第六十六話 カッコのつく負け方の準備はできたか?

 戦鎚を両手で握り、振り下ろす。振り上げる。もう一度、動きを確かめるように振り下ろす。振り上げる。横薙ぎ。身体を回転させてもう一度横薙ぎ。構え直し、戦鎚で突く。突く。突く。身体がだんだんと火照りだし、流れ出した汗が散る。


 何をやっているかと言えば、ローガンさんから教わったドワーフ流戦鎚術の形稽古かたげいこだ。通常は岩ゴブリンなど、背の低い相手を想定しているため打点が低いので、それを人間の頭部あたりに変えて動きを修正している。


 日本にいたころはこんなストイックな運動なんてしたことはないが、いまでは一日に一回はやらないと気持ち悪いのだから人間というのは変われば変わるものである。習慣化された努力というのはじつに偉大だ。


 そして、わたしがどこでドワーフ流戦鎚術の演舞を行っているかといえば、闘技場に設けられた選手控室の中である。そう、今日はいよいよ武術大会に出場する日なのだ。


 武術大会の本選出場者16人がこの一室に待機しており、それぞれ体を動かしたり、マネージャー的な人と話したりと思い思いの準備に励んでいる。今日、この部屋にいる選手たちがトーナメント形式で優勝を争うのだ。


 日本で行われていた格闘技大会なら出場選手を試合前に同じ部屋に放り込むような雑なことはしないだろうが、この異世界にそんな繊細なケアを求めても仕方があるまい。出場するのもジムが大事に育成した選手などではなく、流れ者の武芸自慢ばかりなのだから。


「よう、えこひいき枠の嬢ちゃんよ。カッコのつく負け方の準備はできたか?」


 つーわけで、試合前で気が立った選手たちを同じ部屋に入れるとこういうトラブルが起きやすくなってしまうわけだ。安い挑発をしてきた相手を見てみると、どうやって固めているのか、モヒカン頭をバシッと天に向けて伸ばしたゴリマッチョ系の男が立っていた。うーん、きみは世紀末系世界に行った方がいいんじゃないかな?


「その戦鎚にしたってずいぶんゴツイがよ。どーせ中抜きして軽くしてんだろ? おら、貸してみろよ。おれが本物の戦鎚術ってやつを見せてやるぜ」


 ほほー、それはたいへん。戦う前から手の内を明かしてくれると言うならこれほどありがたいことはない。喜んで拝見させていただこう。


 というわけで、振り回していた黒戦鎚を男に向かってぽいっと放り投げる。ミスリル戦鎚は大事なものだし、そもそもセーラー鎧モードじゃないとまともに振れないから背負ったままだ。


「へっ、やっぱり軽いん……うげぇ!」


 投げ渡した戦鎚を受け取った男が手首を押さえてうずくまる。こりゃがっつりひねったな。戦鎚は重い音を立てて石板の敷き詰められた床に転がった。ありゃー、人様から預かったものをそんな乱雑に扱っちゃいかんよ。ミスリル戦鎚ほどではないけど、そっちだってドワーフ村の鍛冶班が作ってくれた大切なものなんだからね。


 あー、えっとー、ごめんなさい。もっと慎重に渡せばよかったですねー、などと言いつつ床に転がった戦鎚をこれ見よがしに片手で軽々拾い上げる。手首を痛めたモヒカン男がぎょっとした顔で見ている。お、いいぞいいぞ、この調子で戦意をなくしたまえ。


「せ、戦鎚はおれの専門じゃねえからな。勘違いすんじゃねえぞ!」


 いやー、いまのは戦鎚術が云々じゃなく完全に、純粋に、わかりやすく腕力、すなわち「ぱぅわぁ」の問題だと思うんですけどねえ。ま、いいですぞ。たいていの人間は命の次に自尊心が大事なものですからな。


 モヒカン男が離れていったので、再び形稽古を繰り返す。いまのやりとりのせいか、この様子を観察する視線が増えたようだ。うけけ、ありがたいトラブルだったぜ。これでビビって動きが鈍ってくれたりすれば計算どおりである。


