二つの世界の吸血少女
紅の変化
「皆さんすでに噂に聞いているかもしれませんが、今日から、今までオンラインで授業を受けていた満月さんが復帰します」
そう教室の中で生徒たちに語っているのは、担任の浅井先生。
部屋の中ではクラスメイト達の期待がこれ以上ないほど高まっているのを感じ……一人、教室の外で待機している紅は、冷や汗を流していた。
――まさか、こんなことになるなんて。
今、紅が身に纏っているのは、今後の成長を見越してやや大きめサイズとなっている可愛らしいブレザーと、こちら側ではいまだ慣れない、膝上丈の頼りないスカート。
ひらひら舞い上がりそうで気が気でないスカートの裾を気にしながら、紅は深々とため息をつく。
紅が現実世界へと帰還してから、すでに一か月。
目覚めてからもしばらくオンラインで授業を受けつつ、リハビリをこなしている間にあっという間に過ぎ去ったこの一か月を、紅は呼ばれるまでの待ち時間の間に振り返っていた――……
◇
――三か月ぶりにゲームからログアウトし、帰還した現実世界。
ところが帰ってきた途端に友人の母親に体をくまなく洗われるという羞恥プレイに見舞われるも、どうにか耐えきり、紅はようやくまともな入院着に着替えさせてもらっていた。
――洗われている最中に目にした自身の裸体は、まぎれもない女の子のものだった。
ゲームだった時には存在した規制も、当然ながら現実世界には存在しない。
初めて目にする女の子の体……それも、そうそうお目にかかれないような芸術品のように、どこもかしこも柔らかく繊細なその肢体。
これが自分のものだなどという事実に、この時点ですでに紅のライフは赤点滅していたのだった。
だが、そのあとに待っていたのは車椅子に乗せられて、あちこちの科に連れ回されての検査、検査の連続だった。
どうやら紅の姿は非常に目立つらしく、他の患者たちからやけに視線を感じるわ、看護師さんたちが妙に優しくてむず痒いわで、さらにライフを削られることになった。
……そうして、夕方の四時も回った頃に全ての検査も終わり、いつのまにか『クレイドル』が姿を消して通常のベッドが設置された病室へと戻ってきたときには……紅はもはや、ぐったりと力尽きていた。
目覚めた直後はほとんど動くどころか喋ることさえもできなかったのは、まだ長い間眠っていた体が目覚めていなかったから、ということらしい。
あちこちで検査に回されているうちに徐々に身体の感覚は戻ってきており、今では手を動かしたり、話をすることはできるようになっていた。
だが、あまりに体の構造が変化したせいだろう。現実では一人で歩くことは叶わず、しばらくリハビリ生活なのだそうだ。
……と、そんな診断結果を最後に宙の口から説明される。
「……で、ちゃんと説明してくれるんだよね、父さん?」
「あ、うん。分かってるよ……だけど、どう話したものかな……」
疲れ切って背もたれを起こしたベッドに身体を預け、ジトっとした半眼で問い詰める紅に……ベッド脇の椅子に腰掛けて小さくなっていた宙が、困ったように笑っていた。
そんな睨み合いが、しばらく続いた頃。
「……その説明は、我からしよう」
突然、そう言いながら病室に入ってきた人物が居た。
それは……
「……母さん?」
「うむ、久しぶりじゃな」
妙な老人口調をしている、真っ白な髪のその女性。
今の少女姿の紅を何年ぶんか成長させたような、外見だけならば二十歳くらいにしか見えない彼女。
それは……紅が小学校の高学年になったあたりから仕事が忙しいと疎遠となり、とんと家に姿を見せなくなった母…… 『NTEC』の代表である『
「そんな、どうして母さんが……」
久々に会えて嬉しいと思う反面、長らく放っておいて何をいまさらという反発も混ざり合い、複雑な表情を向ける紅。
それを見て微かに寂しげな表情を浮かべた母、天理は、それでも紅に歩み寄ると、その頭にそっと触れた。
頭を優しく撫でるその手を、紅は黙って受け入れる。
天理は、我が子に手を振り払われなかったことに安堵した表情を浮かべながら……
「放っておいたことは、本当に悪かったと思う。すまんが、少し我慢して我の話を聞いてくれぬか?」
そう優しい顔で言ってくるため、紅にはそれを拒絶することなどできはしなかった。
――そうして彼女の口から紅に語られた、数々の話。
天理が実は人間ではなく、本来ならば紅もそうなるはずだったが、事情によりその生まれを歪められたということ。
そして、紅が血を欲して他者に噛み付いた時にその歪みが顕在化し始めたのを察して、両親がその是正のために今まで動いていてくれていたこと。
紅がテストを頼まれた『クレイドル』はそのための装置であり、『Destiny Unchain Online』は紅の身体が再構成されるまでの長い間の、精神のよすがとしての意味もあったのだということ。
……ただし、まさか女の子になるとまでは予想外だったということ。
長い長い話が終わった時……紅は、あまりの内容にすっかり頭を抱えていた。
「……このご時世に、お前は実は吸血鬼でした、なんて言われても」
頭痛を堪えるように顔をしかめながら、母、天理に告げられた内容を辛うじて咀嚼する。
あまりにファンタジーな内容に、頭がクラクラする。
だが、彼女に実際に手の中に氷を生成したり、コウモリに変身したりを実演されてしまうと、否定しようにも否定できない。
――魔法って、本当に存在したんだ。
もはやそれしか言えない。
