明鏡止水
「……秘剣、ねえ」
今やすっかり雛菊な日課となった、母による刀の稽古の時間。
その合間に設けられた休憩時間の最中、ネットで『Destiny Unchain Online』の攻略サイトを流すように眺めていた桔梗が不意に溢した呟きに、雛菊は首を傾げながら母の方へと振り返る。
「お母様、どうかしましたですか?」
「ああ、なんでもないわあ。知ってる技名に、ちょっと懐かしくなっていただけなの」
そう言って笑う桔梗だったが、すぐに真剣な表情で考え込む。
「でも……私が知っているものとは全然違うけれども、要素要素は残っているのよねぇ……まさかこれって練習用かしら。そうね、吸血オババなら実際にゲーム中で隠し技として仕込んであっても不思議じゃないのよねぇ……」
何やらぶつぶつ呟いていた桔梗だったが……やがて、よし、と一つ頷くと、雛菊を手招きする。
「ねえ、雛菊。あなたが嫌ってほど知ってるであろう『あの技』について、面白い話があるんだけど、聞きたい?」
「聞きたいです!」
目を輝かせ、食い気味に返事を返す雛菊。
はやく聞かせてほしいと期待の眼差しで見上げてくる雛菊の姿に……。
「ええ、じゃあ教えてあげる。この技はね……」
そう、悪戯っぽい笑みを浮かべた桔梗は、興味津々といった様子の愛娘に、その秘密を明かしたのだった。
◇
「……結局あの時は、そんな事できるわけない、からかっているのかって、お母様に食ってかかりましたですが」
ほんの数日前の出来事をなんだか懐かしく思いながら、雛菊が苦笑する。
その周囲では――もやは炎上する廃墟も同然という様相と化した正門上は、真っ赤な焔の海が広がっていた。ただ雛菊がいる周囲だけが、その被害から免れている。
「雛菊ちゃん、大丈夫?」
「可能な限りの防御バフは付与したけど……」
「ありがとうございますです、リコリスお姉さん、フレイお兄さん」
心配そうに振り返るリコリスとフレイに、雛菊は問題ないと笑って返す。
二人が雛菊を守るように周囲へと展開した『歪曲フィールド』により、暴走状態にある
その中心にて、雛菊は手にした鞘ごとの『凪の太刀』を構える。
この、大切な鬼人族の友人が持てる技術を出し切り拵えてくれた、鞘に収めたまま装備している間だけ攻撃力が増していく太刀を、雛菊は日頃から暇を見つけては装備し続けてきた。
おかげで今は、最初に抜刀した一回に限り最大火力を発揮できる状態にある。
眼前では今、クリムと、怨嗟の叫び声を撒き散らしながら暴れ回る焔の巨人とで、世界で最も危険な鬼ごっこの最中にあった。
メガセリオンのHPゲージが無くなった事については……クリムの見立てでは、おそらくはゲームにおけるHPという数値の意味が無くなり、現実世界同様に当人の状態のみが判定基準になったのではないかという予想らしい。
メガセリオンから執拗にターゲットされているクリムは元々の火耐性の低さのせいで、ちょっとでも焔の巨人に接近しようものなら、攻撃をされずともその熱量だけで凄まじいスリップダメージをうけるため、囮として逃げに徹している。
あの『バニシング・ペネトレイター』という新技ならば、あるいはメガセリオン本体にもダメージを与えることが可能なのではと思えるが、しかし焔の巨人から最優先でターゲットされて逃げ回っている最中に、それなりの前方向への助走が必須となるあの技を繰り出すのはいくらクリムであっても無理とのこと。
ならば遠距離攻撃といえばリコリスだが、こちらもメガセリオンの纏う熱量と、それによって発生する空気の流れによって、不規則に弾道が歪むためまともに狙えないとのこと。
