第七十四話 おっさん、なんちゅうもんを作ってくれたんだ

 謎の液体を飲み下した馬頭ゴブリンの全身がぶるぶると痙攣したかと思うと、眼球がめりめりとせり出しはじめ、ついに飛び出す。眼窩から無数の触手が伸び、にょろにょろと暴れている。口腔から、耳孔からも触手があふれ、不規則に蠢きながら四方に伸びていく。


 触手の一本一本はよく見るとタコのようで、細かな吸盤がついている。四方に伸びたそれは周辺にいた生き残りの雑魚ゴブリンに突き刺さり、どくどくと脈動をはじめた。雑魚ゴブリンたちがあっという間に萎れ、干からびる。馬頭ゴブリンの身体がみるみる大きくなっていく。これは、体液か何かを吸収してる?


 こちらにも1本の触手が伸びてきたので慌てて槌で弾き飛ばす。キモいなんてもんじゃないぞこれは。それにこれって――


「ご主人、瘴気領域の主ですね。瘴気領域発生の瞬間についに立ち会えたようです」


 ぜんっぜんうれしくないっす。見れば触手は無差別に周囲を襲っているようで、観客席にも攻撃を加えようと触手を伸ばしている。魔法の結界に当たって弾き返されているが、もしあれがなかったらどれだけ被害が出ていたかわからない。貴賓席や関係者席も想定外の出来事にあたふたしているようだ。


 あのボルデモンとかいうおっさん、なんちゅうもんを作ってくれたんだ。


 とっとと逃げ出したいところだが、リッテちゃん戦車は乗り降りに時間がかかる。内部空間が狭く、身体を押し込むようにして入っているのだ。少なくとも、二人が脱出するまでは護衛を続ける必要がある。


 では反対に攻めるとしたらどうかというと、数え切れないほどの触手が暴れまわっているのでそれをかい潜って近寄るのは至難の業だ。


 あんな触手に絡め取られてしまったらどんな目にあわされるかわかったものではない。薄い本の中でもかなりコアな嗜好を持つ人向けの惨劇が待っているだろう。具体的に言うと、死ぬ。


「第三射装填完了しました!」


 おっと、急いで横に飛び退き射線を開ける。この異常事態にあってもミリーちゃんたちは仕事を続けていたようだ。遠距離攻撃ならあの触手も問題にならない。この一撃で決着するならめでたしめでたしだ。


「射線確保! 『魔弾・連鎖起動』!!」


 無数の銃口が光り、弾丸の雨が発射される。何本もの触手が千切れ飛び、馬頭ゴブリンの身体が穴だらけになる。いつの間にか元の倍以上に身体が膨張していたため原型を留めないほどにぐちゃぐちゃになることはなかったが、これなら致命傷に違いない……よね?


 先ほどまで暴れていた触手が力なく垂れ下がり、枯れたつたのようにしなびていく。だが本体の方は不気味に脈動しながら、銃撃によって受けた傷からびゅっびゅっと赤黒い液体を吹き出している。そして、突如脈動が止まる。


 やったか……?


 と考えた瞬間、馬頭ゴブリンの前脚が突如膨張をはじめた。肉が盛り上がって全身に空いていた穴が次々にふさがっていく。上半身の腕は反対に縮みはじめ、ついに胴体に吸い込まれるように消えてしまった。


 枯れた蔦のようになっていた触手は根元から千切れ、顔中の穴から新しい触手が生えてきた。しかし、今度の触手は短く、頭の周辺をうねうねとしているだけだ。あちゃー、これは完全にダメでしたね。ミリーちゃんたちに逃げるよう伝えよう。


 戦車に向かって近づこうとしたところで馬頭ゴブリン……いや、元馬頭ゴブリンが突如駆け出した。前脚2本だけが異様に肥大しており、胴体や後ろ足を引きずるように走っている。なんとなくヤドカリを連想させる見た目と動きだ。


 方向はわたしでも、戦車でも、爽やかイケメンでもなく観客席だ。とっさに観客席を目で追う。と、観客の中に知った顔を見つけてしまった。浅黒い肌の女の隣に座って味玉をかじっている。なんでラーメン屋のおじさんがここにいんのさっ!?


「アシスト最大!」

「了解、ご主人」


 魔法の結界の強度がどれくらいかわからないが、万一破られてしまえば無事ではすまないだろう。セーラー服のパワーアシストを最大にし、斜め後ろから追いついて横っ腹に戦鎚の一撃を叩き込む。


 元馬頭ゴブリンが観客席に届く前に横転し、結界にぶち当たる。バチィッと電気がショートしたときのような音が響くと、元馬頭ゴブリンの身体が柵をぶち壊し、半分ほど闘技場の外へはみ出していた。


「け、結界が壊れたぞ」

「衛兵! 衛兵を呼べ!」

「攻性魔術が使えるものは準備を!」

「それより避難だ! 観客を逃がせ!」


 観客席のあちこちから一斉に悲鳴や怒声が上がる。あー、こりゃもう完全にパニックですな。


 体勢を立て直した元馬頭ゴブリンがこちらに身体を向けてくる。うげえ、いまの一撃で完全にヘイトを買ってしまったようだ。巨大な前脚で地面を擦るような仕草をしている。仕草だけなら馬そのものだが、幼児が描いたよりもなお悪いバランスの身体でやられると異様さしか感じない。


「化け物めっ! オレを忘れてもらっちゃ困るぜっ!」


 そこに爽やかイケメンが横槍を入れる。叫び声とともに地面を蹴り、元馬頭ゴブリンの頭部に向かって一直線に飛び蹴りを入れようとしている。いや、だからさ、奇襲の前に声なんか出すと――


 バシィッ! と空気を切り裂くような音とともに爽やかイケメンが地面に叩き落される。ほらー、言わんこっちゃない。ともあれ、いまの攻撃は触手によるものだった。おそらく、この化け物の基本的な攻撃手段は巨大な前脚による突撃で、触手は胴体を攻撃されそうになったときの防御手段なのだろう。


 わたしの初撃が成功したのは、やつが攻撃に集中している上に、背後から正しく奇襲を加えたからだ。


 怪物は爽やかイケメンの方は一顧だにせず、こちらに集中しているようだ。もうー、こんなちんちくりんに執着しないでそっちのイケメンの方に関心を移してくださいよ。頼むから。


 ドドドドドと凄まじい足音を立てながら怪物がこちらに向かって突進してくる。ギリギリでかわすと触手攻撃の射程に入るかもしれないため、大きく余裕をもって横にかわす。案の定、巨体のせいで旋回性能は悪いらしく、怪物はほとんど曲がることもできずにわたしがいた地点をはるかに通り過ぎたところで停止した。


 停止した地点の周りには……あっ、まずい。


 停止した地点には、わたしや爽やかイケメンが倒した雑魚ゴブリンたちが十体以上転がっている。怪物はそれらに触手を突き刺し、どくどくと脈動しながらそれらを吸収しはじめた。


 怪物の前脚がさらに巨大に膨張していく。1本1本の足が、わたしが両手を広げたよりもなお太くなっていく。


 怪物は残った雑魚ゴブリンの吸収を終えると、それまでとは比較にならない迫力でこちらに向かって突撃してきた。

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