聞けば、バリバリに魔法が現役な近しい異世界まであるし、両親は行ったことさえあると言うのだから、紅としてはもはや笑うしかない。
十数年生きてきて最大級の衝撃が、今この瞬間バーゲンセールのように連続して雪崩れ込んでいる気がして、もうどうにでもなーれ、という気分になっている紅なのだった。
だが、両親がなぜこんなことをしたかという事情は理解した。
「事情も、それが俺のためだったってことも分かったよ。父さんも母さんも、俺のことを考えてこんなことをしたっていうのも、いまさら疑ったりはしない」
寂しい思いはしながらも、両親の愛情だけはいつも感じていた紅だ。だからこそ、どれだけ反発しようとも決して嫌うことだけはなかった。
「……でも。だけどさ。やっぱり少しくらい、相談してほしかったよ、俺は」
……その全ては、紅のあずかり知らぬ場所で進行したこと。確かに紅にできることなど紅自身何も思い浮かばず、致し方ないことだったのだろう。
それでも、寂しげに、どうにか絞り出したような紅の言葉に……宙も、天理も、沈痛な面持ちで目を伏せる。
「紅……すまなかったな。我はずいぶんと、おまえに寂しい思いをさせてしまったようだ」
「……続きはまた明日にしよう。紅さんも疲れているだろうから、今日はゆっくり休むといいよ」
パンパンと手を叩いて、宙が話を中断してくれる。
このまま心の整理がつかないまま会話を続けていたら、いつか酷いことを言ってしまいそうだった紅は……この時ばかりは心の底から安堵して、深く息を吐き出すのだった。
少し一人で考える時間も必要だろうと、両親が出ていってしまいすっかり静かになった病室。
しばらくベッドに力無く体を預けて天井を見つめていた紅だったが……不意に、何やら部屋の外が騒がしくなる。
なんだろう……そう、ドアの方へと視線を向けたその時だった。
「紅くん!」
「ふぎゅ!?」
突如、バタバタと開かれた病室の扉。駆け込んできた聖に抱きしめられて、紅が変な悲鳴を上げる。
「悪いな、紅。姉さんが紅のところに行かないとって言って聞かなくて」
そう言って聖を引き離してくれるのは、後から入ってきた昴。
「……話は、天理さんから聞いたよ」
「本当に、クリムちゃんそのままの姿になっちゃったんだね……」
やや涙ぐんで、心配そうに紅のほうを見つめる聖。
若干申し訳なさそうに、しかし聖同様に心配そうに見つめている昴。
だが二人の視線は変わらず優しいもので、そのことに思わず涙が滲んでくる。
「二人とも……気持ち悪いとか、そういうのは……」
「無いよ、そんなの!」
「あるわけないだろ、馬鹿!」
「あ……なんか、ごめん」
食い気味に紅のネガティブな発言を否定した二人が、若干怒っているような表情で詰め寄ってくる。
その剣幕に何度か目を瞬かせた紅は……やがて、堪えきれなくなったようにプッと噴き出した。
「あはは……うん、ごめん。それにありがとう、二人とも」
紅が今いちばん心配だったのは、どうやら大事な友人たちに気持ち悪がられたり、嫌われてしまうことだったらしい。
その心配が晴れてようやく笑顔が戻った紅に、心底安堵した様子で表情を緩める聖と昴なのだった。
「それで……ごめんついでに頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」
最大の懸念も晴れて、晴れ晴れとした表情で告げる紅に、二人はなんだろうと首を傾げる。
そんな幼なじみ二人に、紅が頼んだこと。それは……
「……本当にいいの?」
ナースステーションから借りて来た散髪用のハサミを構えながら、聖が何度目かの確認をしてくる。
紅の頼み……それは、今のままでは立った状態でも床に触れるほどに長い髪を、切ってほしいというもの。
だがその先端には、元の紅の存在をわずかに残した色が残っている。聖が鋏を持ったままためらっているのは、そのためだ。
「いいんだ、このままだと邪魔になるし、それに……俺は俺だから」
姿が変わっても、紅は紅であることは変わらない。それを肯定してくれたのは、変わらぬ関係で居てくれる二人の存在があったから。
だから、元の姿の残滓にしがみつく必要はない。それが紅が出した決意だった。
「分かった……それじゃ、切るね」
「うん、お願い」
ジョキン、とクリムの長い髪に鋏が入る。
パラパラと、白と茶色が混ざった髪が、ベッドに敷かれたマットの上に落ちていく。
「……どうせなら、元の長さまでバッサリ切っちゃっていいのに」
ゲーム内の『クリム』より少し短い、腰より少し下あたりで切り揃えられた髪の毛先をなんとなしに弄りながら、そんなことを呟くが……
「だーめ、少しでも日光に当たる量を減らすために必要だから、紅君がそう言ってきたら断れって天理おばさまから釘を刺されたんだからね」
「うぇ……相変わらず勘のいい人だな」
「それだけ、紅君をちゃんとみてるんだよ、いつもは傍に居なくても……ね?」
「うん……そうだね」
次に顔を合わせたら、今日のことはちゃんと謝ろう。
そして、もっとちゃんと話をしよう。
そう、母親との関係を前向きに考えることができる……ということが、なんだか無性に嬉しかった。
紅は胸の内に温かなものを感じながら、今は紅の髪を楽しそうに整えてくれている聖にされるがままに任せ、ベッドに背を預けて目を伏せるのだった。
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