砦攻め③

 

「――ぉおぅ!?」


 クリムの眼前で、目と鼻の先に迫った矢が周囲に渦巻いた風に巻かれ、鼻先スレスレで逸れていった。

 それが身に纏う、すっかりクリムの象徴となった【幼き獅子赤帝の外套】の効果『妖精たちの加護』によるものだと理解する前に……すでに次々と迫っている矢を振り切るように、射角とほぼ垂直に横切るように、身を低くして駆ける。


 陽動に出て……まだ一分にも満たないくらい。


 だが、敵に脅威であると知らしめて狙いをこちらに向けるため、他の者よりも突出しているクリムに降り注ぐ矢は多く、その表情には流石に余裕は見られない。


 そのため降り注ぐ矢の雨に全神経を集中しているクリムには、まるで何十分と経過しているように思えた。


 それと、もう一人。


「くっ……」

「雛菊、無理なら下がって!」

「まだ直撃はないです、大丈夫です!」


 クリムの僅かに後ろくらいの位置で、刀で矢を斬り払いながら返答を返してくる雛菊。


 こちらも【ザドキエルの外套】による『ケセドの加護』のタイムリミット三十秒が経過したらしく、焦りの声を上げる。

 元々、三回までは防いでくれるクリムの『妖精たちの加護』とは違い、ある程度までしか軽減できないその加護では連弩を防ぎ切れてはおらず、貫通してきた矢により細々とかすり傷を負っていた彼女には、クリムよりも疲労の色が見られるが……しかし、雛菊は健気に問題ないと頷いて見せる。


 フレイヤをはじめとした盾持ちの前衛には、櫓に向けて攻撃魔法を放つ後衛職を守ってもらっている。


 その攻撃魔法や遠隔攻撃も、こう距離があっては大した損害を与える事はできないが……しかし脅威には違いないため、向こうもこちらに集中せざるを得ない。




 これでいい。敵の視線は全て、クリムたち陽動部隊を脅威と見做しこちらに集中している。


 あとは櫓に向かった別働隊の仕事次第だが……そんなことを考えていた矢先、櫓から派手な爆発が起こった。


 バラバラと壁の上から連弩の破片を撒き散らしているその爆発は……間違いなく、セツナの符術。

 同時に櫓の上で戦闘が始まり、クリムたちに迫る矢の雨が目に見えて減少した。


「エルミルたち別働隊が奇襲に成功した、皆の者、攻め上がるぞ……ッ!!」


 言うが早いか、先陣を切って真っ先に飛び出したクリム。雨の様に降り注ぐ矢の妨害から解放された陽動部隊の皆は、即座にその真紅の外套を翻す小さな背中の後へ続き――その数分後には、奇襲部隊により連弩を全て破壊された櫓の制圧はあっけなく完了し、完全にクリムたちのものとなっていた。







 ◇


 ――システムメッセージにより、この場所がプレイヤーのものとなった事がこの場の皆に伝えられた。櫓を解放すると、どうやら安全な拠点として使わせてもらえるらしい。


 このエリア内に留まっている限りは、こちらから仕掛けない限りは襲われないことを確認したプレイヤー達。ぼちぼち夕飯時ということもあって、ここで一度休憩を入れることになった。




 そんな、砦攻めという緊張の連続から解放されたばかりの、弛緩した空気の中で。


「あ、お館様ぁー! このセツナ、無事お館様から与えられた任務完了ましたよ!」

「うむ、よくやった。誉めて遣わす」

「むふー」


 皆に続いてクリムが櫓に入った瞬間、飛びつくように駆けてきたセツナ。誉めてオーラ全開の彼女を、クリムは頭を撫でて良い子良い子してやる。

 しばらくそのまま機嫌良さそうにしていたセツナだったが……不意に真剣な顔で、連弩が設置されていた壁の上方を指差しながら、口を開く。


「ですが……ちょっとあの人とは、話をしてあげるべきだと思うわ」

「あの人……エルミル?」


 クリムの問いに、頷くセツナ。

 何があったのだろうかと、クリムは彼女に促されるままに壁を登る。


 突入部隊の指揮をとっていたエルミルはというと……壁の上にて、仕留めたらしいデスナイトが天に還っていくのを見送っているところだった。


「ふむ、お主が倒したのか。お疲れ様じゃな」

「あ……魔王様」


 呆けた様子で空に還っていく光を見つめていたエルミルだったが、背後からクリムが声を掛けると、のろのろとそちらを見る。


「はは、らしくないよな……なんかさ、死んで、アンデッドにされて、それでもまだ必死に自分の役目を果たそうとしていた元は立派な騎士なんだって思うとさ……ちょっと遣る瀬無く思えて、な」


