隣に並び立つために
「なあ、やめとけよ昴」
――それは、小学生だった頃の、ある日のこと。
昴は、いつも友人たちと溜まり場にしていた、今時珍しく対戦格闘ゲームの筐体が置いてある鄙びた個人商店へと向かおうとしたところ、クラスの友人からそんな言葉をかけられていた。
「やめるって、何をだ?」
「満月のやつと対戦するのだよ」
「そうそう、あんなの勝てるわけねーよ」
口々にそんな不満を曰う、クラスメイトの男子グループたち。
確かに小学五年生に進級後、ずっと紅は誰にも負けていない。この数年で紅のゲームに対するセンスはメキメキ上達したのもあり、あまりにも圧倒的すぎるものだから、級友は一人、また一人と紅と対戦するのを嫌がって、今ではすっかり孤立してしまっていた。
そんな中……昴はただ一人、何度負けながらも毎日紅と対戦を続けていた。あまりにしつこいものだから、周囲はもう諦めろと言うが、しかし。
「いいや、今日は僕が勝つ」
昴は自信満々にそう言うと、今日も小遣いの中からコインを一枚手に、いつも溜まり場にしている筐体へと向かう。
そこでは……また一人、どうやら紅に負けたらしい高校生が、すごすごと退散していくところだった。ちょうど台が空いたのならば好都合と、昴はすっかり慣れた席に座る。
「……何?」
「決まっているだろ、勝負だ、紅」
微妙に拗ねた様子の紅にはお構いなく、対戦台に座ってコインを投入する。そんな昴を見て、紅も渋々ながら使用キャラを選ぶ。
――どうせ勝てないくせに。
そんなあまり良くない態度を滲ませるものの、どこか寂しげな幼馴染の姿に、昴は仕方ない奴だなと苦笑しつつも……双方とも使用キャラが決まり、対戦がスタートした。
◇
「嘘……負けた……」
「だから言っただろ、今日は僕が勝つって」
この対戦は、これまでとはうってかわり、昴がずっと主導権を握り紅を完封した。
久しぶりに二戦ストレート負けした紅が呆然と呟くのを見ながら、昴はドヤァ、と胸を張って種明かしする。
「お前が最近対戦面倒くさがってそのキャラしか使わなくなったからな。キャラ相性を調べるところから始めて、お前の動きのクセも徹底的に研究して、完璧にメタったんだ。めっちゃ練習したぞ」
「ちょ……何だよそれズルくね、ていうか大人気ねーぞ!?」
「ははは、負け犬の遠吠えが心地いいな」
「この……昴、もう一戦だ!」
悔しげにコインを投入した紅が、先程とは違うキャラクターを選択する。それを見た昴は、苦笑しつつこちらも別のキャラクターを選択し、ふたたび対戦が始まった。
――結局、この日は三戦して、全て昴が勝利した。
すっかり不貞腐れる紅に苦笑しつつ、昴は紅と並んで夕日に染まる帰路を歩いていた。
「まったくなんなんだよ昴、本当に性格悪いよな。そこまでして俺に勝ちたかったのかよ……」
「ああ、当然だ」
ぶつくさ愚痴る紅の頭をぐりぐり撫で回しながら、昴は眼鏡の位置を直し、笑う。
「僕は、お前のライバルだからな。たまにはちゃんと勝たないといけないだろう?」
「……なんだよ、それ」
自信満々に言い放った昴の言葉に……紅は、しかし今度はどこか嬉しそうにしながらも、耐えきれずに吹き出すのだった。
◇
「フレイさん、これが最後のMPポーションです」
「ありがとうシタさん、助かる」
「ごめんなさい、私もそろそろ失礼しますね」
そう言って、シタがログアウトしていく。
現在、このエリアには緊急メンテナンスのため退去命令が出ているのだから、本来ならば彼女の判断が当然のことだ。
一方、シタと同じように残る手持ちのMPポーションをフレイに使用していたシズクが、申し訳なさそうに話しかけてくる。
「ボクは……」
「シズクちゃんは、アミリアスさんとリウムをつれて隠れていて。任せたよ」
「はい……それじゃ、ご武運を」
後ろ髪引かれるようにしながら、シズクはちびリウムとロード・アミリアスを伴い物影に隠れる。彼女も、すぐにログアウトするだろう。
――この場に残った時点で分かっていた事だが……『終末の獣』マザーハーロット戦は、まともに戦闘にすらならず、散々な有様となっていた。
装備の大半が故障しているタンク。
リソースの尽きたアタッカー。
MPがほぼ底をついたヒーラー。
そのような構成で、『終末の獣』の一角相手にまともに戦えるはずもなく……最初、高脅威目標として真っ先にマザーハーロットに狙われたエルミルが落とされた時点で、こちらの敗北という趨勢は決した。
今は雛菊とカスミ、そしてフレイヤの三人でどうにか持ち堪えてくれてはいるものの、正直、フレイたちがまだ生きているのはマザーハーロットがこの場を壊さないように派手な攻撃を控えているのと、そもそもマザーハーロット本人にやる気がない――言い換えるならばフレイたちを舐め切っているからに他ならない。
加えて先程の緊急メンテナンスの告知だ、こればかりは如何ともしがたく……戦闘力を喪失したプレイヤーから順番に、手持ちのポーションを残る者たちに託して退避している。
残っているのはもう、『ルアシェイア』のメンバーのうち戦闘に参加できるメンバー数人と、スザクのためにギリギリまで残ることにしたセオドライトくらいしかいない。
そのルアシェイアメンバーにしても、大人組は退去済み、セツナも早々に残る武器を全損し失ったあと、戦闘不能で退去している。
残っているメンバーですら、雛菊もカスミもまともな武器はすでに無く、カスミはその辺で拾った鉄パイプ、雛菊は鬼人族の友人とやらが作ってくれた守り刀という最後の一振りだけで耐え忍んでいる状態だ。
最初から、勝てる戦いではなかったのだ。
だが……それでもフレイは諦めていない。だからこそ、他の皆も踏ん張ってくれている。
――絶対に勝てないなんて、認めない。
「お前を、クリムやリコリスちゃんたちのところへは行かせない……!」
「しつこいわねぇ!?」
フレイがなけなしのMPを絞り出して苦し紛れに放った氷の鎖が、いい加減この場から離脱しようとしたマザーハーロットへと絡みつく。
それを心底うざったそうに眺めたマザーハーロットが右手を振るい、竜の顎門がフレイの眼前へと迫った。
――天才には追いつけないなんて、安易に逃げたりはしない。
「――フレイ!」
横から、フレイヤがフレイを突き飛ばす。そんな姉は、フレイが受けるはずだった攻撃をまともにくらい、HPを全損して崩れ落ちる。
「バカめ、ひ弱な魔術師一人庇ってなんになる!」
「ふんだ、私の弟は諦めが悪いんだから……ッ!」
最後にそんなことをマザーハーロットに言い返して、視界の端でフレイヤが残光に還った。
だが、いったい自分に何ができる。
今の自分に何ができるというのか。
――諦めてしまえば……凡人である僕は、あいつ
「――ぜってぇ、ブッ飛ばす!」
フレイヤに突き飛ばされたことで、フレイは奇跡的に、マザーハーロットの操る七匹の竜の顎門をすり抜けた。
微かに驚きの表情を見せるマザーハーロットの顔面に向けて――拳を握り、叫ぶ。
「『ブラスト』ッ!」
近距離専用の衝撃魔法が、マザーハーロットの眼前で炸裂した。生憎と彼女が周囲に纏う力場に邪魔をされてダメージは通らなかったが……ただの一魔術師でしかない自分の攻撃は、確かに『終末の獣』に届いた。
【感情の振れが、規定値をオーバーしました】
【条件を満たしたため、プレイヤー名『フレイ』の種族が進化しました】
【プレイヤー『フレイ』が、スキル『クリフォ1i バチカル.Lv1』を取得しました】
「――っ、いまのは!?」
眼前に流れたログに、弾かれるようにしてフレイは後退し、マザーハーロットから離れる。
姿は、見える範囲では何も変わっていない。だが確かにフレイの中で何かが変化したのは分かった。種族進化したのだ。
だがしかし、いったい何がどう変わったのか、果たして状況を打破できる何かを得たのかが、現時点でのフレイには分からない。
とにかく状況を把握する時間が欲しいのだが、マザーハーロットは面倒臭さそうにしながらも、はっきりとフレイの方を見ている。
「チッ、ルシファーの置き土産か。面倒だからあの羽付きを真っ先に始末したってのに、また厄介な奴が増えたわね……ッ!」
心底面倒臭さそうに吐き捨てるマザーハーロット。一方で、雛菊とカスミはフレイの前に立ち塞がり、マザーハーロットの視界を遮り庇う姿勢に入る。
「フレイさん!」
「ここは、私達が時間を稼ぐよ!」
「すまない雛菊ちゃん、委員長、三十秒だけ頼む!」
最低限、能力を把握する時間が必要だ。
仲間を捨て駒にするようで心苦しいが、マザーハーロットの相手は雛菊とカスミに任せ、一度そちらから意識を切り離す。
二人が耐え凌ぐ音を聞きながら、フレイは必死にステータスをスクロールして、増えていたスキルの解説に目を走らせる。
「……すみません、僕もMPが切れたのでここまでです」
苦渋に満ちた声で呟いたのは、ここまでどうにか耐え凌ぎ回復係を担っていたセオドライトのものか。
焦る心を押さえつけスキル説明を読破し終えたフレイは、最速で作戦を脳内で組み立て終えると、最後に残りマザーハーロットの猛攻をギリギリで耐えていた二人に指示を飛ばす。
「……よし、雛菊ちゃん、委員長、二人は下がって!」
「はいです!」
「あとは任せたよ、フレイ君!」
かろうじて生き残った雛菊とカスミが、後退してログアウト作業に入る。それを横目で見送ったフレイは、手をマザーハーロットの方へと掲げ、叫んだ。
「術理開明、我の意に従い天球を為せ、『セレスティアルグローブ』ッ!!」
スキル使用を宣言したフレイに気押されるかのように、マザーハーロットが防御姿勢を取る。
だが……そんな彼女の行動と裏腹に、フレイの掲げた手の先には、空間から染み出すようにして一つの光輝く小さな模様が現れただけだった。
「…………」
「…………」
そろそろと、防御体勢を解くマザーハーロット。
この場で最後に残った二人の間に、気まずい沈黙が降りる。
「……えっと。なんなの、それ?」
「……いや、ごめん。なんだろうな?」
たった一個だけ出現した、弱々しく明滅する幾何学模様のような文字。
スキル説明では『ピット』と呼称されていたこの光る文字は、この世界の魔法を構成する要素らしいが、これ単体で何かが起きる様子はない。
「……増えたな?」
「……増えたわね?」
しばらく眺めていたら、ふよふよ浮かんでいたピットが二つに分裂した。
その様子を、フレイは戦闘するのを忘れた様子で呆然としているマザーハーロットと二人で、首を傾げて眺める。
ちなみに……十秒が経過し二つに増えたピットは、さらに十秒後には四つに増えた。
「――って、和んでる場合じゃないでしょ!!」
「うわっ!?」
ようやく我に返ったマザーハーロットが、慌てて鞭を振るい竜の首をフレイへとけしかける。
一方で、間一髪ながらも必死に地面を転がりまわるようにして竜の顎門を掻い潜ったフレイのほうはというと……ピットが四つになった事でようやく一本『ファイアアロー』が発動できた。『ファイアアロー』の消費MPは4のため、どうやらこのピットが一つにつきMP1分の働きをするらしい。
しかし必死に逃げながら放ったその一撃は、特別なにか高性能とか追加効果があるとかいうわけでもなく、マザーハーロットにまるで蝿でも払うかのように素手で叩き落とされて元の構成に使われていたピットとなり、フレイの元に戻って来た。
「……どうしろっていうんだ、こんなもの!」
「あっはっは、ざまあないわね、凡人は進化しても変わらず雑魚って事かしらねぇ!」
いたぶるように散発的に放たれるマザーハーロットの攻撃を、しかしフレイは背中を向けて、時には這いつくばってでも必死に逃げ回る。
それは側から見たら酷く情け無いように見えて、マザーハーロットの機嫌は最初こそ上機嫌だったものの……やがて見るに耐えないとばかりに次第に悪化していった。
そして……そんな一方的な追いかけっこが一分ほど続いた時、彼女の我慢は限界に到達した。それは――
「もう良いわ、そろそろあんた、飽きたから死になさい」
マザーハーロットの手にした鞭が振るわれて、七つの竜の顎がフレイへと迫り――その直前で、七枚の『フォース・フィールド』に阻まれて軌道が逸れた。
「……は?」
「……ふぅ。どうにか戦えるようにはなったか」
今度こそ終わらせるつもりで放った攻撃を防がれて、唖然とするマザーハーロット。
一方でフレイはというと、先程までみっともなく地を転がり逃げ回っていた姿はどこへやら、今は悠然と立ち上がって服の埃を払っている。
その姿は余裕そのもので、単身『終末の獣』と対峙しているとは思えないほどだ。
そして……フレイの周囲を漂っていた光輝く文字は、今や数百という数の群体に膨れ上がってフレイの姿を覆い隠すほどに増殖していた。
「なんっ……によそれっ!?」
「へぇ、最初のピットは一個、そこから十秒経過で二個、二十秒ならば四個……倍々で増えるって事は今は九十秒経過したから五百十二個ってところか。これなら、お前が相手でももう無様は晒さないだろ」
「アンタ……知らないフリして、すっとぼけてたわね!」
「当たり前だろう、スキルの詳細なんて雛菊ちゃんたちが稼いてくれた時間で完璧に把握済みだ。せっかく稼いでくれた時間で一か八かの賭けなんか僕がする訳ないだろうが」
魔法の基礎構成たるピットは、フレイが望むまま、必要な個数が組み合わさってあらゆる魔法に変化する。
特筆するべき点は、直接構成を編むためそれがフレイの知っている魔法ならば習得スキルの制限がなく再現できること。
たとえタンク用の防御魔法だとしても、今のフレイならばリキャストも詠唱もなく、必要な量のピットを振り分けるだけで発動が可能だ。
そして、フレイ周囲のピット群体が、また倍に増える。
その、千を超えた数に膨れ上がったピット群体はすぐに形を変えて、「ファイアアロー」に変化する。
その数――およそ250本。
周囲を埋め尽くす炎の矢は、フレイが手を伸ばした先……マザーハーロットの方へと、一斉にその穂先を向ける。その様子に、今度はマザーハーロットが慌てる番だった。
「――嘘でしょ!?」
先ほどまでとは一転し泡を食ったように駆け出すマザーハーロットに、ガトリングの斉射が如き勢いで無数の炎の矢が降り注ぐ。
「この……舐めるな、凡人の雑魚風情がッ!!」
苦し紛れに放ったマザーハーロットの鞭による反撃は、しかしフレイの周囲、さらに倍に増えたピット群体が新たに変化した『雲散霧消』と『フォース・フィールド』により削られた上で、幾重にも重ねられた『ソリッドレイ』により防ぎ切られる。
もはや攻撃が通らない。その事実に愕然とするマザーハーロットの前で、フレイは手にしていた魔導書をパタンとたたみ、深々と溜息を吐く。
「はー……お前がバカで助かったよ、そうじゃなければ負けていた」
その心底バカにした様子に、マザーハーロットはビキビキと額に青筋を浮かべながら喚く。
「そ……そんな膨大な力、お前みたいな凡人に扱える訳ないじゃない、すぐに潰れるのがオチの限定的な能力でしょ、どうせ!!」
「そうだな、僕のMP残量は進化時に全快したから4千と少しだから……あと数秒で維持できなくなって崩壊するだろうな」
「でしょうね!?」
マザーハーロットが指摘した通り、もはや無敵に思えても、弱点が存在するこの能力。
一文字につきMP1ずつフレイの元から消えるというコストを払っているこのピット群体は、構成するコストがフレイの最大MPを上回った瞬間、その全ての構成を崩壊させてフレイ自身に数時間のMPゲージ破壊という一切のMP消費行動が行えなくなるデバフを与え、強制終了するのだ――本来ならば。
「だけど……『魔力の泉』」
「あ……あっ……そんなのイカサマじゃないの、ふざけんなお前ッ!?」
フレイの全てのHPと引き換えにMPが無限の魔力ソースに接続され、無限のリソースを得たピット群体はついには一万近くの数に膨れ上がる。
もはやこの融機人の墓所が丸ごとプラネタリウムに包まれているような無数のピット群体に取り囲まれたフレイの周囲では、『ファイアアロー』だったものが『ヴァジュラ』や『フィンブル』のような最上位攻撃魔法、極めて凶暴な破壊力を秘めた雷槍や氷剣に置き換わっていく。
その数は瞬く間に数百を超え、周囲一面もはや殺意しか存在しない光景の前には、さすがのマザーハーロットも顔を青ざめさせて言葉を失っている。
さらに、周囲には要塞の如く幾重にも防御魔法が張り巡らされ、例えば真竜らのように魔力そのものを無かったことにする特殊な防御無効能力でもない限りは何の攻撃も届かないだろう。
――勝敗は決した。『魔力の泉』の効果時間中である三十秒間は、もはやフレイのことをどうにかするのは極めて難しい。マザーハーロットが本気でフレイを潰そうとした頃にはもう、とうに遅きに失していたのだ。
「くっ……アンタのツラは覚えたわよ、覚えてなさい性格最悪のクソ眼鏡」
「それは無理な相談だ。不本意ながら、その手の悪口は言われ慣れているんでね」
憎々しげにマザーハーロットが怨嗟の言葉を漏らし、フレイは眼鏡の位置を直しながら呆れたように返事をする。
その双方棘だらけの言葉を最後に――無数の『ヴァジュラ』と『フィンブル』が雨のように降り注ぎ、マザーハーロットはフレイの眼前から姿を消したのだった。
【後書き】
リアルが繁忙期中につき、次回から更新頻度落ちます。どうにか最低でも隔週は維持したい……
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