈ジゾライド〉を挟んだ状態からではメガホン越しでも声が届き難い。だが聞き返す暇も手段も無かった。左大がわざわざメガホンを使っているのは、重力で電波の指向性も歪められてしまうからだ。
「それが分かった所でどうしろと!」
瀬織の声が聞こえたわけではあるまい。それでも、左大は対処法を叫ぶ。
「トカゲ女ァ! 7.62mmをスポッティングライフルとして使え! 曳光弾で弾道修正!」
三式破星種子島は特異な形状の二連装銃であり、近接防御及び掃討用として7.62mm弾対応の機関銃が併設されている。元から射撃精度の低い機関銃を安定しない空中での発射で、照準用のスポッティングライフルとして使えというのは酷な話である。
だが、他に選択肢は無かった。
開いたままの通信回線から、カチナの
『シットじゃ……』
という呟きがノイズ混じりに聞こえた。
上空の〈綾鞍馬〉から、数発の火線が〈ジゾライド〉に降り注いだ。曳光弾による射撃。それらは以前と同じく弾道が歪められ、着弾することなく逸らされた。
その弾道の歪みから〈綾鞍馬〉のFCSが有効な射撃方向を算出。三式破星種子島の銃口を斜め方向にズラし、発砲。間隔を置いての二連射。
一発目は直撃コースから逸れて〈ジゾライド〉の足元に穴を穿ったものの、二発目は重力変動による歪曲を計算に入れた弾道で、ターボシャフトエンジンの存在した炎を撃ち抜いた。
弾丸は実体のない〈ジゾライド〉の炎の体躯を突きぬけ、溶けた金属と化して直下の赤熱化した地表に飲み込まれた。
もちろん、ダメージはない。
だが〈ジゾライド〉の足が止まった。
不愉快そうに喉を唸らせて、上空を睨んでいる。
瀬織は左大の意図を理解した。
「そういうことですか……!」
たとえダメージは与えられなくとも、攻撃を打ち込めばリアクションがある。
そうして短期で頭の悪いあの恐竜の注意を引いて、埠頭の先端まで誘導するのだ。
「やるっきゃないですわねぇッ!」
もはや電子戦は意味がない。瀬織も突出する。
同じく作戦意図を理解した〈雷王牙〉と共に、50メートルの距離を空けつつ〈ジゾライド〉を挟み込んだ。
〈ジゾライド〉が瀬織たちに気付き、腹部の35mm機関砲を向ける。
炎塊と化した機関砲は、常識的に考えれば発砲なぞ不可能。だというのに、平然と発砲してきた。先程のロケット弾と同じ溶けた金属の弾体が襲いかかる。
「くぅっ……どうしてアレで撃てるんですかねぇっ!」
瀬織は先程と同様に、矢矧の円刃を両腕に展開。回避運動を取りつつ、直撃弾は円刃を電磁シールドとして使用することで弾いた。
殺し切れない衝撃で腕がビリビリと痺れる。パワーアシストしている人工筋肉への負荷も増加。
『警告 右腕人工筋肉 外圧増加 損傷の 自己修復限界値 を 可視化――』
「お黙り! そっちでなんとかなさいッ!」
『上意 拝命』
瀬織の演算能力は回避運動と電位制御で手一杯だった。細かい機体コンディションの調整は〈マガツチ改〉自身に丸投げする。
「瀬織ちゃん! こォいつも使いなァ!」
左大がまた叫んだ。
何をするかと思えば、トレーラーを発進させていた。荷台のコンテナを開いたまま、その中身を道路上にバラ撒く。
道路に散乱するのは、破壊されたテクノ・ゴーレムの残骸。頭部が潰されただけで原形を留めた機体もあれば、手足だけのジャンクもある玉石混合。それをどうにか使え、と無理矢理を丸投げしてきた。
「このクッソ忙しい時に! やりますわよ! やれば良いんでしょう、やれば!」
演算能力の限界値が近くとも、もはやナリもフリも構わずに電子戦モードを同時展開した。
「我が写し身の荒魂! 黄泉路に惑う死霊を回せ舞わせや傀儡舞ィッ!」
瀬織の言霊を受け、〈天鬼輪〉の勾玉が黒く濁ってどよりと澱むや、艶めく闇色の蜘蛛糸が残骸に伸びた。
疑似人格人工知能がテクノ・ゴーレムの制御系に介入し、駆動信号を入力。傀儡の死体が不気味に蠢き始めた。
バラ場にの手足が地面をのたうち、首なしの機体が機能不全の歩行で、あるいは下半身を失った機体が地を這いながら、〈ジゾライド〉に殺到していった。
重力場の影響を受ける50メートル以内に入ると残骸たちの動きは更に緩慢なものとなったが、〈ジゾライド〉は苛立ちを露わにして吼えた。機関砲の掃射が、残骸の群れを一瞬で打ち砕いた。
潤滑液と硝煙の血煙を超えて、一体の残骸が〈ジゾライド〉に圧し掛かる。それを尾で払った直後、〈ジゾライド〉の眼前で閃光が爆ぜた。
〈雷王牙〉がマルチディスチャージャーから照明弾を放ったのだ。
〈ジゾライド〉は両目を細めた後、大きく見開く。両目の炎に憤怒の意思が灯っていた。竜王の意識が、〈雷王牙〉に向けられた。
その怒りに呼応するかのごとく、〈ジゾライド〉の全身の炎の色が赤から鮮やかなオレンジに変化した。
炎の色は温度によって変化する。〈ジゾライド〉の炎は物質の燃焼ではないため、純粋な可視光線の色温度として見える。橙色化した炎は3000℃を超えていることを意味している。
重力場の効果範囲も広がり、外周のアスファルトがメキメキと音を立てて沈んでいく。
瀬織は体の重さと共に、大気から伝わる凄まじい高熱に目を細めた。
「熱量が上がってる……ッ! なんなんですか、あのバケモノはぁッ!」
完全に自分の理解を超えた原始と科学と憎悪の怪物を前にして、瀬織は恐怖していた。
しかし怯めば死ぬ。勝算がある内は退けない。まだ、大分勝算はあるはずだ。
自らが重力場の中心にいる〈ジゾライド〉の足取りは重い。
それを先導するように、煽るように、〈雷王牙〉が尾を振って走る。
行く先は港のゲートの先、最終作戦地点である埠頭であった。
緩慢な己の動作に激怒した〈ジゾライド〉が吼えた。
