【二五三《黒薔薇》】:二

「凡人くん」

「ん? どうかした?」

「やっぱり、こっちに来て良かった」


 さっきまでニコニコ笑ってふざけていた理緒さんは、カシスオレンジを飲みながら視線を飲み会の参加者達に向ける。その表情は、温度も動きもない淡々とした顔だった。

 飲み会の会場を俺も見渡してみるが、ワイワイガヤガヤと楽しく飲み食いしながら話している参加者達しか見えない。だから、理緒さんが淡々とした表情になる理由が分からない。


「凡人くん、お手洗いの場所分かる?」

「ああ、案内する」


 理緒さんに聞かれて席から立ち上がり、飲み会会場の座敷席から出てトイレの近くまで歩いて行く。しかし、理緒さんはトイレの前で俺の方を振り返り、壁に背中を付けてため息を吐いた。


「はぁ~……ちょっと疲れちゃった」

「まあ色んな人に話し掛けられてたしな」

「凡人くん以外の全員に連絡先聞かれて断るのに疲れた」

「俺は理緒さんの連絡先知ってるから聞く必要はないしな」

「私、凡人くん以外に教える気ないよ」

「別に教えるくらい良いんじゃないか?」

「さっきも言ったでしょ? 当たり障りのないやり方だと勘違いさせちゃうって」

「まあそれには同意するけど、それにしても俺の名前は出さなくても――」

「それもさっき言ったよね? 凡人くんに好き好きアピールするためだって」


 グッと顔を近付けた理緒さんから後退りして離れると、理緒さんは手で口を隠してクスクス笑う。


「キスされるかもって警戒してる?」

「理緒さん、わざわざ国内留学しても俺は理緒さんを好きにならない」

「うん。簡単に好きになってもらえないって分かってるから大丈夫。簡単に好きになってもらえないって分かってたから国内留学しようって決めたし。それに、別の意味でもこっちに来て良かった」

「別の意味?」

「塔成大の男子って、虚栄心が強くて嫉妬深い人が多い。話をしてても全員が自分の自慢話を絶対に入れてくるし、凡人くんに対して態度が投げやり」


「理緒さんの歓迎会に来てるんだから、俺のことを気にしなくて当然だろ。主賓は理緒さんなんだから」

「ある意味では潔いって言えるのかもしれないけど、自分が気になる子が自分以外の男の人を好きだって聞いた瞬間に、その男の人に露骨な嫉妬を向ける人ばかりなのは問題だよ。あれじゃ、彼女出来なくて当然」


 座敷席の方に視線を向けた理緒さんが、参加した男子学生に彼女が居ないと言い切る。俺は飾磨しかよく知らないし、他の男子学生の彼女の有無は分からない。


「勉強は出来ても女の子の扱いは下手だね。まあ、凡人くんは別の意味で女の子の扱いは下手だけど」

「同学年の男子で女性の扱いが上手いのは飾磨くらいだろうな」

「飾磨くんは、女性の扱いが上手くはないと思うよ。下手な鉄砲も数打ちゃ当たるってやつだよ」


 確かに理緒さんの言う通り、飾磨はとりあえず女性なら片っ端から声を掛けている印象がある。だから、限定された人としか話さないやつよりは、深い仲になる女性の数は多くなるのかもしれない。


「まあ、ああいう軽いノリで後腐れ無くエッチ出来る人が良いって子も居るからね。飾磨くん、そういう軽いノリに合って見た目も軽いし」

「随分と貶すな……」

「だって、私ああいう人嫌いだし」


 ニコッと明るく笑いながら毒を吐く理緒さんは、また壁に背中を付けてため息を吐いた。


「自分にないものを持ってる人に嫉妬するのは人間として仕方がないと思うけど、凡人くんの周りに居る人には嫉妬するだけで自分を磨かない人が多い。きっとああいう人達には、凡人くんの『頭が良い塔成大生』っていうブランドだけしか見えてないんだよ。だから、同じブランドを持ってる自分が凡人くんと同じくらいにモテないことに勝手に苛立ってる。ああいう人達が持ってない魅力が凡人くんには沢山詰まってる。もっとはっきり言って良いなら、徹底的に貶すんだけどな~」

「危ないから止めてくれ。キレたやつは何をしでかすか分からない」

「分かってるよ。だから、丁寧にはっきり断って、態度で私が凡人くんにしか興味無いって見せてるの」


 髪を手で耳に掛けた理緒さんは、腕時計で時間を確認してニコッと笑う。


「きっと、私と凡人くんが戻ったら飾磨くんが飲み会を締めると思うよ」

「なんでそんなことが分かるんだ?」

「私が片っ端から断って男子達のテンションが落ちてるし、そろそろ始まって二時間になる。ずっと飲み会の雰囲気を見てた飾磨くんが、男子達のテンションの落ち方を見逃すはずがないし、私が面倒だってオーラを出してるのを見逃す訳もない。きっと、私がトイレに凡人くんを連れ出した時には潮時だって思ったと思う」


