無制限交流都市にて

 ――無制限交流都市『ヴァルハラント』


 それは、宙に浮かぶ巨大な居住島だ。

 360°全周を覆うように設けられた回廊が、五層に積み重ねられたような構造。

 吹き抜けとなった島の中央を見下ろせるよう、フロアが階段状に積み上げられたその様相は、まるで巨大な競技場だ。


 事実、吹き抜けとなった街の最下層には自由に使える広い闘技スペースも存在し、街全体から見物できるようになっていた。


 そんな闘技スペースの目の前、トランスポートが設置されている広場に、クリムは佇んでいた。



「うわ……プレイヤーがいっぱい居る」


 PvPの対戦相手を募集する声。

 新たなギルドを共に作る同志を求める声。

 道の端で商品を並べた露天商が、各々自分の商品を売り込む声。


 ずっとぼっちだったクリムは分からなかったが……これほどプレイヤーに溢れていたという事実を初めて知り、ぽかんと口を開けたまま、無数の人が行き交う人工島を見上げていた。


 ――その姿を端的に言うならば、お登りさんである。


 そしてそれは、クリムの特異な容姿とあいまって、非常に目立っていた。


「あの子、超可愛くね?」

「へー、あんな真っ白なキャラメイクって可能なんだ」

「初期服ってことは、初心者かな」

「む、むふーっ、ぜ、是非拙者らのギルドに……!」



 周囲のざわめきに、我に返る。周囲を見渡すと、いつの間にか遠巻きにぐるりと注目を浴びていた。


「あっ……そうか、こんな髪の色だから」


 周囲を見回しても、クリムみたいに真っ白なプレイヤーキャラは見当たらない。

 故に注目を浴びているのだと解釈したクリムは、身を縮めるように広場から逃げ出すのだった。




 街を歩いていると、すぐに防具屋と思しき鎧のマークを描いた看板を掲げた店が見つかり、視線から逃げるようにして飛び込んだ。


 そして、それはどうやら当たりだったらしく、店内は初心者向けの防具類がズラリと並んでいた。


 とりあえず、日光を凌げれば充分かと手近にあったやや古びた外套に手を伸ばす。すると、自動で商品情報がポップアップした。




風化したウェザードクローク】

 使い古した、中古の外套。




 防具としては少しだけ防御力が上がる程度、名前は少し気になるが、値段はお手頃だ。ルドガーの手伝いの報酬や、魔物のドロップ品の肉とかを売ったお金はあるのでそこそこ懐は暖かく、充分に手が届く。


「……うん。間に合わせだし、これで充分かな」


 試着してみようとして……そこにあった大鏡に映る自分の姿に、ようやく気がついた。


「……可愛い」


 思わず、鏡を見て呟いた。

 ログインしてから初めてまじまじと見る、自分の姿。


 少し目に掛かるくらいのところで切り揃えられた、膝上くらいまであるたっぷりとした雪のような白髪と、透明感があり滑らかな白い肌。ここまでは、鏡がなくても分かっていた。


 だが、鏡無しではわからなかったが部分……僅かに吊り気味なぱっちりとした目に、赤い瞳を縁取る長い睫毛、形の整った鼻梁、小さいながらもぷるんとした唇……それら全てが、奇跡的な完成度の美少女を形作っていた。