怒りは既に物理法則の外にある駆動系を加速させ、竜王は地表を砕き、焼きながら疾走を始めた。
〈雷王牙〉はゲートを飛び越え、やや遅れて〈ジゾライド〉がゲートを破壊して港に突入した。
埠頭まで、約350メートル。
全てが潰れて溶け逝く重力業火の煉獄にて、人と獣と竜と神とが生死の鎬を砕き死合う、いまこのとき。
戦場はコンテナが山積みになった港湾区画へと移行した。
赤熱の〈ジゾライド〉が吼え、逃げる〈雷王牙〉を追いながら機関砲を掃射した。
フロギストンモードと化した状態で果たして火器管制が機能しているかは疑わしいが、弾幕の物量は侮れるものではない。
〈雷王牙〉は積み立てられたコンテナを駆け上がり、縦横無尽の三次元機動で砲弾を回避していく。
機関砲は回避機動を追随しきれず、溶解しかけた砲弾が〈雷王牙〉の後を追ってコンテナに無数の穴を空けた。
超高音の金属粒子が微細な火花となって舞い散り、〈雷王牙〉が展開する電磁シールドに触れて楕円軌道を描く。
瀬織は汗を垂らしながら、〈マガツチ改〉のFCSと同期して火花の舞う方向を注視した。
変動した重力落下速度を計算して、両腕に円刃を形成。
「攻撃は効かなくても! これならぁッ!」
〈ジゾライド〉の側面のコンテナ群に向けて、矢矧の二連撃を投射した。
雷の円刃が20メートル以上もの高さに積まれたコンテナの足場を切り裂いた。
ぐらり、とコンテナが変動重力に引かれて大きく傾斜。直後、鋼鉄の雪崩と化して〈ジゾライド〉に襲いかかった。
高重力で重量を増したコンテナは恐るべき質量兵器だった。実体のない〈ジゾライド〉の炎を掻き消し、霧散させながら全身を貫く。
炎が血潮となって拡散し、〈ジゾライド〉は半ば形を失った。
だが、それでも止まらない。
掻き消えそうになった自己の存在を、激怒と憎悪の力で強引に再構成していく。竜王が、更なる熱で全てを焼きながら、コンテナと重力の底から這い出てくる。
そこに、〈雷王牙〉がスモーク弾を撃ち込んだ。
煙幕に包まれ、目標を見失った〈ジゾライド〉が吼える。
その闇の中で頼りになるのは、敵意を感じる野生の勘のみ。
まとわりつく煙を燃える我が身に巻き込んで、炎の竜がコンテナの残骸から飛び出した。
一直線に、自分をここまで愚弄したあの四足の小動物に、〈雷王牙〉へと突撃する。
〈雷王牙〉は港湾の先端、作戦ポイントの埠頭に先行していた。
左大はトレーラーを乗り捨てて、埠頭に待機している。遮蔽物もないというのに、嬉々として決着の瞬間を待っている。
「さあ、こい……こい……!」
瀬織は〈ジゾライド〉の後を追う。
このままなら、〈ジゾライド〉が埠頭に突っ込んだ瞬間に全てが終わる。人の理性を欠いた低能な恐竜の思考なぞたかが知れている。罠を仕掛けているなど分かるワケがない
――と、瀬織はまるで自分を納得させるように思い込んでいると、気付いた。
「ま、さ、か」
直感する。
とてつもなく、厭な予感を。
その時だった。
無我夢中に埠頭に突進していた〈ジゾライド〉が、全身を仰け反らせるようにして急ブレーキをかけた。
脚部アウトリガーと尻尾をコンクリートに打ち込み、足場を融解させながら慣性で滑ること20メートル
爆破ポイントの僅か手前で、〈ジゾライド〉は止まった。
野生動物の中には、本能的な直感で人間の罠を見破る者もいるという。
それは僅かな地形の違和感であったり、自然の臭いの変化であったり、人知の及ばぬ第六感であったりするのだろう。
理由はどうあれ、〈ジゾライド〉に爆破トラップを看破されてしまった。
絶望に静止する時間の中で、タイマーの音が鳴り響く。
『警告 作戦時間 超過』
〈マガツチ改〉の無感情なアナウンスに、瀬織は耳をそば立てる。
「なん……と」
『警告 設定 作戦時間 超過 退避 推奨』
作戦失敗を告げる無情なる声に、瀬織は引きつった表情で凍りついた。
園衛のスマホに設定されたアラームが、耳障りに刻限を告げていた。
現時刻は、百里基地からスクランブルの機体が飛び立つ刻である。
園衛は溜息を吐いて、アラームを消した。
その様子を諦めと受け取ったのか、景が真っ青な顔で園衛の服に縋りついた。
「そっ……園衛さまぁ!」
「そんな顔をされても困るな。私も爆撃を止めることは出来ん。世の中には、どうにもならないことがある」
「そういう言い方……っ」
「だから、どうにかするのが私の仕事なのだよ」
予想外の園衛の答に、景は一瞬戸惑った。
園衛は景の手を退け、その向こうに歩みを進めた。
「鏡花! 使える荒魂は!」
凛とした声が夜に響き、鏡花が勾玉を手に跪いた。
「不活性化したものですが、ここに」
「それで十分。いけるな、篝よ?」
園衛に急に目線と話を向けられて、篝がビクリと反応した。
「ふぇっ? ええ、まあ……園衛様なら……できます。はい」
「ならばあと一手、私が押し込むッ!」
勾玉を握りしめ、園衛は眼下の戦場を臨む。
海風に長髪をたなびかせ、威風堂々と我が身を晒す。
園衛の気迫が白い勾玉を赤い激情に染め上げ、空繰との精神接続が可能な状態に変化させた。
「雷王牙! 極光幻惑迅(オーロラコンフュージョン)ッ!」
戦場の空繰へと、本来の繰り手の意志が一閃する。
作戦終了、そして失敗。
それは〈雷王牙〉も理解していた。
事前に設定されたタイムカウントは既にゼロに達している。作戦行動への命令は絶対である。
だが、更に上位の命令が強烈な閃光になって〈雷王牙〉の意識に走った。
本来の主が命じている。
戦い抜け、と。
勾玉を通じて園衛の強い意識がリンクする。空繰の中枢である勾玉、天地荒御魂は意思を力に変える。
デッドウェイトのマルチディスチャージャーをパージし、〈雷王牙〉の全身のサーボモーターが解放された。トルクによる関節の粘りをゼロにした、完全な脱力状態となる。そこへ、人工筋肉が全開の力を叩き込んだ。
