第五十話 ホタテの旨味にサザエの食感を合わせたような

 正直、この料理は半ば冒険の要素がある。しかし、例の某有名イタリアンレストランチェーン店があるのならば試さずにはいられないものだ。わたしが幾度も夢想した、夢の組み合わせでメインを仕上げるのだ。


 まずは食材の確認だ。調理前のがどのような姿になっているのかを知らない。厨房に戻ったわたしは、ドラム缶ロボに用意してもらった。を見る。


 ……うーん、見た目は普通に冷凍ホタテ的な?


 そう、だのだのもったいつけてみた食材とは、エスカルゴである。テレビやネットなどで仕入れた情報だが、このレストランチェーンで扱っているエスカルゴは、日本で入手可能な物の中では最上級の品質らしく、ミシュランで星が付くような店のシェフでさえ「同じエスカルゴを仕入れさせて欲しい」と願うほどのものなのだ。まあ、ステマかもしれんけど。


 ともあれ、実際に食べてみると美味しいのも事実だった。本場イタリアなりフランスなりで味わったことがないので比較はできないが、ホタテの旨味にサザエの食感を合わせたような、妙に後を引く味であった。これをオリーブオイルや各種調味料で味付けし、おしゃれ度合いを十倍に引き上げたたこ焼きプレートのようなものに入れてオーブンで焼き上げたものが本来のメニューである。


 これの調理は一旦、アシスタントに付いてくれているドラム缶ロボに任せる。メガネちゃんによると、各店のマニュアル通りの調理をはすべてこなせるそうなのだ。高性能過ぎる。ただし、マニュアルから外れた行動は取らないため、自主的な創意工夫には期待できないらしい。そのへんは、セーラー服君に合い通じるものを少々感じる。


 わたしの方はパスタの準備だ。太さは1.6ミリの標準的なロングパスタ、いわゆるスパゲッティだ。合わせるソースが少々冒険的なので、麺の方は無難な選択をする。ただし、品質は最上級だ。輸入食材店から一番高いやつを持ってきてもらった。こういうことを言うとしゃらくせえと思われるかもしれないが、パスタは本当に味が値段に正比例する。


 パスタなんてどうせ全部同じ味だろうと1キログラム数百円の激安品をずっと愛用していたわたしだったが、一度もらいものの高級パスタを茹でてみたらあまりの味の違いに愕然がくぜんとなり、それ以来パスタの品質にはこだわるようになったのだ。


 あれこれと試した結果、一部の例外はあるものの、「高いやつは美味い」という身も蓋もない結論に至ったわけだ。そして、チェーン店で使われているパスタは残念ながら安物ばかり……。コストを考えれば致し方ないのであるが、美食を突き詰めるのであれば店内にあるパスタをそのまま使うわけにはいかないのである。


 メインを作るに当たって、日本人らしくお米を使った料理というのも考えた。しかし、お米というのは日本人が考える以上にはじめて食べる人にはハードルが高い食材らしい。小さな粒の集まりなので食べにくいし、見た目が何かの幼虫のようで受け付けない……ということも珍しくなかったそうだ。


 いまでは日本食ブームなどもあってそういうことはめったにないようだが、ミリーちゃんやサルタナさんのはじめてのお米との出会いが不幸に終わっては日本人としていたたまれない。米という字は分解すると八十八と書く。それくらい農家さんの汗と涙と努力が詰まった結晶なので、無下にしてはいけないのだ。まあ、ぶっちゃけわたしはお米より麺類のほうが好きなのだけれど。


 ぐらぐらと沸くお湯の中に、人数分……を遥かに超える1キログラムのパスタをねじって放り込む。こんな大量のパスタを一度に茹でたことがないので若干の不安があるが、湯量はたっぷり30リットル以上はあるので麺同士がくっついたりはしないだろう。茹で汁の塩分濃度は控えめの0.5%。よく1%がよいと言われるが、わたし的にはちょっと塩味が強すぎると思う。キッチンタイマーを規定通りの7分に設定し、スイッチを押す。


