【二五六《銀の弾丸》】:二

『今日は皆さんと楽しい思い出を沢山作りたいと思っています。心ゆくまで一緒にハロウィンを楽しみましょう』

『ありがとうございます。では、パーティー開始の乾杯をお願いします。皆さんも配られたお飲み物の用意をお願いします』


 無難な挨拶を終えて、司会進行の男性がロニーに乾杯を促す。


『乾杯』


 俺はロニーの音頭に合わせ、軽くグラスを持ち上げる。すると、隣から理緒さんの持ったグラスが俺のグラスに軽くぶつかって音を立てる。


「凡人くん、乾杯」

「乾杯」


 理緒さんと乾杯して軽くワインに口を付けてから、俺はスマートフォンをポケットから取り出す。しかし、電波が立っておらず電話もメールも出来ない。これでは凛恋を探すのに一苦労しそうだった。


「よーし! 食べるぞ~」


 乾杯が済むと早速飾磨が料理を取りに行く。それを見送り、俺が凛恋を探すために歩き出すと、隣に理緒さんが付いてきた。


「凛恋を探しに行くの?」

「ああ」

「凛恋は何のコスプレしてるの?」

「シスターだ」


 凛恋は今日、シスターの仮装をしている。シスターの仮装はスカートの丈が足の先まであるから全身を隠せるし、シスターベールで頭も顔以外を覆る。だから、人の多いパーティー会場では凛恋の不安を抑えるのに適していた。それでも、早く凛恋と合流しないと不安だった。


「ここ、立食形式だと二〇〇〇人くらい入る会場らしいから、凛恋を見付けるのは難しいんじゃないかな?」

「それでも探す」


 もとより俺はパーティーを楽しむ気はさらさらない。古跡さんに頼まれなければ来なかったし、許されるなら今すぐ凛恋と一緒に帰りたい気分だった。


「凡人くんはいつもそうだよね」

「いつもそうって?」

「いつも凛恋を守ろうって必死になってる」

「それは俺の務めだ」

「私は違うと思うな」


 人混みの中からシスターの仮装を目印に凛恋を探して歩いている俺に、理緒さんは周囲の男の視線を集めながら言う。


「凡人くんは何でも凛恋を最優先にし過ぎだよ。凛恋は友達と楽しく話してるかもしれないのに、凡人くんは楽しむことを二の次にして凛恋のことばかり考えてる」

「俺の最優先対象は凛恋だ」

「それで凡人くんは楽しいの?」

「別にこのパーティーには楽しむために来た訳じゃないから」


 視線を左右に振ってシスターの衣装を着た人を探すが、まだ視界にシスター姿の人は見えない。


「凡人くん、来て」

「ちょっ、理緒さん」


 凛恋を探している途中で、理緒さんが俺の手を引っ張って近くにあった料理人が目の前で調理してくれるコーナーに行く。そこで、理緒さんは料理人から目の前で焼かれたステーキの載った皿を受け取り、フォークで一切れ刺して俺に差し出す。


「はい、あーん」

「俺は良いよ」

「ほら、早くしないとソースが垂れちゃうから」


 そう言われてステーキを差し出され、俺は肉の端から肉汁とソースが滴り落ちる前に口でステーキを受け取る。


「美味しい?」

「美味い」


 首を傾げて尋ねる理緒さんに答える。食べたステーキは柔らかく噛んだ瞬間に肉汁が吹き出した。それに、肉の脂がしつこくなく舌の上で溶けてステーキソースと更に混ざり合った。


「本当だ。凄く美味しい」


 理緒さんはフォークでステーキを食べると美味しそうに顔を綻ばせる。そして、また俺にフォークに刺したステーキを差し出した。俺はそのステーキを食べるのを躊躇ったが、ソースと肉汁が滴り落ちる前に、また口でステーキを受け取った。




 パーティー会場の中を歩き回って凛恋を探しながら、俺は時折、理緒さんに引っ張られて用意された料理や飲み物を食わされ飲まされた。

 結構歩き回ったが、未だに凛恋の姿が見えない。こんなことなら、予め合流場所を決めておけば良かった。


「凡人くん」

「また何か美味しそうな物でも見付かったのか?」

「ううん。……トイレに行きたくて。一緒に来てくれない? 場所が分からなくて」

「分かった」


 頬を赤らめて恥ずかしそうに言った理緒さんを見て、俺は近くにあった扉から宴会場の外へ出る。

 扉の近くにあったテーブルに一度グラスを置いて、俺は理緒さんを連れてお手洗いのある場所まで歩いて行く。


「ちょっと待っててね」

「焦らなくて良いから」

「ありがとう」


 理緒さんが女子トイレの方向に歩いて行くのを見送ってから、俺はポケットからまたスマートフォンを出して確かめてみる。しかし、スマートフォンの電波は全く立っていなかった。

 今の時代、スマートフォンの電波が立たないなんて珍しい。きっと、意図的にスマートフォンの通信に使われる周波数の電波が伝わらないように何かの機械を使って妨害しているのだろう。

 ロニーは一国の王子だし、防犯のために電波妨害をする理由はある。ただ、俺と凛恋が連絡を取れないようにしているのではないかと思ってしまう。


「そういう顔を見ちゃうといたずらしたくなっちゃう」


 スマートフォンを仕舞い壁に背中を付けて理緒さんを待っていると、その理緒さんの声が聞こえて、右手首に少しひんやりした感触がした。その右手首を見ると、銀色の手錠の片方が掛けられていた。


「理緒さん、何で手錠なんて」

「婦警のコスプレセットに入ってたの」

 そう言いながら、俺の手を後ろに回して左手首にも手錠を掛けた理緒さんはクスッと笑う。

「凡人くん確保」

「理緒さん、ふざけてないで外して――」


 後ろ手に拘束された体勢のまま、俺は俺を抱き締めた理緒さんを見下ろして言葉を止める。


「凛恋は凡人くんに心を砕かせ過ぎてる」

「凛恋のことを心配するのは当然だ」

「当然じゃないよ。凡人くんは過剰。普通の恋人同士でも凡人くんほど彼女を心配して、彼女のことを最優先にして自分の生活を削る人は居ない」

「俺は凛恋が好きで、凛恋が一番大切なんだ。だから――ッ!?」


 手の自由が利かないまま、俺は下から突き上げるように理緒さんに唇を塞がれる。そして、理緒さんのキスは一気に深く激しくなる。

 濃密で熱烈で婀娜(あだ)っぽい理緒さんのキスに、一瞬で体の自由だけではなく心の自由も奪われた。


 手を拘束されても顔を振ればキスを止められる。顔を振るという意思を働かせれば顔を振れる。理緒さんのキスに嫌悪を抱ければ顔を振るという意思を芽生えさせる。でも、そうすることさえ出来なかった。


 唇を俺の唇に押し付けている理緒さんは、目を瞑っているのにまるで全てが見えているかのように俺を絡め取っていく。そして、ゆっくりと包み込まれ、完全に体と心の自由を奪われた。


「私の目を見て」


 色っぽい声で言われ、ただその理緒さんの言葉どおりに理緒さんの目を見ることしか出来ない。そして、理緒さんの目を見た瞬間、また意識を飲み込まれた。

 今まで、高校時代から理緒さんを近くで見て来て可愛い人だと思っていた。それは俺だけではなく周囲の評価もそうで、俺は周囲の評価も合わせて正しく理緒さんが可愛い人だと認識出来ていると思っていた。でも、俺は今、その認識を全て改めた。


 ただ可愛いだけじゃない。理緒さんは抜群に可愛くて、それでいて色っぽい。見詰められただけで意識を飲み込む濃艷(のうえん)な色香を持っていた。

 俺は長く理緒さんと接してきても知らなかった。こんなに、圧倒されるくらい理緒さんが女性として魅力的なことを。


「凡人くん、凄く胸がドキドキしてる」


 クスッと笑った理緒さんが、いつの間にか俺のシャツのボタンを外して、開いた胸元から手を入れて汗ばんだ俺の胸を撫でる。そして、空いてる手で自分のネクタイを外し、ボタンを二つ外した。


「凡人くんは清楚系な下着が好きかなって思って」


 俺をからかうように理緒さんが自分で開いたワイシャツの胸元から、白いブラに包まれた谷間がチラリと見える。

 理緒さんは俺の手を引いて女子トイレの個室に入り、俺を便座に座らせ、その俺の太腿の上に腰を下ろした。


「凡人くんみたいな狼男になら、私、喜んで食べられたいな」


 艶やかな微笑を浮かべて、ゆっくりと俺の首へ手を回しながら抱きつく。そして、互いの開いたシャツの胸元から、互いの汗ばんだ肌がピッタリ重なった。


「どうしよう、凡人くんのキスがやらしかったから……スイッチ入っちゃった」


 耳元でその男を惑わし虜にする魔法のような声で囁かれ、俺は自分でも分かるくらい全身を震わせる寒気と、その寒気をかき消すように熱い血が駆け巡り脳の思考回路を焼き切るのを感じた。


