ベリアル

 ――突如現れた、ダアト=クリファード。




 突然の展開に周囲のプレイヤーが騒然となる中、クリムはダアト=クリファードから目を離さぬまま、彼らに頭を下げる。


「皆の者、すまん。我のシナリオに巻き込んだようじゃ」

「お、俺たちはどうしたらいい?」

「すまんな、生き延びる事だけ考えてくれればそれで良い」


 冷や汗を垂らしながら、ダアト=クリファードに対峙するクリム。チリチリと全身を刺す感覚が、目の前の存在はヤバい、と全力で告げていた。


「私は、そちらの子に要件があるの。こちらに貸してくださらない?」

「断る!」

「あら……」


 被せ気味に拒否したクリムに、眼前のダアト=クリファードがおどけて驚いたポーズを取ってみせる。


「なら……力づくで連れていくしか無いわねぇ?」


 突如、眼前の地面を穿ち、次々とクリムの体並みの太さを持つ鋭利なもの……樹木の根のようなものが隆起して、クリムとルージュへと殺到する。


「ルージュ、後ろで伏せておるのじゃ!」

「う、うん」


 今は『ブレイク・ブラッド』の影響で戦闘力の無いルージュを庇い、クリムが手に作り出した大鎌で迫る根を斬り飛ばす。


「何故だ、なぜルージュを狙う!」

「決まっているじゃない。貴女に対処するためよ、赤の魔王様?」

「……我に?」

「ええ。元々貴女とほぼ同じポテンシャルを秘めたその子を私の力で強化したら、貴女に対する最高のカウンターになる……目障りな貴女を、排除できると思ったのよ!」

「きゃあ!?」

「ルージュ!?」


 次々と襲いくる根から背後の少女を守っていたクリムの……その背後から、少女の悲鳴。

 慌ててそちらを見ると、何処からか伸びてきていた茨に絡め取られ、ダアト=クリファードの手元へと引き寄せられているルージュの姿があった。


「この……っ!?」


 慌てて追いかけようとするも、その眼前に、前が見えないほどの樹木の根と茨が次々地面を突き破り、追加で現れる。

 数本の根を切り飛ばしながら、先を急ぐクリムだったが……ダアト=クリファードは、捕らえられ、抱きすくめられて怯えるルージュの頬を舐るように撫で回し、その耳元で囁いていた。


「怖かったのでしょう、だから力を私があげる……もう何も怖がらないで済む力」

「い……いらない、そんな力欲しくない……!」

「あら、何を今更。あなたはもう、何十人と大勢の人を斬ってきたというのに?」

「だから、もう嫌なの……! 殺すのも殺されるのも、もう嫌ぁ……!」

「……だけど、あなたの本心はどうかしら? 追いかけ回されて、どうして自分がこんな目に、みんな死ねばいいのに……そう思っていたのではなくて?」

「……っ、ち、が……っ!」


 ダアト=クリファードを拒絶する言葉が、鈍い。

 そも、恐怖と憎悪は密接な関係であり、ルージュが恐怖により感情に目覚めた以上、憎悪という感情を避ける事はできない。


 その事を熟知しているからこそ……ダアト=クリファードは、少女の傷をえぐり続ける。


「憎いのでしょう、あなたを散々追いかけ回した彼らが。私はそれを理解してあげる、大丈夫、そのための力なら与えてあげるわ」

「違う……ちがう……!」


 必死に首を振り、ボロボロと大粒の涙を零しながら、ダアト=クリファードの言葉を拒絶するルージュ。

 だが、それでもその昏い感情を押し殺して蓋をしていたルージュに、無遠慮にその蓋をこじ開けようとするダアト=クリファード。


 その姿に――クリムは生まれて初めて、腹の底から煮えたぎる『憎悪』という感情を本当の意味で理解した。


「お前……お前ぇえええええッ!?」

「あら、怖い。お姉ちゃんはおかんむりみたいね?」


 白髪を逆立て、鬼気迫る怒気を発散し、根を排除するペースが目に見えて上昇したクリムを、それでもおどけて見据えるダアト=クリファード。


 だが、そんな彼女に怒りを抱いていたのは……クリムだけではなかった。



 ――ギンッ!!



