灰色の街

羽鳥湊

朝が来る

1-1

 何もかもが気に入らない、と海老原洋二えびはらようじは思った。目の前を歩く幸せそうなカップルの甲高い笑い声も、駅前でへらへらとチラシを配る居酒屋の店員も、昼間の日差しを忘れて洋二の体温を奪おうとする足元の冷たいアスファルトも、全てが気に入らない。

 洋二は先ほど職を失ったばかりだった。寮での盗難騒ぎの犯人に仕立て上げられ、半年働いた小さな建設会社の従業員の座を失い、住み慣れてきた従業員寮のボロアパートも追い出された。癇癪持ちの親方の顔色をうかがい、いけ好かない先輩達に顎で使われながらも必死で喰らいついて来た居場所だったのに、こんな去り方をするとは思っていなかった。

 肩から下げたボストンバッグには大した荷物は入っていない。急いで荷造りしたわりに、洋二自身の持ち物などたかがしれている。根を張ることが出来なかった悔しさが、洋二の心を締め付ける。いつもこうして、洋二は何かを失ってばかりだ。職も人間関係も、長続きすることがほとんどない。

 アルコールで酔いの回った頭で、自分の落ち度を必死に考えた。自分はいつも一生懸命やっているのに、周りが邪魔ばかりする。でもどうして邪魔されるのかは、洋二には分からない。ああ、面倒臭い、と思いながらふらふらと歩き、ようやく目的地であるインターネットカフェに辿り着いた。

 店内の明るさが目に刺さる。眩しさに一瞬目を細め、それから足を進める。受付の前で尻ポケットから財布を取り出し、会員証を提示する。通された個室のソファーにどかりと腰掛け、ボストンバッグを床に下ろした。

 半年前までは、ここが定宿だった。もう戻ってこないと誓ってここを出て行ったのに、結局戻ってきてしまった。自分には住所不定生活インターネットカフェ暮らしがお似合いなのだろうか。腹の底から深い溜息を吐いた。

 ボストンバッグから充電器を取り出し、スマートフォンを充電した。このままだと料金も払えなくなる。そうすればまたこの端末は自力で通信が出来なくなる。その前に、何としても次の職だけは見付けておきたかった。

 充電器に挿しっぱなしのスマートフォンで、求人情報を検索した。住み込みで、経験不問で、四十五歳の洋二でも就ける職。以前契約を切られた派遣会社の名前を見付け、目を閉じた。そんなに人手不足なら俺を雇えよ、と思ったあと、人手不足でも俺は要らないってことか、と悲しい気持ちになった。

 目を開けて再度求人サイトを見始めたところで、睡魔に抗えなくなった。回らなくなった頭で、まあいいか、明日考えれば、と意識を失った。

 夜中に尿意を覚えて目を開けた。ぽりぽりと頭を掻きながらトイレに向かい、用を足して部屋に戻って来たところでスマートフォンの通知ランプが光っているのを見つけた。メールの受信を告げるものだった。件名は『ご応募、ありがとうございます』。

 応募した覚えなどないので、洋二は首を傾げた。もしかして酔った自分が何か操作を間違えたのか。メールを開いて見ると、内容は面接日時と場所の報せだった。明後日の朝九時。場所もさほど遠くない。

 全く身に覚えはない。が、求人の内容はまさに洋二の希望とぴったり一致していた。経験不問、住宅完備、長期間、高時給。内容は室内で出来る軽作業。更には食事補助までついているとあれば、洋二にとってこれ以上ないほどの好条件だった。なんとしてもここに就職したい。目が冴えて、しばらく眠ることが出来なかった。

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