【二五三《黒薔薇》】:一

【黒薔薇】


 いつも通り、講義終わりに食堂でコーヒーを飲む。でも、隣に理緒さんが座ってることはいつも通りじゃない。


「国内留学をするなんて知らなかった」

「だって、言ってなかったから。ビックリした?」

「心臓が止まるかと思った」

「ドッキリ大成功だね」


 理緒さんはクスッと笑ってそう言うとコーヒーを一口飲んだ。

 理緒さんが通っているノーブリリー女学院では、国内のいくつかの大学と連携して国内留学制度を行っているらしい。その“いくつかの大学”の一つが、俺の通う塔成大学だったらしい。


「でも、理緒さんは国際コミュニケーション学部だったろ? 文学部のうちは国際色は薄いけど?」

「そーそー! 何で理緒ちゃんはうちの学部を選んだの?」


 俺の話に、正面に座っていた飾磨が割って入る。いつも通り、飾磨は可愛い女性である理緒さんに興味津々らしい。


「私、国内留学した理由が凡人くんの側に居たかったからだから、塔成の文学部じゃないとダメだったの」

「「「えっ!?」」」


 あっけらかんとした態度で言い放った理緒さんの言葉に、飾磨、空条さん、宝田さんが同時に驚いた声を上げる。


「私、小学校の頃から凡人くんのことが好きなんだけど振られちゃってて。でも、諦めきれないから一緒の大学に通うしかないかなって思って」

「で、でも、多野には凛恋ちゃんが――」

「知ってるよ。だから、凛恋から凡人くんを奪うつもり」


 流石の飾磨でも、理緒さんの言葉には面食らって戸惑っている。でも、理緒さんはそんな飾磨の様子には全く気を遣わない。


「あ、ごめん。この後私ちょっと用事があるんだ。だから、これで帰るね」

「理緒ちゃん、今度理緒ちゃんの歓迎会させて!」

「ありがとう。凡人くんも一緒なら、是非参加させて」


 パチッと飾磨にウインクをした理緒さんは、俺の肩に手を置いて少し身を屈め、俺の耳元で囁いた。


「この後、凛恋に会ってくるね」


 それだけ囁いて、手を振って歩き出す理緒さんを止めようとする。しかし、俺はテーブル越しに身を乗り出して俺の腕を掴んだ飾磨に引き止められた。


「待て! 今から事情聴取の時間だ」

「なんだよ」

「なんだよじゃない! なんであんな可愛い子を俺に秘密にしてたんだ」

「…………なんで俺が、俺の知ってる女性を全員飾磨に紹介しなきゃいけないんだ」

「マブダチだろ!」

「意味が分からん」


 全く理解不能な理由で喚く飾磨にため息を吐きながら、俺が上げた腰を椅子の上に戻すと、飾磨は両手で頭を抱える。


「なんてこった。去年のミスノーブリリーが多野の知り合いで、多野を追い掛けて来たなんて……」

「どうして飾磨は他大の、しかも離れた大学のミスコンの結果なんて知ってるんだよ」

「男なら当然だろ!」


 さも、俺が男としておかしいような言い方をする飾磨は、理緒さんが出て行った食堂の入り口を眺める。


「やべぇ~、今まで会ってきた中で一番可愛い。生で見るのと画像で見るのは全然違う。多野には悪いが、凛恋ちゃんより可愛いぞ」

「人の好みは人それぞれだからな。でも、俺が好きなのは凛恋だ」

「じゃあ、俺が理緒ちゃんにアタックしても文句言わないよな?」

「言う訳ないだろ。飾磨が女性に見境無く声を掛けるのは今に始まった話じゃないし。ただ、理緒さんが飾磨をどう思うかは分からないけど」


 飾磨は女性に対して不誠実で性格が軽すぎるという性格に難があるが、見た目は決して悪い訳ではない。むしろ、雰囲気としてイケメンホストという感じで、俺よりも女性受けが良い顔をしていると思う。だが、それだけで理緒さんが飾磨を気に入るとは思えない。


「あの、私からも筑摩さんについて少し聞いて良い?」

「ああ、俺に話せる範囲でなら良いけど」


 斜め前に座る空条さんが、恐る恐るという感じで話を切り出す。


「筑摩さんって、多野くんと小学校からの付き合いなの?」

「小学校は一緒だったらしい。でも、中学は別で、高校は二年から一緒かな」

「一緒だったらしいって、多野くんは小学校の頃、筑摩さんと仲が良かった訳じゃないんだ」

「高校で会って、小学校が一緒だったって言われるまで全然知らなかった。小学校の卒業アルバムには確かに載ってたけど、思い返しても理緒さんと小学校の頃に話した記憶はない。でも、高校で色々あって仲良くなったんだ」