「これが……俺?」


 呟いた直後、この容姿で「俺」と言うことに猛烈な違和感が生じる。


「えっと……私?」


 やや恥ずかしそうに頬を赤く染めて、鏡の中の少女がその小さな口で呟く。


 ……うん、少し気恥ずかしいけど、しっくり来る。


 あまり悪目立ちもしたくないので、これからは私を使うことにしようと心に決めるクリムなのだった。


 だが、ふと気がつく……この姿は。


 ――母親に少し似てる


 クリム……紅は、慕っている父親と違い、滅多に顔を合わせない母親には思うところがあった。

 いつの間にか握り拳を作っていた手に、ギリっと力が入る。感情の抑制に失敗し、その拳を上げようとした……その瞬間。


「わ、お人形さんみたいな子がいる」

「え? あ、本当だ」


 チリンチリンという涼やかな鈴の音、新たに店内に入ってきた女の子たちの声に我に返り、慌てて代金を精算し古びたクロークを被って、店の外へと逃げ出すのだった。





「……って、逃げる理由何も無かったよね」


 思わず防具屋を飛び出して……そういえば、他の防具を新調するべきだったかなと思い出し、後悔する。


 だけど、なんとなく今すぐに戻るのは躊躇われたため、少し時間を潰してから戻ろうと考えた、その時だった。


「ねぇ、お昼何食べに行く?」

「私は……今日はイタリアンな気分かなー」


 お喋りしながら、クリムの横をすれ違った女性アバターの二人連れ。どうやらいつのまにか、飲食店街へと迷い込んでいたらしい。


 そちら……彼女たちの行く先をチラッと見れば、そこはこの『Destiny Unchain Online』と協賛している有名店や外食チェーン店が、ズラッと軒を連ねている区画となっていた。



 昔はプレイヤーの男女比率が大きく男性に傾いていたMMORPGだが、今は男女比ほぼ半々の割合で推移している。


 そんな女性比率が上がった要因……彼女たちを誘引する、強い原動力がフルダイブ型VRには存在した。




 すなわち――仮想空間で




 昔の低精度なクオリティならばこうは行くまいが、今現在のVRMMOにはほぼ最新の味覚エンジンが標準搭載されており、味だけでなく匂いや食感、果ては熱まで現実同様のクオリティで完全再現されている。


 そのため、リアルでは味気ないダイエットフードをもそもそ食し、仮想空間にダイブして美味しいものを食べる……そんな生活様式が、現代では社会問題となっていた。



 そんな、豊富な店が立ち並ぶ中に……見慣れた、黄色い『m』の文字を掲げた真っ赤な看板のテナントが目に映る。


「……久しぶりに、ポテトが食べたいな。ジャンクなやつ」


 そんなわけで……クリムは某有名チェーン店のポテトが食べたい、という突発的衝動に囚われて、フラフラと店に入っていくのだった。





「あー……んっ」


 手にした紙のカップから、一際長い一本に目をつけて摘んだ狐色の棒を頬張る。


 途端、シャクッと揚げられた外側と、ホクホクと柔らかな内側。芋のかすかに土臭い香りと仄かな塩味。

 食べ慣れた揚げたてのフライドポテトの味が、口内いっぱいに広がった。


「んー……っ!」


 久々なジャンクフードの味に、相好を崩し身を震わせる。一口食べたらもう止まらず、次々とポテトを口へ運んでは幸せな気分に浸っていた。


 何やら注目されている気がするが、上機嫌な今のクリムは気にしない。


 そういえばこちらにログインしてからというもの、肉類を食べられないクリムは事情を説明して居候先の食事に加わることを丁重にお断りしていたし、空腹さえ満たせれば特に困らないため、店売りの乾パンと水程度しか食べていなかった。


 久々に口内に感じる刺激に感動していると……


「ねぇ、そこの君?」


 不意に、背後からかかる声。

 少し長めなポテトを咥えながら、何だろう、と首を傾げつつそちらを見ると……そこに居たのは、立派な金属鎧を纏った青年。


 ――へー、この段階で鎧が着れるって、結構のかな。


 確か、金属の板金鎧を装備するには防具習熟スキルが70以上、フルプレートの場合は90以上が必要だったはず。


 また、値段も相応にするので、街のすぐそばのフィールドしか行けないうちに入手するには、相当頑張って稼がなければならないはず。


 サービス開始まだ数日の現時点でそれを纏っているということは、初期のポイント振り分けを多量に振ったか、あるいは相当やり込んだ廃プレイヤーだろうか。


 そんな、クリムがポテトを頬張る手を休めぬまま、男のことを値踏みするような目付き見定めていることなど気にも掛けず……やたら大仰な所作で、まるで騎士のようにその前に跪く男。


