【一七四《不知案内》】:一

【不知案内】


 ステラは、コンサートで日本に帰って来ている両親に会うため、コンサートが行われる俺達の住んでいる街に出てきたらしい。

 そのステラの両親が泊まっているホテルの一階にある喫茶店に、俺はステラの父親から呼び出された。そして、隣には凄く張り詰めた雰囲気を放っている凛恋も座っている。


 俺は到着した瞬間「恋人の両親と会うのに他の女を連れ立って来るとは何事だ!」と怒鳴るステラの父親に必死に説明した。

 俺の説明はステラの出会いにまで遡り、そして当然、ステラとの関係までことを、一切の勘違いも起きないように細心の注意を払い丁寧に説明した。その説明が全て終了すると、ステラの父親は俺に深々と頭を下げた。


「本当に申し訳ない」

「いや、多分ステラさんの説明が足りなかったんだろうとは思ったので大丈夫です」


 俺がステラの父親にそう言うと、凛恋が小さくため息を吐きながらステラに尋ねた。


「ステラ、お父さんとお母さんになんて言ったの?」

「将来、結婚するつもりの人が居ると言った」

「どうやったらそんな話になるのよ……」

「私は凡人と結婚するつもり」

「それはステラの中だけの話でしょ。第一、凡人は私の彼氏。そんな約束してないでしょ?」

「そう。まだ凡人は凛恋の彼氏。でも、私は凡人が好き」


 凛恋とステラの会話を聞いて、ステラの父親は頭を抱えてため息を吐く。やっぱり、ステラの言葉足らずな説明のせいで勘違いをしたらしい。


「でも、ステラに好きな人が出来て私は嬉しいわ」


 長い銀髪の綺麗な白人女性が、流ちょうな日本語で微笑みながら言う。そのステラの母親の反応を見て、ステラのマイペースさは母親譲りのようだと思った。


「ルーシー、まずは迷惑を掛けた彼に謝るのが先だ」

「でも、勝手に怒ったのは亮二(りょうじ)さんだけよ? 私は、ステラに好きな人が出来てとても嬉しかった。それに智恵から、ステラの演奏が急成長したのは恋をしたからだと聞いていたし」