獅子が吼え、三本の角から電光が奔る。
一閃の光が空を裂き、〈雷王牙〉は〈ジゾライド〉の背後へ跳んでいた。
縮地のごとき瞬間移動だった。
高重力、超高温の影響すら振り切る、超高速機動による格闘攻撃だった。目視も反応もできぬ爪の一撃だった。僅かに遅れて〈ジゾライド〉の頬が切り裂かれた。
薄く切り裂かれた頬から血飛沫のごとく炎が噴出。
痛みか、あるいはそれ以上の屈辱によるものなのか、〈ジゾライド〉が絶叫した。
直後、ロケット弾が、機関砲が、グレネードランチャーと同軸機銃が、溶けた金属粒子弾を全方位に一斉射した。
是が非でも〈雷王牙〉を破壊せんとする猛攻。
その全てを、獅子は躱す。
空中に、地上に、残像を極光のごとく投影しながら、常軌を逸した高速機動で全てを回避している。
これぞ極光幻影迅。
関節と人工筋肉のリミッターを解除した最大機動と、三本の角から生じた電磁場と熱で大気中の原子を励起させることで、視覚だけでなく各種センサーや霊気探知すら惑わす残像を発生させる絶技であった。
その速度は超高温の熱伝導すら追いつかない。
しかし、この絶技は諸刃の剣。人工筋肉の限界運動は、ごく短時間しか行使できない。限界を超えれば人工筋肉は断裂し、完全に動きが止まってしまう。
その瞬間の輝きに、園衛は〈雷王牙〉の全てを賭けた。
命燃ゆる斬撃の閃光が、〈ジゾライド〉の表面を嵐のように引き裂いた。
逆上した竜王が、遂に自ら決着の死線を越えた。
埠頭の奥へと踏み込み、自らの牙で獅子を噛み砕かんと飛び出した。
その巨体が、爆破範囲内に入った。
「い・ま・だァ!」
左大が有線爆破スイッチを押し込んだ。
ライン状に設置された合計80kgのC4爆薬が一斉に起爆。爆炎と粉塵を上げて、埠頭を打ち砕いた。
きのこ状に吹き上がる噴煙。衝撃波が〈雷王牙〉を吹き飛ばし、両耳を塞いで伏せた左大が地面を数十メートルも転がっていく。
僅かに遅れて爆音が響き、ガラガラとコンクリートの崩落する音が聞こえてきた。
崩壊した埠頭は大きく傾斜し、その上で〈ジゾライド〉が体制を崩している。重力異常による荷重で崩落は更に進行し、炎の竜は自らの力で海に引き込まれようとしていた。
同時に、別の爆音が空から聞こえた。
〈綾鞍馬〉より遥かに高出力のジェットエンジンの排気音だった。更なる高空から、この地上まで聞こえてくる。
航空自衛隊の百里基地からここまでは、直線距離にして20kmもない。最新鋭のジェット戦闘機ならば、離陸して1分とかからないだろう。
瀬織が呆然と空を見上げる。
陸戦用戦闘機械傀儡である〈マガツチ改〉のセンサーやカメラでは高空の、それもステルス戦闘機など捉えられるわけがない。仮に捕捉できたところで、何が出来ようというのか。
今ごろ園衛が防衛省に連絡を入れているだろうが、もう間に合うまい。
「くっ……結局……こうなる……」
全身から力が抜ける。意識の緊張が緩む。
もうやめだ。全てが無駄で無意味だった、と肩を落とした、そのとき
「まァだだァァァァァァッッッ!」。
諦めの中に沈む瀬織に対し、諦めを踏破せんとする人間が叫んだ。
黒煙を割って、血まみれの左大が立った。未だ萎えぬ戦意を剥き出しに、喉を枯らして叫んでいる。
「JDAMの終末誘導はデータリンクで変更できる! そいつに介入しろォ!」
「なんですってぇ?」
「GPS誘導を妨害してぇっ……制御を乗っ取れェェェェッッ!」
左大の言っていることは半分程度しか理解できなかったが、後は感覚で知識を補うしかない。
「神頼みも……ッ! いい加減にしてくださいまし!」
人間の無茶ぶりに怒る間もなく、覚悟を決めた瀬織は〈マガツチ改〉を電子戦モードに移行。
「お空の方、やっつけますわよ!」
『警告 索敵範囲外』
〈マガツチ改〉が、この期に及んでグタグダと抜かす。
『警告 電子戦 有効距離 範囲外』
「道理を繋げて無理を通すのが智慧! ですわッ!」
疾く、賢しく、瀬織は八つの疑似人格と同期して、演算能力を最大まで拡張する。
〈天鬼輪〉が展開し、上空に電子の矛先を向けた。
八つの勾玉が脈動し、八本の突起から不可視の糸が撃ち放たれた。糸は空中にて紙縒のごとく螺旋状に収束し、一本の紐となって射程を延長せしめた。
瀬織は夜天を見上げる。肉眼ではなく、電子の眼でもなく、第三の神の眼で空の彼方を透視する。
旋回する〈綾鞍馬〉を越えて、雲を越えて、低速で水平飛行する戦闘機の機影を捉えた。
〈マガツチ改〉が画像認識でF-35Aという型式の機体だと情報を送ってきたが、そんなことはどうでも良かった。
瀬織の知覚は、上空に張り巡らされた無数の電波を糸として認識した。
船舶の無線、ラジオやテレビ、衛星通信といった重要度の低い電波は細く頼りない糸に見える。
空よりも高い衛星軌道から伸びる無数の糸もある。それがきっと、GPSなのだろう。その中の一本が、鋼のように強い張りでF-35Aに繋がっている。
そのGPSの糸が、F-35Aからぶつりと切れて、小さな塊に繋がって空中に投げ放たれた。
ウェポンベイからJDAMがGPS誘導で投下されたのだ。
(その隙間……いただくッ!)
瀬織は闇色の紙縒をマニピュレーターとして電子介入を行う。GPSの糸を絡めて切り取るや、即座にF-35Aの照準ポッドからの誘導に切り替わった。
こちらの電子的な介入を察知したのか、相手側からオートでECMがかけられた。
(ああ、もう鬱陶しい!)
瀬織の知覚にチカチカと星のようなパルスが走るが、意に介さない。元よりこちらはマニュアルで手作業も同然なのだ。この程度の電子妨害なぞ関係ない。
(空を自在に操るが空繰の神髄。運命線を結んで切って、千紫万紅、綾を取る……ッ!)