 そう、これは試合前の準備運動であると共に、出場する他選手への示威行為でもあるのだ。試合開始の合図と共にヨーイドン! の戦いだなんて甘いことを考えていると足元をすくわれるぞ。戦いが有利になるのなら、きっちり頭を使ってをするのが本当の意味での全力というものだ。


 こんならしくない闘争心マシマシな行為をなぜしているのかといえば、やっぱりお金ちゃんは欲しいのだ。どうせ出場するなら上位に入賞して少しでも多くのお金を稼いでおきたい。


 いまはサルタナさんがいるから大丈夫だけれど、お互いの根本的な目的は微妙に違うのだ。いつ行く先が別れることになるかわからない。路銀が尽きたら冒険者の真似事をする……という手段もなくはないが、それで稼げるのは大した金額ではない。この機会を逃したら、次に大きく稼げるチャンスがいつやってくるかなんてわからないのだ。


 そういうわけで、日本で読んだなんでもあり系の格闘漫画などを思い出し、心理戦を仕掛けているところなのである。ちなみに、モヒカン男が言った「えこひいき枠」というのはわたしが前日に開催された予選を免除されているからだ。


 予選が免除されているのは他にも数人いるが、全員すでにある程度の名声を得ている強者らしい。それに引き換え、わたしは無名でしかもちっこくて弱そうな女である。えこひいきと思われても仕方がないだろう。


 ま、実際メルカト様のえこひいきなんだけども。万が一にも目玉選手が予選落ちするなんて事態を避けたかったのか、初日の予選を免除してくれたのだ。


 なお、予選には100人あまりの腕自慢たちが闘技場に集められ、複数ブロックに分けてバトルロワイヤル形式によって勝ち残りが本選出場者とされた。当然、その試合はわたしも観戦している。対戦相手の情報を集めるのはこの手の戦いの定石だろう。


 いまや数々の修羅場を乗り越えたわたし的に、強敵と思える相手はそれほどいなかったのだが、二人ほど気になる選手がいる。一人はスキンヘッドでボディビルダー並みの筋肉を備えたマッチョメンだ。いまも控室の端っこで目を真っ赤に血走らせて、ハァハァと息をつきながらぶつぶつと何やらをつぶやいており、明らかに不審者である。


 武術の腕前については論外というか……技術なんて関係なく、とにかく力任せに敵をなぎ倒していくというかんじだった。そしてなにより、雰囲気が怖くて近寄りたくない。


 もうひとりは――


「よっ! 女の子がこんな大会に出るなんて意外だな! オレはヒロトってんだ。お互い、ベストを尽くそうぜっ!」


 どこにいるのかと視線をさまよわせていたら、短髪黒髪、かつスマートな体型をしたイケメンに声をかけられた。日本で俳優でもしていたら、主婦層がメロメロキュンになりそうな爽やか系イケメンである。彼こそが気になっていたもう一人だ。


 あ、がんばりましょーねーと適当に返事をすると、「おうっ! おれも応援してるぜっ!」と爽やかな声とともにきびすを返していった。こうやって全員に挨拶をしているようなのだが、正直こういう純粋体育会系な暑苦しい人は苦手である。あんまり関わらないようにしておこう。


 だが、彼が気になったのは別にそのイケメンぶりや暑苦しさのせいではない。身体能力はわたしがセーラー服君のアシストを最大にしたとき並みに高く、化け物級なのだが……ってこれブーメランだな。わたしは化け物じゃないぞ。


 それはともかく、動きがいちいち大げさで、戦っているというかプロレスや殺陣たてのような格闘ショーを見ているような感覚にさせられるのだ。観戦に来ている王国軍のお偉いさん向けのアピールだと考えれば腑に落ちないこともないのだが、どーも得体の知れない印象がある。


 壁に貼られたトーナメント表を確認すると、キモマッチョと爽やかイケメンは両方とも反対ブロックで、準決勝で当たるようだ。順調に行けばどちらかが勝ち残り、決勝でわたしの対戦相手となるだろう。願わくば、泥仕合になって共倒れして欲しいところだ。


「えー、高町みさき! 逆立つ髪のモルゴン! 出番だ、闘技場へ向かえ!」


 そんな黒いことを考えていたら、いよいよ一回戦目の呼び出しがかかった。

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