また、焔の巨人が纏うエネルギーフィールドを貫くにはどうしても溜めの長い単発バレットになるため、欠損しても内部から噴き出す焔により一瞬で元通りになる高い再生力を持つ焔の巨人相手では、決定打を撃てない。
そんなわけで、リコリスはフレイと共に、雛菊のことを守ってくれている。
フレイヤは、囮役をしているクリムの治療とサポートで手一杯だ。
つまり……現在、何か状況を打開できるのは、雛菊のみ。
大層な重圧がのしかかるポジションではあるが……雛菊は自分でも不思議に思えるほどに、平静を保てていた。
雛菊にできることは一つ。
こちらが燃え尽きHPが全損するまでの一瞬で接近し、焔の巨人内部で核となっているメガセリオン本体を斬って無力化する。
そんな決意の下、気休めではあるが同じ火属性のため多少は打ち消し効果を期待できる『蒼炎』を全身に纏い、『凪の太刀』の鞘を掴んで柄に手を掛ける。
だが、普通に突っ込んでも、ただの無駄死にとなってしまう。
この状況を打破するには――そんな時に思い浮かんだのが、先の母からの教えだった。
あの時は絶対に無理と思えたが……不思議なもので、必要となった今はなんとなくだが、やるべき事がクリアに思い浮かぶ。
蒼く輝く浄化の炎を全身に纏わせた雛菊は、鞘に納められたままの『凪の太刀』を手に、丁寧に、丁寧に、戦技の始動ポーズをなぞっていく。
その姿はまるで、剣を手に神楽を舞う巫女のようだった。
一つ型を取るたびに、雑念が消え、思考が消え、代わりにこれまで幾度となく使用し体へと染みついた技の数々の記憶が、雛菊の脳内で結像していく。
そうしてただ無心に、無限にも思えるひと時の間、技に向かい合っていくと……やがて、次へと、また次へと至る道筋が見えた。
それらを雛菊は、全て消えないよう、一つ一つ拾い上げていく。
そうして全て舞い終えた時……その九つ全ての
まるで360度全方面に広がったような、真っ白な視界。
鞘に収められているため見えないはずの『凪の太刀』の刃が蒼く染まるのが見え、その刃が向かうべき道が、雛菊が見ている白い世界の中で蒼く輝く軌跡を描いていく。
「――『真式』」
【条件を満たしたため、プレイヤー名『雛菊』の種族が進化しました】
【プレイヤー『雛菊』が、スキル『クリフォ1i バチカル.Lv1』を取得しました】
全てを燃やし尽くす終末の焔へと飛び込む事に、恐怖は感じなかった。
感情は全て、刀を抜く前に置いてきた。
チン、と音を立てて、雛菊は
「――『秘剣・九重』」
そう、雛菊が呟いた直後――残心の構えを取る雛菊の
抜く手も、返す手も、この場に居た誰もが見えなかった。
雛菊は――生きている。HPバーは焔の巨人と一瞬交差しただけで真っ赤に染まり点滅していたが、確かに残っていた。
纏った蒼炎……否、『神炎』は、その大部分を吹き散らされながらも、雛菊を終末の焔から守り切った。
限りなく同時に放たれた無数の斬撃は、焔の巨人を千々に切り裂いてその内部、半ば以上が炭化したメガセリオンの四肢を断ち切り、胴を真一文字に両断して、地に転がしていた。
全ての戦う力を一瞬のうちに奪われて、もはや身動きさえもできず、何が起きたのかもわからぬままに茫然と天を眺めるメガセリオンに……。
「これで、もうあなたは何もできないです。治るまで、いっぺん頭を冷やすのです」
……そう、血を払うかのように鞘を振って蒼炎を散らし、蓄えていた力を失った『凪の太刀』をストレージに収め、まるで聞き分けの悪い年少の子を叱るように、メガセリオンへと語りかける雛菊。
その背後には、蒼の神炎を纏った尾が四本、自分たちの勝利を誇示するかのように揺れていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます