【二七一《消えない微傷》】:一
【消えない微傷】
明日は休みで、俺と凛恋は凛恋のアルバイト終わりにどこかでご飯を食べてから、凛恋の部屋に泊まりに行くことになっている。ただ、アルバイト終わりに駅前で待ち合わせて合流することになっているが、俺が今居るのは凛恋のアルバイトしているケーキ屋の前だ。
店内に入るとオープンしたばかりということもあり、店内はかなり綺麗で落ち着いた雰囲気がある。
「いらっしゃ――いらっしゃいませ」
店内に入ってすぐ、いつも聞くよりも一段高く明るい凛恋の声が聞こえる。ただ、俺の顔を見た瞬間、凛恋は俺に挨拶はしたものの、明らかに俺の登場に驚いている。
「おすすめの焼き菓子はありますか?」
この後、凛恋と食事だから生菓子は持ち帰れないし焼き菓子が丁度良い。それに、凛恋を驚かせようとしているだけだから、特に買う物は重要じゃないのだ。
「こちらのスティックタイプのケーキがおすすめです。味はバニラ、チョコレート、メープル、紅茶、レーズンがあります」
平静を装って商品を勧めてくる凛恋は顔を真っ赤にしている。
「じゃあ、それを一つずつ下さい」
「はい。五本で一二五〇円になります」
代金を払う時、凛恋の隣に居た店員さんが離れた時、俺は真っ赤な顔をした凛恋に微笑む。
「制服姿もやっぱり可愛いな」
「もうっ……ありがと。もう終わるから急いで駅まで行くね」
包装されたスティックケーキを受け渡す時、凛恋は真っ赤な顔のまま可愛らしい笑顔でそう言った。
駅前の広場で凛恋を待ちながらコンビニで買ったコーヒーを飲んでいると、目の前にスッと人影が歩み出る。
「お待たせ!」
「全然待ってない。凛恋、お疲れ様」
「ありがと!」
凛恋がギュッと俺の腕を抱いて微笑む。
「行こっか!」
「ああ」
コンビニコーヒーの紙カップを捨てて、夕飯を食べる店に向かう。
「もー、急に来るからびっくりした」
「予告して行ったらつまらないだろ?」
「凡人に営業スマイル見られるの二度目だし、今回は声作ってるのも聞かれたし」
「気にすることはないだろ? 凛恋の制服姿が見たかったんだよ。写真撮れないのが残念だったけど……」
「今日洗濯のために持って帰ってるから、家で着てあげよっか?」
「本当に!? やった!」
「喜びすぎ」
俺を見てクスクス笑った凛恋は、俺の手と指を組んで握る。
「今週もまた凡人とお泊まり出来る。チョー幸せ」
「俺も待ち切れなくて来たんだ。凛恋に早く会いたくて」
「チョー嬉しい! 今週も二人でゆっくりしようね」
凛恋は声を弾ませてグイグイ俺を引っ張って行く。
今日は凛恋からお好み焼きが食べたいとリクエストが出たから、美味しいお好み焼き屋を調べてきた。その調べたお好み焼き屋に入り座敷席に行くと、凛恋が隣に座って微笑む。
「私、餅チーズにする!」
「俺は豚玉チーズにしようかな」
「凡人――」
「もちろん、凛恋が二つの味を楽しめるよう半分こにしような」
「うんっ! やっぱり、凡人は私のことよく分かってくれてる!」
注文をして豚玉チーズと餅チーズが鉄板の上に届くと、コテを使って半分に切って凛恋と分け合う。
「「頂きます」」
コテで一口大に切り分けてから食べると、隣で凛恋が美味しそうにお好み焼きを食べ、頼んだ巨峰サワーを飲む。
「チョー美味しい! こんなお店知ってるなんて、流石凡人!」
「古跡さんに聞いたんだ。前に家族で来た時に美味しかったって言ってた。だからごめんな。俺の――」
「凡人が私のために古跡さんに聞いて調べてくれたんでしょ? だから、ここは凡人が一生懸命選んでくれたお店」
ニッと笑った凛恋は俺の体にぴったり体を付けてお好み焼きを美味しそうに食べる。その凛恋の優しい笑顔に、俺も凛恋に体をくっ付けて凛恋からもらった餅チーズを食べた。
お好み焼きを食べたら、後は凛恋の家に行って風呂に入って――。俺はそこまで考えてから、隣を歩く凛恋を見る。
あれほど外では他の男に見られるから穿くなと言ったミニスカートを穿いていて、綺麗で魅力的な太腿がさらけ出されている。その太腿に視線を落とした瞬間、体温が上がって全身を駆け巡る血液が煮えたぎるような感覚を抱いた。
ヤバイ……完全に発情してる。
同棲してる時は毎日エッチしてたのに、今は多くて週に二日しかエッチ出来てない。少ない時は、凛恋と一緒に互いの家に泊まる一日だけだ。だから……どうしても……凛恋をまじまじ見ると意識してしまう。
俺と凛恋の仲なら、それが嫌悪を抱かれるような次元の話でなくなっているのは分かっている。でも、今すぐしたいなんてのは流石に言い辛い。
「……凡人、あのさ」
「ど、どうした?」
駅まで歩いていた俺に、凛恋が顔を向けて話し掛ける。その凛恋に俺は自分の心の内が悟られないように気をつけながら返事をした。
「…………えっとさ~ちょっとヤバイかも」
「ちょっとヤバイ?」
「ううん。やっぱ違う。ちょっとどころの話じゃなくてチョーヤバイ」
そう言った凛恋は、駅まで歩いていた道を逸れて、俺の手を引いて通りを曲がった。
俺の手を引く凛恋は、黙ってどんどん駅と離れて行く。そして、飲み屋が建ち並ぶ繁華街に入った。
通りの左右に並ぶ居酒屋の前では、背広を着た仕事帰りっぽいサラリーマン達が酒に酔った赤ら顔でフラフラしながらうろついている。そんな繁華街をスタスタ歩いて突っ切った凛恋は、繁華街の賑やかさが消えて淡い光の薄暗いホテル街に入った。
「凛恋……」
「まだ何も言わないで」
暗がりで見える凛恋の横顔は真っ赤で、プルプルと恥ずかしさに唇を震わせていた。そして、ホテル街に入ってすぐにあった空室有りのラブホテルの入り口から中へ入る。
ラブホテルに入った凛恋は、すっかり手慣れた様子で部屋を取って階段を上って取った部屋のドアを開ける。そして、ドアが閉まって電子ロックが掛かった瞬間、俺の体をドアに押し付けて背伸びをしながらキスをした。
「……家まで我慢出来なかった」
「凛恋――」
「凡人、チョースタイル良くて格好良いし、お好み焼き屋で私が半分こにしたいってすぐに気付いてくれたし、握った手が温かいし、凡人の良い匂いがするし、凡人の唇チョーエロいし……無理だった」
「凛恋、外でミニスカート穿くなって言っただろ。俺以外の男に見せたくない」
凛恋を抱き寄せて、指先で凛恋の太腿に触れる。そして、凛恋の首筋に顔を埋めた。
「だって、ミニスカート穿いたら凡人が興奮するって思ったから」
「俺は凛恋と会う前から興奮してる」
「凡人もやる気満々じゃん。……私と同じ」
俺の背中に手を回した凛恋の顔を見下ろし、頬に手を添えて俺からキスをした。
誰にも見られる心配のないホテルの部屋の中で、凛恋にキスをしながらゆっくり部屋の奥まで
歩いて行く。そして、唇を離しながらゆっくり凛恋の体をベッドの上に座らせた。
「シャワー浴びなくて良い?」
「ごめん。もうここまで来たら俺も我慢の限界だ」
「良かった。私も、もう我慢したくなかったから」
「それはちょっと――いや、チョーヤバイな」
「キャッ! ――かず、とっ……」
凛恋を押し倒して首筋にキスして、必死に凛恋の体に触れて、必死に凛恋の服を脱がして…………凛恋にもっと触れたかった。
もっともっと凛恋に触れて、凛恋と一つの存在で居られる時間が欲しくてがっ付いて、それを凛恋が受け止めてくれるって知ってるから、俺は凛恋に必死に甘えた。
「必死になってさ。血走った目で私の服脱がして、太腿とかお尻とかおっぱい触って。今日の凡人、チョー野獣だったね」
「ごめ――」
「でも、絶対に私が痛がることしないし、私が怖がってないか見てた。だから、凡人は優しい野獣」