 壁から体を離した理緒さんが、トイレには行かずに座敷席の方に歩き出す。そして、クルリと振り返って首を傾げた。


「この後、もちろん送ってくれるよね?」




 俺と理緒さんが座席席に戻ってすぐ、理緒さんの言った通り飾磨が歓迎会を締めた。そして、店の外で理緒さんがみんなに明るい笑顔で歓迎会のお礼を言っているのを遠巻きに見ていると、隣に人が立つ気配がした。


「多野くん、途中まで一緒に帰って良い?」

「いつも通り家まで送るつもりだったけど」

「ごめんね、毎回」

「良いよ。一人で帰らせたら気になって眠れない」

「ありがとう」


 酒が入ってほんのり顔が赤くなった空条さんが、視線を理緒さんに向ける。そして、ため息ではない細く短い息を吐いた。


「筑摩さんって男慣れしてそう」

「してそうじゃなくてしてると思うよ。俺が高校で会った時には学校で抜群にモテてた。男子から告白される数も他の女友達よりも圧倒的に多かったし」

「仕方ないのかもね。あれだけ可愛いんだもん、男の人に慣れてても。でもやっぱり、八戸さんのことを思うと――」

「俺は凛恋以外は好きにならないから。たとえ、相手が高校時代から仲の良い理緒さんだとしても」

「多野くんの真面目さを疑う訳じゃないけど、筑摩さんからはなんか吹っ切れてる感じがするの。多野くんに好きになってもらうためなら、文字通り何でもしそうな感じが」

「何でもしそうな感じ?」


「うん。私も筑摩さんとは昨日会ったばかりだから全然筑摩さんのことは知らないんだけど、昨日と今日見ただけで分かる。筑摩さん、多野くん以外には全く興味がないよ。多野くん以外には嫌われても良いって思ってる。だから、同じ女の私にも略奪愛をしますって堂々と言うし、筑摩さんに声を掛けてくる人全てにも多野くんが好きだからって冷たくあしらう」

「冷たくあしらうのは、好きでもない人に期待を持たせないためのことだって言ってたけど」

「それもあると思う。でも、もしそれだけだったら多野くんの名前は出さないよ。それに、男子が自分の話をしてる時、筑摩さんは気のない相づちは打ってたけど料理を食べたりお酒を飲んだりして男子の目を全く見てなかった。あれだけ露骨に興味が無いって態度を取れるのは、凄く高飛車な性格か、人に嫌われても良いって吹っ切れてる人くらいだと思う。でも、筑摩さんは威圧的高圧的な人ではないと思うから、吹っ切れてる方だと思う」