「聞いていたらなんで言わなかった!」

「だって、亮二さんに話したら、きっとツアーの途中で日本に帰ってしまうと思ったから」

「当たり前だろ! 大事なステラに良からぬ虫が付いたらどうするんだ!」


 何やら温度差のある夫婦喧嘩が始まってしまう。その夫婦喧嘩をテーブルを挟んで見ていると、ステラが俺をジーッと見る。


「凡人」

「ん?」

「今日も格好良い」

「あ、ありが――イツッ!」


 俺が戸惑ってお礼を言ってる途中、隣から凛恋に手の甲をつねられる。その凛恋はぷくぅっと両頬を膨らませていた。


「とにかく、ステラに悪い虫が付いていなくて安心した」


 ホッと息を吐いたステラの父親は、真剣な目をステラに向けて口を開く。


「ステラ、今からでも間に合う。日本ではなく海外の音楽大学に進学するべきだ。私の方にもぜひ来てほしいという誘いがいくつも来ている」

「お父さんしつこい。私は日本の大学に行く」

「どうしてだ。日本の大学よりも海外の有名な音楽大学の方がより質の良い教育を――」

「海外には私がヴァイオリンを弾く理由がない」

「日本には理由があるというのか?」

「私は凡人のためにヴァイオリンを弾く」

「なにぃーっ?」


 ステラと話していたステラの父親は、ステラの言葉を聞いて俺に視線を向ける。その視線は鋭く、まるでステラに付いた虫を弾こうとするようだった。


「凡人は私のヴァイオリンを聞いて、私に感想をくれた」

「ステラの演奏に感想を持つ人間はごまんと居る。何も彼ではなくて良いだろ!」

「凡人は私のヴァイオリンに意味をくれた。お父さんもお母さんも、私にヴァイオリンを弾く意味はくれなかった。でも、凡人はくれた」

「……ステラ、確かにステラには厳しくヴァイオリンを教えた。だが、それはステラに才能があったからだ。ステラにはとてつもないヴァイオリンの才能があったから――」

「私はそれで一人だった。ずっと」


 その一言に、ステラの父親だけでなく、ステラの母親も視線を落として俯く。それからは、ステラの両親がステラの進学について蒸し返すことはなかった。

 その後、俺はステラの父親に改めて謝られ、コーヒーとケーキをご馳走になった。そして、家族で予定があるという神之木家の三人と別れて、アパートへ戻った。

 アパートに戻った俺は、ステラのヴァイオリンの先生である宗村さんに電話を掛けた。


『もしもし? 多野くんから電話なんて珍しいわね』

「すみません。今、お忙しいですか?」

『大丈夫よ。ステラがまた何かした?』

「まあ、ステラの説明不足で、ステラのお父さんに婚約者と勘違いされて少し」

『ああ。亮二さんってステラのことになると冷静さを無くすところがあるからね。でも、その報告の電話じゃないでしょう?』

「はい。あの……ステラが言ってたんです。ステラのお父さんが厳しくヴァイオリンを教えたことで、ステラはずっと一人だったって」

『そう、ステラがそんなことを…………まあ、当然と言えば当然ね』


 宗村さんは声のトーンを落としてそう呟く。それは、ステラの言葉について宗村さんが何かを知っているのは明らかだった。


『ステラは本当に物心付く前にヴァイオリンを持たされてたの』

「ヴァイオリンを、持たされてた?」


 宗村さんの言った"持たされてた"という言葉には少し棘を感じた。


『ステラは確かにヴァイオリンの才能がある。でも、それは八割くらいが天性の才能で、二割が作られた才能なのよ』

「作られた才能?」

『そう。亮二さんはステラにもヴァイオリンを弾かせたくて、物心付く前からヴァイオリンと弓を持たせたり、ステラの目の前で弾いてみせたりしてた。ルーシーも天才だけど、亮二さんはそれ以上の天才で、初めて見た楽器も演奏を見ただけで弾くことが出来て耳も良い。だから、そんな二人から生まれたステラだから、当然音楽の才能はあった。でも、天然なルーシーと違って、亮二さんにはコンプレックスがあるの』

「コンプレックスですか?」

『そう。あの人は、自分には音楽以外何もないと思ってる。だから、父親としてステラに出来ることは音楽を教えることしかないと思っていたの。それで、亮二さんは必死にステラへヴァイオリンを教えた。多分、教える楽器にヴァイオリンを選んだのはルーシーが得意な楽器だから』

「でも、そのせいで一人だったって」

『毎日学校以外の時間をヴァイオリンの練習に使って、ヴァイオリンのコンクールのために学校を休む。そんな生活をしていたら、学校で友達は出来ないし、学校でも浮いてしまう。それで……ステラは小学校に入ってすぐいじめを受けていたらしいわ』

「ステラが……いじめを……」

『今でも覚えてる。ステラが小学一年の頃、学校のみんなは私を無視するのに智恵はなんで私と話してくれるのってステラに聞かれたの。悲しさも辛さも感じない、純粋に疑問だけしか浮かんでない顔で。その純粋な顔が余計に辛くて』

「…………」


 俺は宗村さんの言葉に何も言葉を返せなかった。

 ステラの性格はマイペースだ。そして、宗村さんから聞いたステラの生活を聞けば、学校で友達を作り辛いというのも想像出来る。

 俺はステラとよく話していたし、よく会っていた。でも、ステラがそんな辛い思いをしているなんて思いもしなかった。


『でも、多野くんと出会ってから演奏も変わったけど、よく友達の話をするようになったわ。八戸優愛さんって居るでしょ? 多野くんの彼女の妹さん』

「そう、ですか……」

『でも、当然なのよね。ステラがヴァイオリンのせいで一人だって言うのは。多野くんに出会うまで、ステラは楽しそうにヴァイオリンを弾くことはなかった。私も色々、ヴァイオリンを好きになるように試したけど、それでも幼い頃からの記憶には勝てなかった。だから、私はステラのヴァイオリンの先生としても、ステラを見てきた大人としても多野くんに感謝してる。ステラを変えてくれて、本当にありがとう』

「いえ……俺はお礼を言われることなんて、何も……」


 宗村さんにお礼を言われて、俺はスマートフォンを握っていない手の拳を握りしめた。

 俺と出会った時も、凛恋と仲直りするように俺の背中を押してくれた時も、ステラは辛い思いをしていた。でも俺はそれには全く気付かず、ステラと接していた。脳天気に、自分のことしか考えずに……。


『でも、ステラが亮二さんのせいでずっと一人だったって言えたのは良かったことよ。ステラはずっと亮二さんの言う通りにしかしてこなかったから。最初は私も反対したけど、今では日本の大学に行くって決めたステラを応援してる。あの子が自分のことを自分で決めるなんて初めてだから。ソリストは、我が強いくらいで丁度良いのよ』


 電話の向こうで、そう宗村さんが小さく笑った。


『ステラのことを心配してくれてありがとう。でも、今のステラは心配ないわ。多野くんと出会ったお陰で一人ではなくなったし音楽に感情が出た。人としても音楽家としても、これ以上ないくらいの急成長をしてるの。まだ行動が危なっかしいけど、今のステラなら大丈夫。心配してくれる友達も居るし』