「君、初期装備ってことはまだ始めたばかりだよね、良ければ色々教えてあげようか?」


 ……なんだ、ナンパか。


 大方このアバターの見た目に釣られたのだろうけど、について説明するのも大変そうだし、クリムにそういう趣味があるわけでもない。


「いえ、まずは自分で色々とやってみたいので」


 一瞬で興味を無くして、そう告げて立ち去ろうとするクリムだった。だが、しかし。


「ちょ……待てよ!」


 あろうことか、簡単に紳士の仮面を落とした男が、立ち去ろうとするクリムの手を掴んだ……その瞬間。


「……熱っ!?」


 思わず、あと三分の一も残っていたポテトを手から落としてしまう。

 握られた手に、ジュッという肌が焼ける音と、システムの痛覚軽減機能に軽減されてなお肌を刺す鋭い痛み。


 思わず振り払った男の手には……その指に、クリムの弱点の一つである銀の指輪が鈍く輝いていた。


「っ、すみません、私はこれで……」


 クリムが突然激甚な拒絶をしたことに、呆然としていたナンパ男。

 そんな彼に別れを告げて、立ち去ろうとしたクリムだったが……その、声を掛けたのは失敗だった。


「待って!」

「いっ……っ!?」


 そんな立ち去ろうとするクリムの、あろうことか初期装備の剥き出しの上腕を男が掴む。

 再度肌を焼く感触に、その表情を歪めるクリムだが、興奮した様子の男は気付いていない。


「君、もしかして『吸血鬼』か何かだったりしない!?」

「ちょ、お前、こんなところで……!」


 大勢の目がある場所で個人情報を喧伝され、激昂しかけるクリム。

 だが、そんなクリムの歯に目敏く気付いた男が、更に興奮して詰め寄ってくる。


「その牙、やっぱり! 良いねレア種族じゃん、俺、ギルドメンバー探してるんだけど、良かったら君も……」

「いや、すみません入るつもりはないです……!」


 分かった。こいつが欲しいのは「希少種族のギルドメンバー」というアクセサリーだ。

 しかも目的に夢中になるあまり、こちらが銀に触れて痛がっていること、暴露されたくない個人情報を触れ回っていることに気付いていない。


 ……そんなものに付き合ってやるつもりは、毛頭ない。


 一瞬、視界端にちらつくプライベート接触違反通報ボタンを押してやろうかとも思ったが、目立ちたくなかったが故にそれは堪える。


「ああ、でも確かこのゲームの吸血鬼って赤系統の髪しか選べなかったはずだけど……もしかして、実はもっとレアな種族だったり……」

「いい加減にしろ、お断りだ!!」


 怒声と共に、逃すまいとする男の手を力ずくで振り払い、手摺りを乗り越えて宙に身を躍らせる。


 周囲から悲鳴が上がる中、上げておいた落下耐性と、着地と同時に転がって衝撃を逃したおかげで、大した痛みもなく、難なく下の階に着地したクリム。


 そのまま同じことを繰り返して最下層のテレポーターにたどり着くと、周囲から降り注ぐ好奇の視線から逃げるように転移するのだった。







 結局……外套を入手できたのは良かったが、やりたいことの半分くらいしか達成できずに帰ってくる羽目になった。


「ああもう、もう少し色々と見たかったのに。それとフリー対戦もやってみたかったし……」


 ぶつぶつ不満を呟きながら、ネーベルに帰ってきたクリムだったが。


「……ん?」


 すぐに異常に気がついた。何やら、町が騒々しい。

 町の人たちも、あまり持ち慣れていなさそうな槍や斧を持ち出して、どこかへ向かっている。


 何だろう、と彼らについていくと……たどり着いたのは、『シュヴァルツヴァルト』の入り口。そこに、町の男たちが剣呑な顔で集まっていた。


「ああ、嬢ちゃん、居たか!」

「ルドガーさん、この騒ぎはいったい……」

「それが……ジュナの症状が急に悪化して……ジョージのやつ、ジュナの薬の材料を取りに黒の森に入っていっちまった!」


 ルドガーのその言葉に……『クエストが更新されました』という空気を読まぬシステムメッセージが、呆然とするクリムの視界に流れるのだった――……

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