――聖王国を蝕んでいた腐敗の真の元凶だったという、クリフォ9i『リリス』。



 ついに姿を表して、この場は自らのテリトリーであるとばかりに余裕に満ちた態度を取る彼女に、クリムはしかし、ずっと疑問に感じていたことを問い掛ける。


「悪魔リリスよ、戦う前に一つ聞かせて欲しい。なぜその学生たちは、瘴気の中で何年間も生きておった?」


 それは、クリムだけでなく、皆が感じていた疑問。


 彼らは皆、あの大陸中央部を襲った大厄災当時の姿のまま、今もこうして健在だった……それはまるで、このセントラルアカデミー内だけが、七年前の災厄を飛び越えて現世に出現したかのように。


 そんなクリムの問いに対して……リリスはいっそ優しげな笑みを浮かべ、口を開く。


「それは……彼らが避難していた講堂ごと、わたくしが時間を凍結して隔絶し、彼らを外界から遮断していたからですわ」

「む……では、お主が彼らを助けたと?」

「まぁ、確かにそうなりますわね。結果的にではありますが」


 もちろん、私の騎士様としてお役に立っていただきたかったからですけども。


 そう無邪気に笑いながら曰う彼女の様子に、微かに眉を顰めるクリムだったが……リリスはそんなクリムの様子など構いなく話を続ける。


「それで……聖王様、それに他の皆様も、ここは大人しく降ってはいただけないでしょうか」


 そう、物憂げに頬に手を当てて、語りかけてくるリリス。


「……私、荒事は苦手です。悪いようには致しませんわ、皆様も同胞を手に掛けるのは嫌でございましょう?」


 いっそ慈愛すら感じられるそんな彼女の言葉とは裏腹に、続々と湧き出てくる学生たち、そしてすっかり見慣れた結晶化ゾンビをはじめとしたエネミーたちが、ジリっと距離を縮めてくる。