 そういえば、よくパスタは規定時間よりも1分短く茹でた方がおいしいという話がある。わずかに芯が残ったアルデンテになるからという理屈だ。だが、あれはどんな場合にでも当てはまるわけではない。ソースと絡めたり、提供までに時間がかかる場合に、余熱で伸びてしまうことを考慮すると茹で時間を短くした方がよいというだけの話だ。基本的に、パスタは規定時間通りに茹でた方がおいしい。どんな場合でも1分短く茹でた方がよいのであれば、メーカーだって規定時間そのものを短く表示するだろう。


 業務用オーブンがチンと音を立て、焼き上がったエスカルゴをドラム缶ロボが持ってきてくれる。ひとまずどんなお味だったか確認せねば。もう異世界に来てから数ヶ月。ずっと食べていないので思い出補正で実際以上に高評価になってしまっている恐れがある。


 そんなこんなで完璧な自己正当化を施し、ビールジョッキを片手に待機させ、一口。ふほほほほ、焼き立てはこんなに熱いんですな。ビールを一口含んで冷やす。落ち着いたところでもぐもぐすると、ふむぅ、この味この味。ホタテとサザエが混ざったような……あー、じっくり味わうとタコのような雰囲気もあるな。美味し。これはビールが進まざるを得ない。


 残ったビールを飲み干し、味見が終わったところでこれをフライパンに油ごと放り込む。これも5人前以上のたっぷりだ。あ、やべ、にんにくと鷹の爪を炒めるのを忘れてた。慌ててにんにくを剥いて潰し、割った鷹の爪と一緒にフライパンの中に加える。そして弱火で温めはじめる。


 キッチンタイマーを見るとパスタの茹で上がりまであと2分だった。うーん、まだちょっと早いな。そういえば、このキッチンタイマーは珍しくアナログ式だ。そういう製品があることは知っていたけれど、自分ではデジタル式しか使ったことがない。プロの厨房ではアナログ式を使うのが一般的なのだろうか。


 そんなどうでもいいことを考えていると残り1分になった。パスタを茹でている鍋から茹で汁をひとすくいし、フライパンに加えると、火を強めてぐらぐらに沸かす。こうすると、沸騰で生じる泡と茹で汁に溶け出したパスタのでんぷんの作用で乳化にゅうかが簡単にできるのだ。


 乳化というのは、本来は混ざり合わないはずの油と水が一緒になってとろみが付く作用のことである。オイル系パスタを作るときは、このようにソースを仕立ててあげると麺との絡みがよくなって味がワンランクアップする。あまり早いタイミングで茹で汁を入れると煮詰まって塩辛くなってしまうので、パスタが茹で上がる少し前くらいにやりはじめるとよい。


 ソースが仕上がったところでタイミングよくキッチンタイマーが鳴った。パスタトングで麺を引き上げ、一本味見。ふむ、つるつるで舌触りがよく、コシがあって歯ごたえもよい。よく噛むと小麦の味が口の中に拡がってくる。やはり最高級パスタは伊達ではないな。


 茹で加減もバッチリだったので残りのパスタを引き上げ、フライパンにぶち込む。そして一気にフライパンを振ってパスタとソースを絡める。うっはー、1キログラムもパスタを茹でるとこんなに重たくなるのか。セーラー服君式パーソナルトレーニングの前だったら絶対こんなの振るどころか持ち上げられるかも怪しかったぞ。思えばわたしもたくましくなったものだ。ほら、二の腕だってこんなにムキムキに……あ、なんかちょっと凹む。


 思わぬところでセルフ地雷を踏んでしまったが、めげずに大皿に盛り付け。結構な重量があるのでサーブはドラム缶ロボくんに任せた。持っていく途中でひっくり返しでもしたら目も当てられない。こういう仕事は機械に任せた方が間違いがないだろう。


 フライパンを振って疲れた腕を軽くストレッチしつつ、反応を楽しみにしながらフードコートで待つみんなの元へ戻るのだった。

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