 真剣な表情で理緒さんについて話す空条さんを横で見ていると、挨拶を終えた理緒さんが俺の方に駆け寄ってくる。そして、両手を後ろに組んでニコッと笑い小首を傾げた。


「凡人くんお待たせ。行こっか」

「ああ。先に空条さんと宝田さんを送って良いか?」

「もちろん良いよ」


 理緒さんがニコニコ笑って頷くと、俺の隣に並んで俺が歩き出すのを待つ。


「多野くん、いつもありがとう」

「気にしないで。俺が気になるだけだから」


 頭を下げる宝田さんに首を横に振って言うと、宝田さんはニッコリ笑って返した。


「空条さんと宝田さんは彼氏居ないの?」

「私は居ない」

「私も居ないよ」

「そうなんだ。やっぱりみんなあんな感じだと彼氏候補にはならないよね。仲良くなるステップを飛ばそうとする人が多いし」


 何気なく言った理緒さんの言葉に、空条さんも宝田さんも困ったような顔をして苦笑いを浮かべる。

 前々から、主に空条さんから男子学生に対する愚痴は聞いていた。その空条さんと同じように、宝田さんもうちの男子学生に対してはあまり良いイメージを持っていない。

 理緒さんが男子学生に対して良い印象を抱かなかったのは歓迎会の途中で聞いていた。でも、ステップを飛ばすという話をしたのは今が初めてだ。


「やっぱり、空条さんも宝田さんも被害者なんだ」

「うん。まあね……」

「飾磨くんは一番女の子慣れしてるけど、あの人は本当に数撃って当たったらラッキーって感じの接し方だし」

「でも、筑摩さんには今まで見た中で一番積極的だったよ?」

「そうなの? でも、私は凡人くん以外は好きにならないから」


 その理緒さんの返した言葉に、空条さんと宝田さんはまた苦笑いを浮かべる。ただ、俺はその三人のやり取りを聞きながら、飾磨のことを思い出していた。

 今思い返してみれば、確かに昨日から今日の歓迎会でも、今まで見た中で一番積極的な飾磨だったと思う。


 日頃、飲み会を主催すると飾磨は幹事として色んな人達を回っている。でも、今日の歓迎会ではずっと理緒さんの正面に座ってずっと理緒さんに話し掛けていた。

 ひょっとしたら、飾磨は本気で理緒さんのことを好きなのかもしれない。そう思ったが、あの色んな女性と遊び歩いている飾磨が誰か一人に執着するというところを想像出来ない。まあ、理緒さんは可愛いしそれでいつもより熱が入っていただけなのかもしれない。


 いつも通り空条さんと宝田さんを家まで送ると、俺は最後に理緒さんを家に送る。ただ、家に送ると言っても理緒さんが住んでいる場所は知らないから、俺が理緒さんに付いて行くしかない。


「空条さんと宝田さんに凄く信頼されてるね」

「もう三年の付き合いになるからな」

「まあ、凡人くんは下心を感じないし、家の場所を教えても大丈夫だって思うのかもね。私も、歓迎会に参加してた男子達には家を教えたくないし。結構、ああいう人達は振り切ったら危ないことするし」

「流石にそんなことはしないだろ。今まで俺の周りでうちの学生がそんなことをしたって話は聞かないし」


「それは凡人くんが空条さんと宝田さんを毎日送ってるからだよ。空条さんは結構サバサバしててきっぱり断れそうだけど、宝田さんは危ないね。少し気が弱そうだから、男子が強引に来たら断れなさそう。宝田さんにとっては凡人くんと仲良くなれたのは運が良かったと思う」

「そんなことはない」

「あるよ。凡人くんは凄く優しくて格好良いから。電車内でもずっと私のこと守ってくれてたしね」


 ニヤッと笑った理緒さんは、自然に俺の腕を抱いて体を密着させる。それに俺が振り解こうとすると、二の腕に柔らかい感触がして動きを止めた。


「無理矢理振り解こうとするなんて傷付くな~」

「俺には凛恋が居る」

「今、凡人くんの隣に居るのは私」


 理緒さんのその言葉を聞いて、俺は立ち止まって視線を理緒さんに向ける。すると、理緒さんはクスッと笑って首を傾げた。


「どうしたの? そんな怖い顔をして」

「理緒さんはいったい何を考えてるんだ。昨日、凛恋に何を話した?」


 昨日、凛恋は理緒さんと会った。だが、ただ理緒さんに俺を追い掛けて国内留学してきたと言われたという話しかしなかった。でも、凛恋の表情からそれだけではないという雰囲気を感じた。


「まず、凡人くんを追い掛けて国内留学したって話した。それと、私は友達全員を失っても凡人くんに好きになってもらうからって言ったよ」

「……そんな簡単に切り捨てられるほど軽い関係だったのか」


 あっけらかんと言ってのけた理緒さんに、俺は思わずその言葉を返した。

 俺は、俺達の関係が簡単に崩れる、切り捨てられる関係ではないと思っていた。卒業というみんなを引き離す現実にも絶対に負けない強固な関係だと思っていた。でも、理緒さんは淡々とその関係を切り捨て崩すことを許容した。だから、俺はその理緒さんの冷淡さに、強く熱く燃えるようなものではないが、沸々と音を鳴らす怒りに似た感情を抱いた。


「そんな訳ないよ。私が今まで築いてきた人間関係の中で、高二からの友達グループは最高の友達だよ」

「だったら――」

「そんな大切な友達を失っても守りたいくらい凡人くんが大切なの。大切な友達と凡人くんを比べたら、私は迷わず凡人くんを選ぶ」


 まっすぐ俺を見てそう言い切った理緒さんに、俺は夏美ちゃんを見捨てると決意した自分を思い出した。でも、理緒さんは俺とは違った。

 俺は、決意しても最後の最後まで見捨てることに躊躇いを抱いていた。躊躇って躊躇って、自分の心にいくつも躊躇い傷を付けていた。そして、結果的に今も後悔が抜けた訳じゃない。だけど、俺の目の前に居る理緒さんはそんな俺とは違う。

 軟弱な俺なんかよりも、理緒さんは揺るぎない意思で、誰かを傷付ける覚悟をしているようにしか見えなかった。 

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