コラム 強面生活指導体育教師問題
この世には、二種類の人間がいる。
強い者に肩入れして、弱い者を毛嫌いする人間。
そして逆に、弱い者にシンパシーを感じて、強い者を敬遠する人間だ。
言うまでもなく、いじめ加害者は前者である。
自分達より弱い被害者を評して、『何かムカつく』『見てるとイライラする』などと彼らは言う訳だ。
恐らくその背後には、自己愛性パーソナリティ傾向、コフートの言うところの自己愛や自己対象、そしてクラインの対象関係論などが関係していると思われるが、その辺は『自己愛性ブラック』にて解説しているので、暇な方はそちらをどうぞ。
そして、この強い者に対するシンパシーというのは、いじめ加害者だけに限った話ではない。
教師の中でも、体育会系で、部活にも熱心で、生活指導なんかやってたりすると、特にこうした傾向が強い。
彼らは、多少やんちゃでも『元気な』生徒が好きだ。
大きな声で、臆することなく自分に挨拶をしてくるような生徒に対しては、好感を抱く。
『お、元気がいいな』
『挨拶が出来るな』
『親しみやすさ』と『図々しさ』は紙一重だが、相手はそこまで気にしない。
こうした教師は、部活においてもブラック指導をしているかもしれない。
それとは逆に、内気で、内向的で、声も小さい、体格にも恵まれない陰キャの生徒に対しては嫌悪感を抱くだろう。
『何だ、元気がないな』
『何でもっとでかい声を出さないんだ』
『何で挨拶しないんだ』
こうした両者が、いじめの加害者と被害者になったりすると、強面生活指導体育教師は、どのような心理的リアクションを見せるだろうか。言うまでもなく、『元気な』加害者の方に肩入れするだろう。
『嫌なら嫌と言えばいいんだ』
『加害者も悪いが、被害者の方も云々かんぬん』
教師が、筆者の偏見通りの人間でなければ、加害者を一喝して、いじめが一発で解決するかもしれない。
しかし、私が描いた通りの人間だったとすると、いじめは見過ごされ、事態が悪化する可能性もある。
そして、最悪の事態に際しても、自身の非を認めることが出来ない。彼らのメンタルは不安定で、ガラスのように脆いため、自分の負け、弱さに直面させられると、自身の存在自体が否定されていると錯覚してしまう。そのため、自分は悪くないと強弁するのである。
学校でいじめに対処する際は、まず人選から考える必要があるだろう。
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