「宗村さん、忙しいのにありがとうございます」

『良いの良いの。そっちに行ったら、ステラのことを頼まないとって思ってたし』

「はい。友達として、ステラのことをちゃんと見てます」

『よろしくね』


 宗村さんとの電話を終えて、俺はスマートフォンをポケットに仕舞って小さく息を吐く。


「凡人」


 洋室に入ってきた凛恋が、正面から俺を抱きしめてくれた。


「私はそういう凡人の優しいところが大好き」


 どうやら俺と宗村さんとの電話を聞いていたようで、凛恋が俺を慰めるように言ってくれた。


「……俺さ、全然気付かなかったんだ。ステラが一人だって思ってたなんて」

「ステラ、そういうこと言わないし顔に出さないじゃん。凡人に見せてるのは、凡人を好きだって思ってるステラの顔だけ。きっと、ステラも凡人に心配を掛けるのが嫌だったのよ。ステラだって、凡人がチョー優しいって分かってるんだから。凡人、ステラとの接し方、変えたりしちゃダメよ。そうした方がステラは嫌だと思う」

「凛恋……」

「私も嫌だったもん。……凡人とまた付き合えた時に凡人が気を遣ってるのが分かって、私は凡人に気なんて遣ってほしくなかったし」

「そうだよな。俺だって、ステラに変な気を遣われたら嫌だ」

「うん。ステラには今、私達が居るから大丈夫。それに、優愛が言ってるのよ。私の親友はステラだって」

「そっか。優愛ちゃんが親友なら安心だな」

「だから、もうそんな悲しい顔しないで」


 凛恋が下から俺の顔を見上げながら、俺の頭に手を置いて何度も撫でてくれる。


「凛恋、ありがとう」


 凛恋の背中に手を回して抱きしめながら、凛恋にお礼を言う。

 来年度からは優愛ちゃんもステラもこっちへ出てくる。だから、もっとステラとも話が出来る時間が増える。

 態度は変えない。でも、もっとステラのことを分かりたいと思う。




 次の日、俺は初めて大学から呼び出された。

 単位を落としたわけでもないし、素行の悪いことをしたわけでもない。だから、呼び出される理由も心当たりがなかった。

 呼びに来た大学職員の男性の後ろを歩いて行くと、応接室と書かれたドアを抜けて中へ入れられた。


 部屋は、向かい合って置かれている黒い革張りのソファーと、ソファーの間にある木製のローテーブル。部屋の壁際にはローテーブルと同じ木製の棚が置かれ、電気ポットと冷蔵庫も見える。


「多野凡人さんですね」

「はい。どちら様でしょうか?」


 部屋に入った瞬間、高そうなスーツを来た中年男性の向かいに座っていた若い女性が、俺の前に歩いて来て名刺を差し出す。その名刺を受け取って、俺は眉をひそめた。


「文部科学大臣秘書……」

「はい。湯元(ゆもと)の代理として多野さんへお話があって参りました」

「文部科学大臣がただの大学生に何の用ですか?」

「多野凡人さんに謝罪したいと」

「文部科学大臣から謝罪されるようなことは何もされてませんが?」

「多野くん、一度座って。座った方が落ち着いて話が出来るだろう」


 文部科学大臣の秘書と話している途中、高そうなスーツの中年男性が愛想笑いを浮かべて俺に話し掛ける。俺はこの男性の名前も役職も知らない。

 仕方なくソファーに座ると、文部科学大臣秘書の女性がスーツの中年男性へ視線を向ける。それは多分、席を外せという無言の要求であるのはなんとなく分かった。


「ではごゆっくり」


 中年男性もそれを察したのか、そう言って部屋の外へ出て行く。その男性から視線を秘書の女性に戻すと、女性は手帳を取り出してそれを見ながら口を開く。


「今夜、二三時半に時間を作ることが出来ました。ホテルの部屋を用意して、そこで湯元がお話をしたいそうです」

「私の方には特に話したいことはありませんと大臣にお伝え下さい」


 淡々とした女性に淡々とした口調で答えると、女性は僅かに眉をひそめた。


「ですが、大臣が貴重な時間を――」

「文部科学省の大臣が忙しいのは分かります。実際にやってる仕事までは分かりませんが、国の重要機関のトップが多忙なのは分かりきってますから」

「では――」

「だから、そんな多忙な人の時間を無駄に使うことは止めましょう。私は文部科学大臣に呼び出されても何も話すことはありませんし、何も聞くことはありません。それに何を話されても答えることは同じです。私には両親は存在しません」

「分かりました。湯元へはそのように伝えておきます」

「お忙しい中、ありがとうございました」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る