第七十話 スキンヘッドのラーメン職人みたいに偉ぶれるような人間ではない

「おじさん! 替え玉ひとつ、バリカタで!」

「あいよっ!」


 武術大会での試合を終え、無事賞金を受け取って宿舎まで帰ろうとしていたわたしは道を歩く途中で記憶にある匂いについ反応してしまった。洗っていない犬の臭いを濃くしたような、養豚場の近くで漂うような……。その臭いを発する元を知らなければ、不快臭として嫌がられるだろう香りである。


 ちなみに、賞金授与と共に行われた表彰式はある意味で盛り上がった。2位の爽やかイケメンが表彰されるときには大いに歓声が湧き上がったのだが、わたしが表彰されるときは観客席から一斉にブーイングが巻き起こった。ホントなんやねんなこの温度差は。


 ともあれ、目的であったお金ちゃんは手に入ったので懐は温かい。何しろ小さいとはいえ家一軒が買える金額である。全額現金ではなく、一部は証券という形で受け取ったのだが、「大金を持っている」という状況はそれだけで強気になれるものである。匂いに惹かれるまま、表通りから路地に入ったところでこの店を見つけたというわけだ。


「ねえ、おじさん。ひょっとしてえ玉ってできる?」

「和え玉……? いや、聞いたことがねえな。なんだいそりゃ?」


 和え玉とは、ラーメンの替え玉の一形態である。スープに入れずにそのまま食べてもよいよう、味付けや最低限の具材が足されており、またスープに入れても味が薄まらないという工夫がされたもののことだ。「もう少し食べたい。でもちょっと味変したいな」というニーズに合致したのか、日本ではここ最近で提供する店が一気に増えたメニューである。


 いまさらだがわたしが何を食べているかというと、とんこつラーメンだ。なんで異世界にとんこつラーメンが……という驚きはもはやない。広くは流通していないもののケーキだって存在していることがわかっているし、地球からの転移者が無数にいることももうわかっているのだ。その中にラーメン職人が混ざっていて、自分の味をこの世界で試そうとしたとしても不思議ではあるまい。


「しかしお嬢ちゃん、よく知ってんなあ。ひょっとしておやっさんの知り合いかい?」


 おやっさんというのは、この店主の師匠的な存在らしい。もともとこの店をやっていたのはそのおやっさんという人物らしいのだが、味に惚れ込んだ現店長を弟子にし、一通りのラーメンづくりの技術を伝えた後は「おれは最高のラーメンを作りたい」といって店を譲って旅に出たそうなのだ。


「いやー、残念ですけど知らないですね。故郷の料理に似ていたもので」

「そうか。そりゃホントに残念だな……。箸の使い方も慣れてるし、よっぽどの通かと思ったんだが……。恥ずかしい話、ちょっとおれひとりだと行き詰まってるところがあってなあ……」


 そうなのだ。わたしは美味しい美味しいと言って替え玉をバンバン追加しているものの、正直に言って地球で食べた数々のとんこつラーメンに比べると物足りない。スープは土台はよい。しっかりとんこつの出汁を感じる濃厚さだ。しかし、醤油やその他の出汁などから出る旨味成分がないためにいまひとつ味に奥行きが足りない気がする。


 次に麺だ。ストレートの極細麺でルックスは本家のとんこつラーメンと変わらないのだが、いまひとつコシが弱くて歯ごたえが足りない。石パンにせよ普通のパンにせよ同じだったのだが、この世界の小麦で作ったものはどうもモッチリ感がないのだ。おそらく、麺のコシやパンのモッチリ感の元となるグルテンが少ない品種なのだろう。


 客足というのは正直なものだ。その証拠と言いたいわけではないが、店内にわたし以外のお客さんはいない。わたしは原型となるラーメンの味を知っているからそれが懐かしくて食べているが、初見のひとにとってはそれほど魅力的ではないのだろう。


 わたしは大のラーメンフリーク……とまではいかないが、麺類はたいてい好きである。これがもっと美味しくなる工夫が思いつくのであればぜひ提供したいところではあるのだが、なかなか思いつくものではない。


「なんでもいいからよ。おもしれえ思いつきがあったら教えてくれよ。使えそうだったら替え玉をおまけするぜ? あ、さっきの和え玉の話でまずはひとつだ」


 おっ、ラッキー。なんとなく和え玉の話をしただけなのにおまけしてもらっちゃった。激しい運動をしてきた後だからとにかくお腹が空いているのである。日本でインドア派をやっていたときに比べれば3倍以上は食べるようになっている。


 ずぞぞぞとラーメンを啜りながら、何か使えそうなアイデアはないかと考える。まずスープの改良はむずかしいだろう。醤油や味噌があればとんこつ醤油もとんこつ味噌も作れるが、その手の調味料にはいまだ出会ったことがない。