「そうなんだ。高校で仲良くなってからも、その……あんな感じだったの?」


 随分聞きづらそうに首を傾げた空条さんに、俺は一度理緒さんが出て言った出入り口の方を見てから首を振る。


「高校の頃に告白されて断ってから、俺のことを好きで居てくれてるのは知ってたけど、あそこまで堂々と宣言はされてなかった」


 高校の頃、理緒さんが男子生徒からの告白を断る時に俺の名前を出しているのは知っていた。でも、あそこまで露骨に俺のことが好きなんて他人に対して公言するようなことはしていなかった。そうするように変わったのは、夏美ちゃんの件で凛恋と喧嘩をしてからだ。


「でも、筑摩さん凄く可愛い人だよね。男子が凄く見てたし」

「可愛いとか関係ないよ。八戸さんが居る凡人くんにしつこくするなんて」


 宝田さんの素直な感想に、空条さんは唇を尖らせて紅茶を飲んだ。


「理緒さんは掴めないっていうか、読めない人だけど悪い人じゃないよ」

「ごめんなさい。悪く言うつもりはなかったんだけど」

「まあ、最初からあんな出会い方をしたんだから、否定的になって仕方ないよ」


 講義前に空条さんは、ロニーに対する話の途中で理緒さんに口を挟まれた。それは、空条さんの意見を真っ向に否定する意見で、そんな意見を初対面の名前も知らない人から言われたのだから印象が悪くなって仕方ない。


「よーし、こうなったら善は急げだ。理緒ちゃんの歓迎会の計画を立てるぞ」

「全部飾磨に任せた」

「おう、任せとけ! 絶対に最高の歓迎会にして、理緒ちゃんのハートをゲットしてやる!」


 拳を握り締めて固い決意をする飾磨から視線を外し、俺はまた食堂の出入り口に視線を向けて、テーブルの下で凛恋に打ったメールをスマートフォンで送信する。


『理緒さんが塔成大に国内留学してきた。今から、凛恋と会うって言ってる』


 そのメールが送信完了されたのを確認して、スマートフォンをポケットに仕舞う。

 きっと、凛恋と会うと言っていたということは、既に理緒さんは凛恋と会う約束を取り付けているのだろう。だから、俺が今更言っても意味のあることじゃない。でも、凛恋が俺より先に知っていたとしても、彼氏の俺が彼女の凛恋に伝えないといけないことではあった。


 理緒さんは俺のことを好きだと言っている。そして、凛恋にも、凛恋から俺を奪うなんて話をしていた。そんな理緒さんが国内留学してきたことを、俺から言わないなんてありえない。それで、俺の気持ちを凛恋が疑う訳がないとしても、変な心配を凛恋に掛けさせたくなかった。


 ただでも、俺は凛恋に迷惑を掛けている。俺がストレス性の急性胃腸炎で入院したことで、俺のストレスに関することで凛恋にはかなり気を遣わせてしまっている。その上で、また俺のせいで凛恋に心労を掛けさせる訳にはいかない。

 コーヒーの無くなった紙コップをテーブルに置いて、俺は小さくため息を吐いた。


 まさか、国内留学をしてくるなんて思ってもみなかった。

 凛恋に直接、凛恋を否定し俺を奪うなんて話をした時点で、ただ事ではないと思っていた。でも、理緒さんが塔成大まで追い掛けてくるほど本気だったとは思っていなかった。

 俺は心のどこかで、きっと理緒さんは凛恋に発破を掛けているだけだと思っていた。だから、口では何だかんだ言っても実際は本気で俺を奪おうなんて思っていないと思っていた。でも、だけど……あの理緒さんのキスもあって、完全に理緒さんが本気ではないと否定も出来ていなかった。


 心のどこかで思っていた否定は、俺の希望的観測だった。そうであればいい、そうであってほしいことだった。でも実際は、そうじゃなかった。

 俺は、理緒さんと友達で居たい。でも、もし凛恋と理緒さんが仲違いをしたら、俺は凛恋を選ぶ。


 既に俺は、凛恋と誰か――夏美ちゃんを比べて凛恋を選んでいる。それで、たとえ選ばなかった夏美ちゃんを傷付けても、それでも凛恋を選び続けると決意している。だけど、そう固く決意していたとしても、人を傷付けることに何も思わなくなった訳じゃない。出来るなら、許されるなら、誰も傷付けずに凛恋を選び続けたい。