 多数の結晶化ゾンビと、その前に、まるで盾になるように並ぶ魅了された若者たち。


 その光景にレジスタンスたちが狼狽し、その戦意は地に落ちている、かなり不味い状況の中。


「――ユーフェニア!」

「うん、わかってる!」


 そんなクリムの短い言葉に、しかしユーフェニアがその意図を察して頷き、レジスタンスの者たちへと声を張り上げる。


「レオナ、ここは一旦退きましょう!」

「お嬢……皇女殿下!?」

「皆がこの戦場に集ったのは、帝都を人の手に取り戻す為です。決して帝都住人、それも子供や若者を手にかける為ではないでしょう!」


 毅然と告げるユーフェニア。

 一方で、動き始めたリリスの下僕たちの前に立ち塞がるように、クリムたち『ルアシェイア』のメンバー、そしてセオドライトが従える聖王国の主力部隊が前に出る。


「我らルアシェイアの者たちと……」

「僕ら聖王国で殿を務めます、さあ、早く!」


 そう告げて、極力相手を傷つけぬように交戦を始めたクリムたちに、レオナはハッと何かに気付いたようにした後、すぐに行動に移った。


「……すまない、君たちを信じるよ! 皆、一旦退いて体勢を立て直すぞ!」

「で、でも……」

「いいから彼らの言う通りにするんだ、ライブラ! まだ先は長い、この場で余計な損害を出すわけにはいかない!」

「わ……分かった!」


 そう言い残し、先陣に立っていたレオナを最後尾にして、未だ戸惑いを強く残しつつも撤退指示を出すライブラの指揮の下、レジスタンスの者たちが退避を始める。


 それを確認し……クリムたちも、襲いくる若者たちを必要以上に傷付けぬよう注意を払いながら、徐々に後退を始める。


 その姿、外から見たらさぞ、苦渋に満ちた決断に見えた事だろう。


 迫り来る魅了された若者たちの後ろで……悪魔リリスはただ嫣然と、慌てふためき撤退するクリムたちを見つめて嗤っていたのだった。






 ◇


 ――時は少し遡り、開戦前。学術都市メルクリウスに入る前の道中のこと。




「……なんだって?」


 配置を離れ、揃ってレオナの元に訪れたクリムとセオドライト。


 その二人が告げた提案に、東側の解放軍総大将を務める彼女……レオナは、怪訝な顔で聞き返す。


「じゃから、此度の戦闘、一度退却する可能性も、あらかじめ考慮して欲しい」

「それは分かったが……なぜ、皆に内緒に?」


 そう……彼女が戸惑っているのは、退却する必要があるかもしれないという事ではない。

 その事を他の皆には伝えずに、レオナだけに留めておいて欲しいという、セオドライトからの提案だった。


「悪魔リリスは、内部に潜入しての工作が得意な悪魔です……一方で、戦術面ではほぼ素人に近い」


 交戦経験のあるセオドライトが、その時の経験を元に語る。実際、リリスは聖都に潜伏していた際は直接の戦闘は避け、発覚後は速やかに撤退していたという。


 その際も……リリスは支配下にある者たちをけしかけはしたものの、彼女からの明確な指示などは一切無く、全て手下任せだったのだそうだ。


「一方で奴には、イァルハ教の幹部ほとんどを手中に収めていた、大規模な魅了能力があります。故に、何か皆さんが戦闘しにくいような戦力を用意している可能性が高い」

「そこを、あえて向こうの策略に乗っかったフリをして罠に嵌める準備を、あらかじめやっておこうと思うのじゃ」


 そう提案するクリムたちに、レオナはなるほど、と頷く。


「だけど、それなら皆にも伝えた方が、スムーズに進むんじゃないかい?」


 そう疑問を口にするレオナに、セオドライトは首を横に振る。


「……ですが、リリスは人の感情の機微には鋭いです。皆があらかじめ罠の存在を知っていた場合、退却時に見抜かれるでしょう」

「なるほど……あらかじめ知っていた場合、どうしても態度に余裕が出てしまうということね」

「そういうことです。敵を騙すには、まず味方からと言うでしょう?」

「このことは、ユーフェニアにも伝えてある。指示は彼女から出させるゆえ、彼女から退却指示があった場合、どうか我らを信じ、一度レジスタンスを退却させて貰いたい」


 そう告げるクリムの言葉に……しばらく考え込んだレオナだったが、最後には諦めたように肩をすくめる。


「……分かった、信じるよ、盟主のお嬢ちゃん、それに聖王さん。この件は、アタシだけが心に留めておく」


 そう、レオナは承知したと頷くのだった。






 ◇


 ――そして、現在。



「――『ファイアレジスト』!」


 さすが魔法学校も備えるアカデミーの生徒たちだけあり、かなりの威力と精度でもって敵陣後方から放たれた火球の雨。それがサラの展開した耐火結界に衝突して、掻き消える。


 そうして、千々に吹き散らされた炎弾の名残である火の粉が吹き荒れる中。


「斬ってダメというのは……」

「やりにくいですね……!」


 最前線で魅了された学生たちを抑えてくれているカスミと雛菊だったが、限界を超えて身体能力を強化された彼らを極力傷つけずに戦うというのは、さしもの彼女たちも苦戦しているようだった。


「……クリム、ぼちぼち潮時じゃないか!?」


 迫る学生たちに、相手を麻痺状態にする低級魔法『パラライザー』をばら撒いて抑えていたフレイが、そうクリムへと決断を促す。


「ぐっ……たしかにこれ以上は抑えきれんな、レジスタンスは十分に距離を稼いだはず、我らも退くぞ!」


 以前、学園際の時に芸能科で仕込まれた演技を思い出しながら、苦渋の表情で皆に指示を出すクリム。


 それに従い、これまで魅了された若者たちをどうにか傷つけぬよう抑えていた殿の皆も、一目散に退却を始める。


「あら……逃しませんわよ、聖王様、それに夜の精のお嬢さん。さあ皆、あの者達を捉えてくださいまし?」


 そのクリムの慌てる姿を見て気を良くし、今が好機と判断して指示を出すリリスに従い、魅了された学生たちが皆一斉にクリムたちを追いかけてきた。



 ――計画通り。



 やはり、この辺りの部分でリリスは判断が甘い。

 彼女に見えぬよう、同じく最後尾を走るセオドライトと視線を交わし、クリムは内心でほくそ笑む。


 そうしてルアシェイアと聖王国、そしてリリスの下僕たちの追いかけっこがしばらく続いて、学術都市東門へと続く大通りを半ばまで来たところで。


「――フィーユ、今じゃ!!」


 クリムが、不意に宙へと大声で呼びかける。


 次の瞬間――クリムたちが逃げてきた大通りを中心に、世界はその時間を凍てつかせ、灰色へと染まったのだった――……

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