閑話7 ボルデモン、死す

「おのれおのれおのれおのれ! なぜ私の研究成果が負けるのだ!」


 真っ暗な部屋でガサガサと書類をまとめているのはボルデモンだ。部屋の棚には奇妙な生物が入った大小の瓶が無数に並べられており、猟奇的な雰囲気を醸し出している。


 ここはボルデモンが室長を務める生体兵器研究室だった。


「ホントにねー。これだけ魔王様から援助してもらってるのに、こんな失敗続きなんてあーしもびっくりー」

「なっ、貴様どこから入った!?」


 いつの間にか、窓際に浅黒い肌の女が立っていた。背丈はやや低いが、猫科の猛獣を思わせる引き締まった身体をしている。極めて露出の高い衣服を身に着けており、脚はふとももの付け根までが惜しげなく晒されていた。


「しかもさー、お偉いさんたちから呼び出しくらってるんでしょ? いろいろ調べられちゃうと困っちゃうよねー」

「だ、だからいま! 貴様らとのつながりを示す証拠を処分しようとしているのだ!」

「へー、そうだったんだー。邪魔してごめーんね」


 ちっ、と舌打ちをして、ボルデモンは作業を再開する。


「牙なしゴブリンがさー。あーしたちから仕入れてるだけって知られたら立場ないもんねー」


 牙なしゴブリンは実のところボルデモンの研究成果ではなかった。ゴブリンの魔王である蛸髭たこひげから提供されたものを右から左に売り払っているだけなのだ。牙なしゴブリンには生殖能力がなく、ボルデモン自身の手で増やすこともできない。


「それでねー、話を戻すけどー、肝心の強化薬があんなんじゃぜんぜん使い物にならないんだよねー」


 女が赤黒い液体が入った瓶を手にとって窓から差す陽光に透かす。


「これの前のやつもさー。飲んだやつらがみんなおバカになっちゃってー。ぜーんぜんダメなんだよねー。もともとゴブリンはおバカばっかりなんだから、もっとおバカになっちゃうとどうしようもないんだよねー」


 ま、一応もらってくけどね、と付け加えて机にあった瓶を2本、腰の袋へしまい込む。


「待て、それはまだ試作品だ。持っていかれると今後の研究に差し支える」

「今後ぉー? いま今後って言ったのぉー?」


 女がボルデモンの目の前まで歩み寄った。そして腕を一振りすると、ボルデモンの顔の中心に一本の縦筋が入る。そしてボルデモンの顔の皮が剥がれ、湿った音を立てて足元に落ちた。


「ひっ、な、何をする!?」


 ボルデモンはたたらを踏んで下がり、情けなく床に尻もちをつく。その恐怖に歪む顔は、老いて皺だらけであった。


「こんなおもちゃ作ってるから本命の研究がうまくいかなかったんじゃないのぉー?」

「こ、これをゴブリンに被せれば、人間の兵に紛れて……」

「きゃはははは! ばっかじゃないの!」


 女は床に落ちたボルデモンの顔の皮をブーツで踏みにじった。


「ぜんぜん体格が違うしー。ほとんどのゴブリンはちゃんと共通語もしゃべれないおバカだしー。顔だけ変えても人間に化けられるわけなんかなーいじゃーん」


 皮を踏むのに飽きたのか、それを横に蹴り飛ばす。


「そういうわけでねー。きみへの援助はもう打ち切り決定ってわけ。あーしは一番重要な証拠を消すために来たのでしたー」

「い、一番重要な証拠だと……?」


 女は、ボルデモンの老いた顔に人差し指を向ける。


「もちろんきっみー。ここまで言わないとわかんないなんてきみはやっぱりおバカさんなんだねー」

「『魔弾』!」


 ボルデモンのローブの袖のボタンが光り、そこから光弾が射出される。自衛のために、ボタンに魔印を仕込んでいたのだ。


 だが、魔弾が飛んだ先に女はいなかった。標的を失った魔弾が為したことは、棚の瓶をひとつ壊し、おぞましい標本を床に転がしただけだった。


「な、この至近距離でかわせるはずが……」

「そんなの当たるわけないじゃーん、お・じ・い・ちゃ・ん。きみたち下等な人間種とは基本性能が違うのでーす」


 背後から声が聞こえ、ボルデモンは慌てて振り返る。そこには平然と立つ女の姿があった。


「ドルザック! こいつを殺せ!」

「うがァァァアアア!!」


 棚の影から躍り出た禿頭とくとうの筋肉太りした男が女に襲いかかる。武術大会の準決勝戦でヒロトと戦った大剣使いだ。


 ドルザックはボルデモンの実験の被験者となることにより肉体を強化した元冒険者だった。多額の報酬に目がくらんでのことだったが、実験の結果、完全に理性を失った。そして、いまではボルデモンの命令に従うだけの木偶でくとなっている。


 それをいいことに、ボルデモンはドルザックを護衛として常に周辺に置いていたのだ。


 両手で掴みかかってくる大男に、女が振り返りざまにすっと手を振るう。そして突っ込んでくるドルザックを横に避ける。


 ドルザックは勢いのまま数歩前に進み、足をもつれさせて床に倒れ込んだ。頭の上半分だけがころころと床を転がり、ボルデモンの足元で止まる。


「ひっ、ひ、な、何をした?」

「可憐な女の子が変態筋肉男に襲われたのでー、身を守りましたー」


 上半分を失ったドルザックの頭部からは大量の血が吹き出している。その切り口はまるで鋭利な刃物で一刀のもとに断ち切ったようであった。


「というわけで、おじいちゃんもさよーならー」


 いつの間にかボルデモンの正面までやってきた女が再び手を振るうと、ボルデモンの身体が縦に両断された。さらに手を振るうと、ボルデモンの身体は原型を留めない肉塊へと変わっていく。


「あ、筋肉男の方もやらなきゃねー」


 女はドルザックの死体も同様に肉塊に変えると、腰袋から水筒を取り出し、あたりに油をばら撒きはじめる。


「これで火をつけたら証拠隠滅完了っと。あーしはやっぱりデキる女だねー。次のお仕事もがんばろっとー」


 女は油まみれの床に火霊石の原石を叩きつけ、姿を消した。そしてやや遅れて、ボルデモンの研究室は猛火に包まれた。

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