 そう思っても、きっとそれは俺にだけ都合の良い、俺の希望的観測でしかないのだ。




 やると決めたら早い。それは、飾磨の良いところでもある。だから、理緒さんの歓迎会を開くと言ってから実際に開催されるまでの期間はたったの一日という早さだった。

 飾磨の広い交友関係で集められた人達はかなりの大所帯になった。ただ、気のせいではなく女性より男の割合の方が高い。それは当然、理緒さんの歓迎会だからだろう。


 理緒さんが可愛いのは知っているし、高校でも抜群にモテていたのも知っている。それに加えて、あの飾磨がべた褒めするくらいなのだ。他の男子学生が理緒さんと仲良くなりたいと思わない訳がない。だから、この会に参加している男子学生のほとんどが理緒さんと仲良くなりたがっているはずなのだ。はずなのだが……。


「筑摩さん、連絡先教えてよ~」

「ごめんね。私、凡人くんのことが好きだから、凡人くん以外の男の人と連絡先交換しないようにしてるの」


 スマートフォン片手に連絡先を聞きに来た男子学生に、両手を合わせて謝りながら断る理緒さん。このやりとりを、理緒さんの歓迎会が始まってから何度も見た。そして、その度に、断られた男子学生から横目で睨まれるのも何度もあった。


「凡人くん、ごめんね。私のせいで睨まれて」

「だったら、もっと当たり障りのない断り方で断ってくれよ」

「ダメだよ。当たり障りのない断り方なんてしたら、望みがあるかもって思われてしつこくされるし」


 カシスオレンジを飲みながらニコッと笑う理緒さんの言葉は正しい。変に期待を持たせるのは良くない。だが、理緒さんくらい恋愛経験豊富な人なら、個人名を出さずに断る方法なんていくらでも知っているはずだ。それなのに、俺の名前を出すのは酷い。


「それに、真横で名前出して断った方が、凡人くんにアピール出来るし」


 屈託のない笑顔で言われ、俺は返答に困って自分の分の日本酒の水割りを一口飲む。


「凡人くん、これ美味しいよ」

「ありがとう」


 理緒さんが俺の取り皿に料理を取ってくれ、俺はそれを受け取って箸で料理を口へ運ぶ。その様子を真隣でまじまじと見られ食べにくさを感じた。

 歓迎会が始まってから、理緒さんはずっと俺の隣に座っている。

 歓迎会の主賓である理緒さんは、当然部屋の最奥にある上座に座っている。本当なら俺は部屋の出入り口に近い席に座りたい。だが、理緒さんに呼ばれて仕方なく上座に居る。


 友達なのだから別に隣に座ってもおかしくはないし、まだ留学して来たばかりだから他に親しい人が居なくて俺を呼ぶのもおかしくはない。ただ、おかしくはないだけで座りづらくない訳ではない。

 歓迎会に参加している男子学生達からは度々嫌な視線を向けられるし、何より凛恋のことを考えると居心地が悪い。そして…………。


「タノタノ。理緒ちゃんの隣を代わりやがれ下さいお願いします」

「えー、知らない人ばかりで心細いから隣は凡人くんが良いなぁ~」


 敬語なのか憎まれ口なのかよく分からない口調の飾磨に、理緒さんはクスクス笑いながら俺の腕を掴んで言う。本当に心細い人が、飾磨に対して笑顔でそんなことを言う訳がない。


「理緒ちゃん。俺の方が多野よりイケメンでしょ?」


 本人を目の前にして自分の方がイケメンだと言う飾磨だが、まあ一〇人に聞いて一〇人が飾磨の言う通りの答えを言うだろう。それに、酔って面倒臭さが増し増しになった飾磨に何か言うのも面倒だ。


「え? 凡人くんの方が断然格好良いよ」

「ぐふぁっ! 多野に負けたっ!」


 わざと仰け反って、飾磨はショックを受けたということを理緒さんへ表現する。しかし、理緒さんはカシスオレンジの入ったグラスを傾けて微笑む。


「ごめんね。私、凡人くんが好きだから」

「多野めぇ~。それにしても、理緒ちゃんは多野のどこが好きなの?」

「凡人くんは背も高いしスタイルも良いでしょ? それに顔も格好良いし。だけど、一番は優しい性格かな。ただ優しいだけじゃなくて、細かいところも気が付いて気が利くし、良くも悪くも誰にでも親切に出来るところかな」

「べた褒めだな~」


 チラリといかにももの言いたげな視線を飾磨に向けられ、俺はその視線を無視して皿に盛られた料理を口へ運ぶ。すると、隣に座る理緒さんが座る位置を近付けて、理緒さんの体が俺の体に触れる。

 わざと密着しているのは分かる。でも、俺のすぐ隣には空条さんが居る。だから、理緒さんから離れようとすると、空条さんに近付いてしまう。それで空条さんの体に触れてしまったら申し訳ない。


 美味しそうに料理を食べながらも、理緒さんは体を更に近付けて押し付けてくる。酒を飲んで火照った理緒さんの体温を感じるが、その理緒さんの体温の熱さが居心地の悪さを強める。

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