神の知覚を以てすれば、これも容易き綾取りのごとき糸繰り。
照準ポッドからJDAMに繋がる糸を切って、代わりに瀬織から伸びる闇色の糸に繋げてやる。制御の奪取成功。この間、僅か1秒足らず。
演算能力をフルに使った電子戦に勝利し、瀬織はJDAMの投下方向を海上に再設定した。
「こ、今度こそ……やりましたわよぉ!」
ふうっと、息を吐いた瀬織が意識を眼前に戻すと、世界が白く染まっていた。
〈ジゾライド〉が白く発光している。
白熱化である。すなわち、炎の温度が6000℃を超えたことを意味している。
大気を伝わる高温が海水を蒸発させているのが見える。
だが、今さらどうしようというのか。どれだけ温度を上げようとも、それに比例して重力荷重を高めようとも、全ては逆効果だ。
バン、バン、と異様な音が響いた。
〈ジゾライド〉の足元、崩落した埠頭が、段差をつけて沈んでいく音だった。まるで布団を叩くように、コンクリートが重力で平らに均されていく。
重力は海水を押し退け、〈ジゾライド〉に平坦な足場を用意した。
〈ジゾライド〉の全身が、白熱化した放電板を展開した。
「まずっ――」
瀬織が身構え
「くっそァ――」
左大が海に身を投げた瞬間、白い光が世界を撃ち抜いた。
〈ジゾライド〉が通常時に行っていた電撃の体内放射は今や、超高温の重金属粒子を電磁誘導して放出する全方位攻撃に変貌していた。
白き熱線が無数の針のように伸びた。
放電版に重金属粒子を加速する機能はないため、高重力に引かれた熱線の射程はさして長くはない。可視化できるのは、せいぜい100メートル。
だが、その範囲内は太陽熱に晒されたも同然だった。
〈雷王牙〉は電磁シールドによって直撃は避けたものの、電離した高温のプラズマに晒され、装甲がごっそりと溶け落ちていった。
上空の〈綾鞍馬〉は可視光線の外にいたが、膨張した大気の乱気流で姿勢を崩した。そして、目に見えない微細な金属粒子が翼に衝突。翼は脆弱な接合部分を焼かれ、乱気流の応力によって砕け散った。
『なんじゃとぉぉぉぉぉぉっ!』
カチナがわけも分からずに叫ぶ中、〈綾鞍馬〉の左翼が空中分解した。
そして成す術なく揚力を失い、きりもみ状態でコンテナの上に墜落していった。
墜落した方向で一瞬、青い光がボウっと輝いた。それがエンジンの爆発によるものか否かは、もはや判別する術は無かった。
〈ジゾライド〉の発する高熱で海水が沸騰している。重力場で抑え込めない熱量が周囲の大気をプラズマ化させ、海水を蒸発させていた。
充満する水蒸気が乱気流と重力場にかき混ぜられて、辺りは高温の霧に包まれている。
立ち込める霧中にて、瀬織は立っていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……や、やられた……」
搾り出すような、苦しげな声。
〈マガツチ改〉の装甲が破損している。とっさに矢矧の円刃でシールドを張ったものの、熱線を防ぎ切れなかった。シールドの薄い部分を貫通され、両肩と脚部の装甲板が円形に焼き切られていた。
『警告 肩部 人工筋肉 破損発生 自己修復不能』
「そっちで補正なさい……」
『両腕部 武装接点 全壊 使用不能』
〈マガツチ改〉のアナウンスの通り、両腕部のハードポイントも破壊されていた。矢矧の負荷に耐え切れずにひしゃげ、円刃を発生させる基部として使用していたチタン製の扇子は焦げて折れ曲がっている。もはや電磁シールドの展開は不能だった。
対する〈ジゾライド〉は尚も健在である。
重力場で海水を押し退け、更に熱量を上げんとしている。炎の色が白から青に変わりつつあるのが見えた。
これ以上の高温度化は、地上に太陽を発生させるのと同意。その結果がどうなるかは、あまり想像したくなかった。
「さて……どうしましょうか……ねえ……?」
瀬織は諦めたような顔で、軽く笑った
既にこちらに戦力はなく、どこに勝ち目があるのか見当もつかない。
「逃げちゃいましょうかねえ……。死ぬまで付き合う義理は……ありませんしぃ……」
はぁ、はぁ……と息が切れる。
熱い。蒸し風呂のように熱い。今は海水のおかげで冷却されているとはいえ、ここが炎熱地獄と化すのは時間の問題だろう。
逃げるなら、景と一緒に家に帰ろう。
やむを得ない撤退だ。園衛も景も分かってくれるはずだ。園衛には、きっと大きな迷惑をかけてしまうだろうが、それが責任者の勤めなのだから仕方ない。
瀬織は人間とは違う。
大義だの責任だの知ったことではない。逃げたいから逃げて何が悪いのか。勝算のない戦いで死ぬまで戦うなぞ馬鹿げている。自己の保存のために戦闘を放棄するのは、当たり前のことだろう。
もう良い。
諦めてしまおう、と決意して瀬織は振り返った。
ふわり、と胸に温もりが触れる。
陸と海の両方から、こそばゆい感覚が流れ込んでくる。
海中には、まだ左大が生きている。忌々しくも、あの男は勝利を願っている。この期に及んで、瀬織に願を掛けている。
陸の上には、景がいる。
瀬織の神の眼が、こちらを不安げに覗く少年の姿を捉えた。
景の口が、小さく動くのが見えた。
「負けないでよ……」
そう言っている。
今どき、幼児向けのアニメ映画でも声を出してヒーローやヒロインを応援する子供はいやしない。景の性格にしても、大声で応援するような子ではない。
それでも気恥ずかしそうに声に出して搾り出した思いは、瀬織には愛おしく思える。
人の願いこそが、神の存在意義である。
「ああ……もう……っ! 仕方ありませんわねぇぇぇぇぇぇっ!」
言葉とは裏腹に、どこか嬉しそうな表情で、瀬織は戦場に向き直った。
「そういうお願いをされると……叶えてあげたくなるのが……わたくしの性ッ!」
人願うゆえに神あり。
ガキン、と音を立てて背中の〈天鬼輪〉が八本の突起を展開した。八つの勾玉が心臓のように脈動し、内なる可能性を解き放たんとしている。
瀬織の戦意に気付いた(ジゾライド)が、喉を鳴らしてこちらを見た。
攻撃が、くる。
「誰でもいい! 二秒だけ時間を稼いでッ!」
願いを神に託すのならば、人も相応に誠意を見せよと、瀬織は霧の中の味方に求めた。
既に動ける者は誰もいないかも知れない。だとしたら、全てが終わりだ。瀬織は人の可能性に賭けた。
〈ジゾライド〉の放電版からの局所熱線が霧を引き裂く。
白い閃光が束となって瀬織に殺到し、その直前で歪曲した。
〈雷王牙〉が高速で割り込み自らを防壁として、瀬織の前で熱線を弾いていた。しかし人工筋肉は限界を超え、断裂して潤滑液を噴出。電磁シールドも熱線を抑えきれず、E.M,S,S,はショートして爆散した。
無防備な〈雷王牙〉は、それでも我が身を盾の獅子と化して、熱線を受け切った。
瀬織の目の前で、〈雷王牙〉は四肢を切り裂かれて砕け散った。
「大義ですわ……ッ!」
その獅子奮迅に送るは、掛け値なしの賞賛。