「キスして」


 その言葉を発した魅力的な理緒さんをボーッと見詰めていた俺の耳に、トイレのドアが開閉して立てた音が聞こえた。その瞬間、蠱惑(こわく)されていた俺の意識が一気に覚めた。


「ロニー王子の吸血鬼のコスプレ、めちゃくちゃイケメンじゃなかった?」

「私も思った。私、ロニー王子になら噛まれて虜にされたい」

「その願望ヤバくない? でも、私もロニー王子なら誘われたらついて行っちゃうかも」

「それ、私のより生々しすぎ」


 トイレに入ってきた女性二人の会話で完全に意識を覚まされた俺は、音を立てないように注意しながら顔を理緒さんから逸らす。

 トイレに入ってきた女性二人が出て行き話し声が収まってから、俺は俺の太腿に座っている理緒さんに視線を向けた。


「手錠を外してくれ。凛恋を探さないと」

「良いけど、また口紅付いてるよ?」

「メイク落としを――」

「手錠も外してあげるし、メイク落としもあげる。でも、その代わり……今度一緒に飲み会しよっか」

「分かった」


 何を交換条件に出されるのか身構えていた俺は、いたずらっぽくクスクス笑って言った理緒さんの言葉にホッと安心する。

 手錠を外してもらい、鏡を見てメイク落としシートで唇を入念に拭っている俺の隣で、理緒さんは鏡越しに俺を見ながら口紅を塗り直していた。


「じゃあ、俺は先に戻るから」


 赤いシミの付いたメイク落としシートをゴミ箱に捨てて外に出ようとすると、理緒さんに腕を掴まれて振り向かされる。


「そんなに胸元開いて出て行くの?」


 クスクス笑いながら理緒さんが俺のシャツのボタンを留める。その理緒さんの胸元もまだ開いていて、上からブラと谷間がまた見えた。


「凡人くん、いつでも凛恋のことばっかり」

「俺は凛恋の彼氏だ」

「でも、今日ずっと凡人くんは周りに意識を向け続けて体だってずっと強張らせてた。そうやって無理してるから病気になって入院するんだよ」


 俺のシャツを掴んで訴える理緒さんは、ポトリと涙を一粒零す。そして、真っ直ぐ見上げながら言った。


「凡人くんを追い詰めてるストレスは川崎さんでもロニー王子でもない。凡人くんを追い詰めてるのは凛恋だよ」

「そんなことない」

「そんなことあるよ。川崎さんのことで凡人くんを追い詰めたのは、凛恋が川崎さんのことを凡人くんがちゃんと解決させる前に結論を出させたから。凡人くんがロニー王子のことで頭を悩ませてるのは、凛恋がロニー王子を徹底的に拒絶しないから。高校の頃からそう、凡人くんが巻き込まれたトラブルの大多数が凛恋絡み。それでも凛恋は泣いてごめんねって言って、それでどうせ凡人くんとエッチして忘れる。だから、何度も何度も同じことを繰り返して凡人くんを傷付ける。それでも、凡人くんは凛恋が好きだから、凛恋のストレスを全部受け止めようとする。それの繰り返しで、どんどん凡人くんの心だけが削れていく」

「俺は――」


「でも、私なら凡人くんにストレスを感じさせない。それに、全力で凡人くんを癒やしてあげられる」

「俺が好きなのは凛恋だけだ」

「知ってるよ。だから、私は凡人くんを凛恋から奪うの。そのためには、何でもするって言ったよね。この前のキスとさっきのキスで分かったと思うけど、女の武器を使うのも躊躇わないよ。実際、誠実で一途で頑固な凡人くんには、理屈で訴えても言っても無駄だから」


 化粧ポーチを仕舞った理緒さんは、両手を後ろに組んで真っ直ぐ俺の目を見た。


「凡人くんは、誠実で一途で真っ当であろうとする。でもね、人は間違う生き物だよ」

「俺が間違ってるって言うのか?」

「ううん。間違ってるなんて言わないよ。ただ、正しいと思ってやってることが、全て最善とか最適なことじゃないってこと。真っ直ぐ見てるだけじゃ見えないものが必ずある。だから、真っ直ぐ凛恋しか見てない凡人くんに、私は最善と最適を見てもらおうとしてる」

「俺の最善で最適は凛恋だ」

「うん。凡人くんに言葉で何度訴えてもダメなのはさっきも言ったけど分かってるから」


 そう口にして、理緒さんは微笑みながら人さし指で自分の唇に触れた。


「だから私は、凡人くんに体を使って男としての凡人くんの心に訴えるやり方にしたんだよ」

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