1-7

 何も考えたくなくて、家に帰るなりソファーに絵里を押し倒して乱暴に抱いた。絵里は最初驚いた表情を見せていたが、洋二が何も言わずにいると素直に受け入れた。性欲を満たして汗をかいたら腹が減ったので、絵里に何か作るように命じた。絵里はそそくさと洋服を着て、キッチンへ向かった。

 洋二はテレビをつけて画面を眺めたが、全然頭に入ってこない。集中出来ないので立ち上がり、キッチンへ向かい冷蔵庫から缶ビールを取り出してソファーへ戻った。

 昼から飲むのはこの治験場に来てから初めてのことだった。アルコールを口に流し込むと、身体が喜んでいるような気がした。絵里の作ってくれた食事をつまみに、缶ビールを四本開けた。缶の中身が空になる度に、少しずつ気持ちが晴れた。瞼が重くなってきたので、そのままソファーに倒れ込んで眠った。全部、起きてから考えようと思った。

 洋二は夢を見た。幼い頃、母に小遣いを貰う夢だ。

昔、にっこりと笑った母が洋二に小遣いをくれるときは、大抵家の中には知らない男がいた。

「遊びに行っといで」

 札を握らされた洋二は一人で時間を潰した。すぐに家に帰ると目を血走らせた母が烈火の如く怒り狂い、洋二に手を上げる。そうでなければ母が獣のような呻き声を上げ、裸で男に抱かれているところに出くわしてしまう。どちらにしても、怖かった。

 当然近所の人の目に洋二の母の素行は良く映っておらず、同世代の子供の母親には片っ端から嫌われていた。洋二には友達がいなかった。父親の顔も知らない洋二は、いつも一人で孤独と戦っていた。

 洋二には母しかいなかったのに、洋二の母はあっさり洋二を捨てた。いつもよりたくさんの札を、それでも数枚の札を洋二に握らせると「良い子にしててね」と洋二の頭を撫でて出て行き、それきり行方は知れない。

 夢の中の母は笑っていて、洋二に優しく「迎えに来たよ」と言った。洋二が抱き付くと、煙のように母は消えた。気付くと洋二は裁判所に被告として立っていて、「有罪」と裁判長に言い渡された。裁判長の黒い法服の中に体が吸い込まれ、そのまま暗闇の中、洋二は必死に何かを探した。何かは分からず、けれど探さねばという情動は抑えきれず、怖くて苦しくて、とうとう泣き出してしまった。どうしてこんなに探しているのにないんだ。俺にだけ、どうして見つからないんだとおんおん泣いて、胸の痛みに苦しんでうずくまった。

 そこで目が覚めた。

 洋二はきょろきょろと左右を見た初めのうちはどこにいるか分からず、心配そうに顔を覗き込む絵里の顔を見て、ようやく状況を理解した。頭がずきん、と痛んだ。そのまま痛みの種は洋二の頭に居ついてしまい、洋二の頭の中で存在を主張する。

「大丈夫ですか?」

 絵里に返事をしようと口を開くと、急に胃の中身が逆流してきた。慌てて口を閉じてやり過ごそうとしたが結局堪えることが出来ず、洋二はソファーの背に盛大に嘔吐した。酸っぱい匂いが鼻に付き、目頭に涙が溜まっている。

「洋二さん」

 絵里が駆け寄り、洋二の背をさすった。絵里の服も当然汚れるが、絵里が気にする様子はない。

「大丈夫ですか? お水、持ってきますね」

 絵里から手渡されたコップを受け取り、水を飲んだ。

「ご、ごめん」

 口の中がさっぱりしたところで、洋二は絵里に謝った。絵里は首を横に振り「いいんです。それより」と眉間に皺を寄せ、洋二の顔を覗き込んだ。

「大丈夫ですか? まだ気持ち悪いですか?」

 洋二は目頭の涙を手の甲で拭い、頷いた。拭ったはずなのに涙がまた出てきて、洋二の鼻に添って下に落ちた。

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