〈雷王牙〉は値千金の、勝利に至る二秒間を稼ぎ切ったのだ。
「回れ天鬼輪! 後生のごとく!」
〈天鬼輪〉が光輪を形成。それは光速を超えて回転、加速し、時の果てから瀬織の神としての可能性を引き出す。
収束した光輪は金色の種に形を変えて、瀬織はそれを握りしめた。
「いでよ! 重連方戟斧――」
瀬織が種を地面に打ち込むと、コンクリートを食い破り、黄金の戦斧が出現した。
「――金剛ォ!」
重連方戟斧・金剛。
これはいつの日かそこに至る、瀬織の神としての可能性の一端を顕現させた方術武装であった。
身の丈ほどもある戦斧を持ち上げ、瀬織は後光を背負って空高く跳躍した。
背中の後光もまた、瀬織の神としての可能性の一端である。重力を無視して、埒外の物理法則を以てして、〈ジゾライド〉の頭上約100メートルの高さにまで跳んだ。
〈ジゾライド〉迎撃の熱線を放つ、と瞬時に瀬織は予知する。
しかし構わず、大きく金剛戦斧を振り上げた。
「泰山金剛陣! 不動金剛縛!」
まずは一振り。大地に不可視の力場を叩き込む。
直後、〈ジゾライド〉の足元のコンクリートが、高温と荷重力によって紫色に結晶化し、一斉に隆起。エクロジャイト、あるいはゼノリスと呼ばれる高硬度の圧縮結晶が、無数の楔となって〈ジゾライド〉を拘束した。
「振れや降れ! 野生えの山よ!四山招来! 比叡、榛名、霧島、金剛!」
更に振り下ろすは、四連戟。
その一振り一振りが、瀬織の原点たる世界樹、扶桑の生える霊山の仮想質量を現世に召喚するのだ。
〈ジゾライド〉が射角を確保した背ビレの放電版から迎撃の熱線を放った。逆流する火線の滝が瀬織に殺到するものの、四霊山の質量によって重力偏向。大きく歪曲し、完全に防御された。
「四霊山! 大・圧・殺ッ!」
赤色に大気を燃やす、形なき朧な巨大質量が、次々と〈ジゾライド〉に圧し掛かる。
比叡山、榛名山、霧島山、そして金剛山。蓬莱の島、扶桑の国にそびえる四霊山の質量が炎の竜に叩き込まれた。
いかに神の力とて、自然に干渉する虚ろな力なれば、戦闘機械傀儡には通じない。自然の理から外れた存在には魔術的な輝きは届かないのだ。
しかし、それは戦闘機械傀儡本体に通用しない、というだけの話。
〈ジゾライド〉の周囲に生じる重力場に対して更に質量を投入するのならば、金剛戦斧の力は有効だ。
四霊山の質量を加算され、〈ジゾライド〉の姿が歪んだ。想定をはるかに超えた重力に耐え切れず、空間ごと潰されていく。その重力で、水蒸気が結晶化する。
バキ! バキ! と激しい破砕音が響く。〈ジゾライド〉の足元が深く、更に深く陥没していく。
あらゆる物質は極限まで圧縮されることで、金属結晶に変わる。〈ジゾライド〉の周囲の海水が凸凹の金属ブロックに変化し、妖しく明滅する垂直のトンネルと化して竜を奈落に引きずり込む。
そして底へと深く深く沈んだ頭上からは、大量の海水が〈ジゾライド〉に流れ込んだ。
「その過ぎたる力で! あなた自身が滅びるのですよッ!」
瀬織の眼下、闇の海に竜が沈む。
膨大な海水が超高温の炎に触れ、巨大な水蒸気爆発を引き起こした。
直径20メートルを超える水柱が立ち昇り、発生した津波が埠頭に襲いかかる。
爆発には、結晶化した炎の欠片が混ざっていた。〈ジゾライド〉を構成していた金属が燃えながら再結晶化して、赤い薄皮のような破片になって四散していく。
漆黒の水面に咲いて散るは、爆火炎水の彼岸花。
それは、〈ジゾライド〉が文字通り砕け散ったことを意味していた。
「これで終わっていなければ……」
瀬織は不穏な表情で、地上への降下軌道に乗っていた。
地表に降りる頃には背中の後光も、金剛戦斧も消失していた。バッテリー残量が1割を切ったことを伝える警告音が鳴っている。
『警告 電力残量 危険域 要補充 警告 警告』
二度目を撃つ余力は、もうない。
機体の電力は可能性の門を開く鍵を作るキッカケに過ぎないが、その力さえ残っていなかった。
未だ煮えたぎる海面を、瀬織は睨む。
頼むから、もう上がってこないでくれ――と、願って。
だが、神の願いを叶える神は存在しない。
渦巻く潮の中心から、竜の咢がせり上がってきた。
装甲が黒くボロボロに劣化した〈ジゾライド〉の頭部が、胴体が、腕が、しかし原形を留めたまま海中から出現した。
「う……うそでしょぉ……」
もはや打つ手は何もない。
絶望に、瀬織は後ずさる。
〈ジゾライド〉が埠頭へと迫る。動きは鈍いが、今や再上陸を阻む者は何もない。
その時、一発の銃声が空を切った。
大気を歪める熱の弾道が〈ジゾライド〉胸部、機能中枢である勾玉へと撃ち込まれた。
12.7mm徹甲焼夷弾が、満身創痍の勾玉に直撃した。
防御能力を失った勾玉に亀裂が走り、〈ジゾライド〉が悲鳴のような叫びを上げた。
瀬織が射撃の飛んできた方向に振り返ると、コンテナの上で片膝をつき、破星種子島を構える〈綾鞍馬〉の姿が見えた。
墜落直前にマニューバスラスターの逆噴射で制動をかけ、全壊を免れたのだろう。
『レギュラス……ざまあみろじゃ!』
通信越しに、ついに念願の一撃を食らわせたカチナの、怨念の篭った歓声が聞こえた。
ティラノサウルスの怨念を現世に留める器たる勾玉を砕かれ、〈ジゾライド〉が身もだえる。それでも尚、目に怒りの炎を灯して、この世に留まろうとしている。
悪あがきであった。衰えたる竜王の見苦しい末路であった。もはや、その姿に絶対的な恐怖も力も感じられない。
そんな哀しき姿に、男が末期の言葉を投げかける。
「もう十分……楽しんだろう?」
今まで海中に避難していた、左大だった。
海上に浮上して、崩れた埠頭によりかかって、〈ジゾライド〉に語りかける。
「なあ、ジゾライドよ……」
青春の全てを注ぎ込み、心を通わせた戦闘機械傀儡へと、左大は何を思うのか。
〈ジゾライド〉と左大の視線が交錯した。
悲しげな、だが満足げな左大の目を見て、何かを悟ったのか。〈ジゾライド〉は天に向かって一吼えして、一切の抵抗をやめた。
胸の勾玉が砕け散る。竜王の魂は今、十万億土の彼方へと散華した。
竜を現世に繋ぎ止める全ての力を失い、〈ジゾライド〉の機体が形象崩壊していく。フロギストンモードからの強引な物理回帰に、鋼の体躯は耐えられなかった。
竜は、海の底へと崩れ落ちた。
もう二度と、浮上することはないだろう。
「あばよ! おれのジゾライド!」
軽い敬礼と共に、清々しき別れを告げる左大。
やりきった男とは真逆に、瀬織は疲労困憊で尻餅をついた。
「冗談ではありませんわよ本当……つっかれたあ……」
面倒ばかり丸投げされて、達成感も共感も微塵もない。
瀬織としては、こんなチーム戦など二度と御免であった。
戦闘終了後、瀬織は這う這うの体で格納庫まで帰還した。
武装は解除し、〈マガツチ改〉の上で半ば寝込むような姿で運ばれた。
「園衛様……わたくし、もう帰ります。何と言われようと帰ります」