 ナイト様、などという渾名が定着している彼には、どうやら思うところがあったらしい。

 抜きっぱなしだった剣を思い出したように鞘に収め、ズルズルと胸壁(兵士を防御するための背の低い壁面)に寄りかかり座り込む彼の様子は……あきらかに、普段の明るい青年の姿とは違っていた。


「最後に、ありがとうって。あと、領主様を頼むって言い残して逝ったんだ……運営も、ただのエネミーにこんなイベント作んなよ、くそ……」


 そう悪態を吐き、髪をぐしゃぐしゃにしながら俯いてしまうエルミル。

 その肩が震えている事には……触れてやらぬことが華じゃなと、クリムは手頃な高さに来たその頭をポンポンと叩いてやる。


「ほんっ……に、お主は優しい奴じゃなあ、エルミル」

「そ……そうかな?」

「うむ、我が保証してやるわ……よく頑張ったな、改めて見直したぞ」


 そう優しく語りかけると……彼はどうやら照れているらしく、クリムの方から目線を逸らす、が。


「それに……我は、お主の葛藤は間違いなどでは決してない、尊いものだと思っておる」

「……魔王さま?」


 エルミルが、ポツリと呟いたクリムの言葉に、怪訝そうな表情で顔を上げる。



 ――ゲームの登場人物を、どうしても架空の人物とは思えない。



 そんな精神疾患の相談が、加速度的にVRゲームがリアリティを増したこの十数年で増えたことも、それがこの『Destiny Unchain Online』で特に顕著であるという噂も、クリムは当然ながら知っている。


 ……というよりは、むしろクリムこそ、誰よりも強く感じているはずだ。


 物質世界か、電脳世界か。ただが違うだけであり、この世界の人々は本当に生きているのだと……他でもない、今朝会ったジュナとジョージ、共に拠点で暮らすダアトやルゥルゥ、そして何よりも、すっかり妹分となったルージュとの交流の中で強く思うようになっていた。



 だがしかしクリムは、今はまだうまく言葉にできないその胸中を、「なんでもない」と苦笑して誤魔化す。


「それに、お主に関しては今更ではないか? だってお主、ダアトやルゥルゥのガチ恋勢じゃろうが」

「……うぇ!?」


 代わりに、にまー、と意地の悪い笑みを浮かべたクリムの言葉に、エルミルが慌てたように変な声を上げる。


「言っておくがの、お主が彼女ら目当てでちょくちょくウチに顔を出していることは、皆が承知の上で愉え……生暖かく見守っておるからの」

「今、愉悦、って言いかけたよなあ!?」


 いつもは揶揄われる側ゆえか、嬉々としてエルミルを揶揄うクリムに、彼は真っ赤になって立ち上がる。


「くぅ……ッ! そ、それじゃ、休憩タイムなんだろ、俺は飯食ってくるからな! さぁて、お前らもちゃんと休憩しろよ、ここから先が本番だぞぅ!」


 そう、わざとらしいほどに元気よく壁の下にいた仲間たちに叫んでから、エルミルは逃げ去るようにログアウトしていった。


 その勢いに少し呆気にとられながら……まあ、元気になったのならば良いかと、クリムはフレイヤとフレイに宛てて夕飯を食べに来るか尋ねるメッセージを送りながら、自分もログアウトの準備をする。





「それにしても……今更だけど、母さん達はなんでこんなリアルな人たちが暮らす世界を作ったんだろうな」


 ――自分たちは、両親の何かとても大それた企てに巻き込まれているのではないかと……ふと湧き上がってきたそんな疑念は、しかしログアウトが完了してクリムの姿が消えると同時に虚しく散っていったのだった――……


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