【二三四《バースデープレゼント》】:二

 空条さんは椅子から立って挨拶を済ませると、歩いて食堂を出て行く。その空条さんを見送りロニー王子に視線を戻すと、ロニー王子はやっぱり変わらない笑顔を俺に向けた。


「ゆっくり話せる場所に行きましょう」

「分かりました」


 俺は椅子から立ち上がり、前を歩き出したロニー王子の後ろを歩き始める。

 大学内でロニー王子が誰かとゆっくり話せる場所なんてない。だからきっと、またどこかの喫茶店にでも移動して話をするのだろう。しかし、俺はロニー王子の『重要な話』という言葉に心の中で疑問を持つ。

 その、ロニー王子が話そうとしてる重要な話がどれくらい重要な話なのかは分からないが、場所を変えるということは、少なくとも不特定多数の人に聞かせたくはない話なのだろう。

 もう見慣れたロニー王子のリムジンに乗り込むと、ロニー王子は首を傾げた。


「空条さんは何か多野さんにプレゼントを渡していたようですが、何かあったんですか?」

「ああ、今日は私の誕生日なんです」

「そうなんですか! すみません! 私は何も用意していなくて!」

「いえ、そこまで気を遣うようなことでもないので」

「ではせめて言葉だけでも。多野さん、お誕生日おめでとうございます」

「ありがとうございます」


 リムジンの中で世間話を少しして、リムジンが喫茶店の前で停車する。そして、俺とロニー王子よりも先に護衛の人が店内に入り、店の奥にある二人席に案内された。

 木製のパーティションで仕切られた席に向かい合って座ると、正面に座るロニー王子は俺にメニューを差し出す。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 俺はメニューを受け取るが、選ぶ振りをして予め決めていたオリジナルブレンドに視線を向ける。喫茶店に来て一番無難なのがオリジナルブレンドだからだ。


「オリジナルブレンドをお願いします」

「では、私も同じ物をお願いします」

「かしこまりました」


 ウエイトレスの女性に注文を伝えると、女性は丁寧な動作で店のカウンターに居るバリスタへ注文を伝えに行く。

 小さめの音でクラシックが流れる店内で、俺とロニー王子は向かい合ったまま無言になる。その無言はなんとなく居心地が悪かった。


 俺から話について聞いてしまおうかとも思った。だが、多分ロニー王子は話の途中でウエイトレスの女性がコーヒーを持ってくることを避けようと思って話し出さないのだ。

 俺は落ち着かない雰囲気で、コーヒーが来るのを待ちながらロニー王子の後ろを見る。相変わらず、微動だにせずロニー王子の背後に控える護衛の人は威圧感がある。


「少し二人にしてくれないか?」


 無言になっていたロニー王子は、後ろを振り返って護衛の人達にそう指示をする。すると、護衛の人達は俺達の座っている席の側から離れていった。それと入れ違いで、ウエイトレスの女性が注文したコーヒーを俺とロニー王子の前に置く。


「頂きます」


 俺がコーヒーに口を付けると、ロニー王子もニッコリ笑ってカップを持って口を付ける。そして、ロニー王子がソーサーの上にカップを戻してカチャッと陶器が優しくぶつかる音が響くと、ロニー王子は口を開いた。


「本当に日本へ留学してきて良かったと思っています。両親にはアメリカやオーストラリアを勧められたのですが、どうしても私が日本に来たくて。私の想像通り、日本はとても素晴らしい国でした」

「ロニー王子が楽しめているようで良かったです」


 笑顔を返しながら俺がカップをソーサーに戻すと、ロニー王子は俺に向かってニッコリ微笑む。


「この前のパーティーは本当にありがとうございました。きっと、日本政府の偉い方々ばかりだと楽しいパーティーにはならなかったと思います」

「私は何も出来ませんでしたが」

「いえ。多野さんが来て下さっただけで嬉しいです」


 そこで会話を一度途切れさせたロニー王子は、爽やかな笑顔のまま再び口を開く。


「先日、本国の両親と電話で話をして、日本で素晴らしい友人に出会った話をしたんです。私に本気で怒ってくれる良い人が居たと」

「ご両親はその無礼なやつに怒ってはいませんでしたか?」

「いえ、とんでもない! 良い友人に出会えたと喜んでくれました」


 俺が冗談を言うと、ロニー王子は笑いながら否定する。


「それに、素敵な女性にも出会えた話をしました」

「素敵な女性ですか?」

「はい。凛恋さんという、とても美しくて素晴らしい女性にです」

「は?」


 屈託無い笑顔で自然にその言葉を吐いたロニー王子に、俺は思わず相手が一国の王子だということも忘れて聞き返す。そして、未だに笑顔を全く崩さないロニー王子の目を見返した。