疲労困憊と、ここまで面倒臭い荒事に巻き込まれた苛立ちを露わに一方的に宣言した。
園衛も色々と察した上で
「うむ。ご苦労だった」
と短く労っただけで会話を終えた。疲れた時にゴチャゴチャと長話をふっかけてくる大人は嫌われる、というのは園衛自身も良く分かっているのだろう。
景は不安げな様子だった。
「ねえ、ほんとに帰っちゃって良いの?」
と、いちいち周囲を気にしてそんな小賢しいことを瀬織に尋ねてきた。
爆弾投下を回避するために戦ったはずの港はともすれば爆弾を落とされた方がマシかというほどにメチャクチャで、上空には自衛隊のヘリまでやって来ている。
左大は鏡花と何か言い合っていた。
「いちいちうるせーーーんだよテメーはよーーーーっ! ドンパチ始める前に契約書にサインしたったろうが文句あんのかよオイオイオーーーーイ」
「報告書を作るのにはあなたの証言が必要で……」
「それはテメーの都合であって俺の都合じゃあねぇーよなあ、鏡花ちゃんよ~~っ? 俺は疲れてンだよ帰って寝るんだよ」
負傷と火傷で全身から出血している左大に威圧され、鏡花は物凄く厭な顔をして後ずさっていた。
左大の粗暴さはいつも通りのように見える。だが、単に疲れたというだけで乱暴に当たり散らすような男だったろうか。
まるで、何かをはぐらかすように、敢えて鏡花を威嚇して、混乱させているようにも見えた。
尤も、あの男にこれ以上関わって面倒に巻き込まれたくないので、瀬織はこの軽い違和感を気にしないことにした。
瀬織の後では、園衛は篝と事後処理について話を始めている。
「雷王牙は大破したようだが、直せるか?」
「勾玉が無事なら……。幸い、ここにパーツはありますしぃ……」
「そうか。後は自衛隊と警察の担当者と後始末の話を――」
「あのぉ、私も帰りたいんですけどぉ~……」
こんな混乱を放置して、自分たちだけ帰って良いのだろうか……と、景は妙な責任感を覚えているようだ。
瀬織は呆れざるを得ない。
「あぁぁぁのですねぇぇぇ……景くん。そういうことは大人の仕事であって、景くんが気にすることではございませんのよ。大体、ここにわたくしや景くんが残って何か役に立ちます?」
溜息混じりに、体重をかけて景の肩に手を置く。
景は「うぅーん……」と少し考えた後、こくりと頷いた。
「そうだね……。ここにいても邪魔になるだけだし」
「そうです。大体、警察や軍隊に顔を覚えられてもロクなことにはなりませんからね~」
と、いうわけで瀬織と景は帰ることにした。
既に電車はなく、こんな騒ぎではタクシーも呼べないので、送迎は車の免許を持っている篝にやってもらった。
篝も面倒事から逃げたかったようなので、丁度良い組み合わせだった。
帰り際、未だに左大と言い合っている鏡花が一瞬、恨めしそうに篝を見ていたような気がしたが、気に留めるのも疲れるので止めた。
瀬織と景は、後部座席に並んで座った。
暫く走ると、高速道路のインターチェンジは騒ぎのせいで閉鎖されているのが見えた。電光掲示板には〈事故のため通行止め〉とだけ表示されている。
「しょうがないから、下の道いきますねぇ」
運転席の篝が告げた。
車は人気のない一般国道をひた走る。
ハイブリッドカーの静かな駆動音の中で、景がふと口を開いた。
「左大さんは……あれで満足したのかな」
「ん~……?」
もう二度と聞きたくない男の話題を切り出されて、瀬織の視線は窓の外に向いた。
「したんじゃ……ないんですか。何もかも、あの方の思い通りに事が運んだんですもの」
「10年前に死ねなかったから今日死のうとして、でも生き残って……これからどうするんだろう」
瀬織は窓の外の、赤色の街灯と夜が交互に流れる景色を見ている。
景の方には、顔を向けなかった。
「景くん。檻の中の獣に、あまり感情移入するものではありません。それが珍獣、猛獣の類ならなおさら、ですわ」
少し厳しい口調で、たしなめるように瀬織は言った。
「そういう言い方、酷いよ」
「価値観が決定的に違う、ということですよ。獣を下手に理解しようとしたら、同じ獣となってしまいますわ。景くんは人の道を外れた虎にでもなりたいのですか? いえ、この場合は恐竜ですかね」
妙な言い回しに、瀬織は自嘲気味に笑った。
同時に、左大のような人間に対する軽蔑も込めた笑いだった。
「未練を抱えたままでは、死んでも死に切れない……それは人もトカゲも同じということ。今宵のはた迷惑な騒動は、荒ぶる御霊を鎮める神楽舞でございましょう」
「カグラマイ?」
「怨霊とは、過去に心を置き忘れてしまったモノのこと。永久に過去の戦場を彷徨い続ける怨霊の未練を晴らすには、過去をそっくり再現してあげるんですよ。人は面を被って鬼となり蛇となり竜となり、古の戦いを再現する神楽を舞う。戦いの結末がどうあれ、怨霊は舞の果てに漸く、己という物語の終わりを受け入れるのです」
「左大さんは……自分とジゾライドの無念を晴らしたかったんだね。それで10年前の戦いを再現したんだ……」
また、景が感情移入し始めている。少年らしい未熟な優しさだ。
そういう半端な踏み込みは、景の今後に非常によろしくない傾向だと思う。
「互いに適度な距離、すなわち間を保つのが幸せな人間関係なんですよ。人の間と書いて人間なのですから」
「誰とでも分かり合えるわけじゃないって……言いたいの?」
「人がこの世に生じて幾万年。近しい男女ですら分かり合えないのに、どうしてアカの他人と分かり合えると思うのでしょうか? 他人と分かり合えば平和になる? 冗談ではありませんわ。分からない、分かりたくもない相手なら関わらない。そういう処世術で……わたくしは良いのだと思いますよ」
生温い平和主義を突き放すような瀬織の口調に、景が押し黙る。
疲れているので感情が表に出てしまって、少し言い過ぎたかも知れない……と瀬織は自省した。
「左大さん自身も仰っていたでしょう? 価値観は多様なんです。ですから……今夜のことは思い出にしてしまいましょう」
「思い出って……日記にでも書けっていうの?」
「徒然なるままならば、それも良いでしょう。心の奥にしまい込むより、記録として吐き出す方が健やか、かも知れませんわ」
「日記なんて、小学生の夏休みに書いたっきりだけど……」
景はアドバイスに困惑した。国語の授業の作文以外で何かを執筆する機会はないのだろうし、仕方のないことだ。
瀬織はくすりと笑いをこぼして、漸く景に振り返った。
「お手伝い、しましょうか?」
瀬織の手が景の手にすっ、と触れた。
「日記くらい……じ、自分で書けるよっ!」
景は赤面しつつも、瀬織の手を払わなかった。
瀬織はこの流れは良し、と見る。
「明日も学校がありますし、景くんはもうお休みになってください。折角ですからぁ、わたくしが膝枕――」
と、誘惑の途中で車がカーブに入り、瀬織の体がぐぅっと窓側に押し付けられた。