 次に、麺の改良もおそらく難しい。グルテンが豊富に含まれた小麦もどこかにあるかもしれないが、それを探して麺を作れというのは無茶だ。一応、アイデアとして話してはおくが、おまけをもらってよいほど優れたアイデアではない。


 スープも麺もダメとなると……残るは具材である。いま食べているラーメンの丼にはもう具材が残っていないが、どんなものが載っていたかを思い出す。


 まずは小ねぎのようなもの。これを熱したゴマ油みたいなものに通してたっぷり載せれば香り付けにも臭み消しにもなりそうだ。うーん、でもそんな油あるんだろうか。とりあえずアイデアとしては話しておく。


 次にチャーシュー。これは鶏チャーシューと豚肉らしきチャーシューの2種が載っていた。頭の中でプチハーピーが「ギャギャー!」と鳴いている姿が一瞬よぎったが忘れることにする。


 お次は……ああ、「タマゴカエセ!」の声が聞こえる。そのことは脳の端へ追いやろう。玉子はシンプルな茹で卵だった。このへんでもやっぱり生卵は食べられないらしい。それはそれとして、これは手がつけやすいかもしれない。


「おじさん、スープのって少し味見できる?」

「お? 汁の素か。かまわねえぜ」


 小皿に垂らされた返しをを見ると、茶色がかった透明な液体になんらかの香辛料らしい粒がぽつぽつと浮いている。予想通り、塩ダレだな。ペロッと味見をする。ふむ……これは青酸カリ! ってちゃうわ。思わず口がキュッとなるほどの塩辛さだ。これなら漬け込み時間は短くてもそれなりに味がつくかな?


「えーと、このつゆに剥いた茹で卵を漬け込むと、味が染み込んでぐっとおいしくなりますよ」

「はあ、漬けるだけでねえ。煮込んだりしなくていいのかい?」

「うーん、煮てもいいんですけど、パサパサになっちゃうし、味の染み込み具合も大差ないですねえ」


 ホントかよ……なんて言いつつおやじさんが茹で玉子をいくつか返しに漬けていく。1時間もすればある程度味が染みるだろうから、わたしも責任を持って待機だ。決して味付け卵が食べたかったわけではない。


 さすがにラーメンは食べすぎたので、おやじさんにちょっとした肴を作ってもらいつつだらだらと冷えたエールを流し込む。なんかいいなあ、こういうの。下町のそんなに流行ってないラーメン屋でぼんやりお酒を飲むのがマイブームだったときのことを思い出す。


 そんなこんなで時間は流れ、ぼちぼちのタイミングかなーってところで玉子を取り出してもらい、おじさんとふたりで味見をする。ふむ、さすがに黄身までは味が入ってないが、白身の半分くらいのところまでは味が入ってるな。


 漬けダレがかなり濃かったから塩気はそれなりに強い。だが、それがまだ味のついていない黄身と混ざることでちょうどよくなる。これはこれで悪くない。


 味付け玉子をもぐもぐしながら、つけダレの濃さやつけ時間についてのアレコレを話しておく。ラーメンの具材としてだけでなく、単品でも売れるのでおやつや持ち帰り用としてもいいんじゃないかという思いつきも話しておいた。


「なるほどなあ……雑に作ってこれだけ美味いんだ。漬けダレもこれ用にちゃんと工夫すればもっとずっと美味くなるのは間違いねえ……」


 無頓着にパクパク食べてたわたしと違い、味玉を少しずつかじったりむしったりしながら食べてたおじさんがしきりにうなずいている。おそらく、おじさんの頭の中ではどうやってこの味玉をもっと美味しくできるのか色々なアイデアが駆け巡っているのだろう。


 ここから先はわたしのような素人料理人の出る幕はない。きっと自分でさらなる高みを目指していけるはずだ。……って、わたし何様やねん。しょせんは日本で食べた料理のアイデアを右から左に教えているだけである。どこかのスキンヘッドのラーメン職人みたいに偉ぶれるような人間ではないぞ。


「いや、お嬢ちゃん、ホントありがとうな。こいつはおれの店を化けさせてくれる気がするぜ……。支店を出せるようになったら、看板にお嬢ちゃんの名前を掲げさせてもらうぜ!」


 そんなありがたいような、ありがたくないような提案をもらって思わず曖昧な笑顔を返してしまう。異世界に「ラーメン高町みさき」ができるとか、完全に意味不明な状況だぞ。


 話題を変えようと、そういえばと気になっていたことを聞いてみる。それはとんこつスープやチャーシューの元になった豚のことだ。これまでの街で食べたお肉は基本的に鶏肉ばかりだった。これはどういう家畜を使ってるんだろうか?


「んん? そういや東の方じゃそんなに食われてねえって聞いた気がするな。これはな、オークゴブリンっつって、オークとゴブリンが混じったもんの肉だなあ」


 この世界の食肉について突っ込んで聞くのはやめようと、深く心に誓った瞬間だった。

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