「今まで、色んな女性と出会いましたが、凛恋さんはとても美しくて可愛らしい。それに、とても性格が穏やかで立ち振る舞いからとても良い女性だというのが分かります」

「…………」


 俺はロニー王子の言葉に答えず無言を貫き、ロニー王子から更に言葉を引き出す。そんな俺の考えを分かっているのかいないのか、ロニー王子は爽やかな笑顔を崩さずに俺の目の前で話を続けた。


「初めて見た時、車の中から多野さんと一緒に歩いている凛恋さんを見た時に、天啓が下りてきたような感覚になりました。きっと、あの時に声を掛けなければ後悔するぞと、神様に言われているような気がして。それで、パーティーで一緒に踊って確信しました。凛恋さんは私の運命の人です」

「凛恋は俺の婚約者です」


 俺は堪らず、語気を強めて言う。もう相手が一国の王子なんて関係ない。俺は強い敵意をロニー王子に向けた。ロニー王子は俺の大切な人を横から割り込んで奪いに来ている。


「それは知りませんでした。ですが、婚約で良かった。まだ、私にも凛恋さんにアピールするチャンスがありますね」


 全く悪びれる様子も無く、ホッと息を吐いて安心した様子で笑うロニー王子に言葉に、俺はテーブルの影で両手の拳を握る。

 婚約で良かったという言葉は、明確にロニー王子が俺から凛恋を奪おうとしているのが分かる。


「俺と凛恋は真剣に将来結婚するつもりで付き合ってるんです。もう凛恋の両親にもちゃんと認めてもらってるんです。それを邪魔しないでください」

「私は邪魔をする気なんてありません」

「ロニー王子が凛恋にアピールするってことは、俺と凛恋のことを邪魔するってことでしょ!」

「違います。私は自分の恋愛感情に素直になるだけです。恋愛に遠慮は良くありません」

「俺達は付き合ってるんです! それを遠慮せずにアピールするって、俺と凛恋の仲を引き裂くってことでしょ! それを平気な顔をして――」

「私は、決して凛恋さんを不幸せにするつもりではありません。当然、凛恋さんを幸せにするつもりです」

「そんな、あんたの都合なんて知るか!」


 俺は両手をテーブルに突いて立ち上がりながら声を荒らげる。その俺を、ロニー王子は冷静な表情で見上げた。


「なぜ怒るのですか?」

「自分の恋人を奪うって言われたら、怒るに決まってるでしょ!」

「奪うなんて言ってません。凛恋さんに選択肢を持ってもらうだけです。私か多野さんか、どちらと交際する方が幸せかを」


 言ってることは理性的に聞こえる。でも、ようは自分も凛恋のことを好きだから、横からアピールして凛恋を俺から奪うという話でしかない。


「多野さん、一度座って落ち着いてください」


 淡々と終始冷静で居るロニー王子に言われ、俺は心の中で煮えたぎる怒りを抑えながら椅子に腰を下ろす。すると、ロニー王子は一度コーヒーを飲んでから、また冷静な口調で話し始める。


「多野さんには話しておかないとフェアではないと思ったので、話しておきたかったんです。ですが、多野さんとの予定が合わずに遅くなってしまいました」

「俺は凛恋を渡す気なんてありません」

「多野さんはそれで良いと思います。ですが、私か多野さんのどちらを選ぶかは、全て凛恋さん次第ですから。凛恋さんが出した答えなら、多野さんも納得出来るでしょうし、私も凛恋さんに断られれば諦めが付きます」

「じゃあすぐにでも告白をしてください」

「多野さん、それはフェアじゃありません。今の凛恋さんに告白しても、私を選ぶわけがありません。私と凛恋さんは出会ったばかりで、凛恋さんは男性に対して恐怖心を持っている。しかし、凛恋さんは多野さん、あなたのことはとても信頼している。きっと、それは二人が過ごした長い時間のお陰でしょう。その時間の差は、フェアではないと思います」


 確かに、俺と凛恋が過ごした時間と、ロニー王子が凛恋と出会ってからの時間は差がある。でも、ロニー王子の口振りを聞くと、時間さえあれば凛恋がロニー王子のことを好きになると思っている。そんな気がしてならなかった。


