母は語る

 ――仮想の花火大会もやがて終わり、買ってきた食べ物もあらかた平らげた紅達。


 その時にはもう、あとは温泉に入るか寝るかという時間であったが……しかし紅にはまだ一つ、重要、かつ大変なことが残っていた。





 ――かぽん、と誰かが桶を置いた音が響き渡る大浴場。




「……ん。はいよくできました、及第点をあげましょう」

「はぁ……これだけ頑張ってギリギリ合格なんだね」


 場所は大浴場の、簡素なブースで区切られた洗い場。

 聖の指導の元、初めて自分で髪と体を洗い終えた紅は、もはや疲れ果ててぐったりとしていた。


 なんせ、髪を洗うだけでも最初に髪を梳いて基礎洗浄してその他無数の工程があり、洗い終えたと思えばトリートメントだ。

 なるほど聖は毎日自分だけでなく紅の分もこなしているのだから、昴のお風呂時間が短くて羨ましいと常日頃ぼやくのも致し方ないだろう。



 紅に女の子の体お手入れ指導を終えた聖が、ようやく自分の体を洗い始めたので、見ているわけにもいかず紅はそそくさと退散する。


 元々遅い時間であったため、気がつけば、紅が体を洗っている間に他の客はもう姿が見えなくなっていた。


 一緒に入ってきたはずの佳澄は……居た。サウナで我慢比べ中らしき雛菊と深雪に、巻き込まれているらしい。


 紅はそんな三人の様子に苦笑しながら、女の子だけのサウナに自分も突撃するのは躊躇われ、素直に大浴場の端に浸かる。


 途端に、ほぅ……と深い溜息が漏れた。これは、そう……


「疲れた……」


 思えば、目覚めた時に聖が目の前にいて、悶々とした気分を吹き飛ばすためとりあえず走った今朝からずっと、大変なことばかりだった。


 そんな疲労の溜まった体に、じんわりと温泉の熱が浸透していく。

 もう考え事も面倒になり、頭を空にして体から力を抜き、浮力に身を任せてぷかぷか浮いていると……


「おお、なんじゃ紅。かわいいところが全部丸見えじゃぞ?」

「――ッ!?」


 突然聞こえてきた声に、紅は慌てて浴槽内に座り直す。そのまま胸と下をきつく腕で隠し、真っ赤になった顔で睨みつけた先には……


「なんじゃ恥ずかしがりおって、母子共に風呂など今更ではないか」

「最後に一緒に入ったのは何年も前だけどね!」


 あまり気にした様子もなく、愉快そうにカラカラと笑っているのは……母、天理。


 だが母であるはずの彼女の肢体は、とても経産婦とは思えないほど瑞々しく、紅をそのまま女性らしさを増したような体型を維持しているのだから、たまったものではない。


 思わず怒鳴り返し、ぐぬぬ、と余裕綽々でその身を晒している母を睨みつけるも、特に堪えた様子もなく紅のすぐ隣に入ってくる。


「ああ……そうじゃなぁ。その時のお主はまだ、しょうがくせい、なるものじゃったもんなぁ」

「……そうだよ。事情は父さんから聞いてるし、今更蒸し返すつもりもないけどね」


 確かに放っておかれて恨みもしたが、それは全て紅のためだったのを、事情を知った今ではよく分かっている。

 ただ、面と向かってお礼を言うには恥ずかしいので、ただプイッと拗ねたように目を背ける、気難しい年の頃な紅なのだった。





「明日は、どうするのじゃ?」


 しばらく、黙り込んだまま肩まで湯に浸かっていた紅だったが、そんな母の質問に、半身浴に切り替えて口を開く。


「うーん……とりあえず、せっかくの旅行だからゲームはお休み。皆でまた海で遊ぼうっていうのが皆の意見だね」

「うむ……楽しんでいるようで何よりじゃな」

「私のことより母さん達の方が問題でしょ。全く、いつ休む気なんだよ」

「む、すまぬな。明日は大丈夫じゃから、一緒に過ごそうな?」


 そう言って抱きついてくる母の過剰なスキンシップに、紅はたまらずプイッとそっぽを向く。


「そ……そういえば、最近やけに目が見えたり身体能力が上がっている気がするんだけど」


 紅は半ば照れ隠しにそんな質問をするが、半分は本当に気になっていたことだ。


 でなければ、学校の体育の時間のバスケで、こんな小柄な体でアリウープなんて披露出来るわけがない……あの時は、なんとなくできるような気がしてついやってしまい、余計な注目を浴びてしまった訳だが。


「ほう、今聞いてくるということは、目に見える変化があったのじゃな。何ができた?」

「ゲーム内でだけど銃弾を叩き落とした」

「ほほぅ……我が子ながら、なかなか優秀ではないか!」

「ちょ……やーめーろー!?」


 嬉しそうにぐりぐり頭を撫でる天理に、紅が頭をぐわんぐわん揺らしながら抗議の声を上げる。


「だから言ったじゃろ、そのお前本来の体に慣れてきたらオリンピックの陸上選手だって追い抜けるようになるぞと」

「あれ、マジだったんだね……」

「ふむ……まぁボチボチ、身体能力をセーブする技術も教えていかねばの」


 何故か嬉しそうな母に、紅は半ば諦めの溜息を吐く。




「ところで……ねえ母さん。なんで『NTEC』はこの施設の開発に協力したの?」


 もちろん、会社としては事業として収益を上げるためだろう。だが紅が言いたいのは、そういうことではない。


「ふむ……試運転の花火は、皆と見てきたのじゃな?」

「うん、凄かった。今まで見てきたどんな花火よりも」

「うむ、ならば良かった。あれは、もう遺失した最盛期の技術、職人たちの技術の粋を集めて行われていた、紅の生まれる以前に秋田県のとある街で毎年行われていた競技会を再現したものじゃ」


 ――名前だけは、紅も聞いたことがある。


 途中でやむを得ぬ事情で延期こそあったらしいが……全部で100回を超えるほど続けられていたという、日本最大の花火のフェスティバルにして全国三大花火競技会。


「凄かったぞ、特に帰りの渋滞がな。せいぜい二つ隣の県のくせして、終了してから我が家に戻るまでに次の日の昼前になっておったからな」

「何それ、長すぎない?」

「はは、自動運転が主流な今は、そんな渋滞にはならんじゃろうからなあ。宙のやつめが言うには、昔の、人が車を運転しておった頃には良くあったらしいぞ?」


 語り聞かせるような母の話に、はあぁ……と感心しきりな紅。


 そんな、興味津々に話に聞き入っている娘の様子を面白がって眺めている天理に……紅はもう一つ、ずっと気になっていたことを尋ねる。


「あんなすごい技術も、あっさり衰退するんだね」

「ああ……そうじゃなぁ。人の命は短い、連綿と受け継がれてきた技術も伝承も、後継に恵まれなければそこで断絶するのじゃ」


 どこか遠くを見ながら、そんなことを呟く母の姿に……紅は不意にチクリと胸を刺す痛みを感じ、首を傾げる。


「それじゃ、今回のこの仕事って……」

「ああ、失われてしまったものや……あとはそうじゃなぁ、我が知る今はもう見れぬものを、お前にも見せてやりたかったのじゃ」

「……ん、どういう事?」

「いや……まあ、明日になればわかろう。楽しみにしておれ」


 そう悪戯っぽく笑う天理に、紅は「母さんはいっつもそればっかり」とむくれるのだった――……


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