現実世界でのひととき⑦



 昼食には桜たちも誘うこととなり、こちらの人数を天理あまりに伝えたところ……『分かった、予約は人数分取っておくから現地に集合するように』と返事が返ってきた。


 そうして、しばらく皆でゲームセンターで時間を潰し、約束の時間五分前に待ち合わせ場所へとやってきた紅たちだったが……




「……なあ、紅、ここか?」

「……うん、間違いないはず……だけど」


 珍しく惚けた様子で眼前の建造物を見上げる昴に、紅も自信なさげに答える。


 天理に伝えられた住所に向かう途中、どんどん小綺麗なオフィス街のど真ん中へと入り込んでいったため、ひしひし嫌な予感がしていたのだが――約束の場所に鎮座していたのは、大木から切り出されたらしき年季の入った看板を掲げている、古式ゆかしい和風建築の門だった。


「ねえ朱雀君、なんか凄そうなお店だよ……!」

「り、料亭ってやつか……?」


 やや興奮気味な桜の一方で、朱雀は眼前の店のその威圧感すら感じる佇まいに顔を青ざめさせている。

 さらに年若い深雪や雛菊などの年少組など、すっかりと腰が引けていたのだった。



「む、待たせたな」


 そう、背後から声が掛かる。

 紅が振り返ると、そこに居たのは母、天理。そして……


「……お母様!」

「あら雛菊、お友達と街に出るのは楽しかった?」


 真っ先に雛菊が駆け寄ったのは、イリスの見舞いに行ったという彼女の母親、桔梗。

 その他、病室に残っていた玲央やユリア、雪那、ラインハルトらなども一緒にこちらへと来ていた。


 その人数、余裕で十人を超える。

 こんな大人数でいきなり来て大丈夫なのか、心配する紅だったが、しかし。


「母さん……本当に、ここ?」

「うむ、話は通っておる、行くぞ」

「ご馳走になります」

「な、なります!」


 この辺りはおそらく慣れなのだろう、特に気後れした様子もなく後に続いていく玲央やユリア、桔梗らを伴い、遠慮なく門の中へと踏み込む天理。そんな背中を、他の皆が慌てて追いかける。




 ……そうして紅たちは、やってきた従業員に案内されて、日本庭園を眺めることができる座敷へと通された。


 この時点で皆、慣れない雰囲気にガチガチに緊張していたのだった。



「まあ、そう緊張するな」

「そうは言っても……」


 そわそわと周囲を見回している紅に苦笑しながら、天理が安心させるように語りかけるが……なかなか、簡単にはいかない。


 天理はたまにこうして格調の高そうな店に連れてきてくれることがあるが、どちらかというと庶民派を自認している紅はあまり、こういった店には慣れていない。


 そんな心境などお構いなしに、やがて次々と運ばれ、配膳されていく数多の料理。

 見た目からして美しいその日本料理の数々に、しかし緊張から料理の説明もまともに頭に入ってこない。


 そんな紅や、他の少年少女を見回して苦笑しながら、天理は語る。


「……料理というのも果てのない道でな、美味を求めれば求めるほどその過程は複雑怪奇になり、それを追求していけば格式だなんだと敷居が高くなるのもまた世の常じゃが……そこに込められている想いは、ただ一つじゃ」

「それは?」


 紅が聞き返すと、天理はこれまで澄ましていた表情をふっと緩め、口を開く。


「客を楽しませる。見た目を飾るのも、手間暇を掛けるのも、結局はその善意による一心なのじゃ」

「あ……」

「じゃから、マナーも大事じゃが、まずは楽しまねば損じゃぞ」


 そう言って、自らも前菜に手をつける天理。


 それを見て……いざとなれば母や或いは桔梗あたりを参考にさせて貰えば良いかと開き直り、紅も前菜の椀に添えられていた匙を取って、椀の中身、茶色いとろみのある餡が掛かった湯葉の巾着にそっと入れる。


 そうして一口、口に運んだ巾着――里芋と豆腐をすり潰し、湯葉に包んで蒸し、とろっとした出汁の餡を掛けたらしいその里芋饅頭は……口の中でねっとりと解け、滑らかな舌触りを残して喉に流れていく。

 醤油ベースの餡は里芋と豆腐の風味を崩さないためであろう、かなり塩味は控えめだが……里芋と豆自体が持つほのかな甘さがしっかりとあるため、決して物足りないという味では無い。



 ――何これうっま。



 先ほどまでの緊張などいずこへやら、思考が、ただ『美味』に埋め尽くされる。


 素材本来の味と、それを最大限引き立てる餡に軽く感動を覚えながら、続いて紅が手を出したのが……同じく前菜の皿に載っていた、串に刺され味噌を塗られてパリッと炭火で焼かれた、一口大の豆腐田楽。