「――っと、だから膝枕を――」
続いてブレーキ。
瀬織の体が前にぐっと引っ張られてから、シートベルトで座席に引き戻された。
「むぅ……」
瀬織は不満げに唸った。
走行中の膝枕は危険である。止めておくのが賢明である。
残念無念の溜息を吐いて、景とは車内で適度な距離を保ったまま、帰宅までの小一時間を揺られて過ごした。
事件の始末は、波風の立たない結果となった。
公の警察発表ではシナリオ通りに大型重機の暴走ということで済まされた。埠頭の損壊も、重機のエンジン爆発によるものだと。
海上に投下されたJDAMも爆発時に吹き飛んだ危険物の回収、という名目で自衛隊が出動して処理された。
一般の目撃者の口封じに関しては、敢えて放置する方針だった。
SNS等で「恐竜型ロボットを見た」などと吹聴しても冗談か狂人としか思われないし、写真もコラージュの類として笑い飛ばされる。
流布された情報には愉快犯や陰謀論者によって尾ひれ背びれに手足まで生えて、事実が原形を留めぬほどに歪曲されるのに、そう時間はかからない。
戦闘機械傀儡が暴れ回り、燃え尽きていった竜哭の夜も、やがて取るに足らない都市伝説の一つと化すのだろう。
その他、細かい隠蔽も万全であった
園衛曰く
「左大の爺さんが粉をかけてた政治屋は多くてな。左大家の諸々が公になると連鎖的に自分達もヤバくなるので必死に隠蔽する、というわけだ。ま、そういう政治屋先生たちが現役の内は安心ということだ」。
とのこと。
悪しき金の繋がりで人を雁字搦めにするのもまた、政治力ということだろう。
一方、カチナは自分が置かれた状況に当惑していた。
「な、なんじゃこれは……」
園衛の屋敷に連れてこれらたかと思えば、日本語の妙な書類を突き出された。
「戸籍抄本だ。お前の身分を記載してある。ほら、見てみろ」
と、園衛が指差すのは氏名欄。
カチナは日本語の読解は完全ではない。漢字と平仮名とカタカナと三種類も文字があるのだから、全てを把握するのは困難だ。
なので、代わりに園衛が声に出して名前を読んでやる。
「宮元カチナ。それがお前の名前だな?」
「はあ? なんじゃそりゃ! なんで我がお前と同じミヤモトなんじゃい!」
「お前は私のまた従妹の母方の伯父が外国の愛人と作った的な遠縁の親戚で、両親が亡くなったからウチで暮らすことになった……ということだ」
「だからなんでじゃい!」
鼻息荒く食い下がるカチナを見下ろして、園衛は腕を組んで「ふん」と鼻を鳴らした。
「日本では親族以外と財産のやり取りをするのは少し面倒でな。お前の財産をゲットするには、戸籍上我が家の養子にするのが一番手っ取り早いんだ」
とんでもない内容を、さらりと口にした。
要は損害賠償としてカチナたちの財産を接収するための手段なわけだが、それが何を意味しているかは世間に疎いカチナでも分かる。
「そ、それって……いわゆる養子縁組の偽装という奴では……」
「そういうことになるな?」
「え、ええんかい……それ」
カチナの指摘を、園衛は鼻で笑った。
「正攻法でお前らのような悪党を裁けるワケがあるまい。毒を以て毒を制すのだよ」
要は権力で警察も行政も抱き込んでいるから出来る超法規的な処置、ということだ。
逃げるのも借金を踏み倒すのも無理だと観念して、カチナはガクリと肩を落とした。
「参った、参ったよ……。ちゃんと借金返せばええんじゃろ……」
「そうだ。全額返済すれば、名前も元通りだ」
カチナは自分が被害者面をするのは筋違いだと思いつつも、ガクリと肩を落として項垂れる他なかった。
とはいえ、〈ジゾライド〉への復讐という目的は果たせたので、実のところ満更悪い気分ではない。
(まあ、プラマイゼロってことにしといちゃるわ)
と、カチナが自分を納得させた矢先、分厚い書類の束がドン、とテーブルに置かれた。
「実は残念なお知らせがある。お前の借金は3倍に増えた」
「えっ」
書類の一枚一枚には、各企業が戦闘で被った損害の詳細が記載されている。
破壊されたゲート、溶けたコンクリート、崩落した埠頭、陥没した港湾の再整備、破壊されたコンテナとその中身etc……。
それらの賠償額の1/4がカチナたちに課せられることになった。
カチナの今後の処遇と借金返済の手段については、また別の物語である。
あんなことがあった数時間後にも関わらず、景は普通に学校に行った。
今日くらい休んでしまっても良いんじゃいかなあ、と淡い期待を抱いて朝の二度寝を狙って布団を被ったものの
「おほほほ……だぁめ♪ ですわよ」
と、部屋に踏み込んできた瀬織がにこやかに布団を奪取。
「今世の学生さんというのは気合が足りませんわねぇ~。雨だろうと雪だろうとカミナリだろうと大人は出勤しなければ世の中は回らないのです。だから学生の内からホイホイ休んでいたら、ロクな大人にはなれませんことよ~」
などと饒舌に語りながら朝食を配膳、諸々の朝の支度を整えて、いつものように瀬織と景は一緒に登校した。
中等部の景は、瀬織を含めて高等部の生徒とは校内で顔を合わせる機会はない。
だが食後の昼休みに教室を出て適当に散歩をしていると、高等部の生徒から声をかけられた。
「おお、東少年! 奇遇だなッ!」
クローリクだった。
上級生の、しかも銀髪の美少女に親しく声をかけられるシチュエーションは大多数の男子が羨むこと間違いないはずだが、彼女の語る内容は色事から遠くかけ離れていた。
「見たかね、今朝のニュースをッ! 港が重機の暴走でメチャクチャに壊れたと言っていたが、アレは嘘だな。真実を覆い隠す陰謀だよ。だが! 私は既に真実に気付いているぞッ!」
「し、真実って……なんですか」
〈ジゾライド〉の暴走の件については景は全てを知っているので、白を切るしかない。
目を逸らして、無知を装ってクローリクの怒涛のスピーチを聞き流す。
「恐竜だよ恐竜! それが海から上陸して港を破壊したと噂になっているのだッ! 海から来た直立二足歩行の恐竜! つまり怪獣だよ! 怪獣は実在したんだッ!」
「へ、へええええ……こわいですねぇ~……」
「奇しくも明日、私たちは海沿いに調査に行くのだ! これぞ正に天佑! 私が! この私が怪獣の正体を暴ぁく!」
「が、がんばってくださいね……」
大いに盛り上がるクローリクの横を通り過ぎて、さりげなく立ち去ろうとした矢先、景の腕が掴まれた。
クローリクの細い指が腕を掴んでいる。そのまま至近距離までぐいっと引き寄せられ、景より背の高い銀髪の少女の青い瞳に覗きこまれた。
「折角だから、キミも同行したまえッ!」
「えぇっ、なんで!」
「あの女……東瀬織からキミを救い出すためだ! 休日くらい、あの女から離れて健全なレクリエーションに興じるのだ!」
「れ、レクリ……? っていうか近い、顔近いです先輩……」
クローリクの甘い吐息が鼻にかかる距離だった。
ところが、クローリクは一切気に留めていない。