ベッドの中で俺に抱き付いた凛恋がコンドームの箱をひっくり返してクスクス笑う。
「もうドラッグストア開いてないんだけど?」
「一個しか残ってなかっただろ。それに二四時間のドラッグストアもあるしコンビニも開いてる」
「わー! 凡人、まだする気? エッチ~」
「…………」
「でも良かった。私もコンビニ寄りたいなって思ってたから」
ベッドの中でクスクス笑った凛恋は、俺の胸に額を付けて胸の中で小さく笑った。
「ヤバ、三時間しか居られないからもう出ないと」
ベッドから起き上がって服を着始める凛恋を下から眺めて、俺は凛恋の手に自分の手を伸ばして握る。
「どーしたの?」
ニコニコ笑って上だけ着た凛恋が体を倒して頬にキスをする。
「凛恋と会える時間が少なくなって辛い……」
「……私も辛いよ。でも、ママに認めてもらうためだから。それにさ、バイト疲れるけど、店長に私が居てくれて助かるって言われてるんだ。それに仕事もほとんど覚えられて。だから、結構自分に自信が付いてきたの」
「そっか。でも、頑張り過ぎちゃ駄目だからな」
「ありがとーっ! 凡人が居てくれるから私は頑張れるんだよっ!」
抱き締められた拍子にムギュっと凛恋の胸が頬で潰れ、俺はその感触に浸れる時間を少しでも長くするために顔を押し付ける。
「さっ、コンビニ寄って家に帰ろう。明日は休みだしさ」
「そうだな」
体を起こして凛恋の隣で自分の服を着始めると、隣で着替える凛恋が俺の顔を見て明るい顔ではにかんだ。
大学終わり、編集部に行くと平池さんと田畠さん、それから巽さんが三人顔を突き合わせていた。
「お疲れ様です。何かあったんですか?」
「あっ、多野さん! 多野さんの彼女さん、めちゃくちゃ可愛いんですね!」
「へ?」
巽さんにそう言われて、なんで巽さんが凛恋のことを知ってる風に話すのか不思議になって首を傾げる。すると、平池さんが苦笑いを浮かべて俺に一冊の冊子を差し出した。それは、薄めのタウン情報誌だった。
「多野くんの彼女がバイトしてるケーキ屋の特集記事が載ってたの。それで、美優と記事について話してた」
「あっ……多野くん……」
「なんですか……これ……」
特集記事はケーキ屋の名前が書かれているものの、ケーキ屋の店長の写真はなく凛恋の写真が大きく掲載されていた。それに、記事の内容もケーキ屋の特集記事ではなく、街の店で働いている美人を紹介する記事だった。
「実はさ、私その店行ったことあるの。その日は多野くんの彼女さん――八戸さんが居ない日だったけど」
そう切り出した平池さんは随分話し辛そうな顔をしたが、小さく息を吐いて話を再開させた。
「私は店の経営とか詳しくないけど、そこそこ生きてきてそこそこケーキ屋を見てきた身として、素人目だけどあそこは流行らないと思う」
「流行らないって言うのは、どういうことですか?」
「あそこって、ケーキがとびきり美味しいわけでもないし目新しいケーキがあるわけじゃない。デコレーションも普通――っていうか、あの店の店長が前に居たっていう有名店とかなり似てる。それに店長のパティシエも有名店で働いてたってだけでコンクールの受賞歴もないし、はっきり言うとあの店には長所がないの。短所もないかもしれないけど、周囲には店の大きい小さいは関係なくスイーツを扱う店は結構ある。その中で、長所がない店は生き残れない。実際、私が行った時には、オープンして間もないのにそんなに女性客が居なかった。私が居た時に居たのはみんな男性客ばかりだったよ。デコレーションもケーキの味の傾向も完全に女性がターゲットなのに」
「……凛恋は、客寄せパンダに利用されてるってことですか」
思わずタウン情報誌を握り潰しそうになってしまう。でも、寸前のところで思い留まった。
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