聖王の憂鬱

 ――セツナから情報を貰った、その日の夜。




「――来たか。今日のログインは少し遅かったみたいじゃな」


 そう、外壁の胸郭に腰掛けたクリムが、街の方から歩いてきた人影……白の法衣に騎士鎧という聖騎士然とした格好の青年へ、気安い様子で手を挙げ挨拶する。


「……なぜあなたがここにいるのでしょうかね、赤の魔王」


 驚愕に固まっていた青年……このユニオンの盟主であるセオドライトだったが、すぐに彼は気を取り直し、こめかみに指を押し当て、苦虫を噛み潰したような表情で深々と溜息を吐く。


 その目は言外に、『なんで敵地でしかも弱点である聖域内にノコノコ一人お忍びで遊びに来てんだこのロリ魔王』と呆れ混じりに語っていた。


「で、わざわざ僕を待ち伏せて、何の用ですか?」

「うむ。今度旧帝国が解放されるじゃろ。その前に、しばらくの間で構わぬから正式に休戦したいと思ってな」


 サラッと語るクリムに、彼は少し険しい顔をして、口を開く。


「……それを、僕が受ける意味は」

「あるじゃろ、なあ?」

「……っ」


 被せ気味なクリムの言葉に、今度こそ険しく表情を変えるセオドライト。それを確認したクリムが、人差し指をピッと立てながら語り始める。


「まず第一に、お主は少なくとも現状で我らに勝つ見込みはないと、冷静に受け止めておる」

「……」


 クリムの言葉に、ムッとしながらも黙り込むセオドライト。その反応が、彼がクリムの言葉を正しいと思っていることを雄弁に物語っていた。



 聖王国発足時はまた違ったのであろうが……おそらくは先の初戦にて、『ルアシェイア連王同盟国』の住人との良好な関係、ただでさえ脅威だったクリムの種族進化などがあり、今は慎重にならざるを得ないというのが現状なのだろう。


 だがその一方で、一度振り上げた拳を下ろすのも難しい。今は、膠着状態のまま時間を稼ぐことしかできない……というのが、クリムたちが調べてきた彼ら聖王国の現状。



 そんなことは百も承知であろう彼の様子に頷きながら、クリムは二本目、今度は中指をピッと伸ばす。


「そして第二の理由。クリーンな盟主であらねばならんお主は、少なくとも今は絡め手や非道な類の戦略は使用できん。少しでも卑劣な行為があれば、皆離れていく可能性もあるからの」

「……なぜそう思う?」

「ま、我も同様の悩みを抱えとるからの。我ら連王国の民は、我が生活を守ってくれると信じているからこそ支持してくれておるのじゃからな」


 以前主導していた者たちの行いを糾弾し、それに賛同した者たちの絶大な指示を受けて今の立場を固めた彼だ。クリムの言う通り、その時点で彼は清廉潔白な仁の王でなければならない。


 品行方正な者は、僅かでもそれに背いた途端に評判が地に堕ちる。実に不平等な話ではあるが、世間は善人の行う悪事には極めて不寛容だ。


 お互い大変よなぁ……そう笑い掛けるクリムに、セオドライトがチッと忌々しげに舌打ちしながら目を逸らす。


 それは普段の好青年然とした立ち振る舞いとは程遠い、随分と柄が悪い様子だったが……しかし、演技臭い『聖王様』よりはずっと親しみやすい姿だなと苦笑しつつ、彼への好感度を微妙に上方修正するクリムだった。





 ……が、しかし。


 のんびりと話しているのは、もう時間切れらしい。


「……じゃが、今日の本題はそれではないのじゃ」

「……なるほど。思っていたより早かったな」


 新たにこの場に現れた気配に、クリムとセオドライトが揃ってそちらを向く。


 今しがたセオドライトが歩いてきた、街へ降りる階段がある方向。そこには……白い人影が三つ、佇んでいた。


 頭からすっぽりと身を包む、白に近い灰色のローブを纏う人影。顔は無表情な白い仮面に覆われており表情は伺えず、長い袖の下には、チラッと鈍い刃物の輝き……握り込んで保持し、突き殺すことに特化した刀剣ジャマダハルが覗いていた。




 ――イァルハ教の上層部が内密に聖王セオドライトを異端者として認定。各地の教会に散っていた粛清部隊が、彼を排斥するために大陸各地から集められてるよ。




 先ほど、クリムがこの街を偵察していたセツナから報告を受けていた通りの、その姿。事態はもう、動き始めてしまったようだ。


「教団直属の暗部部隊……いやはや、元国教が聞いて呆れる。いや、だからこそ、か?」


 忌々しげに呟くセオドライト。


 NPCの人間系エネミーである彼らから発せられる、ビリビリとした殺気。間違いなく手練れだ。

 そして、彼らがセオドライトをここで殺そうとしているのは明白だった。


 ――簒奪により領地を得た場合、その住人によるクーデターで領主が命を落とした場合、その地域の支配権を失う。


 つまり……このイベント内で『聖王セオドライト』が死んだ場合、彼は聖王の肩書きを失うのだ。


「……てっきり、貴様はこの機に乗じて僕を始末する為に来たと思ったんだけどな、赤の魔王」

「馬鹿言うでない。そのような胸糞悪く面白くもないことなど、我がするわけ無かろう」

「……フン」


 どうやら、この場は信じてくれたらしい。彼の注意はクリムから外れて、目の前の暗殺者の方へと集中する。


「で、だ。セオドライト。助けは必要かの?」

「断る」


 この騒ぎだ、すぐに聖王国のプレイヤーたちが駆けつけてくるだろう。だがそれまで、彼一人で凌ぐにはいささか分の悪い状況ではある。


 故に、そう提案するクリムだったが……しかし彼は、それに対して露骨に嫌そうな顔をして、返答を吐き捨てる。


「僕は聖王様だぞ……魔王、しかもそんなフラフラな奴の助けなんか要るか、さっさとどこかに行け」

「そうか……じゃが、自衛の為に戦うのは我の勝手じゃよな。その過程でもし目の前で困っている者がいたら、お節介な我はついつい動いてしまうかもしれんが、まぁやむを得んよなぁ?」

「チッ、勝手にしろ。僕はお前がいる事なんか知らないからな」


 そう忌々しげに吐き捨ててクリムに背を向け、腰の佩剣を鞘から抜き放つ彼の姿に苦笑しながら……クリムは外壁から飛び降りて、パラメーターが著しく低下した身体に鞭打って物陰に飛び込む。


「さて……は呼んであるが、間に合うかどうか。ま、それまでやれるだけの事はやっておくかの」


 上の方から、金属と金属がぶつかり合う音を聞こえてくる。どうやら壁の上では戦闘が開始したらしい。

 そんな音を聞きながら、クリムはボソッとそんな事を呟き、周囲に潜む敵性存在の気配をざっと数える。



 ――さすが国教の総本山である古都だけあって、そこに巣食う戦力も豊富じゃな。



 かなり多数の戦力に囲まれていることを認識し、漆黒の短剣を生成したクリムは……まずは最も手近にいた一人、弩を手に路地に潜んでいた白いローブの人影へと躍り掛かるのだった――……

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