閑話4 メガネちゃんとメカクレちゃん

 ショッピングセンターの一角。無数の調理台が並べられたキッチンで一人で何かをしているのはメガネちゃんだ。ここは料理教室や、料理体験イベントなどで使用されていたスペースである。


「メガネちゃーん! また理科の実験やってるの?」


 そこへ明るい声とともに現れたのはメカクレちゃんである。メカクレちゃんは極端な人見知りで、メガネちゃん以外とはハキハキと話せない。高町みさき一行とはずいぶん親しくなったつもりだったが、メガネちゃんに見せるほどのフランクな態度は出せなかったのだ。


 なお、小説の地の文で「メガネちゃん」や「メカクレちゃん」などと愛称で呼ぶことは本来好ましいことではないが、日本における本名を捨てたいという彼女らの希望を汲んでこのままの呼称とすることをお許しいただきたい。


「うん、そうだよ。やっぱり、気になることが多くってさ」


 メガネちゃんはそう言うと、ビーカーの水にストローで息を吹き込んだ。すると水が白く濁る。何のことはない、石灰水と二酸化炭素の反応を確かめる実験である。


「こういうのも、普通なのにねえ」


 今度はメカクレちゃんが、なんらかの水溶液に刺さっていたストローを吹き、シャボン玉を作り出す。やはり何のこともない。石鹸液でシャボン玉を作っただけだ。


「なのに、こうすると……」


 メガネちゃんが小さなろうそくに火を付け、それをガラス製のビーカーで蓋をする。調理台は真っ平らで、空気が入る隙間などない。地球の物理法則にのっとれば、このまま、燃焼に必要な酸素を消費しきったら火が消えるはずである。


 しかし、蓋をして、どれだけ待っても火は消えない。


「見た目はほとんど、地球と変わらないのにね」

「うーん、やっぱり異世界だからじゃない?」


 あはは、身も蓋もないね、などと笑いながら、メガネちゃんがビーカーを外してろうそくの火を吹き消す。放っておけば、ろうそくが燃え尽きるまで消えないのだ。


「ぱっと見たかんじは地球と一緒だけど、根本的なところが地球と違うんだよね」

「なのに、家電とか、鉄砲とか、フツーに使えるのはホント不思議だよね」


 そうなのだ。原子、素粒子レベルで世界の成り立ちが違うのなら、精密機器や化学反応を用いたそれらがまともに動くのはおかしい。電化製品であれば回路がまともに働かないだろうし、銃であれば火薬が意図通りに燃焼するかわかったものではない。にもかかわらず、それらは見た目上問題なく動作している。


「えーと、『そうあれと願われて作られたものは、世界の原則が変わろうとそうあろうとあり続ける』……だったっけ?」


 メカクレちゃんが口にしたのは、いつか訪れた旅の魔法使いを名乗る老人が残していった言葉だ。性別さえわからないほど歳を重ねたその老人は、このショッピングセンターを見ても驚くことはなく、数時間ほど中を見回って去っていった。


 そのときは違和感もおぼえず、時折訪れるいつもの旅人だと思って普段どおりに対応していたが、冷静に思い返せばこれは異常である。どうしてあのときの自分たちは何の不審感もおぼえずにあの老人に応対していたのだろう。


 気になるが、いま考えても答えの出ないことだ。いや、あの老人について深く考えること自体に妙な忌避感きひかんを覚える。話題を切り替えようと、メガネちゃんは手近にあるデジタル式の時計を手にとった。


「かといって、こういうのは壊れちゃうしね」

「まじキモいよねー、それ。いっそ全部捨てちゃいたいけど、次の日には在庫が復活してるもんねー」


 そこにあったのは、


 ――譁?蟄:怜喧縺

 ――舵手代.@縺滓!律


 などという、本来の液晶の機能を超えた奇妙な文字列が表示されたデジタル時計だった。本来なら00:00から23:59までしか表示されないはずの、日付や曜日の表示もできない安物だ。


 この時計に限らず、ショッピングセンター内にあるデジタル式の時計はすべてこのように壊れている。高町みさきにも見せてみたが、「何これ、超怖いんだけど」という反応しか得られなかった。


 壊れるにしても、正常に動くにしてもとにかく一貫性がない。デジタル時計は壊れているのに、スマートフォンの時刻表示などは正常なのだ。テレビやブルーレイプレイヤーなども普通に動く。いまや電子機器の塊であるはずの自動車も動く。まったく法則性が見出だせない。


 思考の海に沈んでいると、ドラム缶ロボがアイスティーをふたつ差し入れてきた。メカクレちゃんは「あんがとー!」と言いながらそれを受け取ってさっそく口をつけている。メガネちゃんはそれを受け取り、過熱気味の思考を冷やすべく一口飲み込む。


「そういえば、ドラちゃんたちもなんで動いてるのかわかんないよね」


 ドラム缶ロボの足元を覗き込みながらメカクレちゃんが言う。ドラム缶ロボに車輪やその他の移動機構はない。常に地表からわずかに浮き上がり、滑るように移動しているのだ。


「燃料も、動力もわかんないしね……」

「ねー、ホントなんで動いてるんだろうねー」


 メガネちゃんとメカクレちゃんは所詮しょせん科学者などではなく、単なる女子高生だ。ショッピングセンター内の書籍や科学ドキュメンタリーなどで勉強はしているが、こんな難しい問題をさらりと解けるような素養はない。それこそ、あのほとんどアインシュタインになりかけたクラスメイトであれば何かわかったのだろうか。


「そんなことよりさ、もうすぐあのアニメの新作映画はじまるみたいだよー」

「あっ、もうそんな時間か。あの内気な主人公がどうはっちゃけるのか気になってたんだよね」


 ショッピングセンターの中には映画館も併設されている。上映内容は地球と同期させているので、最新映画は上映時間に合わせて観なければならないのだ。封切りからしばらく経てば、ブルーレイ版などで鑑賞できるのだが。


 いくら考えても答えの出ない疑問を捨て置き、二人はシネマコンプレックスへと足を向けたのだった。

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