「……あら。ドッペルゲンガー風情が、これは何かしら?」


 ドッペルゲンガーの雛菊の刀が、ダアト=クリファードを守るように伸びてきた茨に絡め取られる。

 そんな雛菊を援護しようとしたドッペルゲンガーのリコリスも、腕に巻きついてきた茨によって銃を奪われてしまう。


 それでも……二人は、ルージュを捕らえているダアト=クリファードを、険しい目つきで睨みつけていた。


「……あなた達は、何をやっているのかしら。遺跡の防衛システム風情が、己の役目も放り出して何をやっているの?」

『『……!』』


 二人が、ダアトが放った茨に全身を絡め取られ、今度こそ動きを封じられた。

 それだけでは済まず、捕まった二人が体を構成する魔力を奪われて、手足の先端から形を失っていく。


「やめて、二人にひどいことしないで!?」

「ひどいこと? 自分の役目も忘れた出来損ないの道具に、せめて有効活用してあげましょうというだけよ?」

「……お願い二人とも、いいから逃げて!」


 必死なルージュの叫びに……もがいて拘束を抜けようとしていた二体のドッペルゲンガーが、無念の表情を浮かべ頷いた。

 直後、ころんと着ぐるみを脱ぎ捨てるかのように、ドッペルゲンガーの雛菊とリコリスの中から何かが転がり出てきた。


 それは……赤い球体だろうか。

 核と思しきそれが、まるで子供が粘土で作ったような人型の黒い影を纏っている。


「お願い誰か、その子たちを守って……!」


 そんなルージュの悲痛な叫びを受けて、周囲の呆然と推移を眺めていたプレイヤーたちが、慌てて二体の影人形……ドッペルゲンガーの本体を回収する。

 そのままドッペルゲンガーの二人を胸に抱いてを保護したプレイヤーが、後方へと退避していったのを見て、ほっと安堵の表情を見せたルージュだったが……


「……ぅあ!?」

「ルージュ!?」


 核を失った二体のドッペルゲンガーが魔力に還元され、ルージュへと急速に流入していく。それに苦悶の声を上げる彼女の全身に……今まであったファイアパターンとは違う、のたうつ茨のような模様が浮かび始めた。


「ダアト、やめろ……ッ!?」


 視界を遮るほどの、その先端をこちらに向けながら迫る根を切り払いながら急ぐクリムだが……いかんせん数が多く、新たな魔法を紡ぐ余裕も無い現状では遅々として進めない。


 それならば……自らの戦闘不能を賭け皿に載せて、一気に突っ込もうとした――その時だった。



「――なるほど、俺を連れてきたのはこのためか」

「……何!?」


 頭上から、聞き覚えのある声。同時に、一つの人影が上から降ってくる。

 ルージュを拘束するダアト=クリファードを狙って振り下ろされた、その人影の手にする赤い金属の剣が、彼女の目深に被ったフードを切り裂いた。


「……困ったお方。今回は、あなたの出番は無いはずだったのに」

「それを決めるのは、お前じゃないだろう、女」


 呆れたように、闖入者を見つめるダアト=クリファード。そんな彼女の斬られたフードがはらりと落ち……その下から現れたのは、やはりというか見知った樹精霊と同じ顔。

 ただ一つ違うとすれば、その髪が赤から黄色へとグラデーションしていたくらいか。


 そんな彼女と対峙しているのは……赤い髪の青年。


「お前……スザク!?」

「よう、魔王さま。苦戦しているみたいだな」

「何故……いや、それよりも! その捕まっている女の子を助けたい、彼女は私のテイムモンスター、いや、妹分なんだ!」

「……お前には借りもある、分かった」


 必死に、ロールプレイすら忘れ叫ぶクリムに、スザクは頷き剣を構える、が。


「……さすがに、この不完全な状態のままお前と戦わせる訳にはいかないわね」


 チッ、と舌打ちして、彼女が手を掲げる。

 するとその背後に、転送陣らしきものが現れた。


「逃げるつもりか……っ!」

「ええ、逃げるつもりですとも。いいこと教えてあげる、このダンジョンね、四層より下までいくと装備制限が無くなるの、そちらで相手をしてあげるわ」


 そう言って、蔦に雁字搦めにされたルージュを伴い踵を返すダアト=クリファード。


「この子を助けたかったら、急いで追ってこないとねぇ、『お姉ちゃん』?」

「貴様……ッ!」


 揶揄するように見下ろすダアト=クリファードを、クリムがギリっと睨み付ける。だが、彼女はすでにクリムから興味を失ったように、別の場所を見据えていた。


「ああ、そうそう。そこの忌々しい小娘」

「え、あ、私?」


 彼女が指差したのは、建物の陰から覗いていた……彼女を何年か幼くしたような姿の少女。


「ええ、あなた。『ダアト・クリファード』という名前はあなたにあげるわ。私にはもう必要ないもの」


 そう艶然と笑みを浮かべて振り返り、ローブの端を摘んで一礼する彼女は……



「私は……。それが今の私」



 ……そう、自らを名乗った。


「だからもう、あなたの写し身なんかじゃないって……セイファートの方の『ダアト』にも言っておいて頂戴」


 そう告げて、顔を上げて嗤う彼女が転送の光に包まれた。


 街の一角を崩壊させるほどの無数の蔦がのたうつ中で、それを斬り捨てながら追いすがるクリムだったが……その手は、ほんの僅かに届かない。


 だが、それでも手を伸ばし、叫ぶ――


「ルージュ!!」


 二人の姿が薄れていき、完全に消える、その直前。


「絶対……絶対にお姉ちゃんが助けてやる! ……だから負けるな、頑張れ!!」


 必死に叫ぶクリムの声に、ルージュは驚きに目を見開いて……



 ――うん、まってる……たすけて。



 直後、泣き笑いの表情でそんな口の動きだけを残して――彼女はベリアルと共に、姿を消したのだった――……

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