「多野さんはとても素晴らしい人で、とても大切な学友です。その多野さんと恋仇になってしまうのはとても辛いことです。ですが、私はそれでも凛恋さんに私のことを好きになってほしいと思いました。なので、多野さんと仲違いしてしまうことも仕方ないと思います」


 ロニー王子はコーヒーを飲み干して立ち上がり、数歩歩いて椅子に座る俺の横に立つ。そして、爽やかな笑顔を向けて俺に右手を差し出した。


「多野さん。正々堂々、私と勝負しましょう。どちらが、凛恋さんに相応しい男性として選んでもらえるか」


 清々しく晴れやかな笑顔のロニー王子の表情を見ると、我慢していたことを、心に支えていたものを吐き出せてスッキリした、これで気兼ねなく凛恋にアピール出来る。そんな心境が見え透く表情だった。だが、俺の方は心の中で色んな我慢をして、心に色んなものが支えて苦しさが増している。


 握手を求めるロニー王子に答えず俺が視線を黙って返し続けていると、ロニー王子は困った表情をして差し出した右手を引っ込める。そして、小さく頭を下げて喫茶店を出て行った。


 俺は心の中で、ロニー王子の口にした『フェアじゃない』という言葉をひねり潰す。

 フェアじゃないのはロニー王子の方だ。


 ロニー王子は、俺と凛恋に声を掛けた時から凛恋のことを気になっていた。だとしたら、俺にそのことを打ち明けられるチャンスも期間も腐るほどあった。でも、ロニー王子は俺をだしに使って凛恋をパーティーに招待し、腰を抱いてダンスをしてからそれを打ち明けた。


 ロニー王子は、遠回しに凛恋に対して自分が一国の王子であることをアピールした。豪華なパーティーに招待することで自分の財力と地位をアピールし、男性として女性をエスコートする技術を持っていると示した。そして、凛恋にわざわざ『自分がダンスに誘ったのは、男性が苦手な凛恋のことを気遣ってのこと』だと話をした。

 そこまで用意周到に、自分に対する凛恋の評価を上げようと、凛恋に対してアピールをしてから、俺に凛恋を好きだと話して何がフェアだ。


 俺はロニー王子とその護衛の人達が居なくなった喫茶店の店内で、椅子に座ったまま心を落ち着かせるために何度も深呼吸をする。でも、俺の心は全く落ち着かない。

 相手は一国の王子。容姿も財力も地位も名誉も全てが揃っている。人格は、当初思っていたよりも今は良いとは思わない。でも、女性に対してはきっと紳士的に振る舞うだろう。そうすると、女性から見たら非の打ち所のない男性になる。


 片や俺は、ただの日本の一大学生で、容姿は良いなんて言えないし財力も無ければ地位も名誉もない。人格は自分でもねじ曲がっていて悲観的だと思うし、お世辞にも広く人から好かれる性格ではない。


 客観的に見れば、女性が見比べてどちらを選ぶかなんて明らかだ。考えるまでもない。でも、その女性が八戸凛恋というたった一人の女性なら話は違っている。

 俺は凛恋のことを信じている。高一からずっと俺のことを好きで居てくれて、いつも俺を世界一だと最高だと言ってくれている凛恋の想いを信じている。俺達はいきなり現れた男に簡単に引き裂かれるような、そんな柔な絆で繋がってはいない。


 俺はそう信じられるだけの根拠がある。でも、どうしてだろう、冷静で居られるだけの材料は両手で抱えきれないほど持っているはずなのに、心はざわめき、心の中ではずっと淀んだ感情が渦巻いている。

 一度深く深呼吸をしてやっと、俺は椅子から立ち上がる。そして、視線を飲みかけで既に湯気を上げなくなったコーヒーに落とした。


 誕生日だからと言って、何かあるわけではないという決まり文句を使わなくなったのは、凛恋と付き合い始めてからだった。そして、今日も凛恋が俺の誕生日を祝ってくれるために色々と準備をしてくれているのだろうと思う。だからきっと、家に帰って凛恋が誕生日を祝ってくれたら、今日も凛恋と付き合い始めてからずっと思っている一年の中でも指折りの幸せな日になると思う。

 だけど、今のこの瞬間だけは……今までで、人生で最悪の誕生日だとしか思えなかった。

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