「近くても遠くてもどっちでも良いッ! さあ来たまえ! 来るんだね! いいや、来なくても明日迎えに行っても良いんだねッ!」
「来なくて良いし行かないですよ~~っ!」
景の反論を聞いているのかいないのか、このままでは強引に妙な課外活動に引きずり込まれてしまうという断崖絶壁において、救いの手が背後からぬぅっと伸びてきた。
「なにやら騒がしいと思えば……わたくしの景くんに何をしてくれてるんですかねえ、クローリクさん?」
瀬織が後から景を抱き込むような形で手を伸ばしていた。
冷たくクローリクを睨みながら、力を込めて景をクローリクから引き離そうとしている。
「景くんの明日の予定には先約が入っておりますのよ。部外者のよそ様はお引き取り願いますわ」
「先約だとぉ……? どうせ良からぬ企みをしているんだろう、東瀬織ィ!」
「ほほほ……ぶっちゃけ、景くんとわたくしでお出かけするんですのよっ! だから、あなたの変な勧誘は断固拒否ですのよ!」
初耳の約束に、景は「えっ」と声を上げた。知らない内に勝手に瀬織に外出の予定を組まれている。
間に挟まる景を置き去りに、黒と白の相反する美少女が身勝手に鎬を削る。
「景くん昨日言いましたわよね~? 『なんでも言うこと聞く』ってぇ? だ・か・ら! わたくのお願いには絶対服従なんですよぉぉぉぉぉ?」
「人を誑かす毒婦の正体見たりっ! 少年、こんな女の命令など無視したまえ! 邪悪な支配の罠を打ち砕くんだッ!」
クローリクと瀬織の二人にプロレスの関節技さながら拘束され、景はもみくちゃにかき混ぜられていた。
「ちょっ……二人とも……僕の話聞いてる? ねえ、ちょっと……うぶぶっ」
甘く香る制服と女体の布団蒸しに押し潰されて、成すがまま。
半ば失神状態に陥った景が解放されたのは、昼休み終了のチャイムの鳴る十分後のことだった。
そして事件から数日後、右大鏡花は左大の家を尋ねた。
理由は三つ。
一つ、園衛が電話をかけても出ないので、代理人が直接出向くことになった。
二つ、その代理人である東瀬織が
「二・度・と。御免ですわ~」
と断固拒否したため、お鉢が鏡花に回ってきた。
三つ、左大家にはまだ隠し財産があるという疑いが浮上したからだ。
先の戦闘でも損害賠償の対価としては、接収した格納庫の機材では些少だと適当な難癖をつけて左大から譲歩を引き出せ、というのが園衛からの指令だった。
無理難題である。
あの恐竜のような男に、まともな交渉術が通用するわけがない。
今度こそ自分は殺されるかも知れない。だが、それが臣下としての御役目ならば、甘んじて受け入れる覚悟が鏡花にはあった。
はあ、と小さく息を吐いて、気を引き締める。
目の前には、左大の家の粗末な玄関。インターホンを押してみるが、手応えがない。壊れている。
「左大さん、いらっしゃいますか」
仕方なく、家の中に声をかけた。反応がない。
「あの、左大さん?」
試しにドアに手をかけてみる。何度かノブを引っ張ってみたが、鍵は閉まっている。運悪く、いや運よく不在なのか。
と、古びたドアの上から紙が一枚、はらりと落ちてきた。
「きゃっ! なに……?」
どうやら、ドアの震動に応じて落ちるように細工されていたらしい。
紙には何やら短い文章が書かれていた。
〈俺は自分自身を鍛える旅に出る! 探しても無駄だぜ! あばよ!〉
そんな内容の、左大からの書置き。
つまり先んじて逃亡されてしまった、
思えば、先日の戦いの後に左大が鏡花を威嚇して話をはぐらかした時点で気付くべきだった。
そのせいで聞き取り調査の機会を失い、鏡花は今日まで左大に近づくことすら憚っていた。
あの時から、左大は財産の接収を予見して逃亡を企てていたのだ
恐るべき男である。正しく恐竜並の洞察力である。野性の勘と理性の智謀を兼ね備えた、危険極まりない人物である。
ともあれ、鏡花は安堵していた。
厄介者の相手をしなくて済んだのだから、不本意だがこれで良しである。
死すべきか、生きるべきかと己に問うたのは、大昔の劇作家の一文の和訳である。
果たして左大億三郎が選んだのは後者であるが、女々しく惨めったらしく後ろ向きに生きるためではなく、目的を果たした抜け殻になって死んだように生きるためでもない。
齢三十を越して尚、凄春の続きを侵犯(ヤ)るためだった。
人も竜も過去の未練に捉われ、死んだように生きる地獄においては、時間は停止しているに等しい。
止まった時計の針を先に進めるには、一度死ぬしかない。
あの竜哭の夜にて、〈ジゾライド〉と左大億三郎は死んだ。
死んだからこそ、生まれ変わって夢の続きを歩むことができる。
心機一転、新たな生を見出すも良し。一切合切を燃焼し尽くし、灰となって涅槃に発つも良し。
そして左大億三郎は、10年前に終わってしまった夢の、その向こう側へ歩むことを選んだ。
左大がとある弁護士事務所を訪問したのは、事件の翌日のことだった。
「よう、二階堂さん。久しぶりィ」
小奇麗な弁護士事務所に乗り込んできた、全身包帯だらけの大男。制止する他の所員を引き摺りながら、二階堂本人に強引に目通りした。
二階堂が左大の訪問の理由を察していなければ、即座に警察に通報されていただろう。
「ここに来た理由。大体の察しがつきますが」
5年前と変わらぬ、二階堂の抑揚のない声。
分かっているなら話が早い、と左大は口火を切った。
「爺さんの遺産、他にもあんだろ?」
「はい」
呆気ない返答だった。
「お孫さんが来たら、これをお渡ししろと言付かっております」
そう言って、二階堂は机の引き出しから封筒を取り出した。
くだらない相続争いを嫌う孫が、わざわざ自分から出向いて遺産について尋ねるとしたら、それは本当に遺産が必要になった時だけだと、左大千一郎は予測していたのだ。
他人の予想通りに動くのは少し癪に障るが、今回に限ってはそれも良しと、左大は笑みを浮かべて封筒を受け取った。
中身は折り畳まれた日本地図だった。
地図の数十か所には、赤と黒とマジックで×と〇の印がつけられている。位置を指定している割にはかなり大雑把な上、印の意味も分からない。後は自分で探して確かめてみろ、というワケだ。
「そういうことだと思ったぜ」
左大は踵を返し、事務所の出入り口に向かった。
「ありがとよ。世話になったぜ、二階堂さん」
「お元気で、左大さん」
背中越しに謝辞を述べて、左大は事務所を出た。
現在のところ、それが左大の最後の目撃情報となる。以後の行方は誰にも掴めなかった。
だが油断してはならない。左大億三郎という危険な恐竜愛狂家が存在する限り、そう遠くない未来に、第二第三の〈ジゾライド〉が再起動するのだから。
まだ見ぬ未来にて、竜が吼えている。
炎のように、吼え號(さけ)ぶ。
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