祖父
――赤ん坊の機嫌というのは、山の天気のように変化しやすいもので。
「だぁだぁ」
「ふふ、ご機嫌みたいですねー? 新しいおむつになって気持ちいいのかな?」
上機嫌で笑っているお包みに包まれた赤ん坊を、聖がゆったりとしたペースで揺すりながら抱いていた。
もともと聖は、仲のいいご近所さんで赤ん坊が生まれるたびに進んで手伝いに行っていたので、多少元気がいい赤ん坊でもそのお世話は慣れたものだ。
手早くおむつを取り替える手際など、二児の母であるイリスでさえ舌を巻くほどで、もはや熟練のベテランという貫禄さえあったほどだ。
一方で……
「れ、烈火のような泣き方だったね……」
「まだ耳がぐわんぐわんします……」
全然余裕といった感じの聖とは対照的に、疲労困憊の体でぐったりと椅子に座って口から魂を吐き出しているのは……紅とユリアの二人だった。
なぜ、このようになっているのかというと――紅たちが病室を訪れてしばらく経過した頃、のんびり談笑していたところで不意に目覚めたアリアが、つい先ほどまでバンシーかマンドラゴラもかくやという凄まじい元気さで泣き始めたのだ。
現在はお腹がいっぱいとなり、新しいおむつに変わりと不満が解消されたことで、ようやく落ち着いたところだが……特に紅は、これまでずっと眠っているアリアの姿しか見ていなかったために完全に油断しており、泣き出した赤ん坊を前にただ右往左往していることしかできなかった。
すっかりグロッキーといった二人の様子に、横では玲央が苦笑しながら、先ほど交換したばかりのおむつを備え付けのダストボックスにおさめ、汚物の廃棄処理を手早く済ませている。
「意外というと、玲央君は赤ん坊の世話も慣れてるんだね?」
「私か? 私は……まあ、赤ん坊の世話は一通りやったことあるしな」
「そうなの?」
聖の質問に対し、ユリアの方からさりげなく目を逸らしながら曰う玲央。
その様子を面白そうに見ているのは、ベッド上にいるイリスの授乳後の身だしなみを整える手伝いをしているリィアだ。
「ふふ、微笑ましく世話を手伝ってくれていた小さなレオン君にまで嫉妬してるお姉ちゃんは、ちょっと側から見ていて面白かったわね」
「お願い……あの時のことには触れないで、ね?」
すっかり真っ赤になって、リィアの腕にすがりついてガックンガックン揺さぶりながら黒歴史を暴露するのをやめてと懇願するイリスに、はいはいと苦笑しながら宥めているリィア。
実に仲のいい姉妹の光景ではあるが、本当にどちらが姉なんだかと、紅たちも釣られて苦笑する。
が、しかし。そんな中で、玲央やリィアの話を聞いて気が気でない者が一人。
「じゃあ、お兄様がお世話した赤ん坊って、やっぱり……」
消え入りそうなか細い声で呟いたのは、イリス以上に真っ赤になって頭から湯気を吹き出しているユリアだ。
まあ……お兄様と慕う年上の異性におむつを替えられていたというのは、いたいけな少女にとってだいぶショックだったであろうことは想像に難くない。
放っておいたらそのままのぼせて倒れてしまいそうなユリアの様子に、紅は慌てて話題変更を試みる。
「あの、他の人たちはどこへ!?」
たしか、今日は玲史とそのご両親、そしてアウレオ理事長が来ているはずなのだ。
しかし、紅たちが入ってきた時点でその姿は見当たらない。どうやら外出中みたいだが……。
「玲史さんとお父様たちは、今は退院後の生活準備ためにお義母さんたちの家へ行っていますよ。そろそろ帰ってくるのではないかしら?」
「退院、日取りが決まったんですか?」
「ええ。元々今回は安産でしたし、本当ならば数日で退院のところを病院側の厚意で多めにのんびりさせていただいたんです……だから、来週にはもう退院ですよ」
と、そこまで語ったところで……イリスが急に深刻な顔をする。
「ただ……久しぶりに支倉家へ帰ったら、知らない部屋がお父様に増設されていそうで怖いですね」
「えっと、私はお兄様のところに泊まっていたから最近は支倉のお爺ちゃんたちの家の様子は見ていなかったんですが、お祖父様ってば、お金も行動力もありますもんね」
「アウレオ伯父様はあんな強面なくせに子煩悩だから、娘と孫のためならそれくらい惜しまなそうですよねー」
……と、真顔でしみじみ呟くイリス、ユリア、リィアの三人に、いやいやそんなまさかと思いながらも否定できない紅たちなのだった。
◇
噂をすれば影、とはよく言った物で。
「戻ったぞ……おー、アリア、随分とご機嫌じゃないか」
「あー!」
「はは、そうかそうか。聖ちゃんも、面倒を見てくれてありがとうな」
「いいえ、私も堪能しましたので。それじゃあアリアちゃん、お父さんの方に行きましょうねー?」
入室するなり聖が抱いていたアリアをお包みごと受けとり、嬉しそうに抱き寄せる玲史。アリアもまんざらでもないようで、されるがままになっていた。
彼はお腹がいっぱいになったせいか眠そうにしているアリアを手慣れた様子であやしながら、紅たちの方へ振り返ると再び頭を下げる。
「紅たちも、わざわざ手伝ってくれていたんだな。二人とも、ありがとうな」
「あ、いいえ、自分はあまり役に立ててなくてですね……」
「気にしないでください、好きで手伝っているだけですから!」
恐縮する紅と、ニコニコ上機嫌で返答を返す聖。
和気藹々としたところで、さらにもうとり、両手に大荷物を抱えた男性が入室してくる。
「む……今日は大所帯だな」
「あ、理事長。お邪魔しています」
「お久しぶりです、アウレオ理事長」
「満月と、古谷のところの娘か。何ももてなしはできないが、せめてゆっくりとしていきたまえ」
紅たちから挨拶を受けて、頷き返す彼……アウレオ理事長。
しかし強面で威厳たっぷりの彼が、両手に紙おむつの袋を下げているその姿は、なかなかにギャップが激しい。
本人もそれは自覚しているのか、荷物をそそくさとベッドの傍にある棚に仕舞い込んでいるが……そんな背中に向けて、イリスが声をかける。
「ところで……お父様も、アリアを抱いてやっては?」
「いや、私は……」
少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべて薦めるイリスに、本当に珍しいことに動揺を見せるアウレオ。
どうやら子供は苦手らしく遠慮しているその様子に……しかし、弱みでも握っているのだろうかと思えるレベルで父親に対してやたらと優位な立場にあるらしい
そして……その傍に立つ玲史やユリアもまた、イリスに追従して曰う。
「いいから抱いてやれよ、『お爺ちゃん』?」
「お祖父様、私からもお願いします」
「む……」
その後しばらくの間、イリスら親子、対、アウレオで睨み合いの攻防戦が続いたが……多勢に無勢なことに加えて、さすがに孫娘であるユリアの視線には屈したのか、アウレオの方が諦めたようにかぶりを振る。
「……分かった」
「おう、抱け抱け。ほら、ここをこうして……」
「む、こ、こうか?」
周囲で繰り広げられていた攻防など自分には関係ないとばかりに、すでにすやすやと眠りについているアリアを、玲史の指示通りにおっかなびっくりといった様子で受け取るアウレオ。
やがて合格をもらい人心地ついたところで……彼は、ホッと安堵した様子で赤ん坊の顔を覗きこむ。
「小さいな……小さな子を抱くというのは、こんなにも怖い事だっただろうか」
「んー、ユリアの時は、お父様が抱いた時にはもう生後数ヶ月経っていて、首が座っていましたからね」
「ああ、そうだったな……やはり小さな命をこの手に預かるのは、いつになっても慣れそうにないな」
深々と溜息を吐きながら、それでも赤ん坊を抱く手は離さずにしみじみと呟くアウレオの姿に……皆はただ、温かい目線を送るのだった。
【後書き】
前回に引き続き、前作のエピローグ色が強く……予定より長くなった。
次回は掲示板回を挟んでまたゲームに戻るかなと思います。
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