 口にした瞬間鼻から抜けていくような柚子の爽やかな香りがほのかに香る、香ばしい焼き味噌の風味。豆腐自体もどっしりと濃く、重く、しかしボソボソとはしていない。まるでステーキを食んでいるかのような濃厚な味だった。


「豆腐が……濃い」

「そうじゃろう。何でもその日の料理に使う分だけ、その日の朝に、直営元である老舗の豆腐屋で自社生産しておるらしいからな」

「なるほど……」


 紅の感想を愉快そうに聞いていた天理の解説に、紅も納得する。

 たしかに、使う料理に合わせ、豆腐自体を調整してあるのだと、改めて食べ比べてみれば差異がわかる。


 また、焼き味噌の余韻が残っているうちに、続いて箸をつけた茶碗に盛られたご飯には、乾燥させた桜の花びらの塩漬けをすり潰したものがふりかけられているらしく、口に含んだ瞬間ふわっと香る春の香りと、ほのかな塩味。


 くつくつと小さな土鍋内で沸き立つ豆乳……そこからつまみ上げる汲み上げ湯葉は、薄口醤油と生姜にちょんとつけて口に入れると、口内いっぱいに広がる豆の旨味が頬を蕩けさせる。


 炊き合わせの小鉢中心に鎮座している揚巻き湯葉……生湯葉を重ねて棒状に巻いたものを輪切りにして揚げたものだ……は、揚げた湯葉の香ばしさは残しつつも野菜の旨味が溶け込んだ出汁をたっぷりと吸っており、口に含むと大量の仄甘いツユを口内に放出しながら、ホロリと崩れて消え去っていく。


 そうして、口に運ぶもの全て美味という中、夢中で箸を動かしているうちに、皆の前へと運び込まれたのは……メインらしき、陶板に綺麗に盛り付けられた少量の肉や野菜など添え物の中心に鎮座する、どっしりとした豆腐のステーキ。


 嫌が応にも高まる期待の視線の先で着火される固形燃料。


 やがて、じじじ……と野菜や豆腐の水分が蒸発する音を放つ陶板と、香ばしい醤油が焦げる香り。


 重たい手応えを返して来る豆腐に箸を入れ、一口大に切り分ける。

 そうして、狐色の焦げ目がついた豆腐を口に含み咀嚼した瞬間……旨味が、口内を満たした。


 なるほど、余計な薬味など必要ない。

 火が入ったことでさらに際立った豆腐本来の味に、ほんの少し香る生醤油の香りと塩味。たったそれだけで、これは立派なメイン料理たり得ていた。



 ……これ以上、言葉は不用だろう。


 以降、紅たちはただ、美味に舌鼓を打ちながら、夢中で食事を堪能したのだった。



 ……


 …………


 ………………



 そうして………最後に、豆腐が混ぜ込まれた牛乳で作られた、さっぱりとした味わいのソフトクリームというデザートまで完食し……すっかりお腹いっぱいになって、店外へとお暇する一行。



「はぁ、美味しかったぁ……」

「いつもご馳走さまです、天理さん」

「うむ、皆に喜んでもらえて何よりじゃ」


 聖と昴が、会計を済ませて出てきた天理に深々と頭を下げ、礼を述べる。

 他の皆も同じように「ご馳走様」を告げながら、夢見心地で店からぞろぞろと出て行く。


「でも……良いのかな、学生の身でこんな贅沢をさせてもらって、後が怖いような……」


 佳澄の不安そうな声に、主に玲央とユリアを除く学生組の皆が、一斉に頷く。


 今日の料理は……間違いなく、


 天理が会計を全て一人で済ませてしまったため、その値段は不明だが――そもそも店内に、メニューはおろか、値札の一つさえも無かった。


 こうした、おそらくはその日の朝の仕入れからメニューが決まる、いわゆる『時価』とかいうコース料理だ、一人前幾らかを聞くのすらもはや恐ろしい。


 ……が、しかし、天理はそれを気にした様子もなく。


「何を言うか、良いに決まっておるだろう。むしろお主ら若者こそ、時には感動する機会を得てその感性を育てていく事が大切だと、我は思うぞ」


 そう締め括る天理に、はぁ……と感嘆の声を上げている佳澄。その目には、少し憧憬の色が写っていた。


 ……のだが。


「本当に……美食に関してはやたら鼻が効きますわよね、吸血オババ」

「ふふん、古来より吸血鬼なんぞというものは、美食には目がないものと相場が決まっておろう」


 にこやかに何らかの悪態を吐いたらしい桔梗に、得意げに笑って返答しているらしい天理。


「……美味しいものを食べた後くらい、仲良くすれば良いのにね」

「まったくです。お母様も変な意地を張らずに感謝すれば良いのです」


 何を話しているかはわからないが、そんな天理と桔梗ら母親二人に、困ったものだと肩をすくめて苦笑し合う紅と雛菊なのだった。





【後書き】

このお店はフィクションです